べたりと張り付いた前髪を払いのけて、小柳は大きく息を吐いた。
じとりとした真夏の空気はじっとしているだけで身体中の水分が持っていかれそうだった。湿った着苦しいTシャツをぱたぱたを仰いで乾いた音を鳴らすエアコンを見上げる。先日突然息を切らした羽根が情けなく空気口の先から垂れ下がっている。夏でも冬でも働き蟻の如く稼働され続けたエアコンが、とうとう今わの間際である。人間も機械もなんと脆いことか、悪あがき程度の冷風を送りながら低い音で呻くエアコンは、よっぽど外の空気の方が涼しかった。
「あっつーい…………」
がらがらと羽を回す扇風機の前にニルが裸足のままぺたりと座り込んでいる。あー、と羽に向かって叫んで、ニルの前髪がふわりと風で持ち上がった。ニルが引っ越した時に持ってきて以来、押し入れに仕舞い込まれていた扇風機は、まさか日の目を浴びるとも思っていなかったのだろう、ほんの少しの埃っぽい匂いを散らしながら回っている。
「業者来るの何時でしたっけ」
ニルが、すっかりぬるまって水滴の溶けたペットボトルの水を、くしゃくしゃといわせて飲み干す。
「14時」
「あと1時間かあ……」
心なしかへたった癖毛を撫でつけて、ニルが眉を下げた。
小柳は椅子の上に足を上げて座り込んだまま、ぼんやりと時計を見た。開けた窓の向こう側からうるさいくらいの油蝉と鳴き声と、夏の蒸し暑い日差しの匂いがした。
目を閉じて、うっすらとぬるい風を送る扇風機の音に耳を澄ませる。紛れ込むように裸足のニルのばたばたと騒ぐ音がした。暑い暑いと言いながら落ち着きがない女だ。薄目をあけて様子を伺おうとしたのと同時に、ひやりと首筋が濡れた。
「うわっ、何、冷た!?」
「アイス余ってました」
「急にビビらせんな」
どうぞ、と半分だけのパピコを残してニルが離れる。すっかり定位置になった扇風機の前でへたれこむ彼女のつむじを見下ろせば、いかにも萎れた様子でどこから持ってきたのか、派手な柄の広告を冠したうちわを仰いでいた。
「セミってなんであんなに元気なんですかね」
「お前いつもだいたいあんな感じやけどね」
「えっ!?あんなにうるさいですか!?ミンミンミンミン言ってますよ!」
「既にうるせえ、蝉も黙りそう」
肩をすくめた小柳に、ニルはからからと笑ってうちわで柔らかく小柳を仰いだ。送られたぬるい風が、小柳の睫毛の隙間をくすぐって消える。
小柳はそっとその手から団扇を取り上げて、くるくると手持ち無沙汰に柄を回した。一向に涼しくはならなさそうだが、こんなものが家のどこにあったのか。どこぞのスポーツチームの宣伝の書かれた団扇を勢いよくニルの方に向かってあおぐと、毛の細い癖毛が舞い上がる。
「あ、ちょっと気持ちいいかも」
ふ、と目を閉じてニルが小さく笑う。やんわりと間延びした語尾のまま、ニルが小柳の足元に背をもたれた。
「おい、寝るなよ」
「寝ませんよう」
「寝たら死ぬぞ、これ」
「……蒸し焼き?」
「やな言い方すんな」
浅く送る風が、ニルの髪を揺らす。壊れかけのエアコンが一段低く唸って、がたんと音を立てて止まった。ついに寿命が尽きたらしい。横を見ると、いつのまにか静かに目を閉じたニルが細い息を吐いていた。言った側から寝てんじゃねえよと呟いて、なるだけ優しく、風を煽いだ。