「やっ、ちょっと、ロウさんっ」
ぐっ、と噛まれた唇に目を引き結ぶ。甘い匂いと微かな制汗剤の匂いが鼻先を擽った。薄く目を開けると長い睫毛があまりにも物悲しく揺れていたので、それ以上何も言えなくなって、私はそっと男性にしては骨ばった肩口に身を委ねる。うつ伏せに押し付けられた彼のベッドの匂いがやんわりと肺の底に広がって、肋骨がぎゅうと締まる。毛先の細い髪の毛がほしょほしょと首筋をくすぐって、足の指先をきゅっと丸めた。湿った息が耳朶を濡らす。「ニル」と呼んだ声があんまりにもあまったるくて、もうこの狼にぜんぶあげたっていいような気になってしまった。
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思えば随分な初夜だったと思う。不合意ではないとは言え、あまりにも獣じみた行為だった。本当ならもうちょっと泣いたって叫んだって良かったのかもしれない、何せ、私は人間だから。だのに、彼があんまりにもくるしそうに、かなしそうに、私を見下ろすのでもうどうだってよくなってしまった。こんなに格好良くて、まるで怖いものなんかないような顔をしているこの人が、私の前ではまるでなきそうな顔をして名前を呼ぶので、私はもう、しまったな、このひとを幸せにしないわけにはいかなくなってしまったな、と、そういう気持ちでいるわけだった。
「あー……電気でも、消す?」
気まずそうに私の横に腰を下ろして、ロウさんが咳払いをする。
長い足を組んで、ほんのちょっと瞳はやんわり揺れていた。なんとなくピンときて、そっと近寄る。鼻先を寄せて、白い頬を覗き込むと、ロウさんが罰の悪そうに私を見下ろした。
「……なんか、もしかしてロウさん緊張してます?」
「……〜っはあ?してねえわ馬鹿っ」
べし、と比較的容赦のない手つきで額を小突いて、ロウさんが顔を逸らす。どうしようもなくかわいくて愛おしい人だった。思わず口元がにやけるのを感じながらうっすらと横目にそのひとを捉えて背中から回り込んでやる。
「ロウさん逃げないでっ」
「うるせ、重い」
「あ、そういうこと女の子に言わないでくださいよお…」
もう、と言って顔を伏せた私に悪かったよとロウさんが振り返る。その隙を見逃さずに、ぐっと顔を捉えてその唇に噛みついた。彼がするみたいにちょっと深くて、痛くて、くるしくて、泣きそうなほど好きだと思わされるような、そういう感情で、冷えた唇を重ねる。
「……電気消して欲しいなあ」
「……おう」
「あとやっぱ前回はちょっといたかったなあ」
「……悪い」
「ふふ、いいんですよう、私ロウさんのこと大好きだから」
骨ばった指先が、するりと首から胸をたどって、鳩尾、腹、骨盤の輪郭を辿る。青く塗られた爪の先が短く揃えられているのを見て、「ねえ、切ったんですか」と聞けば細い指で口を塞がれる。そのまま指先が唇をなぞって、開いて、顎をくすぐる。戸惑う身体を引き寄せるように足を絡めて、筋張った首元に額を寄せた。
「ニル」
「なんですか」
「……ニル」
「――はい、いますよ」
そっと手を伸ばすと薄い体温が縋るように重なった。そんな泣きそうによばなくたって、抱かれたくらいで死にやしない。どういうわけかこの人は私のことが好きなんだなあということに、痛いほど気づかれてしまったので、もう後にはひけなかった。どうせ人間100年ならば、残りの80年でこの人の長い寿命のうちの、あざやかな一瞬であれればいいと、脈拍より早く心臓より深いところで強く思っている。