約6時間の配信を終えて、大きく伸びをする。
肩がぱきっ、と嫌な音を立てた。固くなった身体を伸ばして、椅子を立つ。思えばほとんど昼から飲まず食わずだった。何かしら食べるものでも探そうと思って、小柳は部屋を出た。
最近ではニルしか殆ど使っていない冷蔵庫を開けて中を見る。ラップの引かれた皿がぽつんと2段目に置かれていた。丸っこい字で「食べてくださいね」とだけ書かれている。生姜焼き、切り干し大根、卵焼き、米。今日はちょっと張り切ったらしい。鍋にちょうど一人分の味噌汁が残されていた。
律儀なやつ、と思いながら感謝して、小柳は鍋を火にかける。昼に飲みかけたまま置いてあったペットボトルを飲み干して、するとちょうど反対側の、脱衣所のドアが開いた。
「お、」
あ、と呼応するような形で口を開いたニルが、慌てて声を出さないようにして冷蔵庫を指差す。た、べ、て、とかたどる口に小柳は少し首を捻って、それから気がついた。
「ああ、もう配信は終えてるから気にすんな」
あれ、とニルは風呂上がりであろう濡れた髪を拭って、目を瞬かせる。
「あ、もう終わったんですか」
「おう。飯ありがとな、今から食うわ」
「いえいえ」
今日はねえ、結構上手くできましたよと言いながらニルが裸足のままぺたぺたと近寄ってくる。いつの間にか買い揃えられていた女物のシャンプーの匂いが鼻先を掠めた。
「あ、」
「?はい」
「お前髪びっしょびしょやん」
ひたひたと長い髪の先から垂れる水を触って、小柳は彼女の首からタオルをひったくった。
「まだ濡れてんぞ、おっちょこちょい」
「う、わ、わあ」
「はは、まじで、大型犬みてー」
わしゃわしゃと柔らかい髪をかき回すと、ニルはうう、とかわあ、とか言いながら振り回されるがままに揺れている。
ふと、軽く地肌を、指の腹で押してやる。「あ、それ気持ちいいです」「だろ」すっかり撫でられた犬みたいになったニルが、目を細めて髪の隙間から小柳を仰ぎ見た。
「ロウさん、明日早いですか?」
「早くねえけど、なんで」
「あ、いや、アニメ見るんですけど、一緒にどうかなって」
絡まった髪をほぐしてやりながら、小柳は頷く。
「いーね、何見るよ。こないだのやつ面白かったやん、最後寝てて覚えてねーけど」
「ロウさんあの日めっちゃ疲れてたのに見るって言い張るから……あれ、2期もありますよ、それにします?」
「そうする、飯食って風呂入ったらそっち行くわ、ゲームでもして待ってて」
もうそっちの部屋使っていいから、と伝えて、小柳は沸々と茹ってきた味噌汁に、鍋の火を止める。それにはあい、とのんびり答えて、ニルが裸足のまま部屋に向かった。
去年の暮れぐらいに、なんだかんだと殆ど毎週のように家にいるニルに、「お前もう帰らなくてよくね」と駄目で元々だと思って言ったのが始まりだった。
案外あっさりと、「ロウさんの配信の邪魔にならないなら」ということで、ニルの少ない荷物が一式小柳の家に移動をしてきた。大概のものは職場である店に全部置いているので、これといって必要なものもないらしい。家には女どころか男も置いたことがなかったので勝手は分からなかったが、その辺りはニルが好きに住みやすく変えていった。たまに知らない間に、オトモの布団までちょっといいものに変えられている。不思議と、一緒に住みやすかった。
「うわ、うま」
味噌汁を啜って思わずそう呟いた小柳に、ニルが「でしょ」と笑って部屋に入る。気がついたらすっかり生活に馴染んでいた。ついでに家事も上手いので、それなりにいい女だった。
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「いやあ、めっちゃよかったですねえ」
ずびずびと泣きながら、情けなく画面を見つめてニルは鼻を啜った。
「最後のシーン、名シーンすぎる。1期もだいぶ良かったですけど、2期で大当たりするアニメってあるんですね」
「お前泣きすぎだろ」
確かに面白かったが、それにしても泣きすぎである。ぽん、とその小さくまんまるな頭に手を置いて小柳はぼんやりクレジットをながめる。
「あーーあのキャラ、この声優やったんか」
「え、だれ、どれですか」
「ほら」
そういって指を刺した小柳の爪先に目をやって、ああ!とニルが声を上げる。「なんか聞き覚えあると思ったんですよね」といって、ニルが涙を拭った。仕方ないので袖口で拭いてやると、遠慮なくぐりぐりと顔を押し付けられた。遠慮しろ。
「ほんとによかったです。面白かった、ロウさんありがとうございました」
「いーえ。俺も見たかったし。もう寝る?」
「どうしようかな……」
迷った声をあげているが、その顔はもう既に眠たそうにうつらうつらとしている。泣きすぎて疲れたのだろう。本当に、ガキ。呆れて思わず口元を緩めながら、小柳はぴ、とテレビを消す。
「あ」
「はい、終わり。寝るぞ」
「ええ……嫌ですよ、だってロウさんとこういうの久しぶりじゃないですかあ」
眠たいせいで、語尾がいつもの何倍も甘い状態で、ニルがいやいやと首を振る。言われてみればこの所は立て込むことも多かったので、夜にニルと長く時間を作るのは久しぶりのような気もする。こいつでも寂しいとかあったんだな、と思いながらやわらかそうな頬を軽く摘むと、「痛い」と文句を言われた。情けない声だった。
「でもお前眠そうじゃん」
「……10時過ぎたら基本眠いですよ」
「健康優良児すぎ。無理すんなよ」
うう、と唸ってニルが小柳の腕の中で丸くなる。毛の細い髪を撫でて、指先に絡めて弄ぶ。するすると指を滑って落ちていった。あまい髪の匂いの中に、己の匂いが滲んでいる。
「ニル」
「……うう」
「ニール」
「……………………はい」
「はは、おやすみ」
とうとう目を閉じたまま動かなくなったニルに思わず笑って、小柳はぎゅうと、その身体を閉じ込めた。