愛してるなんてどうせ言えない


「ロウさ〜〜〜んっ!」

 聞き慣れた大声に思わずちょっと眉を傾けて、窓を外を見た。見下ろせば、一年は体育の授業なのか、まだ袖の余る大きめに買われたジャージをきて、見慣れた女が手を振っている。授業中だぞ、と呆れながらも満面の笑みがどうしようもなく情けなくて、少しも板書していない白いままのノートを避けて僅かに手を振り返す。口の端が緩んでいや、しないだろうか。

「春笠ぁ!何やってんだ早くボール持って来い!」
「うわごめん!今持ってく!」

 クラスメイトに呼ばれたのか、わたわたとボールを抱えながら去っていく背中をぼんやりと見下ろしていると、振り返ったニルが後ろ向きのまま何やら口を動かしている。今日も、かっこいい、です。馬鹿か。早く前向け、と手の端であしらうと、何が嬉しいのか笑って、ニルが駆けていった。



「ロウ、彼女見てたでしょ」

 チャイムが鳴るなり、前の席のウェンがくる、と振り返ってこちらに体を向けた。「どーせお前板書してないだろ」と言いながら渡されたノートをありがたく借りて写真を撮る。それすらなくしてまたテスト前に借りることになるのだが、ウェンの方がその辺はよくわかっている。「お前次ノート貸してって言ったらスタバ奢らせるから」と添えた彼に「こえーよ」と返して、机に突っ伏した。

「つーかまだ彼女じゃねえし」
「え、まじ?」
「うん。断られた」
「は?」

 素っ頓狂な声をあげて、ウェンが目を見開いた。そりゃそうだ、言っておきながら俺の方が何を言っているのかわからなかった。好きだ好きだと散々言われるので、いいなと思ってしまった、それだけだ。無駄に素直で、危なっかしくて、馬鹿正直で、放っておけない。煩いだけかと思えば案外頑固で意地っ張り。そういうところがちょっと可愛い。それだけだ。恋愛はおろか女子にすら対して興味がなかったくせに、勢い余っていつも通りに好きです、と言われた答えに「いいよ、付き合う?」と返してしまった。それだけ。

 だのに、あっさり断られた。正確には逃げられた。「それは、困ります」「なんで」「好きなので、好かれるのは、想定してなくて」なんだ、その勝手は。腹立たしさより呆気に取られる方が近くて、はあ?と思わず声が出た。そんで、逃げた。そして今。今まで通りかっこいい!好き!などと言ってくるくせにこちらが少し好意を向けるとあっさりと逃げていく。いい加減こっちの気がおかしくなりそうだった。

「いや、まじでめっちゃおもろいわぶっちゃけ」
「ウェン、お前なぁ〜……」
「女子にすかした態度取ってたロウきゅんが女子に振り回されてんのいいよ、かなり」
「ロウきゅんっていうな。うるせーよ、そんなつもりねえっての」

 ったく、と呟いてため息をつく。本当に、そんなつもりはない。振り回されてたまるか、あんな奴に。ぐしゃぐしゃと髪をかきまわして、目を閉じる。目を逸らしていても、好きになってしまったので仕方がなかった。妙に嬉しそうに手を振ってくるところもちょっと可愛いと思ってしまった。本当に、かなり、不服ながら。



 欠伸を噛み殺しながら下駄箱を開けて、適当に上靴を押し込む。ひら、と落ちた手紙に眉を寄せて後ろみれば、知らない名前が書いてあった。小柳くんへ、と添えられた横の名前はおそらく女子だろうか。ウェンなら知っているかもしれないが、残念ながら対して女子と関わりのない俺には分かりそうにもない。捨てるのも悪いか、ととりあえず下駄箱に戻して、靴を取る。不意に横切った見慣れた頭に、思わず声を張った。

「おい、ニルっ」

 ぱ、と振り返った彼女が「あれ、ロウさん!?」と声を上げて目を瞬かせる。一緒にいたであろう友達に何か声をかけてニルがやや駆け足でこちらに寄ってきた。長い髪が揺れて落ちる。

「わあびっくりした、帰りですか?」
「あー、悪い、あの子達と一緒に帰るとこだったか」
「あ、ううん、大丈夫、みんな部活です、私休みなんです今日」

 だから声かけてくれて助かりました、といってニルがゆるく笑った。「そっか、俺も」と返して靴を履く。隣に並ぶと僅かに低い頭がこちらを見上げている。

「途中まで一緒に帰っていいですか」
「の、つもりで声かけたけど」
「やったあ、嬉しいです」

 喜ぶ彼女の声に、裏表はなさそうだ。本当に、これでなんで俺が一回振られているのか、訳がわからない。閉じた下駄箱に目をさげて靴のつま先を軽く床で突っかけると、ニルがふと下駄箱を指さして見せる。

「ロウさんそれ、なんか忘れてます」
「え?ああ……」

 さっきの手紙だろう、こいつがいる前で出すのも流石にか、と思いながら迷っていると、「持って帰らない優しさも好きですけど、持って帰ってあげる方が、角は立ちにくいと思います」と続ける。阿呆かと思えばこういうところは案外察しがいい。そういうもんか、と鞄に突っ込むと、ニルが困ったように肩をすくめてみせる。お前なんかもうちょっとないのかよ、俺のこと好きなんじゃないのかよ。思ったが、とりあえず口には出さないでおいた。

「でもそっか、ロウさんかっこいいですもんねえ」

 だいぶ日差しの強くなった空に、剥き出しの半袖をさらしながらニルがしみじみとそう言った。

「いや、こういうの俺はあんまりない方だけどな」
「え、そうですか!?」
「女子とそんな喋んねえし」

 お前くらいだよ、変なの。そう続けるとニルがそんなことないですよう、と言って眉を傾ける。お前から見てている俺と、周りから見えている俺はきっと多分、少し違う。ニルはちょっと迷ったようにして、それから、珍しくまっすぐにこちらを見た。

「でも私、ロウさんかっこよくて好きですよ」
「お前なあ〜……そればっかじゃねえか」
「いや、待ってくださいねっ、なんかちょっと上手く言えるように頑張ります、えっと……」
「いいよ、なんかもうわかってるし」

 えぇ!と不服な声をあげるニルを横目に、思わず口の端が緩んだ。感情が先に出るので、言葉がついていっていないところも、そのくせ何かを伝えようと必死になっているところも、もう十分何度も見てきていた。そっと足を止めて、その目を見やる。可愛かった、必死になって自分が好きだと言ってくる、よくわからないところが。

「やっぱ諦めて俺と付き合うっての、なし?」
「……………えっ」
「つーか折れろよいい加減。意味わかんねえし。なんで好かれてんのに俺が振られてんだよ。腹立ってきたわ」
「あっ、あの、あの……」

 わ、と顔を両手で顔を覆ってニルが困ったようにして眉を垂れる。逃がすか、今日こそは。手首を掴んで顔を覗き込んでやると、とうとう道の端っこにうずくまった。指の隙間が赤く染まっていて、ちょっと情けなかった。

「……わ、私ロウさんが好きです」
「知ってる」
「付き合って嫌われたくないです……」
「ならねえよ、なんだそれ」
「わ、別れたり振られたりしたくないですし……」
「今振られてんの俺ね」

 仕方がないのでしゃがみ込んで、目を合わせてやる。泣き出しそうな目が揺れてこちらを見上げていた。ゆるく髪を耳にかけてやると、ひぃん、と呻いて顔を伏せる。馬鹿。そんで結構、可愛い。

「お前がうるさいせいで、俺までお前のこと好きになっちゃったんだからしょうがねえだろ」

 恐る恐る再び顔を上げたニルが、酸素を求めてる魚よろしく口を忙しなく動かしてロウさん、と名前を呼んだ。「私のこと、好きになってくれるんですか」「うん」───なってやっても、いいよ。

 試しに顔を寄せると目を閉じながらも拒絶はなかった。額を寄せて、温い体温に触れてみる。付き合って。もう一回言うと、小さく頷いて返ってくる。情けなくて、馬鹿で、まっすぐで、そう言うところを、いいと思っている。