解氷

 体育祭の翌日。
 休校のため轟は病院に来ていた。受付で母親の病室を聞き部屋へ向かう。
 その途中、見知った顔を見つけた。

 ――望月莉緒。
 体育祭のトーナメント初戦で戦った相手だ。彼女の手には花束があり、誰かの見舞いに来ていることを窺わせる。

 あの試合以降、轟は莉緒と話をしていない。試合中の彼女の表情を思い出し、轟は思わず足を向かわせる。しかし、踏み出した足はすぐに止まった。

 精算しきれていない今の自分が、いったい何を言えるのか――轟は病室に入って行く莉緒の姿を見つめた。




 轟は母親との面会を終え、莉緒が入った病室の前に来ていた。しばらくドアの前で躊躇した後、ノックをして中へ入る。

 真っ白な空間。部屋にはベッドが二つ並んでおり、男性と女性が寝ていた。その体には人工呼吸器や点滴の管などがついている。
 チェストの上には花が生けられ、写真がいくつも飾られていた。楽しそうに笑っている家族写真を見て、轟は違和感を覚える。

 目的の人物は窓際のテーブルに突っ伏し、自身の腕を枕にして寝ていた。昨日の体育祭で疲れているのか、轟が入ったことにも気付いていないようだ。

 窓から風が入り込み、カーテンがはためく。莉緒の柔らかな髪も風に吹かれ、シャンプーの匂いがふわっと香る。
 気持ちの良さそうな寝顔。その横顔に昨日の泣きそうな表情が重なり、誘われるように手を伸ばした。
 もう少しで轟の手が莉緒の頬に触れようとする、その時――。
 彼女の目がゆっくりと開かれた。

「……」
「……」

 轟のオッドアイと莉緒の大きな瞳。二人の視線が交わる。

「…………えっ?」

 たっぷりと間を空けた後、莉緒の口から間抜けな声が漏れた。起きたばかりで状況が理解できないのか、落ち着きなく周囲を見回している。轟は伸ばしていた手を静かに遠ざけた。

「……どう、して轟くんが?」
「悪りィ、お母さ……母に会いに来たんだ。この病院に入院してる。たまたま望月を見つけて、それで……」
「……」
「望月の都合も考えずに悪かった。でも、どうしても話がしたい」
「……うん」

 莉緒は戸惑っているようだったが、拒否することなくゆっくりと頷いていた。
 ここじゃあれだから、との彼女の言葉で轟は病院の中庭へ案内された。

 木々の間に遊歩道があり、レンガの花壇には春の花がたくさん咲いている。色とりどりの花々は病院の無機質さとは打って変わり、暖かな空間を造っていた。
 遊んでいる子どもや散歩中の人、ベンチで本を読んでいる人、談笑する人――様々な人が中庭を利用している。

「あら〜、莉緒ちゃん。今日は男の子と一緒なのね」
「イケメンの彼氏で羨ましいわね」

 轟が莉緒と中庭を歩いていると、車椅子に乗った中年女性と付き添いの看護師が話しかけてきた。彼女の知り合いのようだ。

「彼はクラスメイトで、そう言うのじゃ……!」

 莉緒が顔を赤くして否定すると、二人の女性はクスクスと笑う。

「あらあら、赤くなっちゃって」
「赤くなっても可愛いわね」
「もう! 二人ともからかわないで!」

 莉緒が怒ったように言うと、二人は轟と莉緒を意味ありげに見ながら去って行った。その後もベンチで本を読んでいる男性患者、移動中の看護師から話しかけられていた。

「あー! 莉緒ちゃんだ!」
「ほんとだ! 一緒に遊ぼー!」
「莉緒ちゃん、テレビ見たよ! カッコ良かった!」

 4、5歳くらいの男の子二人と女の子が莉緒に駆け寄って来る。莉緒はしゃがみ込み、子どもたちと目線を合わせている。

「見てくれたんだ、ありがとう」
「僕、来年も莉緒ちゃんを応援する! だから今度は1番になってね!」
「ふふ、良太くんが応援してくれるなら1番になれそうだね。皆は何をしてたの?」
「オールマイトごっこ! ママがフィギュア買ってくれた! お兄ちゃんも一緒に遊んで!」
「……俺?」

 急に話しかけられ、轟は戸惑う。子どもの相手などしたことがないため、どうすればいいのか分からないのだ。
 子どもたちは轟の意見も聞かずに話を進めるが、それを莉緒が「今日は遊べないんだ、ごめんね」と謝って止める。子どもたちから残念そうな声が上がるも、莉緒が頭を撫でると嬉しそうに頬を緩めていた。

「また今度ね。今日は天気が良くて日差しも強いから、日陰で遊んで小まめに休憩と水分を取ること!」
「「「はーい!」」」
「うん、いい返事。またお部屋に行くからね」

 子どもたちと別れベンチに座る。背後には大きな木があり、日陰を作ってくれていた。青々と繁る葉の隙間から日差しが漏れ、心地の良い暖かさを感じる。

「……知り合いが多いな」
「うん、よく来てるから」
「中庭も、こんな場所があったんだな」

 初めて訪れた場所だが、とても心が安らぐ。外に出れる患者が中庭で過ごすのも頷ける。

「職員さんがいつも手入れしてるの。今の時期はカモミールが咲いてて、甘くて良い匂いがするんだよ。轟くん、中庭に来たのは初めて?」
「病院に来たのも今日が初めてだ」
「お母さんが入院してるって言ってたけど、最近入院されたの?」
「いや、それも含めて俺の話をしてもいいか?」
「……うん」

 轟は体を莉緒の方に向け、太ももの上で拳を固く握りしめた。
 そして、自身の過去について語り始める。
 父親とその目的。自分の出生、母親の涙。それから火傷のこと。どう想い過ごしてきたのか、どう思い戦ってきたのか――。

「俺は親父の“個性”を使わず一番になることで奴を完全否定するつもりだった。でも、それじゃダメだって望月が気付かせてくれたんだ」
「え、私?」
「あの時、言っただろ?」

 ――『ヒーローが負けるって、そんな簡単なことじゃないよ! ヒーローが負けるってことは、誰かの笑顔が……幸せが奪われるってこと。本気を出さない人は誰も救えないし守れない。ヒーローとして背中を任せて一緒に戦えない……奪われた後に後悔しても遅いんだよ』

「親父を見返す為にヒーローを目指してる俺が、凄く半端な存在に思えた」

 ――『君は何になりたいの?』

「俺は忘れてたんだ。親父に言われたからじゃない、俺自身がオールマイトのようなヒーローになりたいって思っていたことを。それを思い出したのは緑谷戦だった。望月が切っ掛けをくれて、緑谷が思い出させてくれた」

 幼い頃、「血に囚われることなんかない。なりたい自分になっていいんだよ」と母親は言ってくれていた。しかし、憎しみに囚われ、“個性”に、エンデヴァーに囚われ、“自分”というものを見失っていた。

「俺の存在が母を追い詰めてしまうから今まで会わなかった。でも、この身体で再びヒーローを目指すために、なりたい自分になるために会って話をしようと思った。今日はそれで……」
「……お母さんとは話せた?」
「ああ。母は泣いて謝って、驚く程あっさりと笑って赦してくれた。俺が何にも捉われずにつき進むことが幸せであり、救いになると」
「……そっか」

 轟と母親は今日、長い月日を経て新たなスタートを切った。穏やかなその表情には今までの憂いはない。

「どうしても望月と話がしたかった。病室に押し掛けたのも、本気の対戦を望んでた望月の気持ちを無下にしたのも悪かった。ありがとな」
「……私は自分の言いたいことを言っただけ。轟くんを救ったのは緑谷くんで、お母さんとの一歩を踏み出したのは轟くん自身だよ。病室のはびっくりしただけで怒ってないから大丈夫」

 突然病室に訪れるなど失礼なことをした自覚があった轟は、その言葉に安堵した。

「轟くんの事情を知らなかったとはいえ、色々と生意気なことを言ってごめんね」
「いや、望月の言っていたことはもっともだ。さっきも言った通り、俺は望月に感謝してるから」
「ふふ、轟くんのこと知れて良かった。教えてくれてありがとう」
「俺の方こそ、聞いてくれてありがとな」
「うん」

 轟が話し終え、二人の間に閑寂とした空気が流れる。言いたいことを伝え、胸のつかえが取れた轟。反対に緊張感のある表情をしている莉緒。

「轟くん、あの、あのね…………」

 莉緒は言い淀んでいるようで、なかなか次の言葉が出てこない。俯いてしまった莉緒を心配して、轟が覗き込む。

「望月、言いにくいなら無理しなくても――」
「ごめんね、大丈夫。私も聞いて欲しいことがあるの……」