月に叢雲、花に風

「ねぇ、莉緒と轟って結局どうなってんの?」

 ベンチに座った途端に投げかけられた耳郎の言葉により、それまで浮かんでいた笑みが一瞬で崩れ去る。幸せの余韻に浸る間もなかった。
 思わず持っていたペットボトルに力が入り、プラスチックが嫌な音を出す。まだキャップを開けていなかったのが幸いだ。

「え、どうって……え?」
「だって、あんたら最近は登下校一緒だし、轟なんて莉緒にだけ態度違くない?」
「以前よりも轟さんの雰囲気が柔らかくなった気はしますが、莉緒さんには特別優しいと言うのは私も同意しますわ!」

 耳郎と八百万は期待に満ちたようなキラキラとした目で莉緒を見ている。

「この間の演習試験の時だってさ、莉緒のこと心配してたみたいだし」

 その言葉に莉緒の顔が真っ赤に染まる。頬に触れる轟の手の感触を思い出し、胸の鼓動が高鳴るのを感じた。

「そもそも轟って莉緒によく触れてくるよね? 髪の毛の埃とったり、顔の怪我見るために頬や顎に触れたりさ」
「ええ、轟さんがそんなことをなさるのは莉緒さんだけです」

 莉緒の返答を待たずに耳郎と八百万は更に盛り上がっていく。二人の言葉にどんどん追い込まれて羞恥に駆られるが、彼女たちが話しているのは“轟の行動”であって“轟の気持ち”ではない。彼が何を思ってそうしているのか、その本心は分からない。

「莉緒は轟のことどう思ってんの? ……まぁ、その顔を見れば何となく察しはつくけどさ」
「え!? いや、その……」
「ふふ。お顔が真っ赤ですわよ」

 莉緒は恥ずかしさに耐えかねて俯いた。
 
「……今はまだ、目の前のことでいっぱいいっぱいだから」

 轟のことを意識し、惹かれているのは事実だ。でも今は、ヒーローなるためにやるべきことが多すぎて余裕がない。職場体験でエンデヴァーから聞いた古武術だってものにできていないのだ。

「……そうだよね。色々言っておいてなんだけどさ、焦らなくて良いんじゃないかな」
「ええ、ゆっくりご自身の気持ちと向き合っていけば良いと思いますわ」
「響香、百ちゃん……ありがとう」
「まぁ、芦戸や葉隠とかは冷やかしてくると思うけど頑張ってよ」
「えぇー、そこはフォローしてよ! お願いします!」

 今までの恥ずかしさの仕返しに「二人の方はどうなのー?」と聞くも、耳郎には「さ、次はどこ行く?」と話しを逸らされ、八百万には「私、あちらのお店に行ってみたいですわ!」と聞こえてないフリをされてしまった。
 華麗にスルーされて莉緒が悔しそうにしていると、スマホから着信音が響き渡った。画面には別行動をしている麗日の名前が表示されている。

「お茶子ちゃんからだ。もうお買い物終わったのかも。ちょっと出るね」

 二人に了承を得てからスマホの通話ボタンをタップし、麗日からの電話を取った。

「お茶子ちゃん? そっちは終わ……え!? うん、うん、それで?」

 莉緒の剣呑な雰囲気に耳郎と八百万が心配そうな表情を向ける。

「お茶子ちゃんたちに怪我はない? そっか、良かったぁ。警察には? うん、わかった。今からそっちに行くね」

 通話を終了するや否や詰め寄ってくる二人を落ち着かせ、莉緒は電話の内容を話す。

「緑谷くんが――」




「緑谷くん! お茶子ちゃん!」
「お二人ともご無事ですか!?」

 莉緒たちが慌てた様子で緑谷と麗日の元に駆けつける。
 麗日からの電話の内容は『USJの時のヴィラン、死柄木が緑谷に接触してきた』と言うものだった。通報はしているそうだが、警察やヒーローはまだ到着していなかった。

「二人とも大丈夫だった?」
「私は何ともないけど、デクくんが……」

 麗日の視線の先には、ベンチに座り喉元を押さえて苦しそうな呼吸をしている緑谷の姿があった。莉緒は緑谷の隣に座ると、彼の背中に手を当てて優しくさする。

「緑谷くん大丈夫? 苦しい?」
「ゲホッ、だ、大丈夫……」

 死柄木に首を掴まれていたようで、緑谷の首には指の跡が薄っすらと残っている。
 莉緒は持っていた水を緑谷に渡す。休憩時に自動販売機で買ったものの、轟の話になって動揺し飲んでいなかったのだ。

「これ、まだ開けてないやつだから。良かったら飲んで落ち着いて」
「あ、ありがとう望月さん」
「三奈たちは?」
「莉緒ちゃんの後に連絡したから、そろそろ来てくれると思うんやけど……」

 麗日がキョロキョロと辺りを見回すが、彼女たちの姿はまだ見えないようだ。莉緒たちより遠いフロアで買い物をしていたのだろう。

 芦戸たちが到着したのは、それから数分後のことだった。警察とほぼ同時で、その頃には緑谷の呼吸も落ち着いていた。
 ショッピングモールは一時的に閉鎖されることになり、警察官の人が客を誘導し始める。

「望月さん!」

 制服警察官の中で一人だけスーツを着ている男性――塚内が莉緒に声を掛けた。

「塚内さん!」
「君も無事で良かったよ」

 塚内はヴィラン連合に対する特別捜査本部の一員らしく、死柄木の出現によりショッピングモールに訪れたそうだ。

「君はUSJで拉致未遂にあっているから心配していたんだ」
「私は死柄木とは接触していないので……心配していただいてありがとうございます」
「それなら良かった。部下に送らせようか?」

 塚内の視線の先には猫頭の警察官がいた。

「いえ、友だちと一緒に帰るので大丈夫です。それに、これから捜査にあたられるんですよね? 大切な人員を私に割くのは申し訳ないです」
「市民を守るのも我々の仕事なんだが……何かあったら必ず連絡するように。私の連絡先を教えておこう」
「ありがとうございます。塚内さんも気を付けてくださいね」

 連絡先が記載された名刺を貰い、塚内に頭を下げてからクラスの輪に戻る。緑谷はこれから事情聴取があるためここで別れ、それ以外のメンバーでショッピングモールの最寄り駅に向かうことになった。

「あの警察官の人、USJの時にもおった人やんね?」
「莉緒、何話してたのー?」
「USJの時に死柄木に攫われそうになったのを知ってるから、心配してくれたみたい」
「あの時はビビったぜ。しかも腕、すげぇ怪我してるし。治って良かったよな!」
「ありがとう、切島くん」
「望月を救けたのは轟だったし、俺は何もしてないけどな!」
「そ、そんなことないよ!」

 『轟』と言う言葉にドキッとした莉緒だったが、幸い他の人には気付かれなかった。
 
 駅でクラスメイトと別れ一人で帰ったが、心配するようなことは何もなく無事に家に着いた。念のため保護者である相澤に連絡を入れると、警察の方からすでに詳細を聞いていたようだ。
 相澤から「お前がショッピングモールに行くとヴィランが現れるのか?」と、ため息交じりに嫌味っぽいことを言われたが、そもそも死柄木と遭遇したのは緑谷であって莉緒ではない。「人をヴィランホイホイみたいに言わないで下さい」と返して電話を切り、家のソファに座り込んで深い息を吐いた。

 相澤にはああ言ったが、自分の4歳の誕生日と今日。楽しくて幸せな時間をヴィランに奪われてしまったのは事実だ。
 憂鬱な気分になり別のことを考えようとすると、今日の恋バナ――ほとんど耳郎と八百万が一方的に莉緒と轟のことを話していただけだが、それを思い出してしまい恥ずかしくなる。
 見ている人は誰もいないのに、熱くなった頬を隠すようにソファのクッションに顔を埋めた。