PM4:00――。
訓練が終わり宿泊施設に戻ると、野外テーブルの上に大量の食材がこれでもかと鎮座していた。玉葱や人参、じゃがいも、肉、カレールー、スパイスなど種類は様々。
ピクシーボブと黄色のメイド服風の戦闘服 を着た“ラグドール”から、「世話を焼くのは昨日だけ」、「己で食う飯くらい己でつくれ!」と言われ、休む間もなく疲労困憊の体に鞭を打って料理を作ることになってしまった。
これも救助訓練の一環だと張り切る飯田の指揮のもと、『世界一旨いカレー』を作るため、莉緒は拝命された役割に勤しむことにした。
「お〜! 望月、めっちゃ上手いじゃん!」
食器の用意をしていた上鳴が、莉緒の手元を見ながらそう言った。
食材係りになった莉緒の周りには既にカットされた野菜やお肉がたくさん並び、トントンとリズミカルに包丁がまな板を叩く音が聞こえる。
「ありがとう。でも普段から料理してるから、このくらいは普通だよ」
「家庭的かよ! マジでいいな!」
幼い頃、何度も教えられて身についた莉緒の包丁使いは祖母と一緒だ。そのため、祖母が褒められているようで嬉しくなる。こんな風に誰かと料理をするのも久しぶりだ。
莉緒が切った食材は調理係りの瀬呂と切島が受け取り、炒めて煮込んでいく。
「よし、ルーも入れたし後はとろみが出るのを待つだけだな」
「ちょっと味見しようぜー!」
待ちきれないといった様子の上鳴が、瀬呂がかき混ぜているスープレードルを奪う。そしてカレーを小鉢に装うと、そばにいた切島へ渡した。切島は「俺が食べるのかよ」と文句を言いながらも小鉢に口をつける。
「……店とかで出たら微妙かもしれねーけど、この状況も相まってうめえ」
「言うな言うな、ヤボだな!」
「もっと良い感想ないのかよ!」
「だったら瀬呂と上鳴も食ってみろよ」
食レポにいちゃもんをつけられた切島は、小鉢にカレーを装い直すと瀬呂と上鳴に押しつけた。二人はそれを飲み物のように一気に呷ると、なんとも言えない表情をする。
「あー、まぁ不味くはない。な、上鳴」
「微妙以外のコメントが出ねぇ」
「俺よりお前らの方がひでーよ!」
カレー鍋を囲んでそんな感想を言い合う様子を目にした莉緒は、「私も味見してもいい?」と尋ね、彼らから小鉢を貰ってカレーを口に含む。
「うーん、なるほど……ちょっと待ってね」
莉緒は目を瞑ってうんうんと頷くと、ラグドールがいるテーブルへ向かう。切島たち三人の視線を背中に感じながら、目当てのものを受け取り腕に抱えて帰ってくる。
「なに持ってんだ?」
「ふふ、隠し味にしようと思って」
瀬呂の問いに、莉緒は持っていた食材を見せながら満足そうに笑う。そして、それらを鍋の中に入れ始めた。
擦り下ろしたりんご、はちみつ、ヨーグルト、ウスターソース、チョコレート、インスタントコーヒーをどんどん投入する。そのたびに切島たちの顔色は悪くなっていく。
「俺たちのカレーが……!」
「切島、呆けてないで望月を止めろ! ってか、そんな食材あったか!?」
「包丁の扱い慣れてたから油断してたけど、望月ってメシマズか!? 味音痴だったのか!」
「大丈夫だって。後はこれをちょっと煮込むだけだよ」
カレー鍋をかき混ぜ、弱火にしてから数十分。
恐ろしいものを見るかのような表情をする三人の目の前に、小鉢に装ったカレーを出す。
彼らは顔を見合わせると、言葉もなく静かに――しかし、拳を出すスピードだけは異様に早いじゃんけんをした。勝負は1回で決まり、敗者となった切島は項垂れ勝者の二人は拳を突き上げ涙を流して喜んだ。
「もう、三人ともひどいなぁ。罰ゲームじゃないんだからね」
莉緒は目の前で堂々と行われた勝負を不服に思いながら、ずいと小鉢を切島の手に押しつける。
緊張をはらんだ表情の切島は、覚悟を決めたのかゆっくりと小鉢に口をつけた。ごっくん、と咀嚼音が妙に響いた後、切島の動きが止まった。瀬呂と上鳴が心配そうに見つめる。しかし彼らの心配をよそに、切島の表情は花が咲いたように明るくなったのだ。
「ふふ、おいしい?」
「うめぇ! なんだこれ、さっきと全然ちげえ!」
そんな切島の姿を見た瀬呂と上鳴は意外そうに目を瞬かせ、自分たちもカレーを食べる。
「甘みとまろやかさの中に酸味とコクが生まれて、深みのある味になってる……ッ!」
「うま! 店で売ってるようなやつじゃね? 金取れるって!」
目を瞑って吟味しているかのような瀬呂と、キラキラと目が輝く上鳴。
「あのごちゃっとした食材でよくこんなに味がまとまるなぁ」
「瀬呂に激しく同意するぜ。あの食材見たときは恐怖だったよな。にしても、本当にうまい!」
「これほんとマジで店出せるって! 俺、毎日通うわ!」
「ヒーローしながら副業で喫茶店っていうのも楽しそうだね。もう上鳴くんっていう常連さんもできちゃったし」
切島たちの反応に莉緒が満足していると、ちょうどお米も炊きあがったようで、飯ごうを持った芦戸が近づいてきた。
「あー! 切島たち何で先に食べてんの〜?」
「いや、ちょっと味見してただけだって!」
「つーか、おまえら俺らに感謝しろよな!」
「何で上鳴がドヤ顔してんの?」
「俺らが味見したおかげで、微妙な旨さのカレーがマジで世界一旨いカレーになったんだからな!」
「いや、そうしたのは望月だけどな」
瀬呂からのツッコミが入ったところで、他の作業をしていた面々がお腹を空かせて集まってくる。お皿にお米とカレーを装い人数分が揃うと、飯田の「いだだきます」の合図でやっと夕食の時間が始まった。
「うまっ! ウチこんなに美味しいカレー初めて!」
「本当に美味しいですわ! 今まで様々なカレーを食べてきましたけど、一番です!」
「上鳴がドヤってたのはムカついたけど、これホントおいし〜!」
「お礼はいつでも受け付けてるぜー」
「何言ってんの、これ莉緒が作ったんでしょー?」
「莉緒ちゃん、本当に美味しいよ!」
「ありがとう透ちゃん、皆も。私は最後にちょっと手を加えただけなんだけど、褒めてもらえて嬉しい。三奈たちが作ったお米もふっくらしてて美味しいね」
訓練でお腹が空いていたのもあるが、あまりに美味しいカレーに食が進みスプーンの手が止まらない。全員が絶賛する『世界一旨いカレー』が本当に出来たのだ。
「莉緒ちゃん、とっても美味しいわ。今度レシピを教えてくれるかしら。弟と妹に作ってあげたいの」
「あ、私も! カレーは日持ちするし、お肉抜きにして節約メニューにしよっかな」
「うん、もちろんいいよ。使う食材が多いから節約に向くかは微妙だけど、レシピ書いておくね」
「おい、兎女。おかわり」
「爆豪くん、自分でやりたまえ!」
「大丈夫だよ飯田くん、ありがとう。私は食べ終えたし、他におかわりある人いたらお皿ちょうだい」
莉緒はA組男子ほぼ全員のお皿を受け取ると、お米とカレーを装って空いているテーブルに並べる。その際、使われていないお皿が数枚重ねて置いてあるのが目に入った。
A組の皆が食事をしているその奥――二個ほど離れたテーブルで、こちら側に背を向けて書類チェックをしている黒ずくめの姿。それを見つけた莉緒は、一皿分多めに装うと預かっていたお皿を配った。
「はい、これは障子くんのお皿」
「ありがとう望月。美味しくて何皿でもいけそうだ」
「ふふ、ありがとう。でも明日も訓練あるし食べ過ぎないようにね」
「ああ」
「こっちは爆豪くんのお皿ね」
「おう」
「そう言えば、兎女ってどうにかならない? 兎面は側頭部につけてるから目立たないし、カグヤ以外のペルソナも使うし合ってなくない?」
「あ?」
莉緒はついでに、以前から気になっていたあだ名変更を願い出た。先ほども「兎女」と呼ばれたが、兎要素が少なすぎてこれでは詐欺のようなあだ名だ。
「何か呼び方が欲しいなら、『莉緒ちゃん』って呼んでもいいよ?」
「あ゛!? うぜぇ、きめぇ、死ね、殺すぞ!」
「絶好調だね、暴言。まぁ、さっきのは冗談だし普通に名字でいいから兎女はやめてね」
なおも暴言を吐く爆豪の声を背に受けながら、莉緒は目的の人物に近づく。
「はい、先生もカレーどうぞ」
足音や気配で気づいていたのか莉緒の登場には驚いていないが、差し出されたカレー皿を目にした相澤が顔をしかめる。主食がゼリー飲料の彼が普段口にしないような食べ物だ。
「……望月」
「いらない、はダメですからね。明日も暑くなるみたいですし、ゼリー飲料だけだと持ちませんよ。ヒーローは――」
「――体が資本、だろ? わかったよ」
相澤が髪の毛をガシガシと雑に掻きながら、持っていた書類を端に寄せた。向かいに座った莉緒にだけ聞こえるような小さな声で「いただきます」と言うと、カレーを食べ始める。
一口目をゆっくりと食し、二口三口と無言で食べ進めていく。
「ふふ、お口に合ったみたいで良かったです」
「……まだ何も言ってないだろ」
「先生は意外と表情豊かですよね」
「俺が?」
「はい。さっき一口目を食べたときに目がキラっとして、まさに目は口ほどに物を言うって感じでわかりやすかったです」
莉緒は、相澤の些細な表情の変化を見逃さなかった。
「おまえ、だんだんと俺に遠慮がなくなってきたな」
「ふふ。いいことなんじゃないんですか? 遠慮がない方が、いざという時に相談しやすいですし」
「おまえな」
「なーんて、冗談です。今日はちょっと浮かれてるのかも……楽しいから」
少し離れたテーブルの先で、食事をしながら話に花を咲かせているクラスメイトを見て、莉緒は目を細めた。楽しいと言いつつも、どこか愁いを帯びた表情。
相澤がその横顔を見ながら呟く。
「――それは俺の役目じゃない、か」
「先生? 何か言いました?」
「いや、何でもない」
不思議そうな顔の莉緒に構うことなく、相澤がA組のテーブルに視線を向ける。目的の人物でも見つけたのか、わずかに口角を上げるとすぐに視線を戻し食事を続けた。
「相澤、食べ終わったのなら会議するぞ」
「ブラドか」
「お皿は置いたままでいいですよ。自分のと一緒に片付けるので」
「悪いな、ごちそーさん」
莉緒の頭をひと撫でした後、相澤は書類を手にブラドキングと共に宿泊施設へ戻っていった。訓練の進捗報告や明日の打ち合わせなどがあるのだろう。
彼の背中を見送った莉緒は、綺麗に食べられたお皿を見て顔をほころばせた。
「ねぇ、蓮……これ本当に全部いれるの?」
莉緒はルブランのキッチンカウンターに並ぶ食材を見て、顔をひくつかせた。
「ああ、大丈夫だ。俺を信じろ」
本当にこれらをカレーに入れて大丈夫なのか不安に思いながらも、自信ありげな蓮を信じて指示に従う。苦心しながら何とか完成までたどり着いたところで玄関からドアベルの音が響き、惣次郎と双葉が顔を出した。
「おー、これが嬢ちゃんのカレーか。初めてのわりには上手くできてるじゃねぇか」
用意されたカレーをしげしげと見つめ、惣次郎が呟く。
「うまい! 惣次郎のカレーと一緒だ!」
「馬鹿いえ! まだ俺の方が上手いだろうが」
美味しそうに食べる二人を見てほっとした莉緒は、蓮の方を向いてにっこりと笑った。蓮はそんな彼女の頭を優しく撫でる。まるで「よく頑張ったな」と言ってくれているみたいだ。
「ちーす! おっ、なんか良い匂いがする!」
「おー、ナイスタイミングだお前たち! 莉緒のカレーができてるぞ!」
「何でお前が偉ぶってんだ、双葉。よく来たな、いらっしゃい」
怪盗メンバーもルブランに訪れ、いつものテーブル席に腰掛けた。
莉緒は、蓮とすでに食べ終わっている双葉の手を借りて彼らの分のカレーを準備する。お皿が行き渡ると皆は一斉に食べ始めた。先程の双葉や惣次郎のように、絶賛する声が聞こえてくる。
「莉緒ー、カレーのおかわりくれ!」
「もう、竜司。そんなに勢いよく食べたらだめよ」
「俺もおかわりを頂こう。今日の夕飯を食べるお金がなくてな、夕飯分まで食べていこう」
「……祐介、あなたちゃんと生活できてるの?」
竜司と祐介、二人の姉の様に世話を焼く真。
「え、この人参って春が作ったやつなの?」
「ええ、そうなの。蓮くんから莉緒ちゃんの料理の練習に野菜を提供できないかって言われてね。自分が作った野菜がこんなに美味しくなるなんて嬉しいわ」
「にゃー! (我輩にも食わせろー!)」
「こら、モルガナは食べれないの!」
「にゃー!! (そんな、杏殿ー!)」
「なんだモナ。寂しいならわたしが構ってやろう!」
杏と春の間で仲間に入れて欲しそうに鳴くモルガナ。双葉はそんなモルガナをいじくり回し、惣次郎は呆れたように、でも楽しそうにその様子を見ていた。
ルブランの定休日にキッチンを借りて、莉緒は蓮からカレー作りを教わったことがある。あの時は包丁を扱うのも初めてだったため、蓮にはだいぶ助けてもらった。
――皆は何も言わなかったけど、不揃いな人参や煮崩れしたじゃがいもばっかりで、今思えばひどかったよね。
結局、包丁の扱いや料理を作り慣れる前にこちらの世界に来たため、ほとんどのことは祖母譲りだ。しかし、カレーの味だけは違った。
覚えていたレシピ通りに作ったカレーは、初見で唯一祖母が褒めてくれた。このカレーは前世の皆と祖母が喜んでくれた思い出の味なのだ。
「……望月」
「轟くん? どうしたの?」
前世の記憶に浸っていた莉緒のそばに、轟が寄ってきて声をかける。
「相澤先生は?」
「先生ならブラド先生と会議するために宿泊施設の方に行ったよ。何か用だった?」
「いや、相澤先生と目が合って呼ばれた気がしたんだが、俺の勘違いだったみたいだ」
轟はそのまま莉緒の右隣に腰掛け、顔を覗き込んできた。
「おまえのそんな表情初めて見るな」
「――え? 私、どんな表情してた?」
「……寂しそうな顔」
内心を言い当てられたようで、莉緒はどきりとする。
「……そんなつもりなかったんだけどなぁ。でも、そうなのかな。寂しいのかも」
前世の皆も祖母も、今の莉緒を形作る大切な存在だ。あのカレーを食べて美味しそうにしているクラスメイトの姿が、今はもう会えない彼らと重なってしまった。
「あのカレーね、昔お世話になった喫茶店のマスターの味なの。本当は赤ワインとかスパイスを使ったり隠し味も入れるタイミングがあって、もっと美味しくなるんだけどね。……だけど、もうあの味を教えてくれた人にも、一緒にカレーを食べた人たちとも会えないから」
自然とそんな寂しい思いを吐露する。
いつも莉緒を気に掛けてくれる轟に、素直になりたいと思ったからだ。
――『俺は頼ってもらいたいし、望月はもっと甘えていいと思う』
以前、轟から言われた言葉は、まるで魔法のように莉緒の心を軽くしてくれた。そんな彼だからこそ心を預けられる。
「望月にとって大切な人たちだったんだな」
「うん。楽しくて信頼できる仲間だったの」
「そうか。なぁ、今日のカレーもうまかったけど今度そのカレーも食わせてくれないか?」
「もちろん! 私特製の『ルブランカレー』、楽しみにしててね」
ルブランカレーの味を共有しようとしてくれるのが嬉しくて顔がほころぶ。その笑顔を見た轟は、ほっとしたような表情だ。
「ごめんね、私そんなにひどい顔してた?」
轟が安堵するほどさっきまでの自分は暗い顔をしていたのかと、莉緒は頬をむにむにと触って表情筋をほぐす。その手を轟の左手が掴んで止めた。
「……いや、ただ望月から本音が聞けてよかったと思ったんだ」
轟は自身の左手で莉緒の手を優しく包み込んでくる。
莉緒は昨日のお風呂上がりに『轟の左側が温かくて安心する』と話したことを思い出した。彼はそれを意識して左側で触っているのだろうか。真意はわからないが、轟の心遣いが身に沁みる。
「……前の私なら、寂しいって言えなかった。言ってしまうと独りなことを嫌でも感じてしまうから。それに話しかけてくれたのが他の人だったら本当のこと話せなかった。轟くんだから話せたの。聞いてくれてありがとね」
「頼ってくれって言ったのは俺だ。望月のためになったのならよかった」
轟の柔らかくて優しい瞳に見つめられ、胸が熱くなる。
「……でも、もっと甘えてもいいんだよね?」
莉緒は重なっている轟の手を握る。指と指が絡み合うと、ぎゅっと握り返された。自分とは違う、少しごつごつした大きな手。
「ふふ、やっぱり安心する温度。それにドキドキもする……矛盾してるね」
「いや、俺も同じだ」
「轟くんも? 一緒だね、私たち」
同じ気持ちなのが嬉しくて、莉緒は微笑みを浮かべる。
「……俺は、いなくなったりしないから」
「――うん」
――もう寂しくないよ、私のヒーロー。
飯田の片付けを急かす声が聞こえるまで、轟と寄り添い合い手を繋いでいた。
訓練が終わり宿泊施設に戻ると、野外テーブルの上に大量の食材がこれでもかと鎮座していた。玉葱や人参、じゃがいも、肉、カレールー、スパイスなど種類は様々。
ピクシーボブと黄色のメイド服風の
これも救助訓練の一環だと張り切る飯田の指揮のもと、『世界一旨いカレー』を作るため、莉緒は拝命された役割に勤しむことにした。
「お〜! 望月、めっちゃ上手いじゃん!」
食器の用意をしていた上鳴が、莉緒の手元を見ながらそう言った。
食材係りになった莉緒の周りには既にカットされた野菜やお肉がたくさん並び、トントンとリズミカルに包丁がまな板を叩く音が聞こえる。
「ありがとう。でも普段から料理してるから、このくらいは普通だよ」
「家庭的かよ! マジでいいな!」
幼い頃、何度も教えられて身についた莉緒の包丁使いは祖母と一緒だ。そのため、祖母が褒められているようで嬉しくなる。こんな風に誰かと料理をするのも久しぶりだ。
莉緒が切った食材は調理係りの瀬呂と切島が受け取り、炒めて煮込んでいく。
「よし、ルーも入れたし後はとろみが出るのを待つだけだな」
「ちょっと味見しようぜー!」
待ちきれないといった様子の上鳴が、瀬呂がかき混ぜているスープレードルを奪う。そしてカレーを小鉢に装うと、そばにいた切島へ渡した。切島は「俺が食べるのかよ」と文句を言いながらも小鉢に口をつける。
「……店とかで出たら微妙かもしれねーけど、この状況も相まってうめえ」
「言うな言うな、ヤボだな!」
「もっと良い感想ないのかよ!」
「だったら瀬呂と上鳴も食ってみろよ」
食レポにいちゃもんをつけられた切島は、小鉢にカレーを装い直すと瀬呂と上鳴に押しつけた。二人はそれを飲み物のように一気に呷ると、なんとも言えない表情をする。
「あー、まぁ不味くはない。な、上鳴」
「微妙以外のコメントが出ねぇ」
「俺よりお前らの方がひでーよ!」
カレー鍋を囲んでそんな感想を言い合う様子を目にした莉緒は、「私も味見してもいい?」と尋ね、彼らから小鉢を貰ってカレーを口に含む。
「うーん、なるほど……ちょっと待ってね」
莉緒は目を瞑ってうんうんと頷くと、ラグドールがいるテーブルへ向かう。切島たち三人の視線を背中に感じながら、目当てのものを受け取り腕に抱えて帰ってくる。
「なに持ってんだ?」
「ふふ、隠し味にしようと思って」
瀬呂の問いに、莉緒は持っていた食材を見せながら満足そうに笑う。そして、それらを鍋の中に入れ始めた。
擦り下ろしたりんご、はちみつ、ヨーグルト、ウスターソース、チョコレート、インスタントコーヒーをどんどん投入する。そのたびに切島たちの顔色は悪くなっていく。
「俺たちのカレーが……!」
「切島、呆けてないで望月を止めろ! ってか、そんな食材あったか!?」
「包丁の扱い慣れてたから油断してたけど、望月ってメシマズか!? 味音痴だったのか!」
「大丈夫だって。後はこれをちょっと煮込むだけだよ」
カレー鍋をかき混ぜ、弱火にしてから数十分。
恐ろしいものを見るかのような表情をする三人の目の前に、小鉢に装ったカレーを出す。
彼らは顔を見合わせると、言葉もなく静かに――しかし、拳を出すスピードだけは異様に早いじゃんけんをした。勝負は1回で決まり、敗者となった切島は項垂れ勝者の二人は拳を突き上げ涙を流して喜んだ。
「もう、三人ともひどいなぁ。罰ゲームじゃないんだからね」
莉緒は目の前で堂々と行われた勝負を不服に思いながら、ずいと小鉢を切島の手に押しつける。
緊張をはらんだ表情の切島は、覚悟を決めたのかゆっくりと小鉢に口をつけた。ごっくん、と咀嚼音が妙に響いた後、切島の動きが止まった。瀬呂と上鳴が心配そうに見つめる。しかし彼らの心配をよそに、切島の表情は花が咲いたように明るくなったのだ。
「ふふ、おいしい?」
「うめぇ! なんだこれ、さっきと全然ちげえ!」
そんな切島の姿を見た瀬呂と上鳴は意外そうに目を瞬かせ、自分たちもカレーを食べる。
「甘みとまろやかさの中に酸味とコクが生まれて、深みのある味になってる……ッ!」
「うま! 店で売ってるようなやつじゃね? 金取れるって!」
目を瞑って吟味しているかのような瀬呂と、キラキラと目が輝く上鳴。
「あのごちゃっとした食材でよくこんなに味がまとまるなぁ」
「瀬呂に激しく同意するぜ。あの食材見たときは恐怖だったよな。にしても、本当にうまい!」
「これほんとマジで店出せるって! 俺、毎日通うわ!」
「ヒーローしながら副業で喫茶店っていうのも楽しそうだね。もう上鳴くんっていう常連さんもできちゃったし」
切島たちの反応に莉緒が満足していると、ちょうどお米も炊きあがったようで、飯ごうを持った芦戸が近づいてきた。
「あー! 切島たち何で先に食べてんの〜?」
「いや、ちょっと味見してただけだって!」
「つーか、おまえら俺らに感謝しろよな!」
「何で上鳴がドヤ顔してんの?」
「俺らが味見したおかげで、微妙な旨さのカレーがマジで世界一旨いカレーになったんだからな!」
「いや、そうしたのは望月だけどな」
瀬呂からのツッコミが入ったところで、他の作業をしていた面々がお腹を空かせて集まってくる。お皿にお米とカレーを装い人数分が揃うと、飯田の「いだだきます」の合図でやっと夕食の時間が始まった。
「うまっ! ウチこんなに美味しいカレー初めて!」
「本当に美味しいですわ! 今まで様々なカレーを食べてきましたけど、一番です!」
「上鳴がドヤってたのはムカついたけど、これホントおいし〜!」
「お礼はいつでも受け付けてるぜー」
「何言ってんの、これ莉緒が作ったんでしょー?」
「莉緒ちゃん、本当に美味しいよ!」
「ありがとう透ちゃん、皆も。私は最後にちょっと手を加えただけなんだけど、褒めてもらえて嬉しい。三奈たちが作ったお米もふっくらしてて美味しいね」
訓練でお腹が空いていたのもあるが、あまりに美味しいカレーに食が進みスプーンの手が止まらない。全員が絶賛する『世界一旨いカレー』が本当に出来たのだ。
「莉緒ちゃん、とっても美味しいわ。今度レシピを教えてくれるかしら。弟と妹に作ってあげたいの」
「あ、私も! カレーは日持ちするし、お肉抜きにして節約メニューにしよっかな」
「うん、もちろんいいよ。使う食材が多いから節約に向くかは微妙だけど、レシピ書いておくね」
「おい、兎女。おかわり」
「爆豪くん、自分でやりたまえ!」
「大丈夫だよ飯田くん、ありがとう。私は食べ終えたし、他におかわりある人いたらお皿ちょうだい」
莉緒はA組男子ほぼ全員のお皿を受け取ると、お米とカレーを装って空いているテーブルに並べる。その際、使われていないお皿が数枚重ねて置いてあるのが目に入った。
A組の皆が食事をしているその奥――二個ほど離れたテーブルで、こちら側に背を向けて書類チェックをしている黒ずくめの姿。それを見つけた莉緒は、一皿分多めに装うと預かっていたお皿を配った。
「はい、これは障子くんのお皿」
「ありがとう望月。美味しくて何皿でもいけそうだ」
「ふふ、ありがとう。でも明日も訓練あるし食べ過ぎないようにね」
「ああ」
「こっちは爆豪くんのお皿ね」
「おう」
「そう言えば、兎女ってどうにかならない? 兎面は側頭部につけてるから目立たないし、カグヤ以外のペルソナも使うし合ってなくない?」
「あ?」
莉緒はついでに、以前から気になっていたあだ名変更を願い出た。先ほども「兎女」と呼ばれたが、兎要素が少なすぎてこれでは詐欺のようなあだ名だ。
「何か呼び方が欲しいなら、『莉緒ちゃん』って呼んでもいいよ?」
「あ゛!? うぜぇ、きめぇ、死ね、殺すぞ!」
「絶好調だね、暴言。まぁ、さっきのは冗談だし普通に名字でいいから兎女はやめてね」
なおも暴言を吐く爆豪の声を背に受けながら、莉緒は目的の人物に近づく。
「はい、先生もカレーどうぞ」
足音や気配で気づいていたのか莉緒の登場には驚いていないが、差し出されたカレー皿を目にした相澤が顔をしかめる。主食がゼリー飲料の彼が普段口にしないような食べ物だ。
「……望月」
「いらない、はダメですからね。明日も暑くなるみたいですし、ゼリー飲料だけだと持ちませんよ。ヒーローは――」
「――体が資本、だろ? わかったよ」
相澤が髪の毛をガシガシと雑に掻きながら、持っていた書類を端に寄せた。向かいに座った莉緒にだけ聞こえるような小さな声で「いただきます」と言うと、カレーを食べ始める。
一口目をゆっくりと食し、二口三口と無言で食べ進めていく。
「ふふ、お口に合ったみたいで良かったです」
「……まだ何も言ってないだろ」
「先生は意外と表情豊かですよね」
「俺が?」
「はい。さっき一口目を食べたときに目がキラっとして、まさに目は口ほどに物を言うって感じでわかりやすかったです」
莉緒は、相澤の些細な表情の変化を見逃さなかった。
「おまえ、だんだんと俺に遠慮がなくなってきたな」
「ふふ。いいことなんじゃないんですか? 遠慮がない方が、いざという時に相談しやすいですし」
「おまえな」
「なーんて、冗談です。今日はちょっと浮かれてるのかも……楽しいから」
少し離れたテーブルの先で、食事をしながら話に花を咲かせているクラスメイトを見て、莉緒は目を細めた。楽しいと言いつつも、どこか愁いを帯びた表情。
相澤がその横顔を見ながら呟く。
「――それは俺の役目じゃない、か」
「先生? 何か言いました?」
「いや、何でもない」
不思議そうな顔の莉緒に構うことなく、相澤がA組のテーブルに視線を向ける。目的の人物でも見つけたのか、わずかに口角を上げるとすぐに視線を戻し食事を続けた。
「相澤、食べ終わったのなら会議するぞ」
「ブラドか」
「お皿は置いたままでいいですよ。自分のと一緒に片付けるので」
「悪いな、ごちそーさん」
莉緒の頭をひと撫でした後、相澤は書類を手にブラドキングと共に宿泊施設へ戻っていった。訓練の進捗報告や明日の打ち合わせなどがあるのだろう。
彼の背中を見送った莉緒は、綺麗に食べられたお皿を見て顔をほころばせた。
「ねぇ、蓮……これ本当に全部いれるの?」
莉緒はルブランのキッチンカウンターに並ぶ食材を見て、顔をひくつかせた。
「ああ、大丈夫だ。俺を信じろ」
本当にこれらをカレーに入れて大丈夫なのか不安に思いながらも、自信ありげな蓮を信じて指示に従う。苦心しながら何とか完成までたどり着いたところで玄関からドアベルの音が響き、惣次郎と双葉が顔を出した。
「おー、これが嬢ちゃんのカレーか。初めてのわりには上手くできてるじゃねぇか」
用意されたカレーをしげしげと見つめ、惣次郎が呟く。
「うまい! 惣次郎のカレーと一緒だ!」
「馬鹿いえ! まだ俺の方が上手いだろうが」
美味しそうに食べる二人を見てほっとした莉緒は、蓮の方を向いてにっこりと笑った。蓮はそんな彼女の頭を優しく撫でる。まるで「よく頑張ったな」と言ってくれているみたいだ。
「ちーす! おっ、なんか良い匂いがする!」
「おー、ナイスタイミングだお前たち! 莉緒のカレーができてるぞ!」
「何でお前が偉ぶってんだ、双葉。よく来たな、いらっしゃい」
怪盗メンバーもルブランに訪れ、いつものテーブル席に腰掛けた。
莉緒は、蓮とすでに食べ終わっている双葉の手を借りて彼らの分のカレーを準備する。お皿が行き渡ると皆は一斉に食べ始めた。先程の双葉や惣次郎のように、絶賛する声が聞こえてくる。
「莉緒ー、カレーのおかわりくれ!」
「もう、竜司。そんなに勢いよく食べたらだめよ」
「俺もおかわりを頂こう。今日の夕飯を食べるお金がなくてな、夕飯分まで食べていこう」
「……祐介、あなたちゃんと生活できてるの?」
竜司と祐介、二人の姉の様に世話を焼く真。
「え、この人参って春が作ったやつなの?」
「ええ、そうなの。蓮くんから莉緒ちゃんの料理の練習に野菜を提供できないかって言われてね。自分が作った野菜がこんなに美味しくなるなんて嬉しいわ」
「にゃー! (我輩にも食わせろー!)」
「こら、モルガナは食べれないの!」
「にゃー!! (そんな、杏殿ー!)」
「なんだモナ。寂しいならわたしが構ってやろう!」
杏と春の間で仲間に入れて欲しそうに鳴くモルガナ。双葉はそんなモルガナをいじくり回し、惣次郎は呆れたように、でも楽しそうにその様子を見ていた。
ルブランの定休日にキッチンを借りて、莉緒は蓮からカレー作りを教わったことがある。あの時は包丁を扱うのも初めてだったため、蓮にはだいぶ助けてもらった。
――皆は何も言わなかったけど、不揃いな人参や煮崩れしたじゃがいもばっかりで、今思えばひどかったよね。
結局、包丁の扱いや料理を作り慣れる前にこちらの世界に来たため、ほとんどのことは祖母譲りだ。しかし、カレーの味だけは違った。
覚えていたレシピ通りに作ったカレーは、初見で唯一祖母が褒めてくれた。このカレーは前世の皆と祖母が喜んでくれた思い出の味なのだ。
「……望月」
「轟くん? どうしたの?」
前世の記憶に浸っていた莉緒のそばに、轟が寄ってきて声をかける。
「相澤先生は?」
「先生ならブラド先生と会議するために宿泊施設の方に行ったよ。何か用だった?」
「いや、相澤先生と目が合って呼ばれた気がしたんだが、俺の勘違いだったみたいだ」
轟はそのまま莉緒の右隣に腰掛け、顔を覗き込んできた。
「おまえのそんな表情初めて見るな」
「――え? 私、どんな表情してた?」
「……寂しそうな顔」
内心を言い当てられたようで、莉緒はどきりとする。
「……そんなつもりなかったんだけどなぁ。でも、そうなのかな。寂しいのかも」
前世の皆も祖母も、今の莉緒を形作る大切な存在だ。あのカレーを食べて美味しそうにしているクラスメイトの姿が、今はもう会えない彼らと重なってしまった。
「あのカレーね、昔お世話になった喫茶店のマスターの味なの。本当は赤ワインとかスパイスを使ったり隠し味も入れるタイミングがあって、もっと美味しくなるんだけどね。……だけど、もうあの味を教えてくれた人にも、一緒にカレーを食べた人たちとも会えないから」
自然とそんな寂しい思いを吐露する。
いつも莉緒を気に掛けてくれる轟に、素直になりたいと思ったからだ。
――『俺は頼ってもらいたいし、望月はもっと甘えていいと思う』
以前、轟から言われた言葉は、まるで魔法のように莉緒の心を軽くしてくれた。そんな彼だからこそ心を預けられる。
「望月にとって大切な人たちだったんだな」
「うん。楽しくて信頼できる仲間だったの」
「そうか。なぁ、今日のカレーもうまかったけど今度そのカレーも食わせてくれないか?」
「もちろん! 私特製の『ルブランカレー』、楽しみにしててね」
ルブランカレーの味を共有しようとしてくれるのが嬉しくて顔がほころぶ。その笑顔を見た轟は、ほっとしたような表情だ。
「ごめんね、私そんなにひどい顔してた?」
轟が安堵するほどさっきまでの自分は暗い顔をしていたのかと、莉緒は頬をむにむにと触って表情筋をほぐす。その手を轟の左手が掴んで止めた。
「……いや、ただ望月から本音が聞けてよかったと思ったんだ」
轟は自身の左手で莉緒の手を優しく包み込んでくる。
莉緒は昨日のお風呂上がりに『轟の左側が温かくて安心する』と話したことを思い出した。彼はそれを意識して左側で触っているのだろうか。真意はわからないが、轟の心遣いが身に沁みる。
「……前の私なら、寂しいって言えなかった。言ってしまうと独りなことを嫌でも感じてしまうから。それに話しかけてくれたのが他の人だったら本当のこと話せなかった。轟くんだから話せたの。聞いてくれてありがとね」
「頼ってくれって言ったのは俺だ。望月のためになったのならよかった」
轟の柔らかくて優しい瞳に見つめられ、胸が熱くなる。
「……でも、もっと甘えてもいいんだよね?」
莉緒は重なっている轟の手を握る。指と指が絡み合うと、ぎゅっと握り返された。自分とは違う、少しごつごつした大きな手。
「ふふ、やっぱり安心する温度。それにドキドキもする……矛盾してるね」
「いや、俺も同じだ」
「轟くんも? 一緒だね、私たち」
同じ気持ちなのが嬉しくて、莉緒は微笑みを浮かべる。
「……俺は、いなくなったりしないから」
「――うん」
――もう寂しくないよ、私のヒーロー。
飯田の片付けを急かす声が聞こえるまで、轟と寄り添い合い手を繋いでいた。