ヒーローなんかじゃない

 緑谷が轟たちと合流したのは、オールマイトとオール・フォー・ワンの戦いが終わってからだ。
 オールマイトの弱体化した姿が世間に晒されてしまったが、それでもヴィランを倒したオールマイトは、まだ見ぬ犯罪者への警鐘と平和の象徴の折れない姿として称えられていた。
 だが、緑谷は真逆のメッセージに聞こえていた。

 ――「私はもう、出し切ってしまった」

 緑谷は涙を拭いながら轟と八百万を探す。二人の姿はすぐに見つかった。
 合流地点にしていた大通りの小脇。人々がオールマイトの姿に驚きながらも、彼の勝利に拳を突き上げて歓声を響かせるなか、二人は静かに佇んでいたからだ。

「轟くん、八百万さん! 見つかってよかった!」

 緑谷は後ろから声を掛けるが、二人は答えずにただ一点を見つめている。

「二人ともどうしたんだ? 望月くんは?」
「望月は保護してもらったのか?」

 八百万からは、莉緒と合流する旨のメッセージが送られて来ていたのだが、肝心の彼女の姿がない。
 飯田と切島の言葉にも返事はなく、不思議に思った緑谷は轟たちの顔を覗き込んだ。轟は悔しそうに顔を歪ませ、八百万は嗚咽をこらえながら涙を流していた。

「と、轟くん?」

 今まで見たことのない轟の表情に、緑谷は驚く。
 そして、轟と八百万の視線の先から焦ったような声が届くたび、血が出そうなくらい強く轟の拳が握られているのに気付いた。

「意識レベル低下! 気管挿管急げ!」
「血圧下がり続けてます!」
「人工呼吸器をセット!」
「搬送先の確保はまだか!?」
「この混乱で近隣の病院がパンクしてます!」
「何とかねじ込めないか!? 一刻を争うぞ!」

 二人の視線の先には救急車が一台、ハッチバックを開けたまま隊員がせわしくなく動いていた。隊員のその表情から、とても緊迫した状態だということを否が応でも認識してしまう。
 冷たい汗が、緑谷の頬を流れた。

「う、嘘だよね……」

 ――だって、さっきまで望月さんは……!
 緑谷は目の前の光景に、それ以上言葉が出なかった。

「轟くん、八百万くん! もしかしてあの後、ヴィランと接触したのかい!?」
「ち、違いますわ! 莉緒さんは――」

 緑谷の耳に、八百万の震えた声が届く。
 莉緒が酷い火傷を負っていたこと、体が氷のように冷たかったこと、喀血して意識を失ってしまったこと――その内容が、緑谷の胸に重くのしかかる。
 話を終えた八百万が泣き崩れているが、緑谷の体は衝撃で動けず、手を差し伸べることができなかった。

「っあの、クソ女……っ!」
「マジかよ、望月……嘘だよな? なぁ、大丈夫なんだろ!?」

 切島のその問いに、誰も答えない。答えることができないのだ。

「君たちはこの子の友だちだったよね!? 彼女の名前とご両親の連絡先わかる!?」

 救急隊員が患者情報を知るために、轟と八百万に声を掛けた。

「な、名前は望月莉緒さんです!」
「こいつの親は……」

 轟は言い淀んでいるようで次の言葉が出てこない。代わりに八百万が隊員とやり取りをする。

「学校に、雄英に連絡を取って頂ければ莉緒さんのご両親とも連絡が取れるかもしれません!」
「雄英……!?」
「ええ、雄英高校1年A組ですわ!」
「わかりました、ご協力感謝します!」

 救急車に戻って「搬送急ぐぞ!」と言う隊員の後姿を見ながら、緑谷は呆然と立ち尽くしていた。

 ストレッチャーから細い腕がだらんと力なく垂れさがっている。その手首にはうっ血したような跡があり、手のひらは真っ赤に染まっていた。血が指先を伝い落ち、地面に波紋をつくる。
 一滴、一滴と静かに落とされる真っ赤な雫を、ただ見ていることしかできなかった。




 駅で緑谷たちと別れ、轟は一人で自宅までの道のりを歩いていた。あの光景が頭から離れず、その足取りは重い。
 いつも莉緒と一緒に登下校をする道は、今日も何の代わり映えもない――ただ、隣に莉緒がいないだけ。

 莉緒の家の前で轟は足を止めた。
 お昼に近い時間にもかかわらず、窓のカーテンはしっかりと閉められていてひと気を感じない。その理由を嫌と言うほど知っている轟は、行き場のない感情を消化できないでいた。

 ――『こんなに頼もしいヒーローがそばにいるんだから、私は大丈夫だなって思って!』

「……俺はヒーローなんかじゃねえ」

 莉緒が眠らされたとき、そばにいなかった。攫われるとき、手が届かなかった。

 ――『救けてくれて、ありがとう……やっぱり、轟くんは私のヒーローだね。だから、大丈夫だよ?』

「俺はおまえを救けられなかった、あんなひでぇ火傷、大丈夫なはずねえだろっ!」

 両手を縛られ、白い肌には赤く痛々しい火傷の痕が鮮やかに浮かんでいた。抱き締めた体は、冷たかった。いつも楽しそうに笑う顔は血の気を失い、自分を映してくれる瞳は固く閉じられていた。優しく触れてくる柔らかい手は血で染まり、自分の名を呼ぶ心地の良い声は聞こえない。
 たった一人、莉緒が隣にいないだけで虚無感に苛まれる。

「……望月を守れるぐらい強くなる。だから頼む……俺に、俺に守らせる機会をくれ……っ!」