スターゲイザー

 夢と現実、精神と物質の狭間にある不思議な青い部屋――ベルベットルーム。
 そこは、無数の収容部屋に囲まれた円形の牢獄だ。懐かしさを感じる牢獄の扉は開いており、その中に囚人の彼はいない。

 この世界に戻ってきたのか――莉緒は自分の髪の色を確認するが今世と変わりはなく、服はなぜか雄英の制服だった。

「お久しぶりです、お姉さま」

 突然、声をかけられて莉緒の肩がびくっと揺れる。
 話しかけてきたのは、プラチナブロンドの長髪に金色の瞳を持ち、青いワンピースに黒のドロワーズを穿いたメイドのような服装の少女。頭には蝶を模したカチューシャを付けている。
 莉緒の――前世の妹だ。

「……ラヴェンツァ」
「今は、望月莉緒さんとお呼びした方がよろしいですか? そのお姿でお会いするのは初めてですね」

 そう微笑むラヴェンツァだが、状況が理解できていない莉緒は困り顔を返す。

「……髪の色や服装が戻ってないってことは、今の私はここの住人じゃないのね」

 前世では、ラヴェンツァと同様にベルベットルームの住人特有のプラチナブロンドの髪に金色の瞳を持っていた。そして青の軍服ワンピースに蝶を模したバレッタをしていたのだ。

「……我が主は無事?」
「ええ。しかしながら、まだお力が万全ではないため席を外しております」

 過去、ベルベットルームは悪神に乗っ取られ、主であるイゴールは長らく幽閉されていた。ラヴェンツァは封印・分断され、別々の記憶と人格を持った“カロリーヌ”と“ジュスティーヌ”という双子に変えられた。莉緒もまた、メメントスという大衆の集合的無意識が形成した異空間の深部に監禁されていたのだが、それをジョーカーたち怪盗団に助けてもらったのだ。

「どうして私はこの部屋に?」
「お姉さまの魂は今、とても不安定になっています」
「……それで夢と現実、精神と物質の狭間を彷徨ってるってことね」

 戦場から離脱し轟や八百万と合流したのはいいのだが、息苦しくなり意識が薄れていった。自分は、かなり危険な状態にあるのだろう。久しぶりに前世の妹と触れ合っているせいか、莉緒はどこか他人事のように感じていた。

「――私は、どうしてこの世界に生まれたの?」

 莉緒が4歳の頃に思い出した記憶は、聖杯である悪神――統制神ヤルダバオトとの戦いに勝ったところまでだ。その後、怪盗団の皆や世界がどうなったのかは知らない。

「トリックスターの力で悪神を打ち破ることができ、メメントスとの融合による崩壊から世界は救われました。しかし、その際に次元に歪みが生じていたのです」
「歪み?」
「ええ。そして偶然にも――いえ、必然と言うべきでしょうか……歪みの先の並行世界で、その世界のトリックスターの素養を持つ卵が誕生しました」

 ――トリックスター。
 それは、運命に抗い、変革を成し遂げる者のこと。

 ふと、莉緒はある事実に気付いて「……もしかして」と言葉を漏らす。
 ベルベットルームの住人には、それぞれ役割がある。主であるイゴールは“客人の旅の手助けを担う者”、ラヴェンツァは“ナビゲーター”。そして莉緒は――。

「恐らく考えている通りかと。お姉さまは“スターゲイザー”。星を見つめる者であり、星を導く者でもあります。お姉さまの魂は新たなトリックスターの誕生を察知し、その役割を果たすために魂を分離させ並行世界で生まれ変わったのです」

 ――もしかして、トリックスターはすでに私のそばにいる?
 役割を果たすために転生したのならば、トリックスターの近くに生まれた可能性が高い。しかし、幼少期や中学の記憶を辿っても該当するような人はいなかった。

「それまでの彼は、あくまで素養を持つ卵でしかありませんでした。しかし約半年ほど前、とある力の結晶により、彼はついにトリックスターへと孵化しました」

 ラヴェンツァは「お姉さまの魂は感じているはずです」と言葉を続けた。
 莉緒は自分の魂と対話するように、胸に手を当てる。

 ――『見た目も性格も−−くんとは違うのに、彼と重なる』
 ――『どこか前世の彼を思わせる−−に余計な心配をさせたくない』
 ――『−−のピンチを打開しようとする力。それは、前世の彼に通じるものがあるように思う』


「みどり、や……くん」

 強い意志と行動力を持ち、己が信じた正義のために突き進む姿。それが、雨宮蓮ジョーカーに――トリックスターに似ていた。莉緒の魂は無意識にそれを感じ取っていたのだ。

「我が主のお力が戻っていればこの部屋ごとそちらの世界に干渉し、魂だけではなく以前のお姿のままお役目を遂行できたのですが……」
「それは……仕方がないよ」

 莉緒は力なく微笑む。
 もう過ぎてしまったこと。それにイゴールとラヴェンツァに非はないのに、自分を責めてほしくはない。
 莉緒の気持ちが伝わったのか、ラヴェンツァが申し訳なさそうに眉を落とす。

「……しかし、そちらの世界に“個性”なるものが存在し、ペルソナを使えるとは予想外でした」
「え、そうなの?」
「私たちは力を司る者です。ですが、お姉さまはペルソナ全書の力を介することなく力を行使しています。これには、我が主も驚いておられました」

 ――ペルソナ使いだったからこそ、“個性”がペルソナなのかと思ってたけど、違うのかな?
 新たな疑問は生まれたが、それでもラヴェンツァが語った事実は今まで胸に溜まっていた不安を和らげるには充分だった。
 莉緒の表情が、どこか晴れやかになっていく。転生した理由がわかったことで、一生分の謎が解けたみたいだからだ。だから――今なら、聞ける気がした。

「ねぇ、蓮たちは……怪盗団の皆は元気?」

 本当は、真っ先に聞きたかった。
 けれど、その続きを聞くのが怖くて勇気が出なかったのだ。

 問われたラヴェンツァの金色の瞳が一瞬だけ揺らぐ。彼女はまつ毛を伏せ、静かに言葉を紡いだ。

「……はい。彼らはあの後の世界の続きを生きています、今まで通りに・・・・・・。それに、モルガナも元気にしていますよ」
「……そう。それならよかった」

 莉緒の魂は分離した――ラヴェンツァはそう言っていた。
 『今まで通りに』というのは言葉通りの意味で、変わったのは今の莉緒だけなのだろう。

 そしてモルガナ。彼は、イゴールと莉緒が悪神に対抗するために創り出した存在だ。
 ベルベットルームが乗っ取られそうになったとき、最後の力を絞って咄嗟に創り上げた。そのため、本来なら莉緒が担うべきだった導き手の役割を不完全なまま背負わせてしまった。モルガナは記憶を一部失い、悩み苦しみながら戦い抜いていたのだ。
 そんなモルガナも、今は安らかに過ごしている――その事実だけで、莉緒の胸に重くのしかかっていた申し訳なさが静かな安堵へと変わっていった。

 ――そういえば林間合宿に行くときのバスで、モルガナと轟くんの温かさを間違えたことがあったよね。
 莉緒はそのことを思い出して、思わず頬が緩んだ。
 ベルベットルームにいるときでさえ、莉緒は轟のことを――あの温もりに焦がれてしまうのだ。

「ふふ。お姉さまは私たちといるよりも、雨宮蓮やあちらの世界の轟焦凍さんと一緒におられるときの方が自然体で楽しそうですね」
「――え?」

 心が見透かされたようで、莉緒の胸がどきりとする。
 ここにいると、しっかり者の妹の影響で背伸びをしたような口調になるのは以前から自覚していた――自由な姉たちとそれに振り回される兄を見ていた影響もある。そして怪盗団の彼らといるときだけ砕けた話し方になることも。それを指摘され、かつ今まさに考えていた人の名前を出されて莉緒は真っ赤になる。そんな彼女をよそに、ラヴェンツァは楽し気に笑っていた。

「我が主が様子を伝えてくださるのです。どちらの世界のお姉さまも、私の大事なお姉さまですから」
「ラヴェンツァ……」
「お姉さまはお姉さまの好きなように生きてください。それが、私の願いです」

 莉緒がラヴェンツァに返事をしようとするが、それよりも前にベルベットルーム内に警報音が鳴り響いた。

「……そろそろお時間のようですね。お姉さま、これをお持ちください」

 渡されたのは『LE・BATELEUR』の文字と奇術師が描かれた魔術師のタロットカード。

「これは、モルガナのアルカナ?」
「はい。そして、轟焦凍さんのアルカナでもあります」
「轟くんの……?」
「このカードを通じて、いつの日かまたお会いできるのを楽しみにしています」

 どういうことか聞こうとしたが、それよりも先に莉緒の意識は仄暗い海に呑まれていく。


“再び見えます時まで、ごきげんよう「    」。”


 イゴールの声が聞こえた。
 前の世界での真名を呼ばれ、涙が溢れそうになる。今の世界では、もう誰も呼ぶことのない名前だ。この世界で生きる覚悟をしていたつもりだったが、どこかでまだ未練があったのかもしれない。

「……皆に、轟くんに会いたい」

 これからも前世を思い出さない日はないだろう。でも、寂しい気持ちとはもうさよならだ。

 深い眠りの底に溺れる意識。その水面に一筋の光が差し込み、誰かに引き寄せられるように意識が浮上する。
 そして、莉緒の瞼がゆっくりと開かれた。