「こんな所までよく歩いたね」

言うまでもなく、イルミさんの声でした。花環を編む手を止めそっと抑えるようにして涙を拭き取りました。わざとというほど確信的にしたことではないけれど、振り向かなかった。日が落ちた後のくすんだ空は目に優しく、ここの静けさに合っていたから、もう少しだけこの広大な墓所がもつ独特の風合いを楽しみたかったのです。彼が持つ漆黒はあまりにも哀しくて、その色合いを乱してしまう気がしたから、目に入れたくありませんでした。
私は真白い花環を閉じ、右手にかけて立ち上がり、どうと言うこともないお喋りをしながら歩き始めました。普段そういう態度を嫌うイルミさんは、どうしてか珍しく私のわがままにつきあう気を起こしたようで、音もなく私のあとに続きました。

「イルミさんのご先祖さまは、どんな方達だったのでしょうか」
「さあね」
「ここにはどれだけの人が眠っているのですか」
「知らない。気になるならマハ爺ちゃんに聞けば?正確な数なんか誰も知らないと思うけどね」
「この家の人は、産まれる前から亡くなった後までこの山にいるのですね」
「そうだよ。お前もいつかここに入る」
「私が入っていいところでしょうか」
「いい悪いの話じゃない。そういう事になってるってだけ」
「私は家族の中でひとりだけ人を殺したことがないし、訓練の成果も芳しくありません」
重い花環を左手に持ち替えました。何枚かの白い花びらが暗い影の中に落ちて行きました。
「そんなにお前が人殺しじゃないってことを気にするなら、そのうち誰か見繕って殺させてあげるよ」
「そういうことでは無いのです」
「じゃあ、なんなの。お前は殺し屋になりたいの?違うだろ。そもそも訓練自体、真面目にやってないだろ。だからバランスを崩してしょっちゅう気絶する羽目になるんだよ。かと思ったらこんな遠いとこまで来て、なにがしたいの。最近のお前は手に負えない。ほら……もう帰るよ。ナマエ」
振り向けばやはり彼の持つ漆黒の瞳はどことなく哀しげで、魔法をかけられたように甘やかな空の色調を壊してしまいました。その哀しさというのも彼が感じているものではないのです。私の方が彼に感じているのです。
専属の執事が罰されると知りながら進言を聞かずにこんなところまで来てしまったのは、泣きたかったからかもしれません。墓所は祈るか、泣くためにあるものですから。

「おいで」
私は手近な墓の前にそっと花環を置き、イルミさんのもとに歩み寄りました。見上げた彼の眼には空が映っていました。差し出された手を取ると、当たり前のように体が持ちあげられました。彼のすんなりとした手が、枝に破られたドレスのドレープに隠れてしまうのをなんだか残念に思い、そう思ったこと自体を不思議と感じました。

人殺しの手です。それを見ていたいと思ったのです。彼の心臓の音を聴き、彼の生きている手を見つめていたかったのです。彼の首に手を回し、肌の温かいことが嬉しかった。彼の黒髪が私の頬を撫で、冷たくなってきた風が私たちに吹きつけました。彼もこの風を冷たいと思っているでしょうか。
イルミさんの両腕に抱かれながら、無理をしてここに来たのはあの館での生活に惓んで泣きたかったからではなく、他でもない彼に迎えに来て欲しかったのかもしれないと思いました。願いは叶いました。我ながら子供じみていると、苦笑したくなりました。

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