義姉ねえ様」

鈴をころがした声に振り向けば重い扉の中に末の義弟がいた。館の自室でひとり寝支度をととのえ、執事も払い、黒曜のテーブルに重ねたカタログの草稿を確かめていたナマエは、目を上げてただ彼の次の言葉を待った。小さな驚きはあったけれどすぐに消えた。この家で驚くべきことなら他に幾らもあったことを思い出したから。

この家での序列はナマエが一番低いから、長兄が不在の間には家族全員がナマエの同意を取ることなく接触する事できる。ただしイルミがそれを許した兄弟はカルトに限られていた。毎朝、義母のたわむれの人形役として黙したまま同じ室にいる二人は、時折お互いのつかみきれない意図が込った目線をふれあわせたことがあるきりで、まともに話した事は無かった。だからカルトが自分の意志でもってナマエに語りかけたのはこれが初めてだったはずだった。


彼はたったひとりでここへ来たらしかった。いつも惑星と衛星のように密着している母から離れて立つ姿はどこかが欠けているようにも思えた。鏡の間から離れたところでこうして落ち着いて彼の顔を観るとやはり夫に少し似ている、とナマエは思った。婚礼の日に一度だけ顔を見たキルアという三男にも少し似ている。紺青の地に桔梗をあしらった肌襦袢を纏ったきりの端正であどけない彼は、ナマエに夫の幼年期を思わせた。

「どうして僕をじっと見るの」
「あなたが……イルミさんの子供の頃に似ているかしらと思ったの」
「似ていると思う?」
「少しだけ似ている。それにキルアという兄様がいたでしょう。わたしは一度見たきりだけど、その方にも似ている」
「そうかな」

カルトはささやいて目を伏せた。ナマエは首を傾げただけで何かあったのともどうしたのとも言わなかった。そういうことは普段、過ぎるくらい言われ過ぎているように思っていたから。そうしてお互いしばらく黙った後、カルトは来た時と同じように義姉へ呼びかけた。

「義姉様。おやすみなさい」

甘えるというには雪ほどに冷えすぎた黒い目を見つめながらナマエも夜の挨拶を返した。子供はわずかに頷いて振り返り、ナマエには開けられない重さの扉をすっと押して闇へ消えた。命令もへつらいも計算も、持ちようがないわたしは有用かしら。ナマエは再び草稿を直すことに集中しようと試みながらそう思った。そうであればいい。夜の挨拶のためと見せかけながら会いにきた目的はなんでもいい。あの人に似ている、あの人と同じ血を宿す、かわいいあなたの道具になれたらいい。
お義母様がわたしたちにそうしているのと同じように。

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