目を開くと膝の上に光のかけらが差していた。秋の始まりの柔らかいそのかけらたちは風が吹くごとに幻のように揺れていた。私はなかば心地よい眠りのなかでその光を見つめているような気がして、藤袴があしらわれたスカートを撫でた。深緑と白の花布は手のひらにしっくりと馴染んで、そっと撫でると心地よい。
ふいにその手へ大きな手が重なった。見慣れた白い肌、長い指、きれいなラウンドを描いた爪のかたちはイルミさんのもので、いつもと同じように無温だった。過酷な仕事から帰宅して自室に戻り、妻の隣に座り、私の手に自分の手を重ねた彼の姿を見返すことはしなかった。そうするには父を殺した彼のことを恨みすぎていた。そして私は自分のなかにある彼への好意にすら気づいていなかった。あまりにも弱い灯だったから。
イルミさんはただいまと言わなかった。私がおかえりなさいと言わなかったからかもしれない。私は彼に何かを──きっと彼が私に与える事ができないものを望んでいた。愛のようなものを。もっと愛されている生活のようなものを。生すら彼に与えられたものだったのに。
おかえりなさいという、口にするべき短い挨拶の代わりに私は彼の親指をそっとつつんだ。その広い手の甲にも幻に似た光のかけらは同じように柔らかく差していた。沢山の人の日々を奪いあげてきた彼にその光景のきらめきやあたたかさが与えられるのは罪深く思えたけれど、同時にとても平等であるようにも感じた。
自然が与えてくれるのはいつも平等の美なのだと子供の頃に好きだった本に書かれていたから、私はその文句の通りに自然に憧れて愛していた。そしていわば私たち二人もその一部である事に思いあたった。
「ただいま」
イルミさんが静かな声で言った。
「おかえりなさい」
光のかけらはゆるやかにその強さを失いながらまだ私たちの上で揺れていた。私は彼に注ぐ光へ祈った。これからもこの殺人者の上に、私たちのつながれた手の上に、柔らかい光が届くように。
prev list next
return to bookshelf