行方不明の少女とともに


 肌への負担を考えて、ファンデーションを叩き込む事はせず、コントロールカラーとコンシーラー、フェイスパウダーで外に出しても恥ずかしくない顔を作り、アイブロウで眉だけを描いてアイメイクはしないでおいた。目の周りのシミは怖いので。髪を整え、外行とはいかずとも綺麗目の服に着替えたところで、最後にもう一度ドレッサーの鏡で全体を確認する。人外レベルの顔面超絶イケメンに並び立てる顔をしているとは最初から思っていないため、ある程度のところで諦める事も大事である。
 問題無い事を確認して、寝室からリビングへ戻れば、待ちくたびれた様子で欠伸を溢す肥前と、にこやかな笑みで、まっこと綺麗じゃき、と褒めてくれる陸奥守に、お礼と待たせた事へのお詫びを伝えて、改めて廊下へ続くリビングのドアをゆっくりと開いた。薄っすらと灯りの燈る廊下は、この二日間で見慣れたもので、何故かこちら本丸に来ると襖に変わる戸をそっと引く。と同時に、土下座スタイルで並ぶ三人の姿に、思わず心臓が止まるかと思った。薄暗い廊下に並んで土下座される恐怖。ひぇっ、という情けない声がまた零れてしまった。

 「えっ、え、なに…?こわ…」
 「あいつら最古参なりの誠意じゃき。受け取っとーせ。」
 「誠意とは…?」

 昔ながらの日本家屋なのも相まって、極道映画でも始まったのかと震えたが、パッと顔を上げた胡粉色の可愛らしい顔の男の子の眼からポタポタと大粒の涙が零れ落ちているのを見て、一気に冷静になる。うそでしょ、私の五虎退初鍛刀が大泣きしている。慌てて寄り添って、宥めるように両手で頬を包んで目尻に溜まる涙を拭えば、驚いたように眼を大きく見開いてから、ふにゃりと可愛らしい笑みを浮かべてくれた。大きな双眸は未だ潤んでいるけれど、どうやら泣き止んでくれたらしい。
 主様、可愛らしい顔で呼ばれる名称に、如何わしいプレイをしてしまっているような、何とも居た堪れない心地を覚えつつ、最後に頭を撫でてあげてから一歩距離を取る。次いで同じように顔を上げた加州清光初期刀大倶利伽羅三口目へとそれぞれ視線を向ければ、清光も鮮やかな紅色の瞳を潤ませて、大倶利伽羅は、何処か眩そうに少し眼を細めていた。

 「えっと、わざわざ待っていてくれたのかな?」
 「当然じゃん。だって主だよ?主が、本丸に帰ってきてくれたんだもん。」
 「…ただいま。」
 「おかえりなさい。」

 綺麗な滴を一筋溢した初期刀へと、両腕を広げればギュッと抱きしめられた。私よりも少し低い背丈だが、第一線で活躍するだけに、その身体つきはしっかりとした男性的なものだった。残念ながら初期刀とのファーストコンタクトハグは、後ろに控えていた肥前の、おい、という言葉と共にすぐ引き剥がされてしまったが、これからこうして逢える日が増えるのならば、幾らでもチャンスはある。
 こんのすけも待っているし、大広間に行こっか。差し出してくれた清光の手を取って、エスコートするように傍に立ってくれた大倶利伽羅に、慣れ合うつもりは無いが口癖なのに流石伊達刀、と感動を覚えつつ振り返った途端、三口とは少し離れたところで未だ正座スタイルのまま軽く頭を下げている男性の姿を見つけて、また情けない声が口から出そうになった。
 銀鼠色の髪にサングラス、左の首筋から目許に走る刺青。一見するとヤのつく自由稼業の人に見えなくもないその井出立ちは、この二年程ですっかり見慣れた姿。ゲーム画面越しによく見ていた太刀。山鳥毛だった。

 「実際に逢うのは初めまして、とでも言おうか。小鳥よ。」
 「ひぇっ。」
 「…すまない。女性の君には私の顔は少々威圧感が強すぎるか。」
 「知ってはいたけど、めちゃくちゃ良い声すぎる…っ」
 「声?」

 ゲームプレイ時からナイスボイスなのは知っていたが、スピーカー越しに聞く声と、対面で聞く声でこんなにも差が出るとは。何と言うか、腰に来る。いや下品な物言いなのは十分に分かっているのだが。思わず顔を覆って俯けば、顔面の強さヤクザ顔による恐怖では無い事を察した山鳥毛が、フッと小さく笑みを溢して、小鳥に気に入っていただけるのならば、この声も捨てたものでは無いな、と先程よりも近い距離で囁くように呟かれた。やめてください、耳が溶けてしまいます。
 非難の視線を背後からビシビシともらいつつ、純粋に心配してくれる五虎退に、ごめんね、と一言謝罪を伝えてから大きく深呼吸を一つ、二つ。まだたったの四口だ。これからその二十倍近い刀たちと面通しするのだから、こんなところで躓くわけにはいかないのだ。

 「主、本当に大丈夫?」
 「だいじょうぶ…いや、本音を言うと全然大丈夫じゃないんだけど、大丈夫…」
 「それ本当に大丈夫って言って良いの?」
 「画面越しでも格好良いし可愛いし綺麗だしで、一人でわーきゃー言っていたのに、対面となった途端の破壊力が凄まじい。」
 「え、それって、俺も…?」
 「私の加州清光が格好良くなくて可愛くなくて綺麗じゃない訳が無くない!?」
 「えっと、つまり可愛くて綺麗って思ってもらえてるってこと…だよね?」
 「世界一可愛いよ清光…」
 「…へへ。嬉しい。」

 見目ををとても気にするセリフも多かった事を思い出し、私の乏しい語彙力程度で喜んでくれる初期刀の尊さに、今度は天を仰ぐ事となった。まだ大広間どころか一階にすら辿り着けていないのに、もう限界かもしれない。そんな私の呟きを聞き取った大倶利伽羅が、溜息と共に、さっさと行くぞ、と背を軽く押してきた。待って、知ってはいたけど大倶利伽羅もめちゃくちゃ良い声ですね。
 そんなこんなでフラつきそうになる身体に何とかガッツを入れて、初期刀たちの案内の下辿り着いた大広間。今はその部屋へ続く障子が閉められているが、灯りに照らされて出来た影の多さや、聞こえてくる話声などから、この部屋に全口集まっている事を察した。準備は良い?と尋ねてくる清光へ、大きく三回深呼吸をしてから、一つ頷き返す。
 スッと静かに開いた障子の先。清光の手を引かれるままに足を踏み入れれば、色彩々の瞳が一斉にこちらを向く。顔面の強さだの何だのを一先ず置いても、こんな大勢から一斉に注目を集めた機会も無かったため、尻込みした身体が咄嗟に一番上背のある山鳥毛の背後へと隠れてしまった。

 「小鳥。大丈夫だ。」
 「ごめん…本当にごめん…こんな一気に注目集めた事無いから…」
 「さあ、そこに座って。君はこの本丸の長なのだからな。」

 山鳥毛のサポートを受けつつ、ふかふかの座布団が一枚置かれた上座へと誘導される。どう足掻いても注目を集める場所。気絶しそうになる意識を何とか留まり続け、一つ呼吸をしてから真っすぐ視線を向ける。正面に座った清光と、その右隣に五虎退、左隣には大倶利伽羅が坐す。少しだけ後ろを振り返れば、私の左斜め後ろに山鳥毛が座っている。近侍としての定位置らしく、煤色の髪の打刀や、白藍色の薙刀が悔しそうな視線を向けていた気がしなくもない。
 視線を清光へと戻せば、安心させるように小さく一つ頷いてくれたので、慣れない動作ではあるが、三つ折りでゆっくりと頭を下げる。

 「二日程前から、自宅と此処本丸が繋がり、少しだけ遊びに来させてもらっていました。改めて、審神者の暁です。」
 「遊びに、じゃないでしょ。主。」
 「———うん。帰ってきました。皆さん、ただいま。」

 自己紹介と再度頭を下げれば、口々に、おかえりなさい、と出迎えの言葉を掛けてくれる。顔を見せに来て欲しいというこんのすけの要望に応え、こうして来たわけだけど、この後何を話せばいいのか。次の言葉を探していると、ポンと軽やかな音と共に管狐が姿を現した。外でもない、私を此処に呼び出したこんのすけである。
 ご帰還、お待ちしておりました。あるじさま。ちょこん、と可愛らしく座りながら、小首を傾げたその子は、早速今起こっている現象と、今後の事についてご説明いたします、と口を開いた。

 「現在、二二〇〇年代にあるこの本丸と、二〇〇〇年代にあるあるじさまのご自宅の一部が繋がりました。これは、あるじさまが数年かけて多量の霊力を流し続けた事による、強い縁によって生じた現象です。時空の流れからは完全に隔離され、あるじさまの霊力によって結界が張られた今、刀剣男士様のみならず、あるじさまご自身も自由に行き来する事が出来ている状態です。」
 「あの、霊力って…」
 「その名の通り、あるじさまの内なる力です。その霊力でもってこの本丸は形成され、ここにいらっしゃる刀剣男士の皆様も顕現されているのです。」
 「…、」
 「あるじさまのお考えは察しております。アプリゲームの一環でしかなかった行為が、現実となっている事に驚かれているのでしょう。しかし、実は審神者や本丸運営というものは、実は数年前から実際に行われていた政府の機密プロジェクトなのです。」
 「プロジェクト…」
 「この二二〇〇年代に存在する審神者様の担い手不足を深刻に受け止めた時の政府より、過去の時代である二〇〇〇年代の審神者様———分かりやすく言えばアプリゲームのプレイヤーとでも言いましょうか。その方たちに、あのアプリゲームを通じて審神者としての素養を見極め、適正あり、と判断された方には、実際に二二〇〇年代の本丸運営を担っていただいていたのです。」
 「じゃあ、私は適正ありだった、と?」
 「その通りでございます。しかもあるじさまは、二二〇〇年代の先駆者———つまり、審神者の第一世代と言いましょうか、本当に選ばれぬかれた方々に匹敵、あるいはそれ以上の量と質の霊力をお持ちです。時の政府だけでなく、今や他国の審神者様にまで、その名を轟かせていらっしゃいますよ。」
 「え、」

 ————相模国の黎明城。その名の通り、この日の下に新たなる夜明けを生み出さんとする本丸、と。

 えっへん、と心なしか胸を張るように高らかに宣うこんのすけの言葉に、厨二病か?と若干むずがゆい気持ちになりながらも、何故そんなたいそれた二つ名というか、スローガンみたいなのが掲げられているのか、と頭を抱える。ただ普通にまったりゲームを楽しんでいただけに過ぎないというのに。
 信じられないと言ったご様子ですが、現在確認されている刀剣男士様全員を顕現されて、かつ極が解放されている刀剣男士様すべてが最低でも練度四十を超え、更には極の最高練度を複数所持されているのは、後にも先にもあるじさまだけです。そう言わしめる実績をつらつらと読み上げるこんのすけへ同調するように、うんうん、と頷く男士たちの姿に、向こうでプレイしている時にはそこまで珍しいと言えない内容でも、十分称賛に値するものなのかと意外な気分だった。

 「向こうでは、もっと強い本丸を持つ審神者さんとかもいたと思うけど…?」
 「ほとんどが、審神者の適性が無く、仮想現実の本丸を運営されている方々ですね。それこそゲームを楽しまれている方たちです。」
 「あ、そうなの…」
 「実際に二〇〇〇年代で審神者の適性がある方は、あるじさまを含めごく一摘まみです。その中で、一際群を抜いているのが、この黎明城。即ち、あるじさまの本丸なのです!」

 再び、えっへん、とドヤ顔を見せるこんのすけの頭を撫でながら、改めてぐるりと男士全員の顔を見回す。皆誇らしげに強く頷く姿に、こんのすけの言う称賛の言葉も強ち嘘ではないのだろうと悟った。それでも、凄いのは私ではなく、それだけの成果を上げてきた彼等の方だと思うけれど。
 続くこんのすけからの説明で、本丸と自宅が繋がったからとはいえ、本丸運営に関しては引き続き端末を通してからでも、本丸にて直接指揮を執っても、どちらでも構わないとのこと。一度繋がった道は、私の強い拒絶意識が無い限り繋がったまま、本丸同様霊力が循環して維持されるため、何ら問題無い事が伝えられた。それなら今日はもう遅いし、帰るとしようかな。そう言って腰を上げようとしたのだが、何故か背後から大きな手に肩を抑えつけられ、立ち上がれなくなってしまった。

 「山鳥毛…?」
 「帰る、とは何のことだ。小鳥よ。君の帰る場所は、本丸此処だろうに。」
 「あー…まあ、あれだ。向こうでもまだ仕事とかあるし、当面は向こうで暮らそうかな、と。」
 「小鳥。」
 「その声で陥落させて来ようとするの止めて!?私にだってこれまでの生活があるから、急は無理!」
 「政府へ申請すれば、時の政府を通じてあるじさまのお勤め先などに話を通す事は可能ですよ?」
 「こんちゃんは、余計な事を言わなくて良いから!」

 山鳥毛の無茶振りにヘルプの意味を込めて清光たちに視線を向けるも、頼りになるはずの初期刀も初鍛刀もニコニコ笑顔で山鳥毛を応援しているし、大倶利伽羅は聞こえないフリを通すようにそっぽ向いているし。この二日間とも見送ってくれた心優しい肥前ならば、と彼の姿を探したら、今更何言ってんだテメェ、と言わんばかりにガンを飛ばされた。何故。
 とりあえず私の荷物も何も無いから、一旦は戻りたいかなぁ、となるべく下手に出ながら提案すれば、それもそうか、と納得した様子で一旦は手を放してもらえた。安堵の息を溢して、さっさと戻ろうと改めて立ち上がったところで、背後から回ってきた腕に今度は捕獲される。この締め付け方、間違いなく肥前忠広である。

 「俺も行くからなぁ。あるじさまよ。」
 「わっしも!わっしも連れて行っとーせ!」
 「一人で行くからぁ…」
 「ンなこと言って、そのまま向こうに戻るつもりだろ。もう全員に面通しした以上、逃がさねぇからな。」

 この二日間は見送ってくれたじゃん、という反論は、肥前の先手の言葉の前に崩れ去ったのだった。