不思議な国に帰らせて


 何故か自分の本丸に行くことが出来るようになったが、ゲームプレイに影響はなくいつものまま。不思議な現象に首を傾げつつも、今のところ大きな損害もないし、肥前は可愛いしで問題も無いだろうと結論付けて、特に何かを変える事も無くゲームプレイは続行している。昨夜は夕飯時に肥前に捕まってしまった事もあり、碌に周回プレイが出来なかったから、と風呂上りにベッドで寝転がりながら黙々と周回作業を繰り返していたのだが、いつの間にか寝落ちていたらしい。
 ゲーム画面を起動したまま充電もせずに寝落ちた事で、バッテリー切れを起こしてしまったようでアラームが鳴らなかった。お蔭で寝坊して朝からバタつくことになった。起床時間が始業時間五分前とか、寧ろよく起きる事が出来たな、と自分を褒めつつ、部屋着もそのままに慌てて業務用のパソコンを起動させる。
 朝食は冷凍ご飯をチンして、適当にふりかけでもかけておにぎりで良いか、とパソコンが起動するまでの間に冷凍庫を開けたが、そこに冷凍ご飯のストックは一つもなく。そこで昨夜ストック用も含め、すべて肥前に平らげられたのだったという事を思い出した。こういう時に限って、菓子パンの一つも買い置きしていない。

 「…マジか。」

 朝はこの際もういいとして、昼どうしようかな。面倒くさいけど、昼休みにコンビニにでも行くか。歩いて五分ほどの距離にあるコンビニを思い浮かべながら、でも昼時は近隣の町工場の従業員とかで混むんだよな、と億劫な気分を抱えながら、取り合えず珈琲だけ淹れようと、インスタントの珈琲粉末に手を伸ばした。


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 慌ただしい朝を迎えると、何故か日中も慌ただしくなる。謎の方式に内心で愚痴を溢しつつ、三分待って出来上がっカップラーメンを啜りながら、パソコンの見過ぎで疲れている眼を少しでも癒そうと部屋の奥をぼんやりと見つめる。
 昼休みに億劫に思いながらもコンビニでカップラーメンと、おにぎりを一つ買ってきたが、帰宅するなりトラブル発生でヘルプコールが鳴り響き、休憩時間を返上して業務にかかりきりになった。隙を見ておにぎり一つは胃に収める事が出来たが、何とかトラブルが終息して業務終了出来たのがつい先ほど。時刻は二十一時を少し過ぎた頃。
 今から夕飯の支度とか、かったるくて仕方ない。もうこのままシャワーだけ浴びて寝てしまおうかと思ったが、今日一日の食事がおにぎり一個だっただけに、身体が空腹を訴えていてとてもじゃないが眠れない。どうしようかとリビングを見渡した折、眼に入ったのが、昼に買って来るなり放り投げる事となったカップラーメンだったというわけだ。
 あまりの空腹に、あっという間に食べ終えてしまったカップラーメンを片しつつ、まだ少し物足りないお腹を満たすため、冷蔵庫を漁るも、週末ということもあり、食材のストックも乏しかった。油揚げ数枚と餃子の皮の余りを見つけたため、お手軽ピザでも作ろうと、切餅やらツナ缶やらの長期保存食材を取り出す。チーズもスライスとカプレーゼでも作ろうかと思っていたモッツァレラがあったから、一緒に使ってしまえ。一口大に切った油揚げと、餃子の皮にそれぞれ好きなように具材やらソースやらを乗せていく。トーストのバリエーションを増やしたくて買ってきた明太マヨソースやガーリック、照り焼きマヨソースの役立つ時がこようとは。
 こんな時間に完全にカロリーオーバーだが、休み時間返上で残業までして頑張った自分へのご褒美だ。明日は休日だし、メニュー的にもおつまみの領域だし、酒も開けてしまえ、と休日にゆっくり楽しむために買っておいたボトルワインも開封する。早速一杯、といきたいところだが、おつまみ食べて呑んで、となれば先にシャワーを浴びておくべきだろう。後にしたら面倒になって絶対に入らない。
 トーストであとは焼くだけという段階まで下拵えをしてから、さっさとシャワーを済ませる。本当は疲れて凝り固まった身体を解すために、ゆっくりと湯船に浸かるべきだろうが、今はそれよりも満足出来ていない胃と疲れた心を満たす方を優先したい。

 「さてと。あとはのんびり吞みながら、周回でもしますかね。」

 朝から怒涛の忙しさで今日は一回もログイン出来ていなかったゲームを起動し、長時間遠征から帰還した子達の成果を聞きつつ、現在イベント中の大阪城でも潜るか、と出陣ボタンをタップしようとしたところで———突如、廊下に続くリビングのドアから眼を塞ぐほどの眩い光が差し込んできた。
 咄嗟に手で眼を覆いつつ、光線の原因であるドアを見遣るが、光が強すぎてどうなっているのかがよく分らない。ドアから部屋に射し込んできているという事は、廊下側に原因があるということ。こんな強い光線を放つものなど我が家にあるわけが無く、思い当たる要因としては、この二日ばかり起こっている例の不思議現象本丸と繋がることであるが、それが原因か。とにかく確かめるべく、眩しすぎるドアに近付き、手探りで掴んだドアノブを思い切り引いた。

 「主!!」

 と、同時に、雪崩れ込んできた影と、主に腹部や腰に与えられた強い衝撃に、ウグッと呻き声を上げながら、衝撃に堪えられないまま後ろへと倒れ込む。逆光で見えにくかったが、首元を擽るフワフワとした髪の感触や、薄っすら見えた黒と赤のグラデーションから、それがお馴染みのあの子であると察知出来た。
 肥前、と圧し掛かる重みに耐えつつ、フワフワの後頭部辺りを撫でれば、背に回った腕に力が籠った。気付けばあれほど眩しかった光も収まり、開きっぱなしだったドアの向こうは、変わらず暗闇が立ち込めている。そしてその暗闇の中心に立つもう一つの影に、自然と視線を持ち上げれば、昨夜振りの打刀の姿が。

 「むっちゃん。」
 「主…」
 「色々確認したいんだけど、とりあえず、この子退かすの手伝って…苦しい。」

 一七〇近い体格の男の子は、意外と重量がある。特に鍛えていないアラサーにはしんどい重みであった。食べたばかりのカップラーメンが逆流しないよう、陸奥守へヘルプの声を上げれば、慌てた様子で駆け寄って上に乗る肥前を引き剝がしてくれた。
 私の顔を見るなり、ほっとしたような、泣きそうな顔をする二口へ、どうしたのかと尋ねれば、先に口を開いたのは、榛摺色の打刀の方だった。


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 陸奥守が審神者と呼ばれる主———名を暁と言ったはず———と出逢った翌朝。いつも通り朝支度を終え、何となく気になり肥前へと視線を向けたところ、今日も今日とて二階を気にする素振りを見せていた。流石に数日続けて様子がおかしい姿に、それまで声を掛けなかった同胞たちも、大丈夫か、と心配の声を彼にかけていたが、元より不器用な性格であるあの脇差が上手く説明などできるわけもなく。

 「ここ最近、ずっと二階を気にしてんじゃん。どうしたのさ。」
 「…別に何でもねぇよ。」
 「何でもある態度だから聞いてんでしょ〜。何?なんかあったの?」

 とうとう痺れを切らした初期刀より、強制尋問となった。昨晩、肥前の肩を持った事を知っている陸奥守も、事情確認として同席を強制され、現在大広間は、珍しく物々しい空気に包まれていた。初期刀はじめ、古参の刀たちに囲まれてしまった肥前は、本丸内では比較的新参よりということもあり、また山姥切長義を始めとした、彼と同じく政府から本丸入りした刀たちからも窘められ、とうとう重たい口を開く事となった。
 つい二日程前、突然主が本丸に現れたこと、どういう訳かその瞬間だけ、恐らく主が住まう二〇〇〇年代と、二二〇〇年代の本丸が審神者部屋を通じて繋がること、詳細は互いに話していないが、突如として現れたその女が纏う霊力、女が作った食事に込められた霊力から見ても、間違いなくこの本丸の審神者である事が分かっていることなど。肥前がこの二日、食事を摂りながらも感じたこと、理解したことを話せば、大広間内の空気が一層重たくなる。

 「…ねえ、それ冗談とか言わないよね?冗談だったら、ただじゃ済まさないけど。」
 「冗談でわざわざこんなこと言うかよ。」
 「主に逢った?この本丸の?とってもじゃないけど、信じらんない。」
 「…テメェらに言っても、そういう反応を返されると分かっていたから言わなかった。まだ確証も少ねぇし。」
 「じゃけんど、主がおったっちゅうんは、ほんまじゃき。わっしもこん眼で確かに見たぜよ。」

 肥前を擁護するように声を上げた陸奥守の言葉に、初期刀である加州清光の纏う空気が少しだけ軽くなる。同郷とはいえ、古株である陸奥守が、嘘や冗談などでこんな話をするわけが無い、と加州なりに信頼を置いている証である。そこで二人の話は一旦途切れ、静観に努めていた他の刀たちが動揺するようにざわつき始めた。
 まさか本当に、この本丸の主がいるのか。この本丸に顕現した刀は、鍛刀、ドロップ関係なく顕現したと同時に、この本丸には主がいないと教えられてきた。ほかならぬこの鉄黒の初期刀と、胡粉色の初鍛刀である短刀から。その二口もまた、顕現してすぐにこんのすけと呼ばれた管狐より、諸事情によりこの本丸には主である審神者がいない、と教えられたのだ。

 「ねえ。そういえば、こんのすけは?」
 「朝一番に所要があるとかで政府に行ったっきりだぜ。」

 主がいない。だというのに、肥前と陸奥守は主と逢ったと言った。ならば、初めからいないと定義した管狐からも事情を聴くべきである。そう判断した加州は、しかしその所在を教えてくれた仲間の言葉に肩を落とす。審神者がいない分、政府との橋渡し等は、すべてあの管狐が行ってくれていたから、政府へ頻繁に赴く事は知っている。まさかこのタイミングで重なるとは。
 それで、これからどうするんだ。初期刀、初鍛刀に続き、三番目に顕現された刀———大倶利伽羅は、今後の対応について初期刀へと伺い立てた。刀である自分達が持ち主である審神者を間違える事はまずない。しかし、例えば何らかの呪具等の類で、霊力を書き換えられた等の不測の事態による現象であった場合、要塞と呼んでいい本丸に侵入者を容易く赦してしまった事になる。それが審神者や政府などこちら側の陣営の手によるものであればまだいいが、敵方の間者の仕業だった場合、事は緊急を要する。

 「どっちにしても、情報が少なすぎる…。ねえ、肥前。主はいつ頃くるの?」
 「日によって違う…が、飯時が多いな。」
 「じゃあ、もうすぐ来るの?」
 「初日は、朝飯後と、夕飯時だった。」

 それなら、主の出現を待って、事情を聴くべきか。どちらにせよ、こんのすけが戻らない限り、政府への確認なども行えない現状、待つしか選択肢が無かった。他の刀たちも加州同様、現状を悟ったようで、まずはご飯にしようか、という燭台切の声を合図に、各々が支度の準備に取り掛かった。
 肥前もまた、この時は朝飯時か、遅くとも夕飯時にはまたあの襖が開くだろうと思っていた。昨日、彼女と少し交わした会話から、日中は仕事があると言っていたことを覚えていたからだ。全員にバレてしまった以上、自分だけ彼女の作った料理にありつくのは難しくなったことだけ、勿体ない気持ちを少し覚えたが、これを機に、いつ来るかもわからない、今のような曖昧な関係から、この本丸を根城にする生活に変わってしまえば良い。そんな打算もあったため、大人しく口を噤むことにしたのだ。
 しかし、状況は肥前が思うような展開にはならなかった。平素ならば朝一番に出ても、遅くとも昼過ぎには戻ってくるはずのこんのすけが帰還せず、また夕飯時を過ぎても例の襖審神者部屋が開く事は無かった。いったいどうなっているのか。暗闇に包まれた廊下に立ち尽くす肥前に、付き添った陸奥守も、真相を探るべく同席した加州も顔を見合わせるしかなかった。

 「…おれが、望んだからか。」
 「肥前?」
 「人斬りの俺が、主を望んだから。だから、来なくなったのか。」
 「そがなことはなか。きっと、主も忙しいがぜよ。」

 元からハイライトが少ない肥前の双眸に、更に影が落ちた事に気付いた陸奥守は、宥めるように肥前の背を撫ぜる。主が来ない。いつくるか、どうやってきているのか、分からない事が多い状態であったが、自然と今日も来てくれると思っていた肥前は、その漠然とした期待が絶対では無かったことに絶望した。
 この本丸は、審神者がいない本丸。特命調査の折も、本来ならば本丸に居る審神者へと通信を取って行われるものだったが、この本丸では初期刀と管狐が代行していた。事前に派遣される際も、担当役員から事情を聴いていた。分かっていた、はずだった。
 今日はもう遅いし、明日また考えよう。こんのすけもまだ戻っていないし。加州がそう打ち切ろうとしたと同時、階下から賑やかな声が聞こえ、よく声が通る大包平の『こんのすけが戻って来たぞ』という言葉に、加州は階段を駆け下りた。帰還するなり、ほぼ全刀に囲まれ、完全に委縮してしまっているこんのすけへと聞きたいことは山ほどあるのだから。
 階段を駆け下りていった加州を見送った陸奥守は、自分達も一旦こんのすけに事情を聴くべきだろうと判断し、その場に座り込んで動かなくなってしまった同郷を、半ば無理やりにでも引き摺ろうかと掴んでいた腕に力を籠めようとした———瞬間、それまで暗闇と静寂を保っていた襖から眩い光が射し込んできた。光に気付いた肥前も、弾かれるように顔を上げ、縺れそうになる足をそのままに襖へと手を掛ける。彼がその戸を引くよりも先、開いたその先へ、脇目も降らず飛び込めば、柔らかな感触と確かな温もり。小さな呻き声も聞こえたような気がしたが、今の肥前には些末なことだった。