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 アーシェングロット寮長のバブちゃん返りは、彼の中で新たな黒歴史の一ページとなったようで、ユウちゃんによるカウンセリングよしよしタイムがあったため、発狂する事は無かったが、後日きっちり口止め料を握らされた。別に誰かに吹聴する趣味は無いから、口止め料があっても無くても話す気はなかったのだが、彼もそれでは信用出来ないだろうし、貰えるものは貰っとけの精神なので、有難くモストロラウンジにて提供している、魚介類の一部をお裾分け頂いた。正確には、鯵と鱚と烏賊と蛸と海老である。あとリクエストはしていないけれど、真鯛もお裾分けしてくれた。この魚介の種類で思いつく事としたらただ一つ。そう。私は天麩羅が食べたかったのだ。
 サバナクロー寮で揚げ物なんかしたら、速攻臭いで沢山の肉食獣達が吊れてしまうので、ユウちゃんにオンボロ寮のキッチンを借りる事にした。対価は当然出来上がった天麩羅のお裾分け。寧ろ食い気味にオンボロ寮が提供された。

 「いらっしゃい。りっちゃん…と、ジャック?」
 「お邪魔します。」
 「おう。」

 何故ジャック?と首を傾げるユウちゃんをスルーしつつ、最近頻繁に入り浸った事で勝手知ったるものとなったオンボロ寮にお邪魔する。オンボロ寮と外観と名称こそそのままだが、内装はユウちゃんの希望が適って和モダンな新築同様の造りになっている。土足厳禁、談話室の奥に和室が整備され、風呂場は悠々と足を伸ばせる檜風呂。キッチンには最新家電が揃い、その他家具や内装も全て一新されている。そら、唯一の拠所にもなるし、オクタヴィネル寮に渡したくなくなるのも頷ける。
 因みにハウルくんが一緒なのは、もうここ最近毎回過ぎて驚かなくなってきた、どこからか嗅ぎ付けてきて、お手伝いするからシェアハピしようぜ、というアレである。今回はアーシェングロット寮長の例の件もあったから、素材の入手も交渉も内密に行われていたはずなんだが。クラスも違うのに、入手した魚介類を引っ提げてオクタヴィネル寮から戻った時には、何故か既に彼が鏡舎でスタンバっていた。

 「ジャックも天麩羅食べに来たの?」
 「テンプラが何かは分からねぇが、リツが作るモンは全部美味いって知っているからな。」
 「なるほど、完全に胃袋掌握されているヤツですね。」

 二人の世間話をBGMに魚の下処理を進めていく。生臭さに耐えられなかったらしいハウルくんとグリムくんは、一旦ユウちゃんと一緒に談話室へと避難していった。手伝いを条件にシェアハピする予定だった生真面目くんことハウルくんは、早速使い物にならない自分にしょんぼりしていたが、料理は何も下処理だけではないので、片付けや臭いが気にならなくなってからも色々やってもらう事はあるから、と伝えれば少しだけ復活したようで、可愛らしく尻尾がパタパタしていた。可愛い。
 鯵と鱚は開いて、烏賊と蛸は一口大に、海老は頭と殻と背ワタを取っていく。おまけで頂いた鯛は鱗と内臓を処理し、せっかくだからこの海老の殻で出汁を取って、一緒に炊いてしまおう。無事に問題解決を祝って鯛めしが良い。海上の生活ですっかり慣れた、魚介の処理をサクサクと進めていけば、準備はあっという間に整った。


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 烏賊と海老は天麩羅とフライの両方を、鯵はパン粉を付けてフライに、鱚と蛸は軽めの衣がさっくりと楽しめる天麩羅に仕上げた。シュワシュワと油の弾ける音、カラッと揚がっていく魚介、そして同時並行で、土鍋で炊いている鯛めしから漂う芳ばしい香りに、隣でお手伝いしてくれていたハウルくんの尻尾が先程からグルングルンと回っている。早く食べたいという気持ち半分、絶対美味しいという確信しかない気持ち半分、といったところか。

 「天麩羅はスタンダードに天つゆにする?シンプルに塩にする?」
 「「どっちも。」」
 「はい。」

 声を揃えて返ってきた答えに、大人しく両方用意する。まあどちらも美味しいからね。
 最後の天麩羅の油を切ったところで、それぞれ皿に盛りつける。せっかく天麩羅をするから、と蓮根や牛蒡、玉葱に茄子といった野菜類も揚げたたから、当初の予定よりかなりボリューミーな仕上がりになった。食べ盛りばかりだから、完食してくれると思う。余ったらそれこそシェアハピでお土産にでもすればいい。
 鯛めしはテーブルでそれぞれ盛り付けようと思い、土鍋ごと運ぶ。新しくなった談話室のテーブルへに所狭しと並ぶ本日のディナー。ユウちゃんとグリムくんの眼もキラキラに輝き出している。

 「ふなぁ〜。醤油の焦げる芳ばしい香りと、鯛の魚介ならではの香りが混ざって、匂いだけでも美味いんだぞ〜。」
 「りっちゃん、私おこげが食べたい。絶対におこげ入れてね。」
 「はいはい。」

 蓋を開けた土鍋に歓声が上がり、かき混ぜる前に各々スマホで写真も撮って、最後の盛り付けも終わる。見た目こそ茶色多めで華やかさには欠けるが、早速ユウちゃんがSNSに写真をアップしたところ、NRC生を始め多くの人から評価が送られてきているらしい。
 配膳が終わったところで、手を合わせていただきます。揚げたてこそ至高、というユウちゃんの言葉に影響されてか、グリムくんもハウルくんもまず手を伸ばしたのは、新鮮な魚介を贅沢に揚げた天麩羅やフライだった。初めての天麩羅にハウルくんはフリッターか、と小首を傾げていたが、塩をかけて頬張った鱚の柔らかさと、衣のサクサク具合に瞬く間に眼を輝かせた。

 「フリッターよりもずっと軽くてサクサクしている…揚げ物なのにすげぇあっさりしてんな…」
 「こっちのフライはパン粉がザクザクとしていて、それでいて鯵の旨味もギュッと詰まっていて、めちゃくちゃ美味いんだぞ〜!特にこの白いの!!一緒に食べたら最高だゾ!」
 「好きだねぇ、タルタル。私も大好き。アジフライにも最高に合うけど、甘酢タレに絡めた鶏唐揚げにもめちゃくちゃ合うんだよ。」
 「ぶなぁっ!今度作ってくれ、リツ!」
 「気が向いたらね。」
 「その時は絶対に俺も行く。」
 「気が向いたらね。」

 ユウちゃんが言っているのは、恐らく鶏南蛮の事だろう。あれこそサバナクロー寮で作ったら最後、大戦争が勃発しかねないので、作るならまたオンボロ寮でだな。そんな私の思考を読み取ったのか、オンボロ寮は二十四時間いつでも貸出可能です、とユウちゃんが真剣な顔で頷いた。そんなに食べたいか。
 いっぱい作ってくれたお礼に、檜風呂も提供するから入っていってね。茄子の天麩羅を頬張りながらそう笑うユウちゃんの言葉に有難く甘えるとしよう。風呂は私が最近このオンボロ寮の常連になっている理由の一つである。サバナクロー寮にも大浴場があるが、貸切など当然出来るわけもなく、普段は個室になっているシャワールームで済ませているのだ。しかし向こうでも湯船に必ず浸かっていた身としては、のんびりと足を伸ばして半身浴なんかを楽しみたいのである。この時ばかりは、このどっちつかずの身体が恨めしいと思っていたので、事情を知っているユウちゃんのご厚意に甘えているのだ。

 「風呂?風呂なら、サバナクロー寮にもあるだろ。」
 「此処なら一人で優雅にのんびりと楽しむ贅沢が味わえるからね。」
 「…そういうもんか?」
 「そういうもの。静かに自分だけの時間を楽しむのが良いんだよ。」

 嘘ではないが、本当の理由でもないそれに、ハウルくんは不思議そうにしながらも納得したようで、そうか、と頷く。事情を知らない彼からしてみれば、わざわざオンボロ寮に邪魔してまで風呂を借りる理由など皆目見当もつかないだろう。そんな反応になっても致し方ない。


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 片付けを買って出てくれた二人と一匹に甘え、早速檜風呂を堪能する。温泉ではないが、魔法石の力でかけ流しとなっている湯は、常に一定の温度が保たれ、ユウちゃんの趣味である入浴剤の香りがふわりと鼻腔を刺激する。グリムくんもいるからあまり香りが強すぎないそれは、程よい癒し効果も与えてくれて、自室にも欲しいと何度呟いてしまった事か。その度に彼女からは、オンボロ寮に転寮してくれても良いんだよ、とお誘いを受けるが、学園長含め、私を男だと思っている面々から許可が絶対に下りないだろうから、今のとこ転寮の予定はない。
 髪と身体を洗い、ゆっくりと湯船に浸かって足を伸ばす。足の先から身体中にじんわりと広がっていく温もりに身を任せ、眼を閉じ大きく深呼吸を繰り返す。生き返るとは、この事を言うのだろうか。サバナクロー寮はお国柄というのか、獣人族特有の体質というのか、年中乾いた空気に包まれているため、夜は意外と冷えやすい。砂漠地帯の夜に比べればかなりマシであるが、寮の造り自体も風通しのいい、解放感のあるものとなっているので、どうしても身体が冷えやすいのだ。獣人族ほど基礎体温が高くない身としては、連日となると意外と堪えるもので。加えて普段はシャワーのみだから、風呂で身体を温める事も難しいのだ。
 今のところ、周囲は私を男として認識している。まあ普段の格好やメイクスタイルが、どちらかと言えば男性的であるから、そう思われても仕方がないのだろうが、個人的に男かと問われたら、なんか違う、という感じで。だからと言って女かと言われても、それはそれで違和感があるのだけれど。このどっちつかずの性別は、私に|性《・》そのものの価値観を曖昧にさせてくる。ユウちゃんのような可愛らしく愛らしい雰囲気になりたいわけでも、ハウル君を始めとしたサバナクロー寮生のような筋骨隆々の、野性的で男性的な雰囲気になりたいわけでもない。しかし、一つだけ確かなのは、この身体を誰にも見られたくないという事である。
 生まれた時からこのどっちつかずの身体は、周囲に白い眼を向けられる格好の対象だった。両親を始め親族は気味悪がり、隠し通せなかった近所の子供達には、からかいのネタにされ、周囲の大人達は、腫れ物に触るかのような、忌み子として扱ってきた。そういう意味では、アーシェングロット寮長の幼少期のトラウマや、キングスカラー寮長の立場の悪さに対して共感も同情も出来る。しかし彼等と私では、決定的に一線を画しているだろう。幼少期に様々なトラウマがある彼等も、家族からは迫害される事なく愛されているのだから。アーシェングロット寮長は言わずもがな、王族という立場上表立って行動に移せないキングスカラー寮長でさえも、両親や兄弟からは愛されている。それは、先のマジカルシフト大会を見ても、彼等の言動からも容易に察せられた。しかし、私は。

 —————男でもなく女でもない。どっちつかずの半端者。
 —————まるで呪われた身体。忌み子よ、化け物よ。
 —————どうせ生まれてくるなら、もっと愛せる子が良かった。
 —————どうしてこんなのが生まれてしまったのだろう。いっそのこと、

 —————いっそのこと、死んでしまえばいいのに。

 陰口でもなく、面と向かって吐かれ続けた言葉の数々。物心ついた時には、両親から愛されないのだと察していた。私は半端者で、化け物で、忌み子だから、実の両親の愛すら受ける事は叶わない。早々に察したからこそ、その言葉の数々に、いちいち傷ついたりはしなかったけれど。呪詛のように吐き出され続けた言葉は、確実に私の奥深くに根を張り続けた。
 私の正体を知らない者も、そのお陰で普通に友人として接してくれる人も、きっと本当の私を見れば、皆白い眼を向け、声を潜め、そうして私の下から去っていくだろう。そう、初めから諦念してしまうほどには、両親を始め周囲の人々から迫害され続けたから。
 ただひとり。この身体を知ってもなお、態度を変えなかった変わり者がいたけれど。このまま帰還方法が見つからなければ、一生再会する事は無いだろうから。だから、せめて。

 「…随分と、ぬるま湯に浸かってしまったな。」

 向こうでは殆どプライベートで関係を作った事は無かったのに。此方の人達に出逢ってからというものの、随分と自分のテリトリーに多くの人を赦してしまったと思う。とある六人と一匹なんて、マブ、なんて呼称されて自称してしまうほどに、その存在を赦してしまった。しかし、それでも。そんな彼等にでさえも、きっとこの身体を見せる事は出来ない。
 つらつらと取り留めのない、自己満足に浸ってしまったからだろうか。それがまさかフラグになるとは、流石の私も予想だにしなかった。