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 ラウンジの後処理を終えたアズール・アーシェングロットは、疲れからくる溜息を一つ溢し、本日のディナーであるサラダカップの蓋を開ける。毎日徹底したカロリー計算の下、本日はこのサラダとほんの小さなパン一つが彼のディナーであった。
 そこへ押しかけて来たのはいつもの賑やかなウツボの双子———フロイド・リーチとジェイド・リーチである。彼等もまたラウンジでの仕事を終えこれから夕食となるらしく、食べ盛りの男子学生らしい量のプレートと、明らかに常人の量を凌駕した山盛りのプレートを盛った二人がそれぞれソファへと腰を下ろす。

 「あ、そう言えば小エビちゃんがまた動画上げていたんだった〜。ジェイド、アズール、一緒に見ようよ。」
 「動画、ですか…?」
 「おや、アズールはご存知無いですか?今マジカメで結構話題になっているんですよ。」

 日々の業務や寮長としての仕事に追われているアズールが、マジカメを利用する頻度はそう多くない。モストロラウンジの宣伝や顧客情報収集の一環で、全く見ない訳ではないが、フォローしているとは言え、なかなか同級生のアカウントを追う事も出来ていない彼が、後輩であるユウのアカウントを逐一追える訳もなく。しかし何かと一目を置き———それどころかお気に入りとなっている後輩が作成したという動画。気にならない訳が無く。
 せっかくだし大画面で見よ〜、とラウンジに設置されているスクリーンに映像を投影したフロイドに倣うように、アズールもまたスクリーンへと視線を向ける。それが後に彼を苦しめる事になるとは、いざ知らず。


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 午前、午後の日常を切り取った動画が先に二本アップされたとなれば、残るは夜の日常だろう。そんなすっかりファンとなっている視聴者の予想通り、夜の帳が降りた暗闇に浮かぶポツポツとした灯りが画面に映し出される。どうやら段々と前方へ進んでいっているその映像は、何処かの道を映し出しているようだ。カメラの灯りに浮かび上がる僅かな風景から、見知ったものは、それがナイトレイヴンカレッジ内のオンボロ寮へと続く道程であると察する。
 梟のような鳥の静かな声と、風に擦れる木々の僅かなさざめきだけだった映像が、段々と賑やかな音楽が鳴り響く場所へと近付いていく数秒間。パッと視線が一気に白んだと思えば、次のカットでそれまでの静かな夜の風景と一変して、キャンドルライトが淡く照らす幻想的で、それでいて楽し気な空間へと切り替わった。

 『焼けたよ〜!』
 『待ってました!』
 『ふな〜!めちゃくちゃ良い匂いなんだゾ!』
 『まさか、即席の竈でこんな本格的なピザが出てくるとはな…』

 この動画ですっかりお馴染みとなった七人と一匹。昼間に続きオンボロ寮の庭に設置されたテーブルの上には、淡い幻想的な演出を生み出すキャンドルや間接照明と共に、映像越しでも良い匂いが漂ってきそうな料理の数々がズラリと並んでいた。
 揚げたてのフライドポテトはシューストリングとウェッジカットの二種があり、王道のケチャップを始め様々なディップソースが脇に添えられている。一口大の唐揚げに、沢山の種類の野菜を使ったコブサラダ。そして何よりも視聴者の眼を引くそれは。

 『チーズがめちゃくちゃ伸びる!』
 『このチキンが乗ったピザ、甘しょっぱくて食った事ねぇ味なのに凄ぇ美味い。』
 『照り焼きチキンだね。そのままでも美味しいけど、このタルタルと合わせると飛ぶよ。』
 『飛ぶ。』
 『明太子?だっけ?タラ子をピリ辛にしてマヨネーズと和えるだけでこんなに美味くなるとは思わないじゃん。』
 『餅だったか。チーズとはまた違う伸び方がするこれも明太子との相性が抜群だな。』
 『明太餅マヨ私も好き〜』

 恐らくメインなのだろう様々な種類のピザが並ぶ中央。王道のマルゲリータやクアトロ、ビスマルクの他にも、視聴者の殆どが見た事のない照り焼きチキンや明太餅マヨと呼ばれた変わった具材の乗るピザは、此方のワンダーランドでは珍しいクリスピータイプの生地らしく、早速その一切れを頬張ったデュースの口許から、サクッと芳ばしい音が聞こえてきた。
 続いて映像はピザを製作しているリツの後姿を捉える。先のカットでセベクが驚いていたように、どうやら魔法で錬成したらしい手作りの即席の小さな竈の前で器用にピザを回転させながら火を通している光景が映り込んだ。熱に煽られて沸々と湧き立つチーズや、段々とキツネ色に変わっている生地。それだけで視聴者の多くは生唾を呑み込む。

 『ツナマヨコーンも出来たよ。』
 『ツナ!!俺様食べたいんだゾ!!』
 『はいはい。切り分けるからちょっと待ってねぇ。』

 リツが竈から取り出して木製のプレートの上に乗せた焼き立てのピザを、ユウが手早くローラーカットで八分に切り分ける。ツナ好きのグリムへと最初の一切れを小皿に移してやったユウは、自身の取り皿にも一切れ取り分け、ふぅ、と粗熱を冷ましながら一口。サクッと軽い音と共にチーズが伸びるさまを的確に捉えた映像は、ダイレクトに見る者の胃を直撃する。
 ツナ好きなのも相まって、他のピザよりも更に磨きのかかった食レポを披露するグリムに釣られるように、他の面々も同じく焼き立てのツナマヨコーンのピザへと手を伸ばした。これまで一貫して調理を担当していたリツも、今回は自ら手を伸ばしてピザを楽しんでいる様子だった。

 —————ほらフロアのリズムに合わすように、グラスの泡まで踊り出して。

 明るいアップテンポのバックグラウンドミュージックの歌詞に合わせて、映像がテーブルに並ぶシャンパングラスを映し出す。シュワシュワと泡が弾けるそれは、正に歌詞の通り楽し気なリズムに合わせて踊っているようで。そのシャンパングラスを七人と一匹がそれぞれ手にしたかと思えば、頭上へと掲げてカチンと高らかにグラスを合わせて鳴らす。

 —————乾杯!

 歌詞とシンクロするように声を合わせて笑う彼等は、グイッとシャンパングラスを煽った。一見シャンパンを飲んでいるようにも見えるが、空になったグラスを置いたテーブルに一緒に映り込む、ボトルのラベルに書かれた『Apple Cider』の文字に、それがノンアルコールドリンクであることを分からせる。
 陽気な音楽と共にシーンは流れ、映像は屋外から室内へと切り替わる。庭と同じようにキャンドルライトと間接照明だけが灯るオンボロ寮の談話室。大きなスクリーンの前にクッションや飲み物を並べて思い思い寛ぐ彼等に、この寮の住人であるユウとグリムが悪戯な笑みを浮かべながら、山盛りのポップコーンを取り出せば、そのまま映画観賞会の始まり。

 —————そうさ、Week end! 誰も彼も浮かれ気分で。

 ポップコーンを摘まみながら映画を楽しみ笑い合う彼等の声は聞こえない。しかし流れる歌詞の通り楽しそうに浮かれた様子で、その空間がどれだけ楽しく賑やかなものなのかが伝わってくる。キャンドルライトの1/Fの揺らめき。しかしその空間は、心穏やかなものというよりもハッピーなテンポに包まれていた。

 —————色彩々のSparking 空のグラスに注いで。

 ソファに座ったリツが、ローテーブルに並べたグラスへフルーツやシロップでそれぞれのイメージカラーを彩ったノンアルコールカクテルを注いでいく。ストロベリーの赤をエースが、ブルーキュラソーの青をデュースが、パイナップルの黄色をジャックが、グレープの紫をエペルが、キウイの緑をセベクが。そしてピーチの桃色とブルーベリーの水色、オレンジの橙色をユウ、グリム、リツが手に取る。

 —————この出逢いに乾杯しよう!

 再び乾杯、と声を合わせてグラスを合わせてカチン、と小気味良い高い音が鳴り響く。祝福の鐘の音のようなそれは、正に彼等の出逢いを祝うかのように。
 そして画面は一旦の暗転を経て、またぼんやりと闇夜を照らす。それまでの沢山のキャンドルライトや間接照明の幻想的な灯りとは違い、薄雲が掛かる淡い月光が降り注ぐオンボロ寮の談話室は、また一味違う顔を覗かせていた。
 その談話室に一人。キャンドルに一つだけ火を灯して、窓から差し込む月光に淡く照らされた室内をぼんやりと見つめているのだろう、ユウの口許が映される。数時間前の楽しい時間を思い出しているのか、緩い弧を描いていた口許が、不意に何かに気付いたかのように小さく開かれる。そこで映像も引いていき、談話室と廊下を繋ぐドアへとシーンが移り変わった。そこに立っていたリツは、初めからユウが此処にいる事を知っていたかのように、その小脇には厚手の毛布が抱えられている。

 『…眠れないのかい?』
 『うーん…どうだろう。眠いんだけど、なんか。勿体ない?みたいな。』
 『うん?』
 『今日一日、凄く楽しかったから。夜が明けたら終わっちゃうんだなぁって思うと、何だか勿体ないような、まだ楽しんでいたい、みたいな。』
 『…そうか。』
 『あー、笑ったでしょ?どうせ子供っぽいですよぉだ。』
 『そんな事は無い。…内緒話をしようか。』

 ユウの隣に腰を下ろし、夜の寒さを紛らわすように広げた毛布を互いの膝にかけたリツは、少しだけ声量を落として柔く囁くように言葉を溢した。実は私も同じ事を考えていた、と言ったら貴女は笑うかな。彼の言葉の意味を理解したのか、ふふ、と小さく笑い声を溢したユウは、それから、笑わないよ。おんなじで嬉しい。と続けた。
 ホットミルクでも淹れようか。温まれば自然と眠くなってくるさ。二人でシェアしていた毛布を、今度はユウを包むように肩へと駆け直したリツは、そういって画面外へと消えていく。キッチンへと向かったのだろう僅かな足音が遠ざかるにつれ、無音だった映像に小さなオルゴールの音が奏でられ始めた。

 『…終わりたく、無いなぁ。』

 ポツリと溢すユウの独り言は、何処か寂寥感が滲んでいて。視聴者は訳も分からずグッと込み上げそうになるものを感じながら、それでも一瞬たりとも逃すまいと映像に集中する。宣言通りホットミルクの準備をしているだろう物音とバックグラウンドミュージックである優しいオルゴールの音色が暫く続いたかと思えば、それとは別の大きな物音が途端に聞こえ、同じく物音に気付いたのだろうユウが、再び廊下へと続くドアの方へと視線を向けた。
 彼女の視線に連動するように動いた映像が、ドアの前でドミノ倒しにでもあったかのように重なって倒れこむエースとデュース、そしてエペルの姿を映し出す。そのすぐ後ろには、ギリギリで踏ん張って耐えたのだろうセベクと、眠たそうに欠伸を溢すジャックの姿もあった。

 『…何しているの?』
 『いや、それはこっちのセリフ…』
 『ユウサン、寝ないの?』
 『つうか、まずは降りろ!重てぇ!』

 一番下敷きになっていたエースの悲鳴に、デュースとエペルがそれぞれ上から退く。軽く膝を擦り服のしわを伸ばすように取り払った彼等は、何処となくぎこちない様子でユウの両隣へとそれぞれ腰を下ろす。対面に座ったエペルが、ほんの少し愉しそうに口許を緩めていた事に気付いた一部の視聴者は、察しの良い者はおや、と小首を傾げた。
 で、こんな夜中まで起きて何してんのかなぁ、お前等は。本題に入るべく口を開いたエースと、同じように言葉を待つデュースへ、ユウは言い淀むように口を結ぶ。きっと素直に事情を話せば笑われる。そんな風に思っているのだろう。暫く間を置いてから、何でもないよ、とだけ返していた。

 『二人でコソコソと。何でもないが通じると思うなよ〜?』
 『ちょっと目が覚めちゃったから、ホットミルク淹れてもらっていただけ!』
 『ほんとにそれだけ?』
 『もう、エースしつこいよ。』
 『…じゃあ、さっきの終わりたくないってナニ?』
 『それは、』

 まさか聞かれているとは思わなかったようで、ユウは戸惑いを見せながらもまた口を噤む。しかし両サイドに座る二名は正直に話すまで納得しないといった様子で、その様子を静観していたエペルが、またも愉しそうに口許を緩めながら、助け舟を出すように吐息を一つ。それから、そんな聞き方じゃユウサンも答えにくいよ、と続けた。

 『エペくん…』
 『ねえ、ユウサン。正直に言っていいとボクは思うよ。』
 『…笑わない?』
 『ナニ。笑うような事なの?』
 『エースクン。』
 『僕は笑わない。だから、教えてくれないか。ユウ。』
 『はあ?お前、何、』
 『エースクン。』

 茶化すような態度も、デュースに食って掛かろうとする態度も全てエペルの一言で諫められたエースはしぶしぶ口を閉ざす。対して真剣な様子を崩さないデュースに、とうとう観念したユウが、先程のリツとの内緒話と言った内容をポツポツと溢した。
 このお泊り会があまりにも楽しくて、ずっと続いて欲しいと思ってしまった。また週明けになっても変わらず逢えるのに、グリムと二人きりの寮は味気なくて、少し寂しいと思ってしまった。しどろもどろになりながらも本音を溢したユウへ、はあ?とまず声を上げたのはエースだった。

 『お前、何言ってんの。』
 『エース、』
 『ばーか。寂しいなら寂しいって俺等に言えば良いじゃん。つうか、言えよ。そういう事はさ。』
 『エース言い方…だが、その通りだ。遠慮なんてしなくて良いんだぞ。』
 『…いや、普通に子供っぽいかなって、ちょっと…』
 『そんな事ない。確かに此処は、ユウとグリムの二人きりでは少し広すぎるからな。それに———嬉しいぞ。僕は。寂しいと思ってもらえて。』

 それだけ、ユウにとっての僕が、僕達が大切だという証拠だろう?恥かし気もなくユウの右手を取ってそういうデュースに、エースは少しだけ口許を歪めながら、それでも同じくユウの左手を握りしめた。本当に寂しくて辛くなったら、気の済むまで隣にいてやるから。遠慮せず言えよ。ぶっきら棒ながらに紡がれたエースのそれも、デュース同様ユウを想っての本音なのだろう。
 年頃の男子学生らしい青い空気に、視聴者達も小恥ずかしい感情を僅かに抱きながらも、仲睦まじい姿に頬を緩める。一部の察しの良い者達は、エースとデュースの不器用な優しさの中に秘められた淡い感情に、別の意味で納得の笑みを深める。

 『話はついたようだね。』
 『うん。エースクンが全然素直じゃないから、どうなるかと思ったけど。デュースクンのファインプレーのおかげ、かな。』
 『はぁ〜?俺はいつだって素直ですぅ。』
 『まあ取り合えず君達も飲む?一応人数分用意したけど。』
 『飲む。』

 リツから湯気が立ち込めるマグを受け取った四名は、温かく優しい甘みのあるホットミルクに自然と頬を緩める。ぎこちない様子だったユウも、安心したようにホッと吐息を溢していた。
 ところでジャックくんとセベクくんは?姿の見えない二人の所在を尋ねるリツへ、多分毛布とか布団とか運んでいるんだと思う、とエペルが答える。その答え通り、両手に布団やら毛布やらを抱えた件の二人が談話室へと戻ってきた。

 『その布団、どうするの?』
 『何だ。此処で雑魚寝する話ではないのか。』
 『エースがユウを独りにさせられないって言うから、各部屋から持ってきたぞ。』
 『俺そんなこと言ってねぇけど!?』
 『いや、言っていたな。』
 『うん。言っていたね。よかったね、ユウサン。』
 『おい!』

 からかい交じりに声に反論しつつ、それでも布団を片付けろとは言わないエースに、ユウも漸く口許に可愛らしい弧を描いた。ありがとう、と溢す彼女の呟きは、生憎照れ隠しで喚き出したエースには届かなかったようだが。
 それまでの何処か寂寥感が滲む物寂しい空気が一転して、僅かに賑やかになった談話室全体の映像が映し出されたかと思えば、徐々に映像は引いていき、月光が差し込む窓を通り抜けてオンボロ寮の外観へと切り替わっていく。そこから更に薄雲の晴れた淡い月夜と、周囲の星々が輝く夜空を映し、それからゆっくりとフェードアウトしていった。そしてお馴染みの『Thank you watching.』の文字を最後に動画は終わりを告げた。


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 「…良かったねぇ、小エビちゃん。もう寂しくないね。」
 「そうですね。女性は笑顔が一番ですから。」
 「それはそうと、ピザめちゃくちゃ美味そうだったぁ。俺も今度作ってもらお。」
 「それなら、今度一年生の皆様をラウンジに招待するのはどうでしょう?」
 「アハ。いい考えじゃんジェイド〜。アズールぅ、いいでしょ?」
 「…皆さんの予定を確認しないといけませんね。それはそれとして…、」

 ぐう、と鳴り響く重低音にアズールは悔し気に口許を歪めてメガネのブリッジを押し上げる。完璧なカロリー計算の下、毎日毎食のメニューを決めているというのに、先程の映像の所為で先程から腹の虫が鳴り止まないのだ。
 アズールもこの様子ですし、何か追加で作りましょうか。いつもの読めない笑顔で笑いながら席を立つジェイドに、俺も唐揚げ作ろ〜、と機嫌良く続くフロイドを見送ったアズールは、ぐぬぬ、と苦悶の声を漏らす。

 「この対価は高くつきますからね…っ!」

 実に理不尽な理由で一年生達へ対価という名の例のピザを強請ろうと決心した人魚は、カロリー計算を投げ捨てて双子の後を追っていった。そんな様子を実はそっと物陰から見送っていた他の寮生達が、これは近いうちに貸切パーティーになるかもな、等と溢していたのだが、それは別の話。