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 小エビちゃん来たよぉ、といつものゆったりとした口調でまず食堂に訪れたのは、昼間唯一魚介の生食に対して忌避感を抱いていなかった人魚のリーチ先輩だった。彼が来たタイミングが丁度トロの握りをユウちゃんが食べたタイミングで、可愛らしい笑みでモグモグと咀嚼する姿に、小エビちゃん、ハコフグちゃんみてぇ、とカラカラと笑っていた。
 次いで訪れたのは、まさかのトレイン先生を始めとした教員達で、意外な来訪者に驚く私達を他所に、お義父さんに一緒に食べようって誘っちゃった、とトレイン先生に手を振るユウちゃんが、早速空いた席にへと彼を勧めていた。どうやら義父義娘関係は大変良好らしく、そんなトレイン先生に釣られる形で他の教員達も訪ねて来たのだろう。

 「やあ、ユウ。お誘いありがとう。」
 「えへへ。お義父さんにも是非食べて欲しくて!」
 「仔犬。生魚を使った料理のようだが、臭みは無いのか?」
 「生魚特有の香りはありますので、そこは好みによるかと思いますが。」
 「ふむ…とりあえずおすすめのものを頂こう。」
 「ソードテールちゃん、俺も食べたぁい。美味しいのちょうだい。」

 好き好きに注文してくるクルーウェル先生やリーチ先輩に、取り合えず臭みが一番少ない鰤の握りを出してやれば、まったりとした油が大変口にあったようで、先のセベクくん達のように眼を輝かせて、美味い、と初めての味わいを楽しんでいた。
 それにしても、と生食に全く抵抗感が無いため、パクパクと次から次へ寿司を食べ進めていくリーチ先輩を盗み見ながら、彼の特徴とも言える渾名について思い出す。ユウちゃんを小エビと称するのは、驚くとビクッと跳ねる姿から取り、ジャックくんをウニちゃんと称するのは、ツンツンとした態度がウニの棘のようだ、としているから。では、私のソードテールは。
 その魚について詳しくなかったため、ネットで調べたところによると、淡水の熱帯魚で、一説によれば性転換をする可能性のある魚だとか。彼がどういう理由で私をそう呼称するのか、理由を尋ねた事は無いが、まさかこの身体について何かしら察せられているのか、偶々なのか。尋ねるのも何だか嫌な予感というか、軽い恐怖を覚えるため聞けずにいるわけだが、中々に油断ならない人物である。

 「あああぁぁっ!!何かいっぱい先越されている!?」
 「セベク抜け駆けしてんじゃねぇぞ!」
 「勝手に寿司に対してマイナスイメージを抱いたのは貴様だろうが!」
 「リツサン、僕もお寿司食べてみたいな。」
 「…てっきり生臭さが強いかと思ったんだが、コレなんだ?ビネガーか?」

 リーチ先輩や教員達に少し遅れてワイワイとやって来たのはお馴染みのマブ達。狼の獣人という事で常人より鼻が利くジャックくんは、未だ少し及び腰になっているが、天麩羅の時に魚を捌いた際のような強い生臭さは感じなかったらしく、セベクくん同様、寿司酢の仄かな甘酸っぱい香りの方に首を傾げていた。
 当然のようにユウちゃんの周りに腰を下ろすから、自然とカウンター前が賑やかになる。教員達も彼等の仲の良さを良く知っているから、このナイトレイヴンカレッジでは珍しく譲り合いの精神が発揮されていた。単に仲睦まじい姿を微笑ましく思う大人達というだけかもしれないが。現にリーチ先輩は移動する素振りが無い。

 「ジャックくんの後を追って正解っスね。大盛況じゃん。」
 「…不味いモン出したら容赦しねぇからな。」
 「おや、獣人の皆さんに生魚の臭いはキツイのでは?理不尽に怒るくらいなら、遠慮されたらどうでしょう。」
 「アズールの言う通りだね。レオナ先輩、マナー違反をするくらいなら辞退して頂いた方が賢明かと思います。」
 「まあまあ、物は試しってね。グリちゃんが嫌がらないって事は、そこまで酷くないのかもよ?」
 「まあ、リツが作っている時点で外れは無いだろうからな。」
 「薔薇の騎士シュヴァリエの言う通りさ。生の魚は経験が少ないからね…貴重な経験をたっぷり味わうとしよう。」
 「おやおや、フロイドに先を越されてしまいましたか。」
 「楽しむのは結構だけど、食べ過ぎは駄目よ。特にエペル。アンタ先週末かなりカロリーオーバーしているんだから自重しなさい。」

 そして更にワイワイガヤガヤとやって来たのは、昼間食堂で聞き耳を立てていた知人達。ユウちゃんはともかく、私はせいぜい顔見知り程度の関係だったはずなのに、先日のお泊り会の動画を経てから、何故か友好的に接してくるようになってきた面々である。まあ、サバナクロー寮の先輩達や、サイエンス部の先輩方など例外もあるけれど。
 ユウは何でもかんでもマジカメに挙げるの止めた方が良いんじゃねぇのか。一気に騒がしくなった食堂内に、呆れたように溜息を溢すグリムくんの呟きは、マブ達を中心に同意の声が上がる。まあ、此方の労働力を考えると、私としてもせめて事後報告程度にして欲しいところはあるのが本音だ。
 しかし、みんなでご飯楽しいね、と申し訳なさそうにしながらも楽しそうに笑う彼女を見てしまえば、マブであろうと唯一無二の相棒であろうと、何も言えなくなってしまうのだ。


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 結果的にお寿司は大盛況だった。あれだけ臭みに対して過剰に反応していたサバナクロー寮メンバーが掃除機の吸引力のように食べていたのだから、その人気ぶりはお察しである。お蔭で消費しきれるかと懸念されていた魚介類達は綺麗さっぱり消費された。これにはゴーストシェフ達もニッコリで、助かったよ、とバイト代に色を付けてくれたのは、此方としても嬉しい誤算である。
 そうしてあっという間にホリデーがやってきて、ユウちゃんと共に鏡の間にて一時帰宅する生徒達のお見送りをしつつ暫く。マブ達とも連絡を取り合う約束をして、最後の一人が鏡を抜けていったところで、アロハシャツに身を包んでキャリーケースを引く学園長がやって来た。

 「ああ、皆さん。お疲れさまでした。私も一足お先にお暇させていただきますね。」
 「バカンスですか?」
 「ええ、まあ———うぉっふぉん!いえいえ、南の国の方で異世界に関する何かが見つかったとか何とかで…ええ、お二人の帰還方法を、きちんと調査してくるだけです。ええ、決してバカンスなどそんな馬鹿な。それでは!」
 「お土産は、日持ちするお菓子系でお願いします。」

 大変心苦しい言い訳と共に鏡を潜っていった学園長を笑顔で見送ったユウちゃんは、ちゃっかりお土産を要求した後、表情をスンと消して、あんな大人にだけはなっちゃだめだよ、とグリムくんに言い聞かせていた。あまりの感情と表情の落差に、グリムくんだけでなく隣で点呼を取りながら、学園長を呆れの眼差しで見送ったクルーウェル先生も、冷や汗を流していたが。
 それからまたパッと表情を明るめた彼女は、今日のお昼は和風ツナパスタがいいな〜、と可愛くおねだりしてきたので、彼女のリクエストに応えるべく、苦い笑みを溢しながら食堂へと足を向けた。パスタが食べたかったのは彼女の本音だろうが、そこにちゃんとツナをメインにしたものをリクエストする当たり、グリムくんに滅法甘い事が伺える。

 「パスタか…付け合わせにサラダとスープはつくだろうな?」
 「え、クルーウェル先生も食べるんですか?」
 「何か問題でも?」
 「じゃあ、後でお義父さんにも持っていてあげたいな。ねえ、りっちゃん。」
 「はいはい。代わりにきちんとお手伝い頼むよ。」
 「はーい!」

 腕に抱き着いて甘えてくるユウちゃんの頭を撫でつつ、何故か少し微妙な顔をするクルーウェル先生はスルー。大方、マブと呼称する程に仲が良く、また同じ異世界人、境遇が似ている事で気が合うとはいえ、恋人でもない男女でそこまで密着するのは如何なものなのか、とか考えているのだろう。しかし密着しに行っているのがユウちゃんの方で、かつ彼女が本当に嬉しそうに笑っているから、何も言えないようだ。
 性別という垣根を越えて育まれる彼女との関係に、恋情が混じる事はない。それでも、本当に行き場を無くした際、彼女と共に余生を過ごすのも悪くないと思える程には、私の中で確実に大きくなっているその存在。元の世界に戻れるとして、彼女を連れていくのは憚れる。こんなに澄んで平穏を体現したような少女を、荒事に塗れるあの世界で汚してしまうのは実に惜しいから。


******


 まだ残務処理があるというクルーウェル先生とは一旦別れ、食堂に足を踏み入れた際、聞こえてきた話し声に、キッチンを覗けば、スカラビア寮生と思われる生徒数名が、慌ただしく大量の料理を製作しているところだった。ブッキングしてしまったか、食材と幾つかの調味料だけ確保してオンボロ寮にでも行こうかと思ったところで、同じくスカラビア寮生の存在に気付いたユウちゃんが、ジャミル先輩だ、と声をかけた。

 「ああ、君達か。すまない。キッチンを使う予定だったのか?」
 「私達もお昼にしようかなって思っていたところなんです。」
 「そうか。ああ、それならウチで食べていくか?カリムの無茶振りでこれから宴を開く予定なんだ。」
 「せっかくのお誘いですけど、今日のお昼はパスタって決まっているので遠慮します。」

 一度コレと決めたら意外と揺るがない、ある意味で頑固な一面を持つユウちゃんは、今回は加えてトレイン先生への差し入れも兼ねているため、バイパー先輩からの誘いに実にあっさりとお断りを入れた。
 それでこの話は終わり———かと思ったのだが、魔力の気配を見聞色の覇気で感じ取り、咄嗟にユウちゃんを抱き寄せる。瞬間、鋭いが色の見えないバイパー先輩の双眸が此方を向く。来てくれないか、と念を押すその言葉の裏に恐らく何かしらの魔法を使ったようだが、幸いユウちゃんごと防衛魔法を強化して包み込んだため、その影響を受ける事は無い。

 「…何が目的だ?」
 「何…?」
 「りっちゃん…?」
 「彼女が魔力を持たず、その防衛手段も無い事は、知人である貴様なら知っている事だろう。————この子に魔法を使って、何をしようとした。」

 敢えて冷酷に、声のトーンを下げて覇気を隠すことなく、眼に見えて分かる形で威嚇すれば、危機管理能力は高いらしいバイパー先輩が二、三歩下がって、後ろ手に隠していたらしいマジカルペンを握り直していた。人も少なく、監督責任者となる教職員も少なくなったホリデー初日に、魔法での乱闘沙汰は避けたい身からすれば、危険分子を排除する事がベストではあるが、無理を通すつもりもない。
 私の声のトーンがかなり下がった事で、緊急事態だと察したのだろう。グリムくんを抱きかかえて大人しく私の腕の中に納まるユウちゃんへ、なるべく怖がらせないよう背を撫でながら、少しずつ後退していく。そうすれば、次第にやんごとない空気に気付いたらしい、他の寮生が怪訝そうな顔で、副寮長、とバイパー先輩へ声をかけた。彼の意識が僅かに寮生へと流れた一瞬の隙を見逃さず、ユウちゃんを抱き上げて踏み込む足に力を籠める。

 「…っ!?」

 相手が息を呑んだ気配を感じたが、構う事なく剃と月歩、そして浮遊魔法と風魔法を掛け合わせた高速移動で食堂を後にした。これまで学生からあからさまな敵意を浴びた事は無かったが、人気が少なくなった事で奴のように動き出す輩も出るかもしれない。
 オンボロ寮近くまで一気に離れたところで、足を止めてユウちゃんをそっと下ろす。驚いたように眼を白黒させたまま固まるグリムくんと、不安そうに此方を見上げたユウちゃんへ、宥めるようにそれぞれ頭を撫でてから、決してホリデー期間中に単独行動をしないよう言い聞かせた。大人しく頷いてくれた彼女達も、何かしらを察してくれたのだろう。