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 気付けば開始直前の時間になっており、ジャックくんと慌てて観客席へと戻れば、既に満員近い客数でほぼ席は埋まっていた。その中でも一角、不自然に空いた席があったのを見つけ、席取りしている様子も無い事から有難く空いていた其処へと腰を下ろした。その時、お前も来ていたのか、と隣から声が掛かり、漸く不自然に席が空いていた理由を察する。
 ドラコニア寮長の隣に座る猛者が現れなかっただけだったか、と内心で納得しつつ、声を掛けてくれたドラコニア寮長とその隣に座るヴァンジュール先輩へ軽い挨拶を返す。よく見ればその隣にはセベクくんの姿もあり、ジャックくんと一緒に軽く手を降れば、気恥ずかしそうにしつつも同じように小さく返してくれた。護衛中は気が緩むからあまり慣れ合う事はしたくない主義らしい。小さく返してくれる姿も可愛いけれど。
 それから発表会は滞りなく進行され、いよいよトリであるナイトレイヴンカレッジの出番となる。リハーサルでも見たが、改めて完成されたVDCメンバーによるパフォーマンスに圧倒される。特にシェーンハイト寮長は、何かが吹っ切れたように、練習でもリハーサルでも見せなかった伸びのあるゆったりとした余裕さえ見せていた。挑戦的に微笑む姿に、前方に座る彼のファンなのであろう女性達から黄色い歓声が上がった。

 「…やっぱヴィルさんは凄ぇ。」
 「そうだね。でもフェルミエくんも凄い伸びしろを見せたと思う。」
 「ああ、確かに。最初に比べたら雲泥の差だな。」

 最後の一秒まで完璧なパフォーマンスを見せたVDCメンバーへ称賛の拍手を送り、司会者の案内の下、投票タイムへと移った。スマホから専用サイトにアクセスし、一番良かった学校へと投票するこのシステムは、妖精族のドラコニア寮長には勝手が難しかったようで、先程から小首を傾げたまま固まってしまっていた。
 流石に放置も可哀想かと、画面を拝見して投票手順をレクチャーすれば、無事にナイトレイヴンカレッジに投票出来た事が嬉しかったようで、パアッと喜色の笑みを浮かべる。幼女かな、と生温い気持ちになりつつも、結果発表、と大々的に盛り上げる司会者へと視線を戻した。因みに反対隣に座っていたヴァンジュール先輩はサイレント爆笑していたし、その隣のセベクくんからは羨まし気なジト目を貰う事になったが、当然ながらスルーである。
 上位三校のみが読み上げられ、まず三位は知らない学校、そして二位はロイヤルソードアカデミー。この時点で観客も出場者側も驚いたようにざわつき始めた。ネージュ・リュバンシェが参加する優勝常連校が二位という結果となった今、それを押し退けて一位となった学校への注目が過去最高レベルで高まっているのだ。

 —————第一位、ナイトレイヴンカレッジ!

 一拍分の間を置いて、観客席内外問わずワッと歓声が上がる。見れば少し離れたところで運営担当として警邏していた教職員達も一堂に両手を挙げて大喜びしているようだった。マジフトでは毎年負け続け、その連敗記録が九十九年目になったらしい去年。このVDCでも毎年辛辣を舐めさせられてきた事もあり、今回の快挙にナイトレイヴンカレッジではお祭り騒ぎとなっているようだ。
 隣に座るジャックくんも喜びが隠し切れない様子で尻尾をぶんぶんと振り回しながら、グッと小さくガッツポーズを見せている。ステージに立つマブトリオなんて小さな円陣を組んで跳ね回っていた。すぐにアルアジーム寮長と彼に巻き込まれる形でバイパー先輩も加わる事になり、最後は揃ってシェーンハイト寮長へと抱き着きに行っている。ちょっと、と文句を溢しながらも、シェーンハイト寮長も漸く得る事が出来た一番に嬉しそうに破顔していた。


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 祝勝会をやろう、と声を上げたのは誰だったか。分からないが、普段から昼時を中心に賑わいを見せる食堂が、それ以上の熱気を包ませながらドンチャン騒ぎを生み出していた。
 設営の片付けやら事務処理やらを終わらせ、本来なら疲労から各自順次解散となる筈であったのだが、かのロイヤルソードアカデミーを打ち負かした事は、彼等のそんな疲労感など無に帰すほどの威力を持っていたらしい。お蔭でさっさと自室へと戻ろうとしていた私は、クルーウェル先生に首根っこを掴まれて食堂のキッチンスペースへと放り込まれる羽目になった。

 「バイト代は弾む。文句はないだろう?」
 「いや文句しかありませんが…?」

 いくらバイト代が弾むと言え、ヤル気の無かった手伝いに駆り出される身にもなってもらいたい処だが、本日の業務は終わり、と言わんばかりに、シャンパンのコルクを高らかに打ち上げる教師陣を前では、何を言っても暖簾に腕押しである。致し方なく、忙しなく動き回るゴーストシェフ達に確認を取りながら、手近にあった食材を引っ掴んだ。


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 無心で包丁を握り鍋を振い、洗い物をして暫く。漸く一段落ついたところで、優しいゴーストシェフ達から、休憩と食事に行っておいで、とお赦しを頂いた。有難くエプロンを外し、すっかり食い荒らされて殆ど残飯のようになっているバイキングコーナーから、幾らか皿に取り分けて、なるべく盛り上がりの小さい端の席へと腰を下ろした。
 すっかり冷めてしまっているグラタンを突きながら、溜息を一つ。本音を言うならば、もう部屋に戻って寝たい気分である。最後の最後で死ぬほど疲れた。バイト代は弾むとクルーウェル先生は言っていたが、並みの給料では割に合わないので、金額如何によっては絶対交渉してやろう、と沸々と軽い怒りに苛まれている時、ふと対面に座る気配を感じて、視線を皿からその人物へと持ち上げる。

 「よぉ、お手柄だったみてぇじゃねぇか。」
 「どうも。お手柄とは?」
 「今年のVDC、詳細を調べたところRSAの連中とは一票差だったんだと。で、カイワレ大根が調べたら、どうにも最後に票を入れた一票が決め手らしい。トカゲ野郎のな。」

 あいつに操作手順を教えたのは、お前だと聞いたぜ。愉しそうに口許を吊り上げて、何時もの様に鼻で笑うキングスカラー寮長に、はあ、と対して興味のない相槌を返す。ドラコニア寮長の一票が決め手だとか、今回の優勝結果とか割と自分の中ではどうでも良い事だったのだ。そんな私の心情を察したのだろう。冷てぇ奴だな、とキングスカラー寮長は肩を竦めた。貴方自身も、左程興味が無かろうに。
 それ以上は特に何も語る事も無く、皿の上の料理の消費に努める。キングスカラー寮長も早々に他の席へと移るかと思ったが、意外にも口を開く事は無かったが、その場を動く事も無かった。チラリと視線だけ伺えば、何がそんなに楽しいのか、相変わらずその口許は緩く弧を描いていた。

 「ヴィルから聞いた。アイツ、オーバーブロットする寸前だったところを、あの草食動物のお蔭で踏みとどまったってな。」
 「そうですか。」
 「どうせお前も現場に居合わせたんだろ。その時。」
 「…私は何もしていませんよ。」
 「当たり前だろうが。お前は俺のモンだ。他所に尻尾振られちゃ堪んねぇ。」
 「はあ?」
 「元の世界への帰還が難しいなら、卒業後は夕焼けの草原に来い。お前程の有能な奴なら、特別に俺の側近にしてやってもいい。精々扱き使ってやるぞ?」
 「…御冗談を。誰かに仕える気も、指図を受けるのも真っ平御免です。」
 「アァ?お前、軍隊に所属していたんじゃねぇのか。」
 「…後にも先にも、私を使って良い人間は、一人だけで十分です。」

 不屈の体現者であるキングスカラー寮長を通して、シルバーホワイトの揺らめく後姿を思い浮かべる。理不尽極まりない自分勝手な男。それでも、確かにあの人は私の上司だった。
 連れねぇな。ガルッと威嚇するように小さく吠えたキングスカラー寮長の言葉に、思考が現実に引き戻され、シルバーホワイトの揺らぎは搔き消される。聡いこの人の事だ。きっと今仕方、彼を通して別の人間を思い浮かべていた事など、当に察しているのだろう。

 「そんなにソイツの下は居心地が良かったのか。」
 「…どうでしょうね。随分と自分勝手な人だったので、何とも。」
 「戻れたら、復帰するつもりか。」
 「その時になってみなければ何とも。まあ予想では、とうに殉職扱いだの、退役扱いだのになっていると思いますけど。」
 「アン?」
 「時間の流れが同じとすると、数か月間も無断欠勤で、しかも連絡がつかず行方知らずですよ。普通なら即刻首でしょう。」
 「アァ、確かにな。なら、猶の事こっちに残りゃ良いじゃねぇか。」
 「軽々しく言ってくれますね。」
 「お前は順応性が高い。知性も高い。生存本能が強い。確かにお前にとっちゃ、此処は異世界化もしれねぇが、存外逞しく生き残れると思うぜ。」

 俺の隣であれば、猶の事な。まだ諦めている様子もないキングスカラー寮長には、お馴染みのスルースキルで受け流す。どういう経緯で此方に迷い込んだか不明な現状、帰還方法もその可能性も不明瞭だ。仮に彼の言う通り、この世界に骨を埋める覚悟で定職に就いた処で、また予想もしない状態で向こうに帰されるかも分からない。
 瞬間、ザワリと揺らぐ感情に、自嘲の溜息を一つ。突然の別れに不安を抱くなど、寂しいと、怖いと感じるなど。ああ、今更ではあるが、やはり私は自分が想像しているよりも遥かに深く、この世界に入り込んでしまっているようだ。
 送った視線の先、賑やかに笑って食事を楽しむ六名と一匹の姿を捉え、穢れを知らない純真な姿が眩くて少し眼が眩んだような気がした。