28

 ブッチ先輩に引き連れられてやって来た学園長とユウちゃん、そして同席してきたクルーウェル先生とトレイン先生に、先程の一件を分かる範囲で詳細に報告した結果、ユウちゃんは純粋に驚きを露に、他三名の教員達はふむ、と何かを思案するように顎に手を添えていた。
 証拠となる文通のメモを見せれば、これがケムリンの字、とユウちゃんが少し感動したように眼を輝かせていたが、今はそういう状況ではないので悪いがスルーさせてもらい、グッと私の腕を握るジャックくんの手の力が強まった事で、とうとうスルーしきれないのだと、諦めて視線を彼へと向けた。

 「…ジャックくん。現状で帰る手立ては確立していないから、まだ帰らないよ。」
 「確立したら帰るのか。」
 「していない以上、何とも言えない。」
 「…俺を、置いて。」

 またその言葉。何と説得するのが一番有効なのか頭を悩ませる私に対し、ユウちゃんが、エーデュースと同じこと言ってるねぇ、と苦笑を溢した。
 ブッチ先輩が彼女を呼びに行った時、偶々クルーウェル先生と薬学室に同席していたハーツラビュルコンビもざっくりとであるが、概要を聞いたようだ。その途端、今のジャックくんのようにハイライトを迷子にさせながら、俺達を置いて元の世界に帰るのか、と縋られてしまったらしい。私達愛されっ子だからなぁ、と苦笑こそ溢しつつも、不穏な気配に関しては全面スルーのユウちゃんは、分かっていてこの反応なのか、肝心な危機管理が鈍感なのか、果たしてどちらなのだろうか。

 「…草食動物、いや、ユウ。お前、事の次第をきちんと理解しているのか?」
 「レオナ先輩?」
 「ハーツラビュルの一年坊主共がそういう反応をする、本当の意味だよ。」
 「もちろん。だって此処はNRCですよ?自分が欲しいと思ったものは、あの手この手で掠め取ろうとする事に関しては、馬鹿みたいに頭が働くし狡賢いじゃないですか。」
 「…その通りなんスけど、そう面と向かって言い切られると複雑っスね…」
 「エースとデュースの感情の重たさなんて、当の昔に気付いていますよ。それでも傍にいると決めたのは、私の意志です。」
 「…つまり、お前は此処に残るって事か。」
 「ん〜。そもそも、私も此処に呼ばれた以上、此処の生徒達と同じ性質があるって事ですよね?聞いた話だけでの判断になりますけど、少なくともRSAってタイプじゃないですし。」

 つまり私も、欲しいものを手に入れるために労力も時間も惜しまない、皆さんと同じ性質って事ですよ。なんて事の無い様子でニパっと笑うユウちゃんの、その言葉の真理を量り兼ねているのだろう。眉根に皺を寄せるキングスカラー寮長に対し、ユウちゃんは特に怯む事も無く、そもそも何でどちらか一つだけを選ばなきゃいけないんですか、と続けた。
 私は、元の世界も此方の世界も諦める気は更々ありません。だって此処はNRC。優秀な魔法士の卵達が集う場所。当然、そこで教鞭を振う教職員も一流の大魔法士達。

 「優秀で賢く、すごーい魔法士の皆さんなら、私の世界と此方の世界を繋いで簡単に行き来させる方法くらい、直ぐに生み出してくれるでしょう?」
 「…ハッ!随分と言うようになったじゃねぇか。」

 わざと煽るような調子で悪い笑みを浮かべるユウちゃんに、漸く合点が言ったと笑うキングスカラー寮長も同じく悪い顔をしている。マブ程では無いが、この人も彼女を妹分の様に可愛がっているし、その気になればサバナクロー寮へ転寮させる気もバリバリあるような男なのだ。
 相変わらず、無茶なことを言ってくれますねぇ。溜息を溢しながらも口許に弧を描く学園長も、彼女の言った優秀な大魔法士というワードに気を良くしているのだろう。まあ、私優しいので。行き来できる方法くらい直ぐに見つけ出してみせますよ、と胸を張っていた。

 「先ずはこの鏡だな。リツが触れた時に発光すると聞いたが、仔犬、お前が触れたらどうなるかやってみろ。」
 「はーい。」

 念のため、とクルーウェル先生、トレイン先生両名のガチガチな防御魔法をかけてもらったユウちゃんが、件の鏡に右手で触れる。途端、私の時と同じようにパッと一瞬発光したかと思えば、光は直ぐに収束した。代わりに、それまで此方を反射していた筈のガラス面がユラリと歪み、見覚えのない景色を映し出す。
 これは。驚いたように眼を見開くトレイン先生に対し、ユウちゃんは見覚えがあるのか、これ自宅のリビングだ、とポツリと溢した。自宅のリビング。つまり、ユウちゃんの世界と鏡を隔てて繋がったという事。

 「仔犬、間違いないか。」
 「間違いないです。多分位置的に、リビングの壁掛けの鏡に繋がったんだと思います。でも、りっちゃんの言う通りこっちから向こうへは通り抜けられないみたい…あ!」
 「あの女性は?」
 「お母さんだ!」

 お母さん、と鏡を叩いてアピールするユウちゃんに、フレームインした向こうの女性も此方に気付いたようで、驚いたように眼を見開いていた。何かを話しているようだが、声は届かない。パクパクと口の動きから、恐らく、ユウ?と驚いた様子で彼女の名前を呼んでいるのだと察する。
 声が聞こえず、此方からも通らず。しかし視界はお互い共有されているらしい。そこまで察したトレイン先生が、ボードとペンを魔法で生み出し、何か会話を試みてみなさい、とユウちゃんへ手渡した。

 『お母さん、見えている?』
 『ええ、見えているわ。ユウ、無事なのね?』
 『大丈夫だよ。みんないい人ばっかりで助けてもらっているから。』
 『そう、良かった。いつ頃帰れそう?』
 『分かんない。この鏡も、今日初めてそっちに通じたから。』
 『そう。まあ仕方ないわね。此方の事は気にせず、無茶だけはしないでね。』
 『うん。』

 ユウちゃんがボードを掲げた事で、向こうも状況を察してくれたのだろう。スケッチブックに同じく筆談で返す女性———ユウちゃんの母親は、やけに落ち着いた様子でユウちゃんへ笑いかけ、周囲にいる我々へと丁寧な会釈を返してくれた。
 それからトレイン先生も混じって幾つか筆談を重ね、最後の『ユウをお願いします。』という彼女の筆談に強く頷き返してから、ユウちゃんは手を振りつつ、そっと鏡から手を離した。途端に力を無くしたように鏡は大人しくなる。試しにもう一度彼女がガラスに触れた処、先程と同じ反応を見せたため、この辺りも私と条件が重なっている事が判明した。

 「これで、この鏡に不思議な力が宿っている事が判明しましたね。キングスカラーくん。この鏡は何所で?」
 「…少なくとも、俺が入学した時には既に此処にあった。だがこれまでこんな事は起こった事がねぇな。」
 「ふむ…見た処、随分と年季も入っているようですしねぇ。異世界を繋ぐ魔道具、ですか…」
 「…もしかして、付喪的なアレかな?」
 「ツクモ?」
 「何十年、何百年と大事にされたモノには魂が宿るとされ、そのモノに宿った魂を『付喪神』と呼ぶんです。だから、この鏡もそういうものかなって。」
 「精霊みたいなものでしょうか。これまでサバナクロー寮で問題になっていないという事は、異世界に所縁のある者にのみ反応するのでしょうか。」

 そう言いつつ鏡にペタッと触れる学園長だが、鏡は特に反応を示さない。もしかしたらこの鏡自体が、異世界から流れついてきたものなのかも?特に根拠は無いのだろうが、そう考察するユウちゃんの考えは強ち間違いとも言い切れないようで、教員三名も、そうかもしれない、と議論を重ねていた。
 共通している事柄は、異世界に所縁のある者が触れると、その世界のその者の馴染みが深い場所、或いは人へと繋がること、声は聞こえないが筆談は可能であること。此方からは繋がった世界へは通り抜けられないこと。相違点としては、ユウちゃんはビデオ通話の様に、鏡越しに互いの世界を映しだしていたが、私は向こうから此方の世界に僅かながら干渉してきた点。

 「ビデオ通話と生身が登場するの、違いは何だろうね?」
 「…ユウちゃんの生まれ育った場所は、和ノ国に文化圏が近いと言っていたね。恐らくだが、『鏡』が持つ役割の共通認識の差だと思う。」
 「共通認識?」
 「古来、和ノ国では鏡を通して、遠方にいる誰かと会話を行う事が出来る預言者や呪術者がいるとされてきた。つまり鏡はビデオ通話と同義的な役割を持っている認識がある。対して私の世界の多くは、通話をする際、或いは映像を映し出す際、専ら使用されるのは電伝虫だ。その辺の認識の違いが、世界への干渉の違いに繋がったのかもしれない。」
 「成程!確かに私の世界も、昔の人は鏡で占いや予言をしていたって聞いた事があるよ!」
 「グッボーイ。いい考察だな。」
 「やはりユウの世界は、此方の極東地域の文化圏に似ているようだ。この辺りの類似点も非常に興味深い。」

 感心するように頷く教員達の反応を見るに、この考察に不整合は無いのだろう。まあ此処まで考察を重ねておきながら、実は我が上司のガッツによるもの、とかだったら笑うが。冗談交じりに溢した私の呟きに、ユウちゃんも、ケムリンならあり得そう、と同じく笑みを溢した。
 とりあえず今後の方針は、この鏡についての調査と、何度か互いの世界と交流を重ねる事で縁を深め、繋がりを強化することで一旦落ち着いた。あれだけハイライトを飛ばして、不穏な空気を漂わせていたジャックくんも、取り合えず直ぐに永遠の別れどうこうになる危険性は、極めて低いと納得してくれたようで、徐々にハイライトを取り戻していた。

 「そう言えば、貴女のお母様、随分と落ち着いていたけれど、こういった事象はよくあるのかい?」
 「ないない。それこそ小説とか漫画とか空想上の話だけだよ。ただウチは特殊な家系らしくて、実を言うとお父さんもお母さんも、私と同じように異世界トリップ経験者なんだよね。」
 「え、」
 「そういう繋がり?時空の狭間?に落ちやすい体質らしくて、お父さんは平行世界の過去の日本で人理修復した経験があるし、お母さんは平行世界の未来の日本で歴史修正主義?と戦った経験があるんだって。でも、世界そのものがまるで違うところに落っこちたのは、私が初めてみたい。」
 「…そう。」

 因みに体質云々は、そのトリップ先で出逢った神様達から聞いた話だってお父さんとお母さんが言っていた、と何て事の無い様に笑うユウちゃんに、世界とは本当に広いんだな、と深くは考えないようした。最初こそ興味津々で聞いていたトレイン先生も、最終的に生温かい笑みでユウちゃんの頭を撫でていたので、つまりそういう事深く考えるなである。