06

 大きなハート形の首輪を引っかける、斬新なファッションのトラッポラくんが、この学園で最も華奢、かつ筋力面でも弱いだろうユウちゃんに、首根っこを掴まれて引き摺られる、というある意味衝撃的な現場に遭遇してしまい、思わず三度見ほどしてしまった。彼等の少し後ろを震えながら黙ってトボトボとついていくスペードくんと、そんなスペードくんのブレザーの中に、同じく身を震わせながら縮こまるグリムくんへ、何事、と思わず声をかけてしまったのは仕方がないだろう。
 事情を聴いたところ、トラッポラくんが昨夜、寮のキッチンに保存していたタルトを一切れ、無断でつまみ食いをしてしまい、その罰として寮長であるリドル・ローズハートのユニーク魔法の首輪をかけられる事となった。不貞腐れた彼が、そのままの勢いでオンボロ寮へと逃げ込んだところ、事情を聴いたユウちゃんもこれに激怒、今からローズハート寮長へ謝罪に向かうところ、らしい。この短い付き合いでも、彼女がどれだけ食に対して強い意識を持っているか知っている身としては、完全に地雷を踏んだな、という感想しか思い浮かばなかった。そもそもトラッポラくんの自業自得である。

 「あんなにたくさんあったから、一切れくらいいいじゃんって思ったんだよ…!」
 「じゃあ、エースが週末に大事に食べようと取っておいたチェリーパイを、デュースがいっぱいあったし中々食べないから一切れくらい良いかな、って食べたらどう思う?」
 「控えめに言ってぶち転がす。」
 「つまりそういう事だよ。無許可で人のものをつまみ食いしておきながら、ちょっとくらい良いじゃんとか開き直るその精神が全く理解できない。人として最低だと思う。人間以下の畜生じゃん。」
 「ちく…っ!?」
 「…こんな感じで、昨夜からずっと怒られているらしくてな…」
 「ぶなぁ…食いモンの事になると、めちゃくちゃ怖いんだゾ…」

 私の世界のお国柄として、恩は倍に、仇は百倍にして返すって決まりがあってね。特に食に関する恨みは、末代まで呪われても文句は言えないほど重罪だよ。普段の朗らかな柔い笑みは何所へ行ったと謂わんばかりに、表情のすべてを削ぎ落し、双眸のハイライトを消した彼女の言葉は、恐らく大分偏見に満ちているのだろうが、確実に彼女の地雷であり、逆鱗である事を物語っている。哀れトラッポラ。助けを求める相手を誤ったのだ。
 罰として魔法が使えなくなる首輪を嵌められ、つまみ食いしたタルトの代わりを用意するよう厳命されたらしいトラッポラくんは、何とかスペードくんを巻き込み、ユウちゃんに怒られながらも助力を求め、心優しい先輩のアドバイスの元、お詫びのマロンタルトを作る予定なのだとか。今正に温室の傍に生えていた栗の収穫へ向かう最中だったらしい。

 「よりにもよって、エースがつまみ食いしたタルトは、次の何でもない日のパーティーに出す予定のものだったんだ。だから代わりのものを用意しないといけなくなって。」
 「それってつまり、つまみ食いせずとも、当日を待てば食べられたものだったって事じゃないのかい?」
 「その通りだ。」
 「きみ、つくづくお馬鹿だね。」
 「だってあの時めちゃくちゃ美味しそうに見えたから…!」
 「考えることが最早畜生以下で草も生えないね。」
 「さっきからユウがめっちゃ辛辣!!ごめんて!!」
 「謝るのは私にじゃないでしょう!」
 「ごめんなさい!ちゃんと詫びのマロンタルト作って寮長に土下座します!!」
 「…何でもない日のティーパーティーって、確かマロンタルトは厳禁じゃなかった?」
 「「「え?」」」

 部内の先輩が八百十条もある法律に関して話しているのを聞き、何となく興味で法律書を読んだことがあったが、意味不明な決まりも多く、流石は異世界、と無理やりに納得した事を思い出す。あの時、図書館にて分厚い法律書をパラパラと捲った際、確かそんな記述があった筈。五百何条かに。その事を伝えれば、他寮生であるユウちゃんは当然のこと、まだ入学して日の浅いハーツラビュル寮生二名も知らなかったのか驚きを露にしていた。
 え、でもトレイ先輩がマロンタルトを提案していたよな?もしかして先輩も知らない?トラッポラくんの呟きを拾ったスペードくんは、慌てて件の先輩へと連絡を取ったらしく、電話越しからも驚いた声が漏れ聞こえてきた。

 「リツがいなかったら、ローズハート寮長を更に怒らせる事になっていた…!」
 「りっちゃん、八百十条もある法律全部覚えているの?」
 「流石にそれは。ただこの間気になって、図書館で法律書をサラッと流し読みしたんだ。その時に印象に残った幾つかを偶々覚えていただけ。」
 「偶々でも凄くね?俺ハーツラビュル生だけど全然覚えられる気がしねぇもん。」

 寮のキッチンで待機していたクローバー先輩も、一旦此方に合流する事で話が纏まったらしく、じゃあ後は頑張れ、とその場を後にしようと思った足は、両サイドからガシッと掴まれた四本の腕に邪魔される。視線を左右にそれぞれ向ければ、左側にスペードくんが、右側にユウちゃんがそれぞれ逃がすまいとしがみ付いていた。
 りっちゃんも一緒にタルト作ろう。また法律に反するかもしれないし、何よりクローバー先輩から逃がすなって言われているから、悪いが此処にいてもらうぞ。それぞれ引き留める理由を端的に告げて、梃子でも動かないと謂わんばかりに体重をかけて来る。嘘だろ、と思わず遠い目をした私に、地面に転がされていたトラッポラくんだけが同情の視線を寄越した。元はと言えばすべて君の所為なんだが。


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 俺でさえ忘れていた法律を知っているなんて、流石だな。純粋に誉めてくれているのか遠回しの嫌味なのか、イマイチ掴めない笑みで、そう口を開いたクローバー先輩に連行され、何故か現在温室の一角にいる。部活で間借りしているそこには、私が育てたフルーツがたわわに実っていた。

 「マロンタルトがダメとなると、フルーツタルトが無難だよなぁ。というわけだから、幾つか譲ってくれないか?勿論、対価は払うぞ?」
 「因みに断る選択肢は、」
 「対価は払うぞ?」
 「…」

 実質イエス以外の答えは受け付けないという意思表示を真正面から受け、これ以上否定し続けても平行線だと早々に察し、大人しく良い感じに熟したフルーツを幾つか収穫する。イチゴ、マスカット、グレープ、ナシの四種ばかり。そこに購買部で購入したピーチとキウイも加えた贅沢フルーツタルトらしい。
 フルーツがいっぱい…フルーツだけじゃなくてお野菜も何かいっぱいある、と家庭菜園の域を最近超えてきている一角を見ながら、ユウちゃんは呆けたようにポツリと呟いた。学園長から援助をしてもらっているとはいえ、あの性格から何かにつけて因縁を来るだろう事は、簡単に予想出来たので、早々にあの男の扶養から外れるべく、こうして自給自足を始めたのがきっかけ。事実これらの収穫物で食費を賄ったり、他者へ売ったりなど臨時収入の貴重な糧ともなっている。最近は此処に、これらの成果の論文を提出、また食堂での雑用というか短時間バイトもしているので貯金は結構な額になりつつある。利害の一致や等価交換、対価等を重視する価値観が根強いこの学園は、正当な労働等に対して正当な評価をしてくれるから、割とその気になれば、学外に出ずとも収入が見込めるのだと最近気付いた。

 「まあ、対価というか、普通に買い取ってくれればいいですよ。」
 「じゃあ有難く。後で纏めて支払うな。あ、タルト作りに協力してくれたら、その分のバイト代も出すぞ?」
 「…まあ、いいでしょう。」
 「え、俺は!?」
 「元はと言えば、エースの自業自得なのに何で時給が発生すると思ったの?ねえ何で??」
 「すみません!」

 ちょくちょくハイライトと表情が消えるユウちゃんを横目に、早速収穫したフルーツを抱えハーツラビュル寮へと向かう。キッチン設備が充実しているため、寮内のキッチンが一番適していると判断した結果である。


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 完成したフルーツタルトに、キラキラと目を輝かせるユウちゃん達と、そんな彼女等へ出来立ての切り分けたタルトを差し出したクローバー先輩は、それにしても、と口を開いた。

 「前々から料理上手だとは思っていたが、まさか菓子作りもこなすとはな。」
 「流石にスイーツは、レシピが無いと厳しいです。」
 「クリームから生地作り、整形から片付けまで、正に痒いところに手が届くって感じで助かったよ。今からでもハーツラビュルに転寮しないか?歓迎するぞ?」
 「八百十条もある不思議ルールに一々従うの、無理なんで遠慮します。」
 「はは。慣れれば案外楽しい事も多いぞ?」
 「結構です。」

 ワーワーキャーキャー歓声を上げながら、出来立ての贅沢フルーツタルトを頬張る一年組をBGMに、軽口のようでいて、割と目が本気と書いてマジと読む状態だったクローバー先輩から視線を逸らす。弱肉強食をモットーとするサバナクローにある程度慣れると、規律やらに縛られる生活は億劫に思えてくるのだ。規律の塊である海軍に所属しておきながら何を言っているんだ、という感じだが。
 後日、何でもない日のパーティーで、詫び品として提供したこのフルーツタルトは、寮長だけでなく他の寮生にも大変好評だったらしく、またユウちゃんに丁寧な謝罪方法土下座を仕込まれたトラッポラくんも、何とかお赦しを頂き、奇抜なファッションと化していた首輪も無事に外してもらえたらしい。その際、贅沢なフルーツタルトに目を輝かせたローズハート寮長が、ポロっと自身の闇を溢したらしく、朗らかで寛容な反面、割とズバッと鋭い一面も持つユウちゃんにカウンセリング(無自覚)をされた事で、それまでの暴君とは打って変わって随分と柔らかいローズハート寮長へと転換したとか何とか。
 それもこれもユウとリツのお蔭だ、と丁寧にフルーツ代とバイト代、そして彼の手作りだというチョコチップクッキーを添えて報告してくれたクローバー先輩へ、そうですか、と当たり障りのない一言を返すだけに留めた。さり気無く同封されていた転寮届は、当然その場で燃やし尽くしたが。だから転寮しないって言ってんだろ。余談だがチョコチップクッキーは、部屋に戻りハウルくんと仲良く半分こしながら美味しくいただいた。