07

 以前、我等が寮長から余裕で逃げ遂せた出来事があった。何故そんな出来事を今思い出したかと言うと、現在、怠惰で無関心な我等が寮長———レオナ・キングスカラーを筆頭に、談話室にて来るマジフト大会に関する作戦会議が開かれているからである。
 去年と一昨年は、ディアソムニア寮に初戦で当たった事もあり、『若様』ことマレウス・ドラコニアの圧倒的なパワーを前に初戦敗退という、サバナクローとしては辛辣以外何物でもない思いをさせられたらしい。今年こそは、どんな手を使ってでも優勝する。そう息巻いていた彼等の前に現れた私。つまるところ。

 「リツ。テメェは問答無用でスタメン入りだ。拒否権はねぇ。」
 「はあ。」
 「大会前に色々と工作してやろうかとも思ったが、気が変わった。テメェならあのムカつくトカゲ野郎にも対抗できるだろ。反則取ってもいいから徹底的に潰せ。」
 「…はあ。」

 我が寮のボスであるキングスカラー寮長との攻防戦に関しては、既に寮内に広く知れ渡っているらしく、またボスである寮長が、私という存在をある程度認めている事も相まって、一年生でありながら大会のスタメン、それも主軸に組み込まれることに対して、表立って不平不満を溢す者はいなかった。マジフトというものがどんな競技か、実際のプレーをしっかりと見た事は無いが、紙面や普段のサバナクローの練習を見ているため、ある程度把握している。一つのディスクを巡ったチームプレイ戦。サバナクローは長年このスポーツに力を入れており、毎年多くのプロ選手を輩出しているとか何とか。それがドラコニア寮長によって初戦敗退を連発してしまい、その道に大きな陰りが出来ているとか何とか。今年こそ汚名返上を果たさなければならない云々。要は長年のプライドのために、絶対に敗けられない大会らしい。
 すげぇじゃねぇか。同じく一年生でありながらスタメンに選ばれたハウルくんの称賛を受けつつ、早速明日から自主練及び寮全体での練習を行う、という寮長の締めくくりを最後に、その日の作戦会議は終了となった。ところで画策していたらしい大会前の工作って何なのだろうか。何となしに零れた疑問に対して、随分と悪い笑みを寮長、及びブッチ先輩に返されたので大人しく口を噤んだ。スルースキルが物をいうこの学園。触らぬ神に祟りなし。余計な詮索も控えるべきなのだ。


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 迎えた当日。当学園のマジフト大会は、サバナクロー寮からほぼ毎年プロ選手が輩出さえる通り、父兄だけでなくプロチームのマネージャーや監督、近隣住民や根強いファンもいるくらいには、大規模なイベントらしい。サイドストリートに立ち並ぶ露店も、観客席も多くの人で溢れかえる程度には。
 そして今年も何の因果か、初戦はディアソムニア寮。事前の寮長会議でマレウス・ドラコニアは、殿堂入り扱いにするか、という意見も出たらしいが、我等が寮長はそれを頑なに拒否。真っ向からぶつかって真正面から叩き潰す。そう決意を露にしたらしい。普段怠惰で狡猾な一面も強いというのに、変なところで真っすぐというか。難しいお年頃、というやつなのかもしれない。何せまだ十八年と七百三十日の少年だからね。

 「良いか。今年こそあのお高く纏った連中を地べたに這いつくばらせるぞ!」

 激励とは絶対に言えない、何とも言えない寮長の一言に、スタメンだけでなく寮全体でオウと全力で応える。圧倒的な魔力でもって、此方を潰しに来るドラコニア寮長を止めるのが、私のメインミッション。そもそもドラコニア寮長の実力を体感していないから、出来るか否かも分からないのだが。しかし我等が寮長に殺れと言われればやるしかなく。
 気合十分なハウルくんと並んで入場し、事前の作戦で取り決めていたフォーメーションを取りながら箒に跨った。正確には箒の上に乗った。跨ると細くて固い柄が食い込んで痛いし、逆にバランス取りにくいから。図らずしも寮長と同じ乗り方になってしまったが他意はない。
 相手側の先陣を切るのは、やはりドラコニア寮長本人。ジグボルトくんも参加するのかと思っていたが、どうやらディアソムニア寮は、三年生を中心にメンツを固めているらしい。その誰もが自分達が勝利する未来しか描いていないらしく、余裕に満ちた表情すら浮かべている。
 試合開始を告げる高らかに鳴り響いたブザーと共に、ディスクが打ち上げられる。先手を取ったのは当然ながらディアソムニア寮。ディスクは早々にドラコニア寮長へとパスされ、彼のマジカルペンが振り下ろされる———その直前に。

 「!」
 「…まあ、与えられた仕事くらいは、こなしますよ。」

 急加速でドラコニア寮長へ接近し、魔法で浮かばせていたディスクを弾く。予備動作の殆どないそれは、相手の出鼻を挫くにはもってこいで、すぐさま弾いたディスクを敵陣へと乗り込んだ仲間へパスする。しかしドラコニア寮長がその程度で狼狽えるわけもなく、すぐにディスクを取り返そうとマジカルペンを振ってウォーターショットを放ったが、それが味方チームの手元に届く前に防衛魔法で弾き飛ばした。
 二度に渡りあのドラコニア寮長の攻撃を弾いたという事実に、ディアソムニア寮の他の選手は驚きと狼狽を隠しきれなかったようで、動きもそれに比例する如くかなり鈍い。その隙を自チームが見逃すわけもなく。キングスカラー寮長自らの手でディスクは容易く敵ゴールへと打ち込まれた。
 驚愕と興奮、感動を綯交ぜにしたような歓声がスタジアムを揺らす。去年、一昨年の大敗を知っている者達は驚きと称賛の声を、スピードプレーに魅入られた観戦客は感嘆の息を溢す。先制点は我等が寮長の手によって叩き込まれた事も、彼が有能で有名なマジフトプレイヤーである事も相まって、スタジアム全体が一気にこの試合へと吞み込まれていった———かと思いきや。

 「な…っ!?」
 「マジかよ…、」

 湧き上がっていた観客も、次の試合に控えていた他寮の選手達も、皆一様に水を打ったように一気に静まり返る。それまでの大歓声が遠い幻想だったように。先制点を取った事で流れを得ていた自チーム達も、昨年から参戦した者は絶望の色を浮かべ、今年が初戦の者は驚愕に目を見開いて固まる。
 試合再開のブザー音と共に放たれたディスクが、ドラコニア寮長の手によって、一直線に自陣のゴールへと叩き込まれたのだ。チームでフォーメーションを組んで襲ってきたのではない。ただ一人。圧倒的な力でもって、その場から魔法を放っただけで、小さく軽いディスクは瞬く間に自陣ゴールへと吸い込まれていった。

 「…クソが。」
 「これだよ…これがあるから嫌なんだ。どんなに努力しても、喰らいついても、アイツの一振りで全部ひっくり返る…」
 「こんな化け物相手に、どうやって勝てっていうんだよ…」

 それまでの期待とヤル気をすべて喪失したように俯き、肩を落とし、そうして絶望する自チームの選手達の声に、総大将であるキングスカラー寮長の眼にも諦念の色が浮かび始める。
 恐らく、彼はそれでも喰らいついたのだろう。圧倒的な力量差をむざむざと見せ付けられても、血反吐を吐く思いで、最後の一秒まで必死に喰らいつき、ディスクを追った。しかしその前に他のチームメイト達が折れてしまった。試合が終了する前に敗けを認め、諦めてしまった。だから勝てるものも何も無くなってしまった。それを二年。彼はこの戦場で味わい続けたのだろう。そこまで察して、自分が取る行動は一つ。

 「くだらないね。このスポーツはチーム戦だ。ただ一人、化け物がいたところで何になる。」
 「は…?」
 「リツ?」
 「そちらがその気ならば———同じものを返してやろう。マレウス・ドラコニア。」

 再度のブザーが鳴り、ディスクが此方へと放たれる。誰も動こうとしない自チームを放ってディスクを受け止めてから、敵チームのゴールに狙いを定めて一気に放つ。武装色を纏った指銃と風魔法を組み合わせた一撃。そのディスクの軌道を正しく目で追えた者は、恐らくこの場にはいないだろう。それは審判側も同様で、ディスクがゴールに入った証となるランプが点灯してもブザーが鳴る事はなかった。
 は、と息を殺すような気配を感じながら、珍しく両眼を見開き固まるドラコニア寮長を真っすぐ見据える。そちらが圧倒的な力で、チームプレイという概念を捨てて叩き潰してくるのならば、その倍で此方も叩き返すだけだ。言葉にする事はしなかったが、何かを察したのだろう、驚愕の色を見せながらも、その口許は愉しそうに僅かに吊り上がっていた。

 「…おい、リツ。今何をした?」
 「チームプレイを主軸とする神聖なスポーツに、チート技をブチかますクソ野郎がいたので、同じように返してやっただけです。あとたった一発で腑抜けるどこぞの負け犬猫さん達に現実を見せようかと。」
 「は、はははは!おい、負け猫ってのは俺の事か?あ?」
 「別にキングスカラー寮長とは言っていませんが、もしや心当たり等がおありで?」
 「上等だ。テメェ等!腑抜けてんじゃねぇ!このままあのお高く纏った奴等を叩き折るぞ!!」

 レオナ・キングスカラーという男は、本人の優秀さ、狡猾さを引いても圧倒的なカリスマセンスの持ち主なのだろう。あれだけ絶望と諦念、驚愕で一向に動きもしなかったチームメイト達の眼に、一斉に光が宿り出す。オウ、と短く、しかし太く勇ましく上がった応答がその証。対してディアソムニア寮の陣営は、筆頭のドラコニア寮長と恐らくその補佐を務めているのだろう、ヴァンジュール先輩だけが顔色を変えずに此方を見遣っているが、その後ろに控える三年生達は、驚愕や狼狽から戻ってこれていない。つまり、向こう側はマレウス・ドラコニアという圧倒的強者を主軸に置くどころか、彼のみにすべてを託しただけの烏合の衆。それが、この高難易度のチームプレイを要求されるスポーツにおいて適用されるかと問われれば、当然否なのだ。
 漸く現実を取り戻した観客や審判達も、慌てて試合再開のブザーと共に改めてディスクを放つ。それをディアソムニア寮の生徒が受け取り、現実を受け入れたくないのか、何も考えずに再度ドラコニア寮長へとパスしようと放ったが、当然そんな隙だらけのパスを、活気を取り戻した此方側が赦すわけもなく。

 「ジャックよく取った!回せ、回せ!!」
 「シシシ。敵は未だに現実を受け入れられていないみたいッスからね。一気に攻めるッスよ!」
 「リツ、トカゲ野郎をマークしろ!前衛はラギー、ジャックと一緒に雪崩れ込め。後衛は敵の牽制とリツのフォローに回れ!」

 司令塔であるキングスカラー寮長の的確な指示の下、それぞれが即座に動き出す。指揮系統がほぼ機能していないディアソムニア寮が、それを凌ぎ切れるわけもなく。慌てたようにディスクを取り戻そうと追いかけるが、巧みなパス回しで突き進む自チームを止められる者はいない。ただ一人を除いて。
 愉しげに細めていた切れ長の双眸を、鋭い視線へと変えてディスクを取り戻そうと動くドラコニア寮長を妨害すべく、フォローに入ってくれたチームメイトと共に行く手を塞ぐ。放たれた魔法を相殺し、弾き、防ぎ、駆け抜けようとする彼をピッタリとマークして。
 きっと、これまでのプレイにおいて、そこまで必死に喰いつかれた事が無かったのだろう。チームプレイを主とするスポーツで、あれだけ身勝手に、苛烈に大技を打ち出していた男だ。———付き纏ってくる蠅を叩き落とす事と、彼の中ではそう大差はないのだ。

 「ならぬ!マレウス!!」
 「っ、」
 「リツ!?」

 マレウス・ドラコニアを潰せと彼は言った。反則を取ってもいいから、徹底的に叩き落せと言った。だがラフプレー上等で姑息な手段を取ったところで、あの化け物じみた力を持つ大男を止める事は容易くない。軽々といなされ、そうしてこちらのファウル、反則として相手の得点やチャンスを与えるだけだ。
 そもマレウス・ドラコニアとは、無垢な幼子と中身はそう変わらないのだろう。その身に宿す圧倒的な魔力に逆らえる者はおらず、反発する者もおらず、彼が成す事すべてが意のままだった。誰にも構ってもらえず、対等になってくれず。学生というその身に籍を置いても、それは変わらず。それ故、敗北を知らない。諦念を、焦燥を知らない。
 —————だからこそ、その瞬間が来た時、彼が起こすだろう行動は予想出来た。
 その身に宿る力を普段よりも増大させ、何度も周囲に纏わり付く蠅を叩き落すが如く、握ったマジカルペンを一振りした男から放たれた一撃は、ディスクではなく妨害に入っていた私へと直接叩き込まれた。咄嗟に鉄塊を張り、箒から振り落とされ体勢を崩しても、勢いが留まる事の無い強い魔力によって生み出された水の塊が、フォローに入っていたチームメイトをも貫いてディスクへと襲う前に、武装色を纏わせた指銃で生み出したファイヤーショットを放つ。
 熱の塊が急激に冷やされた事で、ジュッという音を立てながら水蒸気を発生させる。眼前でその余波を受けたチームメイトが、咄嗟に風魔法で振り払わなければ、熱風にさらされていたかもしれない。そんな危険な状態。そして蒸発する前の水の塊を直撃された私は、当然ながら乗っていた箒から吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。
 —————これまで敗北も焦燥も、苛立ちすらも知らなかった強者が、その感情に支配された時、此方が反則スレスレの行動で潰すまでもなく、相手は勝手に自滅するだろう。
 私の予想は正しく、高らかに鳴り響いた笛の音と共に、主審の右手に持ったレッドカードが掲げられる。マレウス・ドラコニアの危険プレイによる退場宣言である。

 「我等が王様の、道を開けろ。」

 咄嗟の受け身で後頭部を打つ事は免れたが、強かに打った背中が軋み息が詰まる。驚愕の色を隠せぬまま、呆然と浮遊するドラコニア寮長を始めとしたディアソムニア寮へ、ポツリと溢した私の呟きは、キングスカラー寮長を始めチームメイトの耳に届いたようで。
 ハッ、と憎まれっ子のように鼻で笑った彼の顔は、泣き出しそうにくしゃりと歪んでいた。