08

 沈んでいた意識がフッと浮上し、少し重たい瞼を持ち上げる。視界に映る天井と、僅かに鼻に突く消毒液の臭いから、此処が医務室なのだろう事は早々に理解出来た。咄嗟に持ち上げようとした上体は、しかしピキリと痛む背中のダメージに、苦悶の声が口から零れるだけで言う事を聞かなかった。
 起きたか。不意に頭上にかけられた言葉に視線を向ければ、運動着姿のまま、心配そうに此方を覗き込むハウルくんの姿があり、直前の出来事を思い出す。あのドラコニア寮長の魔法を真正面から叩き込まれ、それなりの高さから転落したんだった。背中が痛むのもそれが理由か。未だ脊髄を駆け抜けるような痛みがあるも、体勢を変えながら、ハウルくんの補助を借りながら、何とか起き上がる事に成功した。

 「無理すんなよ。痛むだろ?」
 「ああ…こんな痛い思いをするのは久しぶりだ。ありがとう。」
 「…試合、勝ったぜ。そのまま一気に優勝した。」
 「そう。おめでとう。」
 「オウ…っつうか、お前も祝われる一人だろうが。何で他人事じみてんだよ。」
 「正直な話、優勝に左程興味はなかったからね。言われた仕事を熟しただけさ。」
 「…お前なぁ。レオナさんに聞かれたらド突かれるぞ。」

 その噂のキングスカラー寮長はと言えば、観戦に来たらしいご家族の対応に出ているとのこと。そう言えば我等が寮長は、どこぞの国の王族様だったか。そうなると普通の父兄への対応とは、別対応になっても致し方ない。そんなどうでも良いことを頭の片隅で思い出しつつ、ハウルくんから手渡された小瓶に視線を落とす。くだらない事を片隅で思い出しながらも聞いていた彼の説明によると、痛み止めと治療効果のある治癒薬とのこと。つまり魔法薬。短い期間とはいえ、魔法薬学や錬金術について学び、部活動もそれに密接に関わる分野であるため、この小瓶がどれほどの激臭と味を放つかを知っている。正直飲みたくない。
 保険医に言われているから、絶対飲めよ。私の心情を読み取ったのだろう。念を押してくるハウルくんに、諦めの溜息を吐いてから蓋を開けて一気に煽る。激臭と筆舌し難い強烈な味で咽る前にすべて胃へと流し込んだが、後味もかなり最悪のものだった。

 「まっず…、」
 「気持ちはわかる…ほら、口直しに飲め。」
 「ありがとう…」

 恐らく別で用意してくれたのだろうウォーターボトルを受け取り、口内や鼻腔の奥に残った激臭を誤魔化すために、何口にも分けて半分ほど飲み切る。漸く感覚が誤魔化せるようになったところで、キャップを閉じて枕とクッションでハウルくんが作ってくれた背凭れへと上体を倒した。
 ベッド脇のサイドチェアに腰を下ろしたハウルくんの話曰く、私が地面に叩き落とされた後、すぐに救護班によってこの医務室に運ばれ検査。フォローに入ってくれていたチームメイトは、自身の風魔法で咄嗟に熱風を凌いだので、特に怪我も無く無事、そして反則行為としてレッドカードを切られたドラコニア寮長は、その場で退場となった。立て続けにドラコニア寮長の攻撃を防がれ、喰らいつかれ、完全に戦意を削がれたディアソムニア寮は、要であるドラコニア寮長が退場したことも相まり、碌な反撃にも出られず、キングスカラー寮長の冷静な指揮下のサバナクロー寮に完敗。二年分のリベンジに成功したサバナクロー寮は、そのまま怒涛の勢いで続くスカラビア寮を打ち負かし、決勝のハーツラビュル寮も圧倒的な大差で叩きのめしたらしい。
 やっぱレオナさんの指揮は凄い、プレーだけじゃなくて司令塔としてのセンスも実力も抜群で、憧れだった一緒のチームでプレー出来たのが嬉しかった。そう興奮気味に語るハウルくんの聞き役に徹しながら、医務室の入口付近で留まる気配を探る。此方の様子を伺っているのか、入室を躊躇っているのか。嫌な気配では無かったため、未だ熱く語ろうとするハウルくんに一旦ストップをかけて入口へと声をかけた。

 「鍵はかかっていないですし、入室も自由です。入ってきたら如何ですか。」
 「…なんじゃ、バレておったんか。」
 「…リツ。」

 顔を覗かせたのは、花束を持ったヴァンジュール先輩と、何処か居心地の悪そうな様子のジグボルトくんだった。花束を持参して彼等が此処に来た理由は、言わずもがな。ハウルくんもそれを察して大人しく引き下がってくれた。
 此度は、ウチのマレウスがすまんかったのぉ。怪我は大事ないか?眉根を下げながら、ベッドに備え付けの簡易テーブルへと花束を置いたヴァンジュール先輩へ、問題無い事とドラコニア寮長に関しては気にしていない事を伝える。怪我の状態に関してはともかく、ドラコニア寮長に関しても何ともないという態度が、彼にとっては些か驚きだったようで、少し眼を見開いた後、また困ったように眉根を下げた。

 「これまで、あやつに真っ向から挑もうとした者がおらんかった故…少々はしゃぎ過ぎたようじゃ。ワシも直ぐに止められんかった。本人も深く反省しておる。」
 「気にしていないのでそれ以上はもう結構です。それより、ジグボルトくんは何でここに?」
 「若様に僅かとはいえ、ああして渡り合った事は誉めてやらんでもない。だが!最後のあれは何だ!!不敬だぞ!!!」
 「うるせぇ。」
 「…さいご?」
 「若様に対して、道を開けろだの何だのと言っていただろうが!」

 獣人族で聴覚に優れるハウルくんを慮ってか、少し声量を落としたジグボルトくんの言葉に、今度は此方が驚きで固まる事となった。誰に聞かせるわけでもなかったあの呟きを、あの場にいたプレイヤーでもなかったジグボルトくんが知っている理由は。
 ああ、すまん。ワシがつい教えちゃった。テヘペロ、という効果音が付きそうな、お茶目な顔でウインクをするヴァンジュール先輩に、納得する。つまり自分が敬愛して止まない『若様』への不遜な態度に対する、抗議と叱責が目的という事か。

 「それはすまない。どうやら私も少し昂っていたらしくてね。」
 「それとこれとは、」
 「仕方ないだろう。君にとって大事な『若様』であるように、彼は『我等が王様』なんだから。」
 「…サバナクロー生がボスとして認めている事は知っている。だがな、」
 「その辺にしておけセベク。それに本当に此処へ来た目的は、そんな事を言うためではないじゃろう?」
 「うっ、」
 「うん?」

 尚も文句を連ねようとするジグボルトくんを諫めたヴァンジュール先輩の顔は、先程のお茶目とはまたタイプの違う、悪戯心が含まれたもので。指摘を受けたジグボルトくんが、途端に顔を赤らめて言い淀んでしまった。本来の理由が別にある事は、会話内容から察する事が出来たので大人しくそれを待つも、しどろもどろになった彼から二の句が告がれる事はない。
 大事な友人が怪我をしたと、慌てていたおぬしは何所へ行ったんじゃろうなぁ?ニヤニヤと愉快に笑うヴァンジュール先輩と、更に顔を赤く染めるジグボルトくんの様子に、漸く合点がいく。隣で聞いていたハウルくんも納得したようで、だったら最初からそう言え、と呆れ交じりの溜息を吐いていた。

 「心配かけたようですまないね。それからありがとう。御覧の通り治癒薬も飲んだから、もう痛みもないよ。」
 「…先は、言い過ぎた。正当なプレーであった事に変わりないし、若様にあそこまで対抗出来るお前の実力は、評価に値すると、思う…」
 「良いプレーで観ていて楽しかったよってことかい?どうもありがとう。」
 「そこまでは…いや、うん。そうだな。また、見たいとも思うし、僕とも機会があったら勝負して欲しい。」
 「ああ、それは分かる。今度は味方じゃなくて勝負してぇな。」

 素直じゃない物言いに敢えて素直な意訳をしてやったが、否定する事もなく受け入れたジグボルトくんは少し意外だった。ヴァンジュール先輩も悪戯交じりの笑みから、キョトンと呆け顔に変わった事だし、これが常のジグボルトくんを知る者にとって、予想外過ぎる反応だった事は理解できる。そう周囲に思わせても良いという判断の下での先の発言であるならば、これ以上からかってやるのは酷だろう。敢えて素知らぬフリで、話に乗ったハウルくんと共に、話題をプレーの方へと逸らしていく。
 次第に目を輝かし出した二人から、そういえばあの一撃ゴールはどんな手を使ったんだ、と詰め寄られかけたが、持ち前のスルースキルで何とか乗り切った。武装色の指銃に風魔法を組み合わせました、なんて馬鹿正直に答えたら、そもそも武装色とは何だ、指銃は何だ、と更にややこしくなる事請け合いなので。スルースキルがすべてを解決する。