美貌に愛された乙女

 我が家の息子を婿に是非どうですか、いやいやウチの子を、いやいやいやウチの孫を、甥を、父を、と煩い分家共にほとほと嫌気がした。百歩譲って甥までは赦すが、父を進めてくる娘は何なんだ。娘であるお前がまず私の母と同年代なのだから、その父親ってなったら最早祖父と孫と言っても差し支えない歳の差だぞ。そんな憤りを覚えつつ、毎朝毎日毎夜お見合いコールをぶつけてくる連中から逃れたい一心で、ユウは両親へ長期旅行をしても良いかと打診した。爆速で許可が下りた。すぐさま愛する手持ちポケモン達とお出掛けの荷造りをして、従兄と従姉には、連絡したら更に事細かに確認される羽目になるだろう、と簡単に予想できたから、『もう疲れました。探さないで下さい。』と旅に出る理由と、心配しないでね、という想いを込めた一筆を残した。
 まだ夜も明けきらぬ黎明時。早くから道中のお弁当を作ってくれた母に感謝の言葉を伝え、気を付けて行って来いよ、と見送ってくれた父に手を振って、相棒であるカイリューの背に飛び乗る。何度もその背に乗って大空を羽搏いてきたユウにとって、飛び立つ際の風圧など何のその。可愛らしい鳴き声と共にあっという間に上昇したかと思えば、生まれ育った故郷のフスベシティは、瞬く間に小さな豆粒ほどの大きさとなった。
 さて、これから何処へ行こうか。段々寒くなってきたから、温暖なホウエンのリゾート地でのんびりしても良いし、何ならアローラでバカンスと洒落込むのも悪くない。何の予定も立てずに気の向くまま、流れに身を任せた一人旅。でも可愛い手持ちポケモン達と一緒だから寂しさなんて全くない。楽しい旅にしようね、と相棒の首筋を優しく撫でたユウは、可愛らしい返事を聞きつつ、地平線から顔を覗かせる朝日に目を細めるのだった。


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 ふなぁ!と可愛らしい声と共に視界が開き、暗闇にいた事で急激に差し込んだ光に一瞬目が眩んだ。直ぐに慣れた視界が、可愛らしい声を上げた張本人であろう存在を捉える。全体的に猫のようなフォルムで、耳に綺麗な蒼色の炎を灯す体長80センチほどの生き物。ユウは脳内で必死にポケモン図鑑を照合するも、眼前に浮かぶ生き物と合致するデータは見付けられなかった。つまりユウがまだ知らぬポケモン、或いは誰も発見に至っていない新種のポケモンだろうか。

 「ふな!?お前、何でもう起きているんだ?」
 「突然眩しい光が射し込んできたら、目が覚めるでしょ?」
 「それもそうか…。ふな!そんな事よりも、やいお前!俺様にその服寄越しやがれ!」
 「服…?」

 暫定:新種ポケモンの言葉を受けて、ユウは改めて自身を見下ろせば、旅に出た際に着用していた服とは全く異なる、顔ごとすっぽりと隠せてしまうようなフード付きのローブに身を纏っていた事に気付く。はて、と小首を傾げつつも、いい加減手狭な空間に籠っていたくなくて、それまでユウが入っていた箱のような空間から起き上がる。
 広がった視界に飛び込んできたのは、フワフワと浮遊する棺の数々。そして正面に大きな鏡。ユウが入っていた箱もまた棺だったようで、何時の間に私は死んだんだ、と全く見当違いな思考を巡らせていたが、無視するな!という暫定新種ポケモンの言葉に意識を戻す。此処は何処?とユウが尋ねれば、先程まで目を吊り上げて地団太を踏んで不満を露わにしていたはずの暫定新種ポケモンが、キョトン、と大きな双眸を丸くして首を傾げた。

 「オメーこの学園の新入生じゃねぇのか?」
 「学園?こんな不思議な儀式の間みたいなところがスクールなの?」
 「此処はナイトレイヴンカレッジ。大魔法士になるために人間達が学ぶところだって聞いたぞ!」
 「大魔法士…??」

 魔法とは、御伽噺やファンタジーゲーム等によく出てくるあの魔法であっているのだろうか。会話を重ねるたびに増えていく疑問に、ユウはますます首を傾げる。釣られるように対面にいる暫定新種ポケモンも、小さな身体で大きく首を傾げていた。可愛い、と思わずその喉元を指先でくすぐれば、一瞬ビクリと反応を示すも、直ぐに心地良いのかゴロゴロと喉を鳴らし始めた。ふなぁ、と零れた鳴き声は、聞き覚えが無くても恐らく心地良さを表現したものだ、と判断して、ユウは怖がらせないようにそっと下から掬い上げるように暫定新種ポケモンを持ち上げる。意外と重量のある体躯は短毛種のようで、自然界で生きてきた野生生物らしい、少しゴワゴワとした手触りの毛を痛くならないように丁寧に手櫛で梳けば、一層大きく喉を鳴らし、ユウの腕の中で暫定新種ポケモンは最も心地良い位置にモゾモゾと収まった。
 綺麗なお耳の炎を持つポケモンさん。お名前は?ユウの優しい問いかけと指先にすっかり気を許した暫定新種ポケモンは、ポケモンの意味は理解できずとも、グリムだぞ、と質問に答えるように名乗りを上げる。野生の暫定:新種ポケモン基グリムを抱えて、ユウは物珍しい光景に目を瞬かせながらも、此処が一体何処なのかを把握するために、薄暗い大広間を後にした。


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 長い廊下をゆっくりと歩きつつ、ドアプレートに掛けられた『図書室』や『救護室』、各教室と思われる部屋等を見つけ、此処がグリムの言う通りスクールである事を認識する。しかし図書室で見つけた世界地図の地形を見て、彼女は現在途方に暮れる心地でいた。眼前に広がる世界地図を何度見ても見覚えのない地形であるし、世界の地理が書かれた分厚い本をどんなに調べても、自身がよく知る地名が一つも載っていないのである。
 分厚い本から得た情報で、此処はツイステットワンダーランドと呼ばれる世界の賢者の島という地方に位置するらしい。周囲を海に囲まれた小さな島らしく、直ぐ近くの大陸には薔薇の国や奇跡の国、熱砂の国や夕焼けの草原と言った多くの地方で区切られているらしい。賢者の国や多くの国々がある大陸から大きく離れた場所にも小さめの島々が連なっているようで、かなり広大な世界である事が見て取れた。
 ユウが生まれ育った地球は、カイリューが約16時間で一周できる規模であるが、この世界は何時間かかるのだろうか。そんな少しずれた思考を巡らせていたユウと、すっかりユウのテクニシャンに陥落したグリムの背に声を掛けたのは、ペストマスクを着けた男———このナイトレイヴンカレッジの最高責任者である学園長、ディア・クロウリーであった。

 「もう、こんなところにいたんですね。探しましたよ!入学式はとうに始まっていますので、早くこちらへ来てください。」
 「…入学式?」
 「、え?女の子??」
 「はい??」

 入学した覚えのないスクールの入学式に早く参加しろと急かしてくる、恐らく教職員なのだろう男へユウが振り返れば、ペストマスクで表情は読み取り切れないが、唯一見える口許がポカンと開いている事から、何かに呆気にとられたのだろう事は理解出来た。自身が女である事がそんなに不思議なのだろうか、とユウが内心疑問を抱いている間に、気を取り直した男が、再度急かすようにユウの腕を引く。
 導かれるままに向かった先は、先程ユウが目覚めた大広間で、それまでズラリと浮遊していたはずの棺は無く、代わりにユウが身にまとっているローブと同じ物を着用した多くの人々、またその先頭に立つようにして様々な風貌の5名の青年、その青年よりも一回以上は歳上だろう男性数名が集っていた。突然の大群衆に思わず足を止めかけたユウだが、まったく気にしていないクロウリーに手を引かれている以上、それも叶わず大人しく大きな鏡の前まで足を進める事になった。

 『汝の名を唱えよ。』
 「何故?」
 「寮の振り分けをするためですよ。さあ、早くお名前を。」
 「…ユウ。」
 『汝は———わからぬ。全く魔力が見えない。よってどの寮にも相応しくない。』
 「何ですって!?」

 突然不思議な鏡に名前を教えろと言われたかと思えば、どの寮にも相応しくないと唐突なディスを受けて、ユウは、はあ、と曖昧な返事を溢すしか無かった。そもそも見覚えのない世界のスクールに入学した覚えもないので、どうやら全寮制らしいどの寮にも相応しくないのは当然なのでは?と、素直に鏡へ伝えれば、鏡の反応に驚愕していたクロウリーが再度驚きの声を上げる。入学した覚えがない!?あなた新入生じゃないんですか!?という言葉に、ユウは素直にイエスの意思を返した。
 どういうことだ、と声を上げたのは、訝し気にユウ達を観察していた一人の男性だった。モノクロの手触りのよさそうな毛皮コートに身を包んだその男性は、髪色もコートに合わせてかツートンカラーをかき上げており、クロウリーの、クルーウェル先生、という言葉に教員である事を知る。教師にしては随分とハイセンスなおしゃれさんだな、とユウはまたズレた感想を抱くが、言葉にしないため誰に指摘を受ける事もなくそのまま流れて行く。

 「この100年、魔力が無い新入生など聞いた事もありませんよ!」
 「新たな歴史を生み出しちゃったな。」
 「何を暢気なことを!闇の鏡、彼を今すぐ元の場所へ返してあげて下さい!」
 『…ない。その者の帰る場所は何処にも見つからない。無である。』
 「何ですってぇ!?」
 「まさかの『お前の居場所ねぇから』宣言。お見合いコールの次は新手の虐めですか。どうもありがとうございません。」
 「だぁから、貴方はさっきから何を暢気な事言っているんですか!!前代未聞の大問題ですよ!!」
 「大問題なのは、このスクール?学園?の方では??私はむしろ被害者では??」
 「俺様知っているぞ!こういうの、拉致監禁って言うんだぞ!」
 「まだ監禁はしていません!!」
 「まだ。」

 そもそも入学した覚えのない恐らく女の子で、更には学園の不手際で此処まで連れて来られ、挙句に家に帰してやることも出来ない。そして腕の中にいる魔獣の発言に対する学園長と呼ばれる男の返答。それらすべてを考慮した上で導き出された解答に、クルーウェルと呼ばれた美丈夫は、手にしていた指示棒を鞭のようにしならせて、この場の最高責任者であり推定:拉致加害者であるクロウリーの尻を思い切り鞭打った。アイタァッ!?という悲鳴など聞こえはしない。
 貴様とうとう罪を犯したな、という美丈夫、デイヴィス・クルーウェルの言葉を受けて、ユウは大きく一歩クロウリーから距離を置いた。ペストマスクを着けた怪しげな男だな、とは思っていたがまさか本当に危ない男だったとは。警戒を露わにするユウを護るように背に庇ったのは、ワインレッドのローブを身にまとったナイスミドル、モーゼス・トレインであった。彼の、怖がらせてしまってすまない、レディ。あの男は我々が責任をもって処罰する、という言葉にユウは、あ、はい、とだけ返した。
 彼等二人よりも歳若い———恐らくユウと同年代なのだろう、個性豊かな5名始め、揃いのローブを身に纏った面々も、困惑の声を上げる。ザワザワと騒がしくなった大広間に、クロウリーと呼ばれた一人の鴉の悲鳴だけが虚しく響いた。