夜に誘われた薔薇のように

 ざわめく大広間を一旦宥め、新入生を含む生徒達は一旦各寮へと帰寮が命じられた。野次馬根性で残ろうと渋る生徒は、寮長と呼ばれた個性豊かな青年達により強制送還され、あれだけ多くの人々が集っていた鏡の間は、ユウとグリム、そしてクルーウェルに拘束されたクロウリーとクルーウェルを始めとした数名の教員のみとなった。
 さて、と口を開いたのは最高責任者であるクロウリーである。まずはこの拘束を解いて頂けませんかね。あと私を犯罪者として決めつけていますが誤解です。優しい教職員の鏡である私が拉致監禁などするわけがないでしょう!ノンブレスで高らかに宣言された言葉は、出逢って一時間と満たないユウであっても胡散臭さを覚えるものであったが、一応弁明は聞いてやろうという精神なのか、クルーウェルは渋々と言った様子を隠す事なく拘束を解いた。鞭のような指示棒を一振りすれば解けるという不思議な縄に、ユウは目が釘付けとなっていたため、クロウリーからの誤解ですからね、という弁明は全く耳に入っていない。

 「まずは、状況整理と行きましょうか。ユウさんと仰いましたか。貴方は何処からいらしたのですか?」
 「何処?それは地名の話ですか?世界の話ですか?」
 「世界、とは…?」
 「ペストマスクの暫定:犯罪者さんに此処に連れて来られる前、図書室でこの世界の地理が描かれた分厚い本を読みました。が、幾ら探しても私の知る地名は一つも出てきませんでした。」
 「だから私は犯罪者ではありません!」
 「話が止まるから余計な事は言うな。クロウリー!」
 「ぐぬぬ…っ、それで?貴方は異世界からいらしたというのですか?」
 「分厚い地理書を読んでも一切自分の知る地名が出て来ず、見慣れない場所で目を覚ましたともなれば、違う世界から攫われてきたんだろうなって思いませんか?被害妄想ですか?」

 ですから攫ってなど、と口を開こうとしたクロウリーだが、隣に立つクルーウェルの乾いた鞭の音で閉口する。対して、何かを思案した様子でこれまで口を閉ざしていたトレインが、魔力が無いのはどういうことか、とユウへ質問を投げかけた。
 ここツイステットワンダーランドは、その質や量に差はあれ、皆誰もが魔力を有している。魔力が無い状態というのは、極端な話、生命維持活動を行っていないものと同義と考えられるが、その前提を知らないユウにとって、寧ろ魔力の有無を疑問視すること自体が疑問だった。

 「そもそもの話、魔力とは何ですか?筋力のような誰しもが持つ基本的な身体的機能でしょうか?」
 「…魔力を知らない。そして闇の鏡も無いと言っている。ふむ、異世界の住人というのも頷けてくる。」
 「確かにそうだな。最初はその獣も使い魔かと思ったが、どうやら契約関係にはないようだからな。」
 「この子とは、此処で初めましてしました。グリムくんです。」
 「俺様、この学園に入学したくて来たんだぞ!」

 魔力無しに獣、今年の入学式はいったいどうなっているんですか!およよ、とわざとらしいほど大げさな言動で嘆くクロウリーへ向ける視線はどれも冷たい。心優しい(笑)教育者であると言いながら、獣という一言で入学を一方的に拒否したり嘆いたりするなんて、何だか矛盾していますね。ユウの何気ない一言は、意外にもクロウリーに深く刺さったようで、今度は割と本気で凹んでしまったようだ。
 とにもかくにも直ぐにユウの家、また元の世界に帰せないともなれば、至急どこかで保護するしかない。トレインの言葉に挽回のチャンスを見たのか、単純に事を大きくして不祥事に繋げたくなかったのか、復活したクロウリーが今は誰も使用していない寮があるから、そちらに仮住まいしていただきましょう、と声を上げた。


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 「床や天井が抜け落ちて、雨漏りどころか微風すら凌げない襤褸屋に、この世界の常識も生きる術も持たない女と小動物を押し込める…ふーん、拉致監禁だけじゃなくて保護責任者遺棄致死罪も重ねたいのかな。」
 「違いますよ!!!」

 案内された襤褸屋敷を見上げたユウは、手元にスマホがあったらハッシュタグ付きの自撮り写真を上げているなぁ、なんて感想を持ちながら、死んだ目でグリムの背を撫でた。移動中に小雨から本降りの雨へと変わっていき、夜の帳も落ちようとしている時間帯。とりあえず雨風は凌げますからね、なんて意気揚々と語っていたくせに、いざ一歩屋敷内に踏み入れれば、ぽたぽたどころか、ザパッと天井から雨が降ってくる始末。屋内とは?という疑問を抱いたのはユウだけではなかったようで、お目付け役として同行した額に青筋を浮かべたクルーウェルの何度目かわからない鋭い鞭がクロウリーへ襲い掛かった。
 急ぎ修繕しろ、レディをこんな襤褸屋敷に住まわせる気か、とクロウリーの尻叩きはクルーウェルとトレインに任せ、ユウは水回りなどの状況を確認するため浴室へと向かった。猫足のバスタブはひび割れてどう頑張っても湯を張れそうにない。試しにシャワーコルクを捻るが、シャワーヘッドが出て来た水は茶色く濁り、よく見れば壁や天井どころか、至る所に黴が蔓延している。そっとコルクを締めて、続いてキッチンへ。こちらはこちらで、いくらコルクを捻っても水は流れて来ず、ガスは当然火を灯すわけが無かった。最後にトイレを覗いた頃には、ボットン便所じゃないというだけで幾分マシか、と思えてしまうレベルの期待感しか持てなかった。
 トレインの腕の中にいた黒猫、ルチウスが実はユウに連れだって一緒に確認していたようで、談話室に戻るなり愛猫から報告を受けたトレインは、一度大きく溜息を溢してから隣に立つクルーウェルへと情報を共有する。我等が学園長殿は、よくもまあこんな劣悪環境の塊のような場所を仮住まいとして貸し出そうと思ったものだ。ましてや無一文で家族もいない異世界から攫われてきたレディに。考えれば考えるほどクロウリーへの罪が役満になるため、さっさと寮全体をマルっとリフォームしろ、とこう見えて偉大な大魔法士のケツを再度叩くだけに留めた。

 「寮のリフォームに関しては、馬鹿鴉が責任をもって行うから安心して欲しい。それよりもレディ。家具の一切もご覧の有様だからな。至急で申し訳ないが、これから購買へご案内しても?そこで必要なものの一式を揃えると良い。」
 「スクールの購買に、家具置いているんですか?」
 「何でも揃う、が謳い文句のミステリーショップだからな。」

 現場の監視をトレインへ任せたクルーウェルは、軽く腰を折ってユウに目線を合わせた状態で右手を差し出す。随分とジェントルマンな人達だな、と異文化交流に目を瞬かせながらも、ユウもこんな襤褸屋敷に元から備わっている備品類に期待など持てる訳も無かったから、有難くその誘いに乗った。
 少しだけ揺れるぞ、というクルーウェルの声と共に手を取られた瞬間、ユウの視界が揺らぐ。思わず目を閉じたが、一瞬にして襤褸屋敷から構内に設置されているショップの入口まで移動している事に気付き、テレポートを使ったのか、と己を納得させ、少しふらつきそうになった身体を何とか踏ん張らせた。腕の中にいたグリムは、空間転移魔法の経験が無かったようで、ふなぁ、と感嘆の声を上げていた。

 「やあ、デイヴ。その子が話題の異世界から迷い込んだ小鬼ちゃんだね?」
 「ああ。早速で悪いが、彼女のために必要な家具一式等を見繕ってくれ。」
 「イーンストック!小鬼ちゃんのお眼鏡に適うといいな!」

 既に話が伝わっていたのか、軽い挨拶もそこそこに店主———Mr. Sことサムが取り出したカタログにユウは眼を見開いた。ベッドやソファを始め、デスクやチェア、果てにはオーブン等の家電も取り揃えてある。購買とは?と疑問に思わなくもないが、何でも揃うを謳っているのだから、あるのだろう。そう納得させて、早速サイズやデザイン等を考慮しつつカタログに目を通していく。支払いはすべて学園長に付ける、とクルーウェルから説明も受けているから金額は全く気にしない。
 グリム専用のお部屋やベッドもいるかな。ペット用で良いのか悩むところだが、一緒にカタログを覗き込んでいたグリムが、一緒に寝ないのか?と不満そうに見上げてきたため、専用ベッドの購入はあっさり棄却された。代わりにグリムサイズのふかふかの毛布とクッションを購入する事にした。
 そんなこんなで必要な品々をチェックしていったユウは、隣で様子を伺っていたクルーウェルに、なかなかいいセンスをしているな、とお褒めの言葉を頂きつつ、最後に数日分の食材を購入するために、食料品のページへと視線を落とした。

 「あれ、この世界にもお醤油やお米があるんですね?」
 「ショーユ?ああ、ソイソースの事かい?一応極東の国から取り寄せてみたんだけど、あまり使用用途が知られていなくてねぇ。売り上げはそんなにないよ。」
 「…フム。レディは極東文化に近いところから来たのか?」
 「極東文化がどのようなものか知りませんが、お醤油とお米は私達の生活の必需品ですね。此処の人達の顔立ちがカロスやイッシュに近かったから、てっきりあまり流通が無いかと思っていました。」
 「カロス、イッシュ…それが君の世界の国名かい?」
 「正確には地方名ですね。カロスやイッシュは私の故郷に比べて文化も歴史も大分違うので、海外のイメージは強いです。」
 「君の故郷のチホーメイ?は何て言うんだい?」
 「ジョウト地方です。自然豊かで、水が綺麗なのでお米も魚も肉もなーんでも美味しいですよ。」

 へぇ、と興味深そうに目尻を緩めたサムは、楽しそうに笑うユウの姿を微笑ましい気持ちで見つめる。入学式ではあまり笑顔を見せなかったという話だが、やはり女の子は笑顔が一番だね、なんて同僚のクルーウェルへと視線を向ければ、同じように笑顔をあまり見せなかったユウを内心心配していたらしい美丈夫が、安堵したように表情を少し緩めていた。
 グリムも人間の食事と同じで大丈夫、という事実を知って、数日分の食材と調味料類を一通り揃えたユウは、またもクルーウェルのテレポート基、空間移動魔法によって一瞬にしてオンボロ寮へと帰還した。左程時間は経っていないと思っていたが、あれもこれもとカタログを吟味して雑談している内にそれなりの時間が経過していたようで、外観に変化はないのに内装が一新された寮内を見て、ユウは驚きから目を見張らせた。

 「わあ!すごい。さっきと全然違う。新築みたい!」
 「クルーウェル先生から家具のデザインは引き継いでいたから、それに合わせた内装にしている。気に入って頂けたかな?」
 「ええ、とっても素敵です。ありがとうございます。」

 基礎を修繕したのは私ですがね!と床にへばったまま声を上げたクロウリーへも、購買で一式購入した分の請求書は、後ほど店主さんから届くと思います、と返してユウは早速自室となる二階の部屋へと向かった。下階から聞こえる悲鳴は聞こえないフリである。学園の不手際で発生した損失を補うのが、最高責任者としての務めだろう。
 購買で購入した家具を含めた品々は、魔法によって設置したい場所へと設置されるようで、あれだけボロボロだった自室(予定にしていた一室)は、見違えるほど綺麗に整っていた。ダークグレーを基調としたモダンインテリアは、洗練された大人びたスタイリッシュさを醸し出しており、ユウの好みドストレートを的確に突いている。この世界の女性は、どちらかと言うとガーリーなポップやレースを好む女性が多いらしく、シンプルスタイルを好むユウには些か驚かれたが、カントーやジョウト地方特有の実年齢よりも若く幼く見える顔立ちとのギャップが逆に良い、とクルーウェルからお褒めの言葉を貰ったのだ。
 それから本来はこの世界の事や今後の事で話し合う必要があるのだが、もう夜も大分更けており、あまりレディの部屋に長居するものでは無い、と判断したジェントルマン二名により、全くデリカシーに欠けている鴉の首根っこを引き摺って、本日はお開きとなった。何かあれば直ぐに連絡するように、と至急で手配してくれたらしいスマートフォンを有難く頂き、ユウは簡単な夕食をグリムと食べて、手早くシャワーを済ませてからふかふかのベッドへ沈んだ。夕食前にこの屋敷に昔から住んでいるというゴースト達とエンカウントを果たすが、もっと見目が恐ろしいゴーストタイプを見慣れているユウにとって、マシュマロボディのジェントルマンなゴースト達は、同居人のナイスミドルなオジサマ、くらいの印象しか持たず、実は怖がって欲しかった、というゴースト達の溜息には苦笑を返すだけだった。