目の前に広がるのはいつの間にか見慣れた家だった。六歳の誕生日に父さんに手を引かれ、連れていかれた家。母さんを普通に戻すため、母さんからスピネルを引き剥がした家。どこにもスピネルがいない家。
 この家にいるとボクはどうしようもなく息が詰まって、どこにも居場所がないんだって思い知らされて、ここは、この家は、ボクの帰る場所じゃないんだって。そう理解して。
 だから飛び出した。そう。飛び出したのだ。

「……これは幻覚、」

 それも、随分と趣味の悪い。
 自然と眉間に寄った皺を解しながらあたりをぐるりと見渡す。たぶん、この景色を作り出しているのはエスパータイプのポケモンで間違いないだろう。ボクの脳に対して直接働きかけでもしているのだろうか。
 ディディには入り口近くで待機してもらうことにして、代わりにボールから出てきてもらったサンサンとともに気配を探りながら慎重に部屋を歩く。しかし、ボクがブルーを見つけるよりも先に、部屋の中が闇に包まれた。

「!?」
「そっちが幻影でくるなら……アタシだって!めくらましなら、アタシの十八番よっ!!」

 同時に、少し遠くからブルーの声が聞こえてきた。黙ってブルーの声を聞き続けていれば、「おねえさま」と誰かを揶揄っているようで、ブルーが対峙しているのが女のロケット団員だということが分かる。この幻覚はロケット団員のポケモンによるものか。ヤマブキを覆っていたバリアも、エスパータイプのポケモンによるものだった。ポケモンは違うかもしれないが、きっとトレーナーは同一人物に違いない。そう考えると、この部屋にいるポケモンは間違いなく強いはずだ。
 不意に、ポケモンの動く音が聞こえた。咄嗟に横のサンサンに指示を出す。

「サンサン、真っ直ぐ前に”スピードスター”!」
「なに!?」

 相手のポケモンのわざと、サンサンのスピードスターが正面からぶつかる。二つのわざは拮抗し、軽い爆発が起こった。局地的に暗闇が晴れる。
 そこにいたのは、ブルーとロケット団の服を着た黒髪の女性。黒髪の女性は、憎しみの籠った視線でボクを睨みつけている。

「貴様、いつの間に……!」
「ブルー、大丈夫!?」
「パープル!」

 駆け寄って怪我の有無を確認すれば、見える範囲には大きな怪我は見当たらなかった。そのことに安堵したのも束の間、黒髪の女性が暗闇の中に姿を消す。
 態々此方の姿が見えなくなる暗闇の中に何故。疑問に思うが、先ほどのポケモンのわざが真っ直ぐにブルーとブルーのポケモンを狙っていたことを思い出す。何かあるのだ。彼女には、暗闇の中でも此方の正確な居場所を知る方法が。

「ブルー、気を付けて……ッ!」
「ロケット団三幹部このナツメをなめるなあっ!」
「きゃあああ!!」
「サンサン、穴を掘って逃げて!」

 押し潰されてしまうのではないかと錯覚するほど強い力が上から降ってくる。間一髪のところでサンサンは地中に穴を掘り、攻撃から身を守った。
苦しむボク達を、ナツメとナツメのポケモンは宙に浮き見下している。その顔に浮かんでいるのは、楽しくて仕方がないといわんばかりの表情だった。
 ナツメは動けないボク達の隙を見逃さず、攻撃を畳み掛けてくる。強力な”サイコキネシス”が部屋中で暴れ回り、ボク達の体を痛めつけながら部屋の暗闇を払った。

「きゃああ!!」
「ぐっ!……サンサン、”どくばり”!」

 穴の中から無数の針が飛び出す。しかしそれすらもサイコキネシスの壁に阻まれ、ナツメのポケモンには届かない。それどころか、サンサンの攻撃はナツメの神経を逆撫でしただけのようだった。鋭い視線がボクを射抜く。

「ふん、小癪な真似を!”かなしばり”!」
「!?」
「え!?」

 ナツメのポケモンのスプーンから発せられた謎の力がボクの全身を包んだかと思うと、指先の動きがピタリと止まった。いや、指先だけではない。足も、腕も。何も動かない。
 焦った様子のボクを見て、ナツメが不気味な笑い声を漏らす。

「フフフ。みたか、これが戦いのプロ!」

 動けないブルーの首筋にポケモンのスプーンが当てられる。このままわざを繰り出されたら、と最悪の事態に背筋がゾッと寒くなった。「さて、とどめといくか」ナツメの声はどこまでも冷たい。そして、その表情には勝利への確信が滲んでいる。

「ディディ、サンサン!”とっしん”!」

 そんなことあってたまるか。腹の底からふつふつと湧いてくる怒りを原動力に、ボクはかなしばりにあっても尚動く口を、必死に動かしてディディとサンサンに指示を出した。
 穴から飛び出したサンサンが、入り口の近くでじっとこちらの様子を窺っていたディディが、それぞれの方向から目にもとまらぬ速さでナツメのポケモンの懐へ飛び込む。そして相手のポケモンが迎撃の体制を整えるよりも先に、ディディの口から炎が漏れ、サンサンの爪がギラリと輝いた。

「そのまま”かえんほうしゃ”と”みだれひっかき”!」
「ユンゲラー!」

 ”かえんほうしゃ”で焼かれ、全身を”みだれひっかき”で傷だらけにしたナツメのポケモン──ユンゲラーが床を跳ねた。攻撃を終えたディディとサンサンはボクの足元に集まると身を屈めて追撃の指示を待っている。

「”超能力戦士”の割には気配を探るのはヘタみたいだね?」
「貴様……ッ」

 スプーンを床に突き立て立ち上がるユンゲラーとその横に立つナツメがボクを睨みつける。彼女のユンゲラーがスプーンを構えるよりも先にディディに”かげぶんしん”そして”かえんほうしゃ”を指示しようとしたところで、ブルーの足元でブルーのポケモンが動いていることに気が付く。

「ブルー……?」
「パープルお願い、もう少しだけ時間を稼いで」
「……分かった」

 ナツメに聞こえないほどの小さな声でブルーが囁く。現状を打開する策があるのだと、ブルーの瞳はそう語っていた。ナツメの残りのポケモンが分からない今、この場を戦う以外で切り抜ける方法があるならばそれに乗ることに異存はない。ボクはブルーに頷き返し、再びナツメを見る。

「降参するかい?」
「そんなわけあるか!貴様ッ、お望み通りズタズタにしてくれる!ユンゲラー、”サイケこうせん”!」
「サンサン、”ものまね”!ディディは躱すんだ!」

 ユンゲラーのスプーンとサンサンの手のひらから同じわざが飛び出す。二つのわざがぶつかり合い、煙が上がる。その煙で二体の姿が見えなくなるも、すかさずディディに”とっしん”を指示する。しかし、無防備な状態のユンゲラーに当たると思われたディディの体は、煙に突っ込むよりも先に何かにぶつかり、床を滑った。

「そんな!?」
「ユンゲラー、そのままサンドも叩き潰せ!」
「サンサン!」

 煙の中で何かが光ったかと思うと、サンサンが吹き飛ばされた。ディディと同じく床を滑ったサンサンは、そのままぐったりと倒れ伏してしまう。ディディも起き上がろうと必死に足掻いてくれているが、その足は床を引っ掻くだけだ。

「ククク……これで終わりだな」
「本当に戦いのことしか頭にないのね」

 ユンゲラーのスプーンがボクの首を捉えるのとブルーが話し出したのは同時だった。ピクリと眉をはね上げたナツメがブルーに視線を移す。

「よく見たらお肌があれているだけじゃなくて、あたしの方がグラマーみたい。……なんちゃって……」

 ナツメを挑発するように首を傾け自身の体を見せつけるブルーの胸部は、明らかに、確実に、見間違いでも何でもく普段の倍は膨らんでいた。その姿を見て、ひとつの可能性に思い当たる。しかしボクとのやり合いで頭に血が上ったらしいナツメは、ブルーの見え見えの挑発に乗ってしまった。彼女は怒りを露わにしてブルーの胸元をユンゲラーのスプーンで引き裂く。
 それこそが、ブルーの狙いであることを知らずに。

「かかったわね!ピッピ、プリン!」

 引き裂かれた胸元から二つのモンスターボールが現れる。そして、その中から二体のポケモンが飛び出し、ナツメとユンゲラーに襲い掛かった。
 身を守るために小さくなるナツメを尻目に、指先が軽くなったことからかなしばりから解放されたことを理解する。すかさずディディをボールに戻し、続いてサンサンにボールを翳そうとしたところでその体が強く発光していることに気が付く。

「あれは……!」
「ピッピ、”なきごえ”!プリン、”うたう”!」

 見る見るうちに姿を変えるサンサン。大きくなるからだ、鋭くなる爪、背中には棘が生えている。進化だ。今までの戦いを糧に、サンサンは遂に進化を遂げたのだ。

「サンサン、ピッピとプリンを援護するんだ!”スピードスター”!」

 サンドだった頃よりも更に早く、強くなったスピードスターがピッピとプリンに惑わされているナツメとユンゲラーを襲う。すると目の前が何もない白い部屋へと変化した。扉も今ならしっかり見える。

「逃げよう、ブルー!」
「ええ!それじゃあバイバイ、お姉サマ!」

 扉を開き、部屋から飛び出す。続いてブルー、ブルーのピッピとプリン、サンサンも転がり出てきて、ナツメの感覚が元に戻るよりも先に慌てて扉を閉めた。
 「あっぶなかった……」とため息とともに、言葉が体から抜け出る。一方で気を緩ませることなく辺りをキョロキョロと確認していたブルーは、一つの部屋の扉を開けて中を確認すると「こっちよ!」とボクの首根っこを掴み中に忍び込んだ。

「うわっ!?」
「静かに!」

 引っ張られた拍子に床と擦れた肘が痛かったが、文句を言うよりも先にブルーに手の平で口を塞がれて黙り込む。部屋の中に訪れる静寂。代わりに外から荒々しく扉を開ける音と、ヒールが床を叩く乱暴な音が聞えてくる。

「ボク達を探しているのか……」
「はやいとこ移動しましょ!」
「あ、待って!」

 立ち上がって扉に手をかけたブルーに、慌てて自分の上着を渡す。ブルーの今の格好は、何と言うか、少し肌が見えすぎている。ナツメのユンゲラーに切り裂かれた部分は結ぶことで胸元を隠しているが、それでも女の子がしていい格好ではないはずだ。

「……それじゃ、ちょっとの間借りるわね」
「うん。ちゃんと着ててね」

20190526
20200105//修正