ロケット団の野望は潰えた。捕まっていたマサラの人々は皆解放され、平和な日常を取り戻していく。
そして、その平和を世間に伝えるかのように、セキエイ高原でのポケモンリーグは開催された。
「えー!?パープルは参加しないのか?」
「うん。ボクはいいかなって」
「本気のお前と戦うの、楽しみにしてたんだけどなあ」
「レッドの方が強いって」
レッドのニビシティでのジムバトルの時と同じように、ボクは観客としてその場にいた。すでにCブロックを一位で通過し、本選開始の放送を待つレッドは、ボクの不参加を知ると目に見えて肩を落とす。
ポケモンバトルにそれほどまでの興味がない。賞金も、別に。それに何より、大きな大会に参加して母さんに見つかることが怖かった。そんなボクの臆病な感情に気づかないレッドは、唇を尖らせてぼやく。
「まあまあ、グリーンも決勝進出が決まったみたいだからさ、」
「……そうだけど」
「ボクとのバトルは……まあ、どこかでやろうよ」
「言ったな?」
「言ったよ」
絶対だからな、と念を押してくるレッドが可笑しくて、込み上げてくる笑いを隠すことなく口元を緩めていれば、各ブロックの一位通過者を呼ぶアナウンスが聞えてきた。
「よおーし!!オレも行くか!!」
拳を握りしめ、本選会場へと向かうレッドに激励の言葉をかけようとしたとき、最早聞き慣れたと言っても過言ではない女の子の声が耳に飛び込んできた。またなにかしてるんだろうなあ、と声の方へ視線を向ける。
「あらん。アタシのニドちゃんったら……こんなカッコイイBF見つけちゃって!」
媚びるように甘い声を出す少女──ブルーは、ビードルを片手に釣り人の男性へと交換を迫っていた。「……は、はあ?」と状況を飲み込むことのできない男性を見て、隣のレッドが大きなため息をつく。
「オイコラー!ま〜たそんなことやってんのか!?」
「懲りないねえ、キミも」
突如背中から降ってきたレッドとボクの声に、ブルーの体がびくりと跳ねる。ボクらの存在に気が付いた彼女は焦りを無理やり押し隠すと、唇を吊り上げながらボク達の方へと振り向いた。
「あ……アラ。パープルにレッド。どしたの!?」
取り繕うように言葉を並べるブルーに、レッドが「どしたのじゃねえっ!」と憤慨した様子を見せる。ボクはそれを尻目に、未だ目を白黒させている男性に近づくと「もう行った方がいいですよ」と囁いた。男性は何が何やらと言った様子だったが、ボクの言葉にこくんと頷くと、バタフリーとニドランを連れてそそくさと去っていった。遠ざかる後ろ姿に、ブルーが「あ!」と声を上げる。
「パープルったら酷いじゃない!」
「酷いのはキミだよ……」
いや本当に。ブルーのビードルを否定するわけではないが、男性が手塩にかけて育てたバタフリーとの交換はいくら何でも酷すぎるだろう。というかビードルのことを大事にしてあげて。そう思ったのが伝わったのか、ブルーはビードルをボールに戻すと、小さくため息をついた。
そして、どうしてここにと尋ねたレッドに答えるように、背後のモニターを指さす。そこにはブルーの名前と、彼女がAブロックを通過したことが表示されていた。
「ホホ、予選は軽かったわね!!」
「ブルーがAブロック1位……」
「さ・て・と。それじゃあね、レッド。決勝で会いましょ!パープルはアタシのことを応援していてね!」
ブルーの黒いワンピースの裾が、ふわりと翻る。
「負けないわよ。……アタシだって、”マサラのトレーナー”だもの!!」
そう言葉を残して、ブルーは去っていった。
会場に設置されている大モニターに、本選の組合せが表示される。本選出場者は四人。レッド、グリーン、ブルー、そしてドクターO。それぞれレッドとグリーン、ブルーとドクターOが決勝進出を賭けてバトルをすることが決められており、レッドはモニターを見ると大きく肩を落とした。グリーンとは決勝で決着を付けたかったらしい。
「こればっかりは仕方ないよ、レッド」
「そうだけどさあ……」
「そんなことより、ドクターOが誰か知ってる?」
「いやあ……」
「けったいな奴やなあ」
レッドの友人らしいマサキさんとも合流して、ボク達は観客席へと座る。一人だけ素性が分からない本選出場者のドクターOについて話をしていると、ボク達が席についてすぐにドクターOは姿を現した。
黒のタンクトップを身に纏い、顔面には表情の一切を隠す包帯が巻き付けられている。その明らかに不審な姿に、ボクが眉を顰めると、同じようにレッドもピカと一緒に顔を歪めて「ヘンな人……」とぼやいた。
しかし、続いてブルーが姿を現すとすぐにゴングが鳴った。
「試合開始!!」
二人がボールを放る。ブルーのボールからはプリンが、そしてドクターOのボールからははオニスズメが飛び出した。
ピンク色をした可愛らしいポケモンの登場に、観客が騒めく。お世辞にも強そうに見えないプリンを見て好き放題言う観客たちの声を聞きながら、ボクはじっとリングの上を見つめていた。
やがて、攻撃をしかけてこないドクターOを見兼ねて、ブルーのプリンが先制攻撃を仕掛ける。
「オジさまぁ〜。アタシがいっくらカヨワイ少女だからって……オニスズメはないんじゃない?仮にもポケモンリーグ準決勝よ?」
「……」
「いいわ……本気出しちゃうから!”ト……ラ……イ……アターック”!!」
ブルーの掛け声とともに、プリンがわざを放つ。そのわざはオニスズメに直撃し、激しい煙が上がった。ブルーが「ホホ、アタシは予選をすべて一撃KOで勝っているのよ、オ・ジ・サ・マ!」と笑い声をあげるが、対峙するドクターOに動揺の気配は見当たらない。それどころか、ニヤリと笑ったかと思うと、煙の中からオニスズメが飛び出してきた。
「”みだれづきっ”!!」
どこか聞き覚えのある声がオニスズメにそう指示すると、プリンとブルーへ真っ直ぐ向かっていたオニスズメの嘴が煌めき、そのまま目にも止まらぬ速さで突きを繰り出した。
ブルーとプリンはその攻撃から身を守るように身体を縮めながらも、再び攻撃へと転じるためにプリンに”うたう”の指示を出す。すると、プリンの口が開き、美しい旋律が会場に響き渡った。
突然襲ってくる睡魔に目を擦りながらもバトルの行方を追えば、宙に羽ばたくオニスズメにはプリンのうたうは届いていなかった。飛行タイプ相手にはスピードが足りなかったのだ、とグリーンの解説が耳に飛び込んできて、同じくその声が聞こえたらしいブルーは再びプリンにトライアタックを指示した。
しかし、宙を自在に飛び回るオニスズメにその攻撃は少しも当たることはない。ブルーとプリンはじわじわと追い詰められていた。
「え……えい!ええ〜い!」
「バッカ!何やってんだ。空中戦に切り替えろ!ブルー!!はやく!!」
とうとう観客席ギリギリまで追いやられたブルーにレッドがそうがなるが、ボクはブルーと初めて会った日、ブルーが呟いた言葉を思い出していた。大きな鳥ポケモンに捕まれて。確かに彼女はそう言っていた。それが確かならば、もしかしたら、ブルーは。
「飛べないの!!もってないのよ!!鳥ポケモンを!!」
これまでブルーが飛ぶときはいつもプリンの力を借りていた。メタちゃんが鳥ポケモンに変身したことはボクの知る限り一度としてなく、その上、ナツメと対峙した時、ファイヤー、サンダー、フリーザーを見て悲鳴をあげて意識を失うというほどの拒絶反応を示していた。
ボクに対する飛べる子がいた方が便利よ、というアドバイスも、彼女が”飛行タイプ”がいたほうが便利よ、と言うことはなかったのを思い返せば、ボクの予想はどんどん裏付けされていく。
「相手が弱そうだと見て油断したのはそっちだったな、ブルー」
その言葉と共に、ドクターOの手持ちが姿を現す。そこにいたのは、すべて飛行タイプのポケモンだった。どうしてブルーの弱点をドクターOが知っているのか。
その疑問の答えが出るよりも先に、咄嗟にかなしばりを指示したブルーはプリンをボールに戻すと、今度はカメックスを繰り出した。
「やってやろうじゃない!空中戦!!今よ!!カメちゃんっ!!」
勢いよく現れたカメックスはブルーの両腕を抱え込みながら、甲羅の中に首と足を引っ込める。そして、床に向けてハイドロポンプを放った。一人と一体の体が宙に浮きあがる。
「これがあたしの空中攻撃よ!!」
カメックスとブルーの体は宙で反転し、ハイドロポンプがドクターOとオニスズメを襲う。激しい水流にドクターOの包帯が徐々に剥がされ、ボクがその正体に気が付くのと、オニスズメがオウム返しで壁を作りハイドロポンプを跳ね返すのはほぼ同時だった。
「きゃあ!」
悲鳴とともに、ブルーとカメちゃんが地面に倒れ込む。見る見るうちにモニターに表示されていたカメちゃんのヒットポイントは減っていき、ついに追い詰められたブルーはじわじわと迫りくるオニスズメに「こないでー!!」と絶叫を上げた。
只ならぬ様子のブルーに、観客が再び騒めく。
「やはりな、鳥がこわいかブルー」
そんなブルーの様子を見下ろしていたドクターO──オーキド博士は、ポツリポツリと語り始めた。
六年前、マサラタウンで起きた誘拐事件。大きな鳥ポケモンに、当時五歳と二歳の少女が連れ去られた。オーキド博士はその捜査に尽力したが、ついぞ少女たちが見つかることはなかった。だから、今も姿をよく覚えている、と。
「まさかその子がゼニガメを盗みに入って防犯カメラにうつるとは思いもよらなかったがね」
懐からゼニガメを抱えて走るブルーが映った写真を取り出した瞬間、オーキド博士の顔を覆い隠していた包帯が地面に落ちる。
「あれは……!ドクターOの正体は……」
「あの人は……、オーキド博士!!」
「あんなに怖い思いをしたんじゃ、鳥が苦手になっても、無理ないのう、ブルー」
「くっ……」
自身の盗みの現場を押さえた写真と、その被害者本人であるオーキド博士を眼前にして、ブルーの表情が強張る。最後の足掻きとでもいうように床に倒れたままのカメちゃんに水でっぽうを指示するが、再びオウム返しされてしまい、ついにヒットポイントが尽きる。
勝者、ドクターO!という声が会場内に響き渡ると、ブルーは頽れた。
「ああ……まけちゃった」
「さあ、説明してもらおうか。ポケモンを盗むならほかでも手に入るものを、どうして私のところから盗み出したんだい?」
俯くブルーにオーキド博士が優しく声をかける。暫くの間黙り込んでいたブルーは、やがて観念したように恐る恐る口を開き、話し始めた。
悔しかった、と。それが一番の理由だった、と。誘拐され、知らない土地で育った彼女は、自身の出生地がマサラタウンだということしか分かっていなかった。そんな折、自分と同い年の子ども三人がポケモンの権威オーキド博士からポケモンと図鑑をもらって旅立ったことを風のうわさで知り、彼女は盗みを決行したのだ、と。
それは、ボクとレッド、そしてグリーンのことだった。膝の上で固く拳を握りしめたブルーが、声を張り上げる。
「あたしだって!あたしだってマサラの人間だもの!三人とおんなじことがしたかったのよ!!博士にポケモンをもらって、図鑑をもって冒険の旅に出て……」
六年前、誘拐されて。逃げ出してからはずっとスピネルの手を引き続けて。ブルーは長い間、そうやって生きてきた。その間、どれだけのことを我慢していたのだろう。寂しかったのだろう。怖かったのだろう。心細かったのだろう。
ポケモン図鑑を携えて、博士にもらったポケモンとともに旅に出る。欲しいものを、やりたかったことを、たくさんのことを、自分よりも幼いスピネルのために抑え込み続けてきたであろう彼女だったが、それはどうしても我慢できることではなかったのだ。そしてブルーには、罪を犯すしかなかった。きっと、誘拐されずに育っていたらそんなことをしなくてよかったはずななのに。
「博士!」
「パープル……?」
気づいたときには、ボクはもう大声を張り上げて立ち上がっていた。ブルーとオーキド博士の、会場中の視線が自分を突き刺すのを感じながらも、冷静なボクが母さんに見つかるかもしれない、と叫ぶのを聞きながらも、ただ、リングの上に立つ博士に向かって、言葉を投げる。
「確かにゼニガメを盗んだのはいけないことです──でも、ブルーは悪いトレーナじゃない。カメちゃんがブルーに懐いているのが、その証拠です!」
「……」
「これはボクのただの我儘だってわかってます。でも、カメちゃんを……カメックスを、ボクとレッドにしてくれたみたいに、ブルーに渡してあげてください!図鑑だって……足りないならボクのを初期化してブルーに……!」
バッグから図鑑を取り出し、リング上の博士に向かって差し出す。しかし博士は首を横に振ると、手でボクを制した。
「優しい子だ、パープル。でも、それはキミに渡したポケモン図鑑だ」
「でも……!」
博士はゆっくりとブルーに歩み寄り、未だ床に崩れ落ちたままのブルーと目線を合わせるために膝を折ると、再び彼女に語りかけた。
「ブルー、さっき言ったことを覚えているね。どんな理由があっても、人をだましたり物を盗んだりしちゃだめだ。もうしないと約束できるなら……」
博士は力なく投げ出されたブルーの手を取ると、その上に自身の手を重ねた。そして、その手が離れたとき、ブルーの手の中には、ボクとレッドがもらったものとまったく変わらない、暖かな赤色のポケモン図鑑があった。
「あ……」
「4つ目の図鑑だよ。これで……キミも、マサラのトレーナだ」
「う……う……」
ついにこらえきれなくなった涙が、ブルーの瞳からこぼれる。彼女は「うわああーん」と大きく口を開けて、幼い子供のように泣き叫んだ。
「……よかったね、ブルー」
「キミが無事だったのがなによりじゃ」
わんわん声を上げて泣くブルーの頭を、博士の手が優しく撫でる。ボクは足から力を抜き、すとんと椅子の上にまた腰を落ち着けながら、ただよかった、と思う。
時間が戻らなくても、つらい過去がなくならなくても。ボクたちは前を向いて生きていくしかない。カメちゃんと図鑑は、きっとブルーが前を向いて歩くための力になるだろう。
だから、よかったと思うのだ。
20200111