「すぐ向かえば合流できるはずよ」とブルーは言っていたが風というのは気まぐれなもので、太陽がすっかり沈んでしまった夜になって漸くボクはタマムシシティに到着した。
ありがとね、とお礼を言ってからぷりりの足から手を放せばぷりりは再び空へ浮かび上がる。こんな夜遅くに暗い空を飛んで大丈夫なのかな、というボクの心配を余所に、ぷりりは穏やかに吹く風に揺られながら来た道を引き返していった。
「……よし」
ふわふわと風に揺れるぷりりの姿はやがて闇に溶けて見えなくなった。何かと賢いブルーの手持ちポケモンだし、きっと大丈夫だよね。だからブルーもボクにぷりりをかしてくれたんだろう。自分をそう納得させて、ボクはイエローを探すことにした。
カントーの中でもヤマブキと並んで都会に分類されるタマムシシティの中心部は、深夜になるまで眠ることはない。しかしそれは中心部に限った話で、住宅街や郊外といった、中心部から離れた場所へ向かえば向かうほど、夜の静けさと闇に包まれていく。
けれど、今日はしんと静まり返っているはずの西郊外に、人だかりができていた。どやどやと話し声がうるさくて何事かと少しだけ近寄れば、慌ただしくどこかに連絡をしている人や、蹲っている誰かの背を摩っている人がいるのが見える。少し前まで、ここで何か騒ぎが起きていたのは明白だった。
どうしたんだろう、と頭の中に疑問が生まれる。声をかけてみるべきだろうか。そう自問して、二年前、ボクはボク自身の旺盛過ぎる好奇心のせいでとてつもない騒動に巻き込まれたことを思い出す。そう何度も大事件やとてつもない陰謀が近くに潜んでいるとは思えないし思いたくないし、今回は心苦しいが通り過ぎるのが賢明だろう、と答えを出す。勿論、二年前の騒動に首を突っ込んだことを後悔しているわけではないけれど。でも、今はレッドの一大事で、スピネル誘拐に関する情報が手に入るかもしれない瞬間で、ここで起きた騒動を解決するために既に数多の人が動いているかもしれない状態だ。だとしたら。
脳内で首を突っ込みたいと主張する自分自身を納得させるための言い訳をつらつらと列挙する。しかし、言い訳を飲み込むよりも先に、蹲ったまま荒い呼吸を繰り返すその人が、良く知った少女──エリカちゃんであることに気が付いた。その瞬間、勝手に体が動く。
「エリカちゃん!!」
「……?パープル?」
「え、エリカちゃん!?誰か知らないがお前、エリカ様になんて口の利き方を……」
「……お待ちなさい。彼はパープル……私の友人です」
振り向いたエリカちゃんの髪が、彼女らしくもなく乱れていた。エリカちゃんの白く綺麗な手は、苦しみを逃がすように腹部を押さえていた。いつも染みも皴もなにもない、美しく整っているエリカちゃんの洋服に泥がついていた。知らない誰かが、苦悶の息を漏らすエリカちゃんの背を摩っていた。エリカちゃんは、苦し気な呼吸を繰り返していた。目の前に広がる光景が、エリカちゃんが何者かに暴行を加えられたという事実をボクに訴えてくる。腹の底からふつふつと怒りがわき上がるのが分かった。
誰が、何のために、これだけの人がいて、どうやって。怒りで沸騰しかけている頭の中でぐるぐると疑問が巡ったとき、ボクの様子に気が付いたエリカちゃんが悔しそうに表情を歪めながら、口を開く。
「ピカを……レッドに繋がる唯一の手掛かりである彼のピカを、保護しようとして……」
「ピカを……?」
「……ええ。けれど、巧妙にレッドに扮した”りかけいのおとこ”に……ピカを奪われてしまったのです」
レッドに繋がる唯一の手掛かりである、レッドのピカを保護しようとした。それはつまり、ついさっきまでイエローもここにいたということだ。更に詳しく話を聞けば、イエローはピカを攫ったりかけいのおとこを追いかけていったらしい。
りかけいのおとこが何のためにピカを攫ったのかの理由は定かではないが、その男は他人の──レッドのポケモンであるため、ボールに収めることができないピカを奪うために、レッドのにおいを染みつかせた、まるきりレッドの姿に変装できる絶縁スーツを身に纏っていた、とエリカちゃんは語った。染みついていたレッドのにおいは、嗅覚が人間よりも遙かに発達しているポケモンを、ピカを騙せるほど、本物と相違ないものだったらしい。
だとしたら、一から人工的に作り上げたものではないと考える。しかし、人工的ではないのなら、りかけいのおとこがレッドに接触したということになる。そう考えると更にそれはいつ、どこで手に入れたものなのかという疑問が生まれる。
「……エリカちゃん、平気?」
頭の中を巡る全ての謎を解き明かすには、りかけいのおとこを捕まえて聞き出すのが一番だ。イエローと合流するというボクの目的を鑑みても、今すぐ男を追いかけるべきだということを、頭では理解している。
それでも。
目の前で苦悶の息を漏らすエリカちゃんを放って男を追いかけるという選択肢を、ボクには選べなかった。
「……パープル」
この場から離れないボクを見て、エリカちゃんの決して夜の闇に混ざることのない、漆黒の双眸がボクを貫く。
「何をしているのですか」
「な、何って……エリカちゃん、」
「貴方もレッドの行方を捜索しているのでしょう?早くイエローを追って、ピカを奪った男を捕らえるべきだとは思わないのですか!?」
「……」
「お願いします、パープル……」
厳しい口調、鋭く吊り上がった目尻。周囲の雰囲気を一瞬で張りつめさせたエリカちゃんの表情が、途端に崩れる。ボクの記憶の中のエリカちゃんは、いつだって清く美しく、そしてなにより強い少女だった。エリカちゃんはいつだってボクを守ってくれる、気遣ってくれる、支えてくれる、頼れるお姉ちゃんだった。母さんに存在を否定され、家の外で泣くボクを見つけて慰めてくれたのは、どんなときだってエリカちゃんだった。男のくせに女の子の格好をさせられているボクや、壊れた母さんを嘲笑う周囲の人を愕然とした態度で追い払ってくれたのは、一人ぼっちのボクに手を差し伸べてくれたのは、ハナナという友達との出会いをくれたのは、ほかの誰でもなくエリカちゃんだった。
そのエリカちゃんが、ボクの助けを必要としている。かつての守られているだけだったボクではなく、彼女は二年前の旅で成長したボクを見てくれている。そう気が付いた瞬間、ボクは頷いていた。
「任せて、エリカちゃん」
落ちていたイエローのスケッチブックに染みついたにおいを頼りに、ディディの案内で再びタマムシシティの中心部へと戻る。暗い夜道を照らす街灯の光が増すほどさっきまではなかった危険の足音が近づいているのが分かった。
怖気ついている場合ではない。イエローとの合流、ピカの奪還、そして何よりエリカちゃんを傷つけた男に制裁を加えなければいけない。
随分走ったな、と思ったのと同時に、激しい頭痛を引き起こすほどの嫌な音が耳に飛び込んできて、瞬間的に手のひらで耳を塞いだ。
「……グッ……これは……、ポケモンのわざ……!」
ギギギギギ、と絶えることなく響き渡り続ける、”いやなおと”。とうに日が沈んだ夜遅く、しんと静まり返った時間帯であることが災いして、街中を暴れ回るいやなおとを遮るものは何もない。意識を刈り取ろうとする音を耳を塞ぐことで何とか耐えながら、音の出処を探る。
ポケモンに指示をしているのは、りかけいのおとこで間違いないだろう。イエローもきっとどこかに身を隠し、反撃の隙を伺っているはずだ。
建物の影から影へ、慎重に周囲を窺ってから移動する。相手の位置が分からないことには攻撃のしようがない。反撃に転じるには、一方的に相手の居所を知る必要がある。
やがて”いやなおと”に混ざって、なにかが空を切る音が聞えてきた。恐らくイエローを一方的に嬲っているのであろう、男の強烈な悪意の籠った笑い声がどこからか耳に入ってきて、急がなくては、と建物の影から様子を窺った瞬間、ドカ、と鈍い音がした。
様子を窺った先、大きな麦わら帽子を被った人──イエローが、音もなく頽れる。それと同時に、別の建物の影にイエローに直撃した何かが勢いよく戻っていく。その何かに、中にポケモンが入ったモンスターボールが糸によって絡みついているのが見えた。今しかない。脇目もふらず建物の影から飛び出しながら、ハナナのボールを放った。
「そこまでだ!」
音もなくハナナの頭に咲く花で生み出された黄色い粉が風に乗った。再び建物の影に身を潜め、イエローを一方的に痛めつけようとしていた男の視線がボクを捉える。
「クッ……パラス、アイツに向かってキノコの──」
「させるか!」
「おおっ」
「パープルに手出しはさせないわ!」
「おおお!」
男がパラスに指示を出しきる直前、突如としてイワークとスターミー、それぞれを引き連れてタケシさんとカスミが姿を現した。「あ……あ……」と突然目の前に現れたジムリーダー二人に、男がさっきまでの勢いを失う。それだけではない。エリカちゃんと、ギャロップを連れた男性トレーナーも姿を現し、万が一にも男の逃走を許さぬように五人で周囲を取り囲んだ。
とうとう逃げ場を失い追い詰められた男であったが、諦める気はさらさらないらしく、握りしめたガラガラのホネにパラスの”どくのこな”をまとわせると、それを投げつけようと構えを取った。その瞬間、ガラガラが地面に膝をつき、凄まじい速さで飛んできたなにかが男の背中に直撃する。
「な……なんだこれは……!?なぜガラガラが……!?」
「なに!?」
「一体なにが……」
「まて!」
コラッタがビルの破片を削り出し、ドードーがそれらを蹴り上げている。そしてピカは、怒った様子ででんき技を繰り出していた。三体の力が一つになり、大量のビルの破片がハナナのしびれごなを浴びて動けないガラガラとりかけいのおとこを一斉に襲う。逃げる間もなく男はビルの破片に動きを封じられ、倒れ込んだ時に地面に頭を打ち付けたせいで意識を失った。
「やれやれ、ずいぶんとムチャをする子供だ」
男性トレーナーが腕の中に抱えたイエローをそっと地面に横たえながら呟いた。「え?」と尋ねると、どうやらイエローは気絶する前に、今の戦法をコラッタとドードーの二体に指示していたらしい。ピカが動いてくれなければ完成しない戦法。男に捕まっていたピカには指示することはできないが、かといって二体だけでは男を戦闘不能に追い込むことも出来なかった。
今の作戦は、随分と分の悪い賭けだった。ピカはレッドのポケモンで、かなりレベルが高い。トレーナーとして未熟なイエローの言うことを聞かない可能性があった。それでも、イエローはピカを信じて、二体に指示を出した。
「ここにいる誰もがレッドを心配している」「けれど、誰についていくかはピカの自由」カスミとタケシさんの言葉を受けて、地面に横たえられたイエローにそっとピカが身を寄せる。答えは明白だった。
トレーナーとしての腕前は、レッドには遠く及ばないイエロー。けれど、イエローは行動でピカの信頼を勝ち取った。自身が傷つくことを恐れず、厭わず、ピカを疑うこともせず。それはどこか二年前のタケシさんとのジム戦のときのレッドの姿を見ているようだった。ピカがイエローと共に行く道を選んだのも、納得できることだった。
20200515