人間がほとんど訪れないであろうこの土地に、突然姿を現したボクに近づいてくる野生のポケモンはいなかった。
近寄ってくる見慣れない生物は全て敵だと認識しているらしく、捕獲どころかどんな子がいるのだろうかと姿を一目見ることさえできない。手持ちの子に交渉を頼む余地もなく、怒り狂ったマンキーと目が合った時は命の終わりを覚悟したほどだ。
「捕獲してこいって言われたってさあ……こんな状況じゃどうしようもないよ……」
「ンパ、ンパ……」
必死に慰めてくれるサンサンの優しさが、グリーンに冷たく叩き出されたボクの心に染みる。ひと眠りしたとはいっても未だグリーンのポケモンとの戦いの傷が癒えない手持ちのみんなのために少しでも早く新しい仲間を迎えてキャンプ地に戻りたいのはやまやまだけれど、穏やかに眠るポケモン達を少しでもつつけばすぐさま全員が目を覚まして襲い掛かってくるであろうことは想像に難くない。
「……朝まで待つしかないか……ごめんね、みんな」
ベルトに引っかけてあるボールを撫でて、それからボクを仰ぎ見るサンサンを背中のと棘に気をつけながら柔く抱きしめる。そんなボクを労わるように優しく触れる小さな手の温もりに不甲斐ない自分に対する怒りが湧いてきたけれど、腹の底で燃える炎に薪をくべるようなことはしない。ボクとサンサンはただ静かに、ポケモンの巣穴から離れた場所で瞳を閉じて朝を待った。
静かに朝を待つつもりが眠っていたらしい。ちりちりと瞼を刺す太陽の光で意識が浮上した。あちこちの巣穴から小さな欠伸が聞こえてきて、ポケモン達も目を覚ましたことを知る。
サンサンと一緒に物陰から様子を伺えば、お腹を空かせたらしい野生のポケモン達がぞろぞろと巣穴から出てきているのが見えた。流石にあそこに飛び込む勇気はなく、野生のポケモン達が朝食を終えて落ち着くのを待つしかないだろう。
「ま、どれだけの子が無事食事にありつけるかは分からないけどね……」
元々食べられる草木が少ないうえに、それらが新しく生えてくる見込みもない。可哀想だし何かしてあげたいとも思うけれど、全てのポケモンを捕まえて面倒を見るなんて到底不可能なことだし、今ボクが持っている食料を配ったとしてもそれはポケモン達の空腹を一時的に満たすだけで根本的な解決にはならない。
誰か一体を選んで捕まえるのもなんだか気が重いなあと思い始めたころ、桃色のポケモン──ラッキーが忙しなく動き回っているのが視界に入った。
「ん……?」
ラッキーは、お腹を空かせている野生のポケモン達にタマゴを配り回っているみたいだった。徐に図鑑を向ければ、ラッキーは傷ついたものを見かけると栄養満点のタマゴを分け与える、とその行動の意味を解説してくれた。
ジョーイさんの隣で働くラッキーしか見たことがなかったけれど、ラッキーというポケモンはみんな奉仕の精神が根付いているらしい。別の土地へ移住したくてもできなかったポケモン達もいるであろうことを考えれば、あの子の存在はこの土地に住まうポケモン達の救いだろう。そして、ボクにも。
「多分、少しでもお腹の中に食べ物が入れば多少は落ち着く……はずだよね……!?」
そう呟けばサンサンは頷いてボクの言葉を肯定してくれて、ようやくボクは昨晩折れかけた心を持ち直すことができた。ボクもお腹がすいてきたけど──サンサンを始め手持ちのみんなもお腹がすいているに違いないけれど──ここまで時間をかけて何の成果もなくグリーンとイエローの元に戻るなんていくらなんでも、である。まあ、正直に言うとイエローがキャタピーの捕獲に成功していたら先輩トレーナーであるボクの面目丸つぶれ、というつまらない意地が邪魔しているだけとも言うけれど。
今一度様子を伺えばある程度空腹が満たされたらしく、ラッキーの周りにあれだけいたポケモン達は大分巣穴の中に戻ったようだった。目を離していた隙に、巣穴の外で動き回るポケモンの数は随分と減っている。
「よーし、それじゃそろそろ……」
気合を入れて立ち上がろうとしたところで、くい、と服の裾が引っ張られた。サンサンどうしたの?そう言いながら振り向いたけれど、ボクの服の裾を引っ張っていたのはサンサンではなかった。
にこ、と可愛らしく微笑む姿にここはポケモンセンターなのではないかと錯覚してしまう。けれども荒れ果てた土地が、多少は緩んでもいつまでも解れない緊張感が、ここが安息の地ではないと主張している。
「ラッキー……?」
「ラッキ!」
もう一体いたのか。そう思いながらじっと見つめるも、ラッキーはたただただ笑っているだけだ。あまりにも警戒心とかそういう野生のポケモンとして生き抜くうえで必要なものが抜け落ちているであろう様子に、勝手ながら心配になってしまう。
「ええっと……キミはあっちの子みたいにタマゴを配らなくていいの……?」
「ラッキ……」
大分数が減ったとはいえ、未だ巣穴の外にいるポケモンにせっせとタマゴを渡して回るラッキーを指差しながら問いかけたところで、目の前のラッキーの表情が途端に曇った。しょんもりという音が聞こえてきそうなほど暗い表情に、ボクの発言の何が駄目だったのかと焦る。
「ご、ごめんよ。キミを傷つけるつもりはなかったんだ」
「ラッキ……」
「……何か理由でもあるの?」
表情は未だ暗いまま、ラッキーはポケットのようになっているお腹からタマゴを取り出した。そして、それをおずおずといった様子でボクとサンサンに向けて差し出す。
「……食べていい、のかな?」
「ンパ?」
「ラッキ、」
恐る恐る尋ねると、ラッキーは頷いた。じゃあお言葉に甘えてとタマゴを口に含んだ瞬間、ラッキーの表情の意味を悟った。
「………………」
物凄く正直に言うと、不味い。口に入れたことを早くも後悔するレベルだ。しかし吐き出すわけにもいかず、ボクは心を無にしてひたすら咀嚼を繰り返して口の中ですり潰したそれを胃の奥に流し込んだ。
「うん……うん、ごめんよ……」
「ラッキ……」
多分、死ぬほど不味いけど栄養は満点なのだろう。それでも、もう一体のラッキーに詰め寄せる野生のポケモン達の姿と全身から暗いオーラを放つ目の前のラッキーを見れば、とてつもなく不味いこのタマゴを求める野生のポケモン達はいないのだろうということはすぐに分かった。
いや、いるにはいるのかもしれないけれど。それはあの美味しいタマゴを生むラッキーからタマゴを貰えなかった──言わばタマゴ争奪戦に負けて苛々しているポケモンだろうから、目の前のラッキーが肩を落とすのは無理もないだろう。奉仕の精神が根付いているとはいっても、乱暴な人──この場合はポケモンだが──だけを相手し続けるのは精神が削れていくに違いないからだ。
本当に、心の底から美味しくないタマゴではあったけれど、ボクはラッキーの優しさには感謝したいと思う。
「……確かに味はちょっと……あれだったけど。丁度お腹がすいてたんだ。ありがとう、ラッキー」
「……ンパ!」
同じように猛烈に不味いタマゴをすり潰して流し込んだサンサンも、ボクに続いてラッキーに頭を下げた。
ラッキーはそんなボクらを見て、分かりやすく顔を輝かせる。本当に不味かったけど、こんなに喜んでくれるなら胃の奥底に叩き込んだ甲斐があった。ボク、いいことしたな、と自己肯定感が高まった気がした。
「それで……他にも何か用があるのかな?」
「ラッキ!!」
ラッキーはボクの言葉に体全体で頷いて見せた。そろそろどの子をゲットするか様子をみたいところではあるけれど、だからといって目の前で笑うラッキーを無視することはできない。
ボクに出来ることならいいけどと思いながらラッキーを見つめていると、ラッキーはサンサンと会話を始めた。ンパンパ、ラキラキ、ボクにはなんて言っているのか分からない二体の会話は盛り上がっているのかな、となんとなく感じるだけだ。
「ラッキ!」
「ンパ!」
二体が楽しそうに話しているのをぼんやり見つめていると、何やら答えが出たようだった。サンサンとラッキーが同時にボクの方を振り返り、じっと視線をボクに集める。
「……?ええと……ボクはどうしたらいいのかな?」
「ラキラキ!」
ラッキーが丸いからだを揺らしながらボクに近寄ってくる。どうしたの、とラッキーと目線を合わせるためにしゃがみこめば、ラッキーはボクのベルトに引っかかっているモンスターボールに触れた。カチ、と軽い音がしてディディが飛び出してくる。
「ガウッ!」
バトルだと思ったのか勢いよく地面に降り立ったディディが、ボクの方を振り返る。どんな指示でも従いますと言わんばかりの表情に、いやいやちょっと待ってねと静止をかけてラッキーを見た。
「バトルしたい……ってことかな?」
「ラッキ……」
「ンパ……」
「ガウ?」
ラッキーとサンサンが同時に全身でボクの言葉を否定した。そうじゃないのか、ともう一度ラッキーの行動の意味を思案していると、今度はラッキーはボクのバッグに手を伸ばした。
「わ、な、何?」
驚きたじろぐボクを気にすることはなく一心不乱に──体が大きく丸いので少し手こずっていたようだが──バッグの中を漁っていたラッキーは、やがてお目当てのものを見つけたらしく可愛らしい笑顔とともに手をバッグから引き抜いた。
「……モンスターボール!?」
ラッキーの桃色の手の上に乗っていたのは未使用のモンスターボールだった。ラッキーはそっとモンスターボールを乗せた手を、ボクに差し出す。それはまるで、捕まえてくれと訴えているように見えたけれど、ボクの勘違いかもしれない。ボクはラッキーの黒い瞳を見つめて、問いかける。
「ボクの……仲間になってくれるの?」
「ラッキ!」
「ここを離れて、一緒に旅をしてくれるの?」
「ラッキ!!」
「そう……そっか、……嬉しいよ、ありがとう。これからよろしくね、ラッキー……ううん、ラキキ」
ラッキーからモンスターボールを受け取り、それをラッキーのおでこに押し当てる。ラッキーは一切抵抗することなく、ボールの中に収まった。
ラキキ、そうニックネームをつけて呼ぶとラキキは嬉しそうに微笑んだ。
「……うん。タマゴが美味しくなくたって、ボク達はキミを嫌いにならない。一人になんかしない。ずっと一緒にいようね」
「ンパ!」
「ガウッ!」
ラキキが入ったボールがゆらゆらと揺れる。手の中からラキキの感情が伝わってくるようで、こたえるようにもう片方の手でボールの表面を撫でた。
20210612