無事ハナダシティに到着し、レッドとカスミと別れてから早数日。毎日様々な人に話を聞いて回ったが、新しい情報は何も得られなかった。あと少し、もう少し、と滞在日数を伸ばしてきたが、これ以上この街に留まる理由はないだろう。
もう一度二人に会えたら、などという甘い考えは捨てて、ボクはハナダシティを後にしたのだった。
「次の町は……うん、クチバシティかな」
バッグの中からタウンマップを取り出し、周辺の町を調べる。もちろんマサラタウンに向かう道すがら、クチバシティも通ったのだが、如何せん急いでいたので申し訳ないがどんな町であったかの記憶は薄い。ほかの地方へと繋がる海のある町ということだし、そこでなにか情報を得られればいいのだけれど。
「ねえ、あなた」
「……」
「ちょっと、あなたよあなた!そこの可愛らしいお嬢さん!」
「……え?ボクのこと?」
うんうん頭を唸らせながら歩いていると、声が聞こえてきた。誰かと待ち合わせでもしているのかな、なんて軽く考えていたのだが、どうやら声の持ち主が話しかけていたのはボクらしい。振り返り、話しかけてきたひとを見る。そこに立っていたのは、非常に整った顔立ちの女の子だった。
身に着けている真っ黒の洋服が逆に真っ白の肌を強調しているようで、そのどこを見ればいいのか若干困惑する服装からか、それともその綺麗な顔の作りからだろうか。女の子からは何処か大人びたような印象を受ける。呆然とするボクを置いて、女の子はボクの腰のベルトにつけてあるボールを目ざとく確認すると、にこりと笑った。
「あなた、トレーナーでしょ?」
「え?う……うん、一応、そうだけど……」
「それなら話は早いわ!ねえねえ、あなたのポケモンちゃん、もっと強くしたいと思わない?」
「え、ええ……いや……」
女の子の勢いにたじろぐボクをよそに、彼女の熱は増していく。彼女は旅商人のようなものらしく、荷物から大量の見たことのない道具を取り出すと、その一つ一つの説明を始める始末だ。ボクは別にポケモンを強くすることを目的に旅をしているわけではないから、大変申し訳ないし心苦しいけれど彼女の申し出は断らなくては。そう思った矢先、ボクが商品への興味を失ったことに気がついたのか女の子は「まだまだあるわよ!」と掴みかかる勢いでボクに詰め寄ってきた。驚いて後ずさりかけたボクの手のひらを、ぎゅ、と女の子の柔らかい両の手のひらが包み込む。
「ね、話を聞いてくれるだけでもいいの……お願い」
海のように青い双眼がじっとボクを見つめる。でもなあ、と上手い断り文句を探していると、彼女がボクに押し付けようとしていた商品の山が目に入った。その瞬間、まさか、と心の中で声が漏れる。
「あのさ……」
「商品を見る気になった?色々あるのよ!先ずは……」
「……ううん。言いづらいんだけど……キミが持ってる道具は全部偽物……だよね?」
女の子の後ろにある商品の数々は、どれもポケモンを強くするどころか動きを阻害するものにしか見えない。
「……悪いけど、偽物は買えないよ」
「……」
女の子の押し売りを強い言葉で跳ね返すと、女の子は俯いたまま肩を震わせ、黙り込んでしまった。ただ、ボクは会話をこれだけで終わらせるつもりはなかった。売りつけかけられた道具は真っ赤な偽物だったけれど、彼女が言葉通り本当に旅商人だと言うのなら、もしかしたらどこかで妹のことを見たかもしれない。言い方は悪いが、彼女はやっと見つけた情報源かもしれない人なのだ。
「ウフフ……」
「!?」
「バレちゃったのならしょうがないわ。ごめんなさい、アタシ用事があるの!」
「え!?ちょ、ちょっと待ってよ!」
女の子はボールから素早く一体のポケモンを出すと、そのポケモンに跨る。あまりにも素早いその所作に呆気に取られてしまったが、こうしてはいられないと慌ててボールからディディを出す。
「ゴメン!ディディ、ひのこ!」
「!?」
ふわりと女の子のポケモンが風によって宙へ浮き上がる。けれど、その姿が捉えられなくなるよりも先に、ディディのひのこが直撃した。みるみる内に女の子を乗せていた丸いピンク色のポケモンは萎み、地面に落ちてくる。
「……」
逃亡を阻止された女の子は再び口を閉ざしてしまった。ディディをお礼とともにボールに戻した後、「ねえ、」と声をかけてみても反応はない。乱暴なことをしてしまった自覚はあるので無理に話を聞きだすことは出来ずどうしたものかと悩みこんでいると、やがて女の子が顔を上げる。予想に反してその顔に浮かんでいたのは、笑顔だった。
「ふふ、あなた、変わったひとね」
「か、変わったひと……?」
それはどういう意味での言葉なんだろう。普通に考えて変な人、とは貶すときに使う言葉ではないだろうか。そう思ったのが顔に出てしまったのか、女の子は慌てて「別に悪口を言ったつもりじゃないわ。褒め言葉よ、褒め言葉」と言葉を重ねる。それからふっと肩の力を抜くと、諦めたようにボクを見た。
「これからアタシをどうするつもり?警察にでも突き出すのかしら?」
「け、警察!?そんなことしないよ……?!」
「アラ、そうなの?しつこく捕まえようとしてくるからてっきりそうなのかと……」
「まあ、偽物を売りつけられそうになったけど、ボクは被害には遭ってないし……。ただ……」
「ただ?」
「キミに聞きたいことがあるんだ。ちょっと待ってね……」
どこからどう見ても真っ赤な偽物である道具を信じて買う人がいるとは思えないし。という考えは若干酷いので、飲み込んでおく。代わりにボクはスピネルの写真を取り出すために、バッグに手をかける。しかし、女の子の白い手袋に包まれた小さな手がそれを制した。驚いてボクは顔を上げる。女の子は、じっとボクを見つめていた。
海のように青い瞳に、嵐が訪れていた。彼女の桃色の唇が言葉を探すように、ためらうように開いては閉じて、しかし、決心したようにつばを飲み込むと、唇をこじ開けた。
「あなた、人を──女の子を、探しているの?」
驚愕に目を見開く。
「そう、そうだよ。ねえ、どうしてそれを……」
「……アタシの名前はブルー。そっちの名前は?」
「え?ぼ、ボクの名前はパープルだけど…」
「そう、パープル。……ねえ、アンタの探している子の名前って……」
ブルーが口を引き結ぶ。そのただならぬ様子に、ボクを見つめるブルーの瞳の奥に見え隠れする姿に、もしかしてという期待が胸の中で膨らんだ。緊張からか乾いた唇を舌で湿らせると、逸る心臓を抑えながら口を開く。
「その子の名前は、」
「スピネル、」
「スピネル……」
ボクとブルーの声が重なる。ブルーが紡いだのは間違いなく、疑いようもなく、妹の名前だった。ボクの、たった一人の。
やっぱり。ブルーの唇が音もなくそう動き、その白く美しい顔が段々と青白くなっていく。その様をボクは黙って見つめていた。今度は、彼女の顔に笑みは浮かばない。
「……六年前、アタシ、」
「……うん」
「誘拐されたの。……多分、アタシを、アタシだけを狙った、誘拐だった」
思い出すことを怯えるように、目に見えない何かに追い詰められているかのように、ブルーは桃色の唇を青紫に染めながらも必死に言葉を繋げた。
六年前。ブルーは、何者かに誘拐された。ブルーを狙った誘拐だった。ただ。ブルーはその日、あの子と、妹と、スピネルと、遊んでいた。それが答えだった。
「スピネルは……キミと一緒に、誘拐された……?」
「……ごめん、なさい。大きなとりポケモンに捕まれて、気づいたら空に浮かんでいて……あの子の、スピネルの手を放したら、スピネルが死んじゃうって思って、それで、」
「どこに、」
「……分からないの。逃げるときは、必死で、あそこがどこかなんて……」
「今、スピネルは……」
「……それも、ごめんなさい。つい数年前までは一緒にいたの。本当よ。でも、ほんの一瞬の間に──スピネルは、もう、どこにも……」
青白い顔で、青紫色の唇で、もう一度ごめんなさい、と繰り返したきりブルーは口を噤んでしまった。
頭が滅茶苦茶になりそうだった。もうとっくに治ったはずの、母さんにつけられた傷が痛んだ気さえした。母さんに逆らったことに対するお仕置きとして閉じ込められた暗い部屋で、もしも今もスピネルがいたら、と夢を見た日を思い出す。ボク達はどんな風に育っただろう。母さんは変わらず、昔のように優しく笑っていただろうか。父さんがいなくなることはなかっただろうか。ボクの髪は、もっとずっと短かっただろうか。ボクには友達がたくさんいただろうか。そんな理想を夢見た日だった。けれど、ボクの理想は奪われた。壊された。スピネルが目の前の少女──ブルーの誘拐に巻き込まれたことで。
どうしてボクだけが。そう思ったのは一度や二度ではない。スピネルがいなくなったせいで。最低だけれど、そう考えたのも一度や二度でない。けれど、たった一人の大切な妹が家族から引き剥がされて今どこにいるのか、どんな目に遭っているのか、もしかしたらボクよりもずっと辛い環境にいて泣いているのではないか。冷静なボクがそう言ってくれるから、ボクはスピネルを心の底から恨まずに済んだ。心配して旅に出ることができた。
けれど。ブルーは、ボクの妹じゃない。青い顔で震える少女が誘拐されてから逃げ出した日までどんな目に遭っていたのかまともに思考することは出来ずに、ただどろどろとした感情が口から溢れそうになる。キミのせいで。最低な言葉だ。まともにぶつけられる相手が見つからなくて何年もボクの中で燻っていた言葉だ。
「……」
とうとうブルーの瞳から涙がこぼれる。罪悪感からだろうか。もしも自分が完全に宙に浮く前にスピネルの手を振りほどけていたら。そんな風に考えているのだろうか。でも、当時十歳にも満たなかったであろう幼い女の子にその判断を迫るのは、あまりにも酷だ。分かっている。ボクだって、理解しているのだ。キミのせいでなんて、最低で最悪な言葉をぶつけるべきは、スピネルでもブルーでもないことくらい。それでも吐き出しかけたのは、母さんの歪んだ教育が始まったとき、ボクも同じようにまだ幼い五歳の子供だったからだ。辛くて苦しくて寂しくて、毎日泣いていた。
それでも、涙で溶けるブルーの瞳を目の当たりにすれば、最低な言葉は二度と形にならないように噛み砕いて飲み込まなくてはと思う。彼女の気持ちがわかるから。頭にこびりついて離れない何かに追い詰められて苦しくなる気持ち。今も自身を苛む幼い頃の記憶。それは暴力であったり、心を傷つける鋭い言葉であったりと、様々だ。
「……酷い目に、遭ったんだね」
だからこそ。必死で、優しい言葉を探した。
「スピネルは誘拐されたとき2歳で……まだ、言葉もうまく喋れなかったと思う。キミは、スピネルの傍にいてくれた?」
「……ん、だって、アタシのせい、だから……」
大きな両目から次々と溢れる涙を、ブルーは手の甲で必死で拭いながらも頷く。ボクはバッグからハンカチを取り出して一歩彼女に近寄る。その肩がびくりと大きく揺れたのを見なかったことにして、そっと彼女の眦にハンカチを押し当てた。
「そんなに泣かないで。……悪いのは、キミとスピネルを誘拐した人だ」
「パープル、」
「スピネルと一緒にいてくれてありがとう。スピネルは泣き虫で、甘えん坊だったから。キミがいてくれてよかった」
「……ん……」
「キミは、家族とは……?」
「……まだよ」
緩く首を横に振ったブルーに、胸が張り裂けそうになる。六年前。ブルーの正確な年齢は分からないが、見る限りボクとそう違わないだろう。だとしたら、当時の彼女の年齢は。どれだけ家族と会えていないのか。そもそも、家族のことをちゃんと覚えているのだろうか。ボクはもうスピネルの顔も声も遠く掠れてしまっている。酷いことだとわかっていても、時間は残酷だ。どれだけ強く忘れたくないと思っていても、時は過去を奪い去ってしまう。
「……ねえ、教えてくれてありがとう」
「あの子が……スピネルが言ってたの」
「……言ってた?」
「優しい手のひらを、覚えてるって。顔や名前、声は思い出せないけど……優しい家族がいるって」
「スピネルが……」
優しい手のひら。顔や名前、声はすっかり忘れてしまったスピネルが、唯一覚えていてくれたもの。思わずブルーの眦に押し当てていたハンカチから手を放してカッと熱を持った目尻を押さえて涙を堪えていると、ブルーが「アンタとスピネル、本当にそっくりだわ」と言葉を重ねたことで、とうとうボクの涙腺も崩壊してしまった。
もうしっかりとは思い出せないけれど。ボクに甘えるスピネルを少しだけ鬱陶しく思いながらも、やっぱり大切だった。可愛かった。スピネルがいなくなったあの日、ボクがそばにいれば、と何度も何度も後悔した。
「ブルー、ありがとう、本当に、」
「……いいえ」
キミも早く家族と会えるといいね。きっと、キミを探している。ボクと同じように。そう告げると、ブルーは再び涙を流した。
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