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ひんやりとした冷たい心地に、まどろみから持ち上げられるような感覚に陥り、私はふと薄目を開いた。

見慣れない景色── そういえば、
カタクリさんの部屋に来ていたんだっけ。

部屋について、ワインを飲んで、肌を重ねて、それから……服がまだ乾いていないから、と少し会話をしていたら疲れて眠ってしまったのか。

暖房が効いているのか肌寒さは感じないけれど、以前としてむき出しの肩に、どうやら私は下着だけを身に付けた格好でシーツにくるまっているみたいだった。

カタクリさんはといえば、そんな私の隣で、同じようにシーツに身を預けながらその瞳を伏せている。

普段、起きているときも聡明な顔つきをしているけれど、寝ているときはそれがいくらか緩和されて、穏やかな表情をしている。

いつも多少なりとて刻まれている眉間のしわが、ほとんど確認出来ないほどに薄らいでいるからかも知れない。
それを見て、心が温まるのを感じながら、私はまた、意識を夢の世界へと手放していく。



── 夢の中、
眠る私の隣で、カタクリさんが起き上がる。

ふらりと一度首を揺らして、それから私の方を見て微笑むと、ばらばらに散らばる私の髪の毛を掬ってまとめ、髪をすいている。

優しい感触に私がもぞ、と体を動かすと、その手の動きを一瞬止めて、それから、起きる気配がないのだと分かると再開する。時折、その髪の毛を持ち上げて唇を添えながら、カタクリさんは楽しそうに私を撫でている。

髪の毛を遊ぶ指はそのままに、やがて、整ったその顔が私の顔に近づいて、唇に、触れるか触れないかのキスを落とす。

一度、二度、三度 ──、
ちゅ、という可愛いリップ音だけを飛ばして。
唇だけでなく、頬や鼻にも、同じキスを落としていく。

それを私は、確かに覚醒している意識の中、リアルな夢だなぁ……と夢の中なのに眠ったフリを続けて、もっともっととカタクリさんに強請った。

「……好きだ」

キスの途中、空気に含ませるように放たれた呟きに、夢の中の私が目を開ける──、

「── カタクリ、さん……」
「…………目は覚めたか」

夢と同じシチュエーション。
再度の眠りに落ちる前と同じように、カタクリさんは私の隣で、シーツにくるまる私を見つめている。

酷く現実味を帯びたまどろみの中に迷走していたせいか、その区別がいまいちつかない頭で、カタクリさんの質問に答える。

(──そうだ、眠っていたんだ……)

それを少しだけ残念に思いながら。

「……はい。すっかり。カタクリさんは、」
「俺は先に起きていた……が、こうして人の寝顔を見るのも悪くないもんだな」

横を向き、腕を折り曲げ手のひらで頭を支えるようにして寝転がりながら、カタクリさんはそう言ってくっ……と笑う。

冗談とも本気とも分からぬその言葉に、怪訝そうな顔を寄こしてしまえば、更にその笑い声が大きくなる。

「だったら、起こしてくれればよかったのに」
「気持ち良さそうに寝ていて、よく言う」
「……何分くらいですか?」
「冗談だ。俺もほんの少し前に目が覚めた」
「……なぁんだ、」
「安心したか?」
「…………まさか、それも冗談?」
「、どうだかな」

寝起きというには、はっきりした声色だったから、恐らく最初に述べていたことが真実なのだろう。どこまで私が起きるのを眺めていたかは分からないけれど、やけに楽しげに口角を引き上げるカタクリさんの、筋張った私より遥かに太いふくらはぎを、そのお返しと言わんばかりに、柔く力を込めたつま先で蹴り上げる。

その拍子に、やや仰向け気味のままだった体を顔ごとカタクリさんの方へ向けて、それから──私の攻撃など全く効いていない様子の相手を見て、悪態を漏らす。

「もう……酷いです」

──カタクリさんの方へ向き直ろうと体を浮かしたとき、シーツが山なりに靡いて、隠されていた両腕が空気に一瞬晒されていた。

──言葉は、
“それ”よりも少し遅れていた。

私が“それ”に気付いたときには、
既に言葉は口から出たあとだった。

「え……」

カタクリさんは私が「気がついた」ということに「気がついていた」のか、私の幼稚な反論には何も言わないまま、少しだけ目を細めて、私を見ていた。

それを見ても状況が飲み込めなくて、困惑のような、自分でもよく分からない吃音のような声が出て、いまはもう元の位置へと収まったシーツを捲るのが怖かった。

固まる私をよそに、カタクリさんの、自身の頭を支える手とは逆の手が、シーツの中を這って私の手をそこから救出してしまう。

大きな手のひらに覆われて、その下の、カタクリさんの手よりも小さい私の手のひらは、すっぽりと隠されている。

「ナマエ」

名前を呼ばれる。
熱を込めた、滑らかな声だった。

瞳を細めて、カタクリさんがその手をゆっくりとほどいていく。

──左手。

順を追うように姿を現す私の左手の指、最後の二本、のうちの、長い方。

──薬指に、
見慣れない指輪がはめてある。

銀色のそれは、私の眼下まで指ごとずいと差し出されると、ライトを反射させて金色を帯びる。

「これって……」
「……見れば分かるだろう」
「そうじゃなくって……カタクリさん、
これ……」

自分の薬指だけが、切り取られてしまったかのように現実が受け止めきれなくて、まるで他人事のように同じことを繰り返す私のその指を、改めてカタクリさんに撫でられる。

そこから伝わる確かな体温に「ああ、自分の指だ」と、当たり前のことを思って、どっと押し寄せてくる感情を整理しようとする前に、それは両の瞳から制止を振り切って溢れ出ていってしまう。

嬉しいも、ありがとうも、
どうしても、何も、言えなくて。

言葉が出ないってことは、こういうことを言うんだろうな、と私は思った。それほどに、ぐちゃぐちゃと色々な感情が混ざり合って、どれを一番に伝えればいいのか咄嗟の判断が効かなかった。

真っ白になる頭のまま、それでも彼を見ていたくて。涙でぐしゃぐしゃの顔を、カタクリさんへ向けると、彼は私が告白をしたときみたいに困った顔をしていた。

「……すきだ、ナマエ」

呆れたような声で、子供をあやすようにカタクリさんが言う。それは今までの一度も彼が口にすることは無かった台詞だった。

──「保証」は、出来ていたのだろうか。

今までの私の、彼に比べたらうんと幼い愛情表現は、彼の許しに答えてあげられていたのだろうか。その答えは、いま、私の薬指を確かに彩っていた。

……そこだけが、私のちっぽけな世界から切り取られたみたいに、彼と同じ色をしていた。

「ナマエ」

愛おしそうに名前を呼ぶその無骨な指が、涙の伝う頬を、ゆったりと撫でていく。

その一分一秒が果てしない時間にも、そして一瞬にも感じられる不思議な空間で、私は時間の許す限りに涙を流した。

瞳から溢れる透明の球体に、様々なものが反射し、色を付けていく。

(カタクリさん、カタクリさん……)

呼び返すことも出来ないくらいに咽ぶ私の心の声は、けれども彼には聞こえているようだった。


「……結婚しよう」


そう言って攫った左手の、指輪にそっと口づける。

「……はい」

突然だと、非難する言葉を用意するよりも先に、私はただひとつ、絞り出した声に乗せて頷き返すと、攫われたままのその手に誘われるように彼の胸へと飛び込んだ。





angel song
 〜イヴの鐘

クリスマスを告げる天使の鐘が響く