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広間への廊下を歩きながら、彼の事を考える。
オーブンさんに冗談混じりで告白まがいのことをしたけれど、本当にそう思うこともなくはないなあ、と改めて思う。

私は最高傑作の彼の、どこが好きなのだろう。
女性には冷たいし、話しかけてもそっけないし、重い荷物も持ってくれないし。

けれど、私はそれを気が利かないとか、そう思ったことは一度もないことを思い出す。優しくないな、とは、たまに思うけど。

そんな彼が先月、私からのチョコレートを受け取ってくれた。
本当に嫌々、渋々、という感じだったけれど。

私が差し出した包みを凝視して、「俺にか?」だとか「食えるんだろうな」とかそんな失礼な事を言っていた気がするけどよく覚えてない。

「本命です」と、いうつもりだったけれど、本人を目の前にしたら何も言えなくて、ただただ挙動不審に包みを差し出して「良ければ貰って下さい」となんとも淑女たる科白を吐いてしまった気がする。

それがヒットしたのかどうかは別として、彼は一度顔をゆがめて溜息を隠そうともせず、「俺だけにか?」と、意図の掴めない言葉をこちらに投げつけて。それに一度慌てて頷けば、私の手の中のものを奪い取っていった。
確かに、受け取ってくれた、はず。

それから何度か彼に会う機会があったけど、チョコレートの感想は何も無かった。その事実が、私を不安にさせる。

付き合いたい、とか。思わないこともない。
けど、もし振られてしまうのならこのままでもいいと思ってる自分もいて。

お返しなんて口実に過ぎなかった。
私は彼から、それらしい言葉が聞きたいのだ。
それが私の望むものでなかったとしても。


とりあえずペロスペローさんのもとへ向かう事にした私は、どくり、と柄にもなく緊張を示す心臓を抑えつけながら幹部室を目指す。

顔見知り以外の使用人の人たちは、私の存在に訝しそうに目を細めて、ひそひそと何かを呟いているみたいだったけれど、今の私はそれどころじゃない。

慣れていなければ目が回りそうなくらいの角を曲がって、辿り着いた幹部室に、思わず背筋が伸びる。

ペロスペローさんは、オーブンさんと同じで私の気持ちを知っている。
だからもし、ここに彼が居たとして私が扉を開けたとしても、瞬時に事情を理解して、その威厳のある表情を柔和に緩めて仕方ないなって笑って話を合わせてくれるだろう。

だけど、もし中に居るのがダイフクさんだったら、私は死ぬしかない。
あの人も私の気持ちを知っているけれど、良い意味でも悪い意味でも引っかき回すばかりで協力をしてくれないから。
きっと、揶揄っているのだ。ダイフクさんは何より、そういう面白そうなことが大好きだから。

部屋を目の前にして、これから訪れてもいい最悪の事態一度頭に浮かべて、深呼吸をする。

「ナマエです」

意を決し、数回ノックをした後、部屋の内側に向けて声をかける。

「入りなさい」

──良かった。
この声は、ペロスペローさんだ。

安心して重厚な扉を開ければ、ペロスペローさんと目が合うより先に、視界に飛び込んできた黒い革のジャケットとパンツに、反射的に背筋が強張るのが分かった。

気付かれぬように視線を逸らして、見遣った先のペロスペローさんは、やっぱり諦めたような優しい顔をしていたから、私は益々もう一人の彼のことを直視出来なくなってしまった。

「すみません、大事な話中でした?」

静けさの中、ペロスペローさんがぺらぺらと手配書をめくる音を聞いて、咄嗟に問う。

「ああ……、いや。大丈夫だよ。ナマエちゃんこそ、何か話でもあるのかい?」

自然に視線を宙へと動かしてペロスペローさんが問えば、不躾に向けられるもう一つの視線に私は苦笑する。

ぺらぺらと紙を捲る音だけがゆったりとした時間と共に流れて、少しだけ、落ち着いた気分を取り戻しかけた、その時だった。

「ナマエは、俺に用事があるようだな」

溜息を盛大に含んだ、抑揚のない独特の低い声が部屋を舞う。

「えっ……?」

その言葉に思わず彼の顔を確認するも、真意は窺えず、助けを求めるようにペロスペローさんに視線を送れば、その顔が何か温かいものを含むようにこちらに向けられていて私は戸惑った。

彼の顔は相変わらず無機質なままで、何も映していないように思えるのに。

「ペロス兄、悪いが少し時間を貰う」
「ああ、あとは一人でも出来る量だから大丈夫だペロリン」
「……悪いな」
「いや、良いんだ。ナマエちゃんにもお前にも、世話になっているからね、ペロリン」

手配書をいじる手を止めて、一度微笑んだペロスペローさんは、もう一人の
──カタクリさんの顔を見て、更に口角を上げると楽しそうに呟く。

「カタクリ。頑張れよ」
「……ペロス兄。それは余計なお世話だ」

二人の会話の行間を読めない私だけが取り残されて、ただただ戸惑うことしか出来ない。

そんな私の様子に気付いたカタクリさんは、元々深かった眉間の皺を更に深く刻ませて舌うちでもしそうな勢いで私の名前を呼ぶ。

「ナマエ」

変わらず抑揚のない声だけれど、今度のはやけに耳につく言い方だった。上手く形容出来ないのが惜しいくらいに。

「行くぞ」

カタクリさんはそう言うなりペロスペローさんに軽く手を翳すと、私の背後にある扉の前までやってきて、こちらを一瞥する。

大きいけれどどこか繊細に見える手によって開け放たれた扉の先が、見慣れたものとは違う別のもののように感じられて、一瞬戸惑ってしまったのが癇に障ったのか、カタクリさんは一度首を傾げると、私の背に手を伸ばして外へと押し込む。

服越しに触れたその手のひらが思ったよりも熱を帯びていたから、勢いのまま押し出されてつんのめる体勢で部屋を後にしてしまったのだけれど、咄嗟に振りかえった先、ペロスペローさんが、酷く楽しそうにカタクリさんと私を見ていたから、私は眉尻を下げて曖昧に笑い返すことしか出来なかった。


カタクリさんはあれから一言も話さない。
廊下の床一面に敷かれた豪華そうな絨毯が、二人の足音を吸収して、この場は驚くくらいに静かだった。

ただひたすらに前を向いてどこかへ案内するカタクリさんの後ろを大人しくついていけば、暫くして不意に止まった背中に私の足も止まる。

本部へは何度も来た事があるけれど、入ったことのない部屋だった。きっと、幹部一人一人に分け与えられる部屋なのだと思う。

カタクリさんは私の顔を一瞥して、木の擦れる音の立つ扉を開ける。

ぶっきらぼうな態度なのに、私が部屋に入るまで扉を押さえていてくれる辺り、カタクリさんらしいなと思った。

異性を尊重する行動は少なくても、彼は男性相手でも女性相手でも、何気なしにこういうことが出来てしまう人だから。

「……入れ」

部屋の中は他のものと比べて随分と簡素で、けれどお洒落なものだった。
黒の革張りのソファがローテーブルを挟んで二脚、観葉植物が置かれ、高そうな陶器の置物も置いてある。

カタクリさんは私が入ったのを確認してゆっくり扉を閉めると、奥のソファを手指して私をそこへ促した。

促されるまま腰を下ろしたはいいけれど、カタクリさんはと言えば、私の挙動を横目で見るだけで、入口にほど近い壁を背にして腕を組み瞳を伏せてしまった。

……向かいに座る気はないらしい。
その距離に、分かってはいたけれど少しだけ寂しい気持ちになる。

「……それで、話とはなんだ」

閉じていた瞼を開けて、こちらに視線だけを寄こしたカタクリさんが言う。

「……え?」
「俺に話があるんだろう」

先ほど言った言葉とは逆のそれに、思わず首を傾げてしまえば、面倒くさそうに小さく溜息を吐いてこちらに歩みを進めてくるものだから、自身の喉が一気に潤いを失うのが分かった。

「……。大方、予想はついているが」

私の横を通り過ぎて、その背後の棚へと向かったカタクリさんが、何かを手に持ってこちらに戻ってくる。怠慢な動きで繰り出される足が徐々に近づく音がする。

きゅ、と革独特の擦れる音を一つこぼして、カタクリさんが私の前に座る。

ローテーブルを挟んでいるとはいえ、普段とは比べ物にならない近さに、心臓が跳ねた。

──その、刹那。
カタクリさんの手に持っているものを見てしまい、私の心臓は引き裂かれる思いだった。

「それ、……(私のあげたチョコレート……)」

手作りは、嫌がられるだろうと分かっていたから、奮発して高いチョコレートを買った。
スイートシティにも最近店舗を出したばかりの人気店で、買うまで時間がかかったけれど、その分きっと気に入ってもらえるものが買えたと、自分でも満足していた。

バレンタインデーの時期だったお陰で、無料でラッピングも頼めたから、カタクリさんは何色が好きだろう。と、考えて。
刺青も瞳も暖色だから暖かい色が好きなのだろうと思って、中間色のオレンジを選んで、リボンもそれに合わせて金にして。

店員さんに微笑ましそうな表情で見守られてしまったくらい悩んだし、渡すまで何度も見つめてしまったから、嫌というほど目に焼き付いてる。それと……同じラッピングだった。

オレンジの包装紙に、金のリボン。
……やっぱり、食べてもらえなかった。
その事実が、思ったよりも遥かに大きな痛みとなって私に重くのしかかる。

カタクリさんの手が、ゆっくりとローテーブルにそれを優しく下ろした。

「お返しが欲しかったんじゃないのか」

無骨な中指と人差し指が、綺麗にラッピングされたままのチョコレートを私の方へとスライドさせる。意思とは反対に視線をそれから動かせなくて、視界の端に捉えた、ストールの隙間から、意地悪く上げられた口角しか今は窺い知ることが出来ない。

「……いらないです」

頭の中で思い描いていた声よりずっと、冷たい声が出てしまう。

カタクリさんの少し愉快そうにこちらを覗いていた瞳が細められて、一気に不機嫌になったのが気配で分かった。

どうしてそんな顔をするのだろう、その理由は分からなかったけれど、彼はまさか私がそれを受け取るとでも思ったのだろうか。

「……。」
「……」
「俺にはお前の考えていることがよく分からん」

包装紙を抑えていた指を離して、ソファの背もたれへと体重を預けて、両手と足を組んだカタクリさんの溜息が聞こえる。

その声色が珍しく困っているようだったから、俯く首を無理やり引き上げてカタクリさんを見遣る。彼は眉間に深く皺を寄せて、何か考えているみたいだった。

「おまえは俺のことが好きなんじゃねェのか」
「え……?」

ぽつり、と、思いもよらない言葉をかけられて、カタクリさんの顔を凝視してしまう。

目元は大きな手のひらに隠されて見えない。
口調はどこか素っ気ないものだったけれど、その口元はたぶん少し尖って、いつもより幼い雰囲気が感じられて、私は再び視線をローテーブルに移す。

そうして嫌でも視界に入るオレンジに、下唇を緩く噛んで、寄せてしまいそうになった眉が、それを見つめる時間と比例するように徐々に離れて行く。

──なんだか、私のあげたものより一回り大きい気がする。

さっきはカタクリさんが持っていたから小さく見えたけれど、比較するものの無くなった四角い箱は見覚えのあるそれよりも幾らか大きく見えて、まさか、と私の中で一つの考えが浮かんでしまう。

 そんな、嘘だよね?
 だって、……


「これ……。もしかして同じところで買って来たんですか?」


そんな甘いこと。
あるはずないのに。


私の問いかけに、カタクリさんが目元を覆っていた手のひらを下げる。
面倒くさそうに歪められた瞳がこちらを向いて、テーブルの上のものを一瞥すると再び戻ってくる。

カタクリさんが口を開くまでの数秒間のあいだが、怖ろしく長いものに感じられて私の心臓が激しく跳ねる。

勘違いだったらどうしよう、という杞憂が頭をよぎりそうになったとき、彼がオレンジを掴みあげてこちらに差し出してくる。

「見て分からないのか」

数度上下に揺らして、受け取れと催促をしてくる右手に促されて、それを両手で受け取れば、私のあげたものよりも少しだけ重いそれに泣いてしまいそうになる。

……私のあげたものをそのまま突き返されたのかと思ったのに。

そんな考えが伝わったのか、大きなため息が目の前から発せられて、居たたまれない気持ちになりそうになるのをぐっと堪えてカタクリさんに笑いかける。

「……ありがとうございます」
「……。」
「……」
「何を勘違いしたのかは知らねェが、最初から素直に受け取ればいいんだ」

普段通りの意地のわるそうな笑みを返されて、思わず頬が緩んでしまう。

わざわざ私のために買いに行ってくれたということが嬉しくて。
勘違いしてしまったけれど、ラッピングも同じにしてくれたことが嬉しくて。

ああやっぱり私はこの人が好きだなぁ、なんて現金なことを考えてしまう。

「……それで、」

貰ったお返しを大切そうに両腕に抱けば、それを横目で見たカタクリさんが不意に言葉を紡ぐ。

言葉を中途半端に止め、ソファの背もたれから身体を起こして、ローテーブルを足で退けたかと思えば、その距離を詰めんばかりにこちらに身を乗り出してくるから視線が逸らせない。

彼が伸ばした左手が、私の座るソファの縁に置かれて、革の軋む音がしたけれど、近づいてきた顔にそんな事を考える余裕は無かった。

カタクリさんから離れるように、じりじりと背もたれに沈んでいけば、それすら詰めるように、鍛え上げられた身体が迫ってきて、顔を下げるタイミングを失ってしまう。

「それは、好意と受け取って良いんだろうな」

私の身体を覆いながら、吐息のかかる距離まで顔を近付けたカタクリさんが不敵に笑う。

その質問にやっとの想いで小さく頷けば、満足そうに目を細めて私の前髪を耳にかけてくれる。その顔が酷く優しくて、期待してしまう。

「……カタクリさんも、ちゃんと、お返しってことで良いんですよね?」

もしかしたら、そんな事を想いながら、ぎゅ、っと箱を包む両腕に力が入る。

数秒考えるように、目の前の瞳が閉じられたかと思えば、再び緩く開かれた両の赤が、私をいとも簡単に射抜いていく。

「……ああ」

ややあって返された言葉に、現実味を感じられなくて、今度こそ泣いてしまいそうになる。

そんな私に気付いたのか、髪の毛を触っていた手が後頭部に回って優しく撫でていく。
そのぬくもりに、身を任せるように笑いかければ、カタクリさんの顔がまた少しずつこちらへと近づいてくる。

「……だが、それだけじゃねェ」

今までと比べ物にならない心臓の高鳴りを感じながら、私はその身を縮めて目を瞑った。





君の愛してるはわかりづらい

僕は君中毒になって久しいよ