入籍から一週間後、病院で面談が行われた。
病院の一角にある面談室でテーブルの向こうに座った神が遠慮がちに、彼女のことを手のひらで指差した。
「そちらが……」
「はじめまして、名字名前です。」
髪を黒く染め直し、真新しいグレーのスーツに身を包んだ彼女はまるで、銀行の面接に来ている女子大学生のようだった。実際その日の朝、待ち合わせ場所に現れた彼女を見て宮城は自分の目を疑ったほどだ。それほど彼女はうまくなりきっていたのだ。
彼女が会釈を返しながら名乗ると、神が笑みを浮かべて言った。
「聞いてますよ、アンナさんから」
「えっ?」
「お兄さまが結婚するんだって喜んでましたよ」
宮城はまだ彩子と別れたことをアンナに話していなかった。いずれ、話さなければならないとは思っていたがアンナが受けるショックの大きさを考えるとまだその時期ではないだろうと判断して控えていたのだ。
「そう、スか……」
あいまいに頷く宮城から神が再び彼女に視線を移した。
「実は僕、宮城さんとは、顔見知りなんですよ」
「え……そうなんですか?」
「はい、高校時代の。まあ……負けちゃったんですけどねぇ。バスケットで。」
「へえ……。」
驚いたようにも感心したようにも見える面持ちで宮城を見やる彼女から、ぷいっと唇を尖らせて宮城が、視線を逸らした。それを見た神が小さく笑い「世間話はここまでにして……」と言って、そのまま言葉を続けた。
「ドナーになる決心をされたんですね?」
「はい」
「驚いたんじゃないですか?ドナーの話をされたときは」
「最初は……でもいまは、納得しています。」
「そうですか……。」
ざっと五分ほどかけて肝移植について説明した神に彼女は短く「わかってます」と答えていた。彼女は検査後も移植コーディネーターや精神科医との話し合いや倫理委員会での承認が必要であったりと、まだまだ難関は残っているようだった。それを聞いて思わず母親と顔を見合わせた宮城に神が言った。
「アンナさんを動揺させないためにも私が奥様と会ったということは、決して気づかれないようにお願いします」
「……ああ、うん。わかった」
「——じゃあ、検査は明日でも大丈夫ですか?」
「お願いします」と、個々に三人で頭を下げて椅子から立ち上がりかけた宮城に神が言った。
「結婚式、楽しみだな」
「えっ?」
「いや、アンナちゃんがさ、ウェルカムボードっていうやつ?結婚式で使う……」
「……」
「あれのデザインをいま考えてるんだって、張り切ってたから」
「あ、ああ……」
「あ……言ったら怒られちゃうかなぁ。いまのは、聞かなかったことにしてください」
神が彼女を見て人差し指を口に当てがいながらウインクをして言うと「はい」と笑みを浮かべて頷いた彼女と、その横で苦笑いをする宮城の顔を見比べながら唐突に神が問う。
「おふたりは、どこで出会われたんですか?」
「えっ……」
と、そのまま、言葉に詰まってしまった宮城に代わって彼女がとっさに答えた。
「——海で、」
「海?」
「スキューバ、してたんです、イケメンの——魚を探して」
「えっ? ハハハ。魚にイケメンとそうじゃない魚なんてあるんですか?」
「え、ええ。魚の世界じゃヒレの大きい魚の方がモテるんですよ?」
そう言って笑った彼女を宮城が見やる。あの日帰り道で同じ話をしたことを思い出したからだ。そのまま一生懸命に説明を続ける彼女の横顔を、宮城はただじっと見つめていた。
「へえー、そうなんですか?」
神が感心したように今度は宮城に問い掛ける。
「あ、……ハイ、そーなんデス。」
そうカタコトで言って頷く宮城を横目に彼女が続けて宮城を指さして言った。
「それで見つけたのがイケメンの魚じゃなくて、こっちのイケメン……」
「えっ?」
「……っ、」
「ははは、参ったなー。惚気られちゃったかな」
そう言って柔らかく笑う神に合わせて面を食らったように宮城もハハ、と愛想笑いを浮かべた。
*
面談の翌日。朝の十時過ぎに彼女は宮城に車で病院まで送ってもらい検査に臨んだ。
午前中は採血と心電図、胸腹部のレントゲンに、呼吸機能、血液ガス検査。そして午後からは腹部のCTと超音波検査、内視鏡検査などをして、思いのほか大がかりだったため、終わった頃にはクタクタに疲れていた。
そうして、安堵の溜め息をつきながら着替えを終えた彼女は神の待つ面談室へと向かった。
「検査が終わって、どうですか?」
「……どう、って?」
「話を聞くうちにやっぱりドナーになるのを躊躇する方も多いんですよ」
「そう、ですか……」
「昨日もお話しましたがお腹に傷痕も残ってしまいますし、そもそも若い女性がドナーになる例は少ないので……すみません。」
「……べつに、大丈夫です。」
「そうですか……。では、検査結果は、数日後に出ますので」
「わかりました」
その日の夜、夕飯を食べていた時ふいに宮城が彼女に問いかける。
「連絡、とってんの?」
「ん?」
宮城が、台所に立っているカオルに聞こえないように「兄さんと……」と、声を小さくした。
「……なんで」
「あ、ううん……」
そのときカオルが「はい、お茶」とふたり分の湯呑をテーブルに置いた。
「あ、俺ちょっと病院。届けに行ってくる。」
「リョーちゃん、お願いね。」
「うん」
そう短く返事をした宮城は、アンナへの荷物を持ってダウンジャケットを羽織ると、居間を出て行く。間もなくして玄関が開閉した音が聞こえて来た。
「名前さん」
「ん?」
「お疲れさま。」
「え、なにが?」
「検査、ひと通り終わったから。」
「……そーいう、契約だからね。」
「……。」
まさかの労いの言葉に、彼女はすこし動揺して素直に「ありがとう」と言い返すことができずにそんな、ぶっきらぼうな言葉しか返せない自分を恨めしく思ったりした。
晩御飯を食べ終え、風呂に入った彼女は宮城の部屋で水槽のクラゲを眺めていた。そのときふと今は使われていないであろう、古い勉強机の隅に上がっている写真立てに目を向ける。
その写真立てをそっと手に取った彼女は写真の中の宮城を探し当てると、不意に目を細めた。
写真立てのなかには、自信に満ちた表情を貼り付けた、真っ赤なユニホームを着た五人の高校生くらいの少年たち。そしてその背後には、大勢の人が笑顔で並んでいる。それはまさに言うなれば��青春の勲章�≠ニ謳えるなんとも輝かしい情景。
「バスケット……か。」
思わずぽつりとつぶやいた彼女は、持っていた写真立てを元の場所に戻すと、宮城の部屋を出て行った。