仕事から帰ってきて部屋で水槽のクラゲに餌をやっていた宮城の背中に彼女が声をかけた。

「なんかさあ」
「……うん?」
「あの医者、疑ってるみたいだよ?」

 彼女はその日、神から呼び出されて、ついこのあいだまで宮城が他の女性と婚約していたのにもかかわらず自分と結婚をし、しかもその話が妹に伝わっていなかったことを知っているのかと聞かれた。彼女は当然知っていると答え、すべて納得したうえでドナーの件も承知したのだと答えた。だが神はすぐに納得しなかった。常識的に考えて不自然だと言うのだ。

「俺のとこにも来たよ。正直、疑ってるって言われた」
「私も。どうしてそんなに急に結婚を決めたんだって聞くから、男と女なんてそんなもんだって、言ってやったよ?」
「はは、あいかわらずだねー、強すぎ。」
「あと、それとも電撃結婚だとドナーになれないんですか? ってのも、言ってやった」

 そのとき神は本来健康であるあなたは体にメスを入れる必要はない。ドナーになるのも義務ではない、提供しない選択肢もあるのだと言った。
 彼女はそれを言われ神はアンナを助けたくないのかと逆に質問した。もちろん助けたいと、神は答える。その気持ちは自分も同じなのだと伝えたかったのだ。
 ひと通り、彼女の話を黙って聞いていた宮城が小さくうなずいた。

「ありがとね……」
「え? いや、ううん。わたしは、べつに……」
「とっても、心強いデス」
「……。でもさあ、」
「ん?」
「確かに突然結婚しましたって私を連れてったらショック受けるんだろうなあ、妹……。」

 宮城の表情にさっと陰がさすのを見て、空気を変えようと、彼女は手に持っていたビニール袋の中身を宮城のまえに広げて出す。
 宮城は、不思議そうにその動向を眺めていた。袋の中から出されて床に広げられたのは、彼女が今日買ってきたであろうネイルボトルや、ネイルストーンのシールであった。

「ねえ、こっちとこっちの色、どっちがいい?」

 二つのネイルボトルを両手に持って宮城の目の前に翳して、そう問いかける彼女。

「えー? わかんない、俺そーいうの……」
「わかんないじゃなくて、どっち?」
「ん〜……」
「……もういい。」
「あ、これ……かなぁ。」

 彼女が諦めて袋の中に品物を戻していると宮城がなにかを手に取りそう言った。宮城が手にしたのはネイルボトルではなく、小さな星がいくつも貼り付けられている、ネイルストーンのシールの台紙だった。そのまま再度、クラゲの餌やりをしはじめた宮城を横目に、彼女も少し満足げな顔をして水槽のクラゲに視線を移した。


 *


 その四日後———彼女はネイルアート用の品物を持って病院へ向かった。屋上で会った女の子との約束を果たすためだ。ネイルを施した彼女の爪を見て「可愛い」と言ってくれた彼女の笑顔を思い出しながら、教えられていた707号室に入った。

「——あっ!来てくれたんですねー!」

 ニッと微笑み返した彼女は、アンナのベッドの横にある椅子に腰をかけると「さてと」と言ってベッドの上で体育座りをしているアンナの目の前のテーブルに持ってきたネイル用品一式を広げた。

「わあ、すご〜い!たくさんある」
「好きな色、選びなよ」
「えー、どれにしようかなあ〜」

 あれこれ手に取ってしばらく悩んでいるアンナに彼女が呆れたように言う。

「そんなに悩む?」
「へへへ。いつもなら私がそっちなのになあー」
「え?」
「私ね、兄がいるんだけど無駄にイケメンでさ?早くしてって言うの、いつも私のほうなの」
「へえ」

 結局悩んだすえに「決ーめた!」と言ってオレンジ色のネイルに決めたアンナ。ネイルストーンは宮城が昨晩選んだあの、小さな星の物だった。
 彼女にネイルを塗ってもらっている最中アンナがふいに質問をする。

「お姉さん。お家、この辺なんですか?」
「うん、最近だけどね」
「そうなんだー」
「いいとこだよね……海のそばってさ、住んだことなかったから」
「うん! だれか家族が入院してるんですか?」
「私、家族いないから。」
「あ、……ごめんなさい」
「え? 全然いいよ、ひとり慣れてるし」
「私もここじゃあ、同じようなもんです……」
「え?なんでー?君には家族いるでしょ?ほら、そのー、無駄にイケメンな兄貴とか?」
「ははは!そうだった、そうだった!」

 アンナの指先にふっと息を吹きかけて、彼女が言った。

「……よしっ、完成。」

 直後、両手を窓の方に翳しながらアンナが歓声をあげる。

「わあ〜、かわいい!ありがとう!」

 笑顔で応えた彼女にアンナもうなずき返すと、頭の上に高々と両手を掲げて言った。

「早く退院できますように——」
「え……?」
「星に願いを……なんつって!」
「ああ、爪に星のストーン付けたから?」
「ピンポーン!」
「ふーん……なるほどねー」
「あっ、ねえねえ。お姉さん、連絡先教えて?」
「うん、いいよ」

 足元に置いてあったバッグから携帯を取り出し顔をあげた瞬間、彼女の視界に仕事の休憩時間を利用して来たであろう、良く見知った人物の姿が飛び込んできた。

「あ、リョーちゃん!」

 アンナが声をあげたのとほぼ同時だった。彼女は宮城からすぐに視線を外し急いでネイル道具を片付け始めた。

「いまね、ネイルやってもらってたの!」
「え、あ。……そ、そーだったの?」

 答えた宮城の声があきらかにこわばっている。しかしアンナは気にも留めず兄に向かって彼女のほうに手のひらを返しながら言った。

「こちらはー、病院でお友達になった……あれっ、そういえば名前聞いてなかった」

 彼女はそそくさと椅子から立ち上がると視線を逸らしたまま「どうも、名字名前です」と宮城に会釈した。

「ど、……ども。」
「そっか、名前さんっていうんだ。私は宮城アンナです!」

 彼女はぎこちない笑みを浮かべてうなずくと、バッグを手にして宮城とアンナに向かって小さく頭を下げた。

「——じゃあ、私はこのへんで」
「うん!ありがとう名前さん、またね!」
「……うん」

 足早に病室を去る彼女の背後で「彩子さんにも見せてあげたいな〜」という、アンナの華やいだ声が聞こえた。


 *


 仕事から帰って来た宮城に気付き居間の扉からヒョコッと顔を覗かせた彼女が頭を下げて言う。

「ごめん。」
「えっ、……なにが?」
「ほら、妹って知らなかったから……先に名前、聞いとけばよかったんだけど」
「いや、ううん?謝ることないよ、ちゃんと言い出せなかった俺がわりぃーんだし」
「……」
「でもさ、ありがとね。」
「ん?」
「アンナ、すっげー嬉しそうだったからさ。」

 その慈しむような宮城の横顔を見て目を細めた彼女が照れ臭そうに笑って「あんたさー」と言った。

「ほんと、いい兄貴だよね。」

 宮城はまるで聞こえなかったように軽く咳払いすると「ちょ、ちょっと手洗ってくる」といって洗面所のほうに歩いて行った。


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