翌日の夕食、カボチャの煮付けが入った小鉢をのぞき込みながら宮城がカオルに問う。
「あれ? 煮物、味付け変えたの?」
「えっ、わかる?……やばい?」
「うん、やばい」
「どっちの?」
「おいしーよ? おいしーほうのヤバイ。」
その宮城の返事を聞いてカオルが彼女に向かってニンマリと微笑みかけた。彼女は素知らぬフリをしている。そうしてカオルが得意げに言った。
「それね、名前さんが作ったの」
「え! へえー、そーなんだぁ」
「だから言ったでしょー?」と、今度は彼女が得意げに言って宮城を見た。
「料理くらいできるって……」
その言葉に宮城が笑いながらなにかを言い掛けたとき宮城の携帯が鳴った。テーブルの上にあがっていた携帯の液晶に目をやった宮城の表情が、すっと引き締まった。
電話を終えて「誰から?」と聞いたカオルに、宮城は「病院」と答えてから続けた。
「明日、アンナが帰ってこられることになった。一日だけ、外泊許可が出た」
「え? ほんとに?そうなの?」
「え……あんたがあの医者に頼み込んだの?」
「うん。ゆっくり家族で話ができるようにって、こないだ見舞い行ったとき、お願いしといた」
「へえ〜、いよいよご対面ってやつ?」
彼女が少々うきうきした表情で言いながら宮城とカオルを交互に見た。
「あの子、驚いちゃうかなー?」
彼女のその言葉のあと、すこしの沈黙。宮城が「うん、」と自分に言い聞かせるように、小さく言ったあと彼女の方に身体を向けて「ごめん」と言いにくそうに応えた。
「まずはさ、三人だけで話、させてもらってもいいかな……」
彼女は目の前に、するすると透明な幕のような物がおろされていくのを感じた。しかしこれは、初めての経験ではない。親戚の家で居候暮らしをしていた十代半ばまでこんなことはしょっちゅうだった。だから彼女は宮城に、ぜんぜん平気だという顔をした。
「まあ、そうだよねー、そのほうがいいよ。」
「……、」
「大丈夫、だいじょうぶ。こっちは勝手にどっか泊まるし」
そう言うと彼女は自分で作った煮付けを口の中に放り込んで、むしゃむしゃと食べてみせた。
*
翌日、彼女は二時を少し回ったところで早めに家を出た。アンナから二時で夜勤のシフト明けになる神の車に乗って送ってもらうので帰宅は三時過ぎになると思うという連絡が直接カオルの元へ入ったのだ。玄関で彼女を見送るカオルに本当に泊まるところはあるのかと、何度も聞かれたが、「大丈夫、だいじょーぶ」と、昨夜と同じ口調で応えた彼女はそのまま宮城家を出た。
久しぶりに服でも見に行こうかなーなどと考えながら宮城の家の前の坂道を降りていた彼女は、反対側から走って来た、一台の車に目を止めた。
見覚えのある、赤いスポーツカー。彼女は咄嗟に電柱の物陰に隠れてその車の運転席に目を凝らした。竜だった。間違いない。兄は自分の居場所を嗅ぎつけた——。そう確信した。
案の定、宮城家のまえで車のブレーキランプが赤く光った。悠然とスポーツカーから降りてくる竜に向かって彼女は、勢いよく突進していった。「なにしてんの?」「オメーには関係ねーだろ」の押し問答で無理やり竜を車の中へと押し込んで自分も助手席へと乗り込んだ彼女。
「早く出してよ」
と、吐き捨てた彼女に従ってハンドルを握って走り出した竜がしばらくしてまっすぐ前を向いたまま言った。
「結婚すんだろう?」
「……」
「隠すことねーだろ。めでてぇ話じゃねーか」
「なんで、わかったの……」
「あん? なにが?」
「どうやって探り出したのかって聞いてんのっ!私が、あの家にいること」
「べつに。こないだ風邪気味でよ、病院行ったら宮城さーんって看護婦に呼び止められてるお前を見掛けてびっくりしただけだ」
「……。」
そのまま車内には沈黙が流れ車が踏切を渡って海岸沿いの道を右に折れた。しばらく行ったとき彼女の目に、自転車を漕ぐ宮城の姿が飛び込んできた。家でアンナを迎えるために、早退してきたのだ。彼女はとっさにシートに身体を埋めて顔を背けた。しかしどうやら兄は彼の存在に気づいていないらしいことに、ほっと胸を撫で下ろした。
竜はハンドルを切って海岸沿いの県営駐車場に車を入れた。それを待ってから彼女が口を開く。
「今度は、いくら」
「あ?」
「いくらだって聞いてんの!」
「あー、百万……や、五十万でもいい」
彼女を拝むように顔のまえで手を合わせる竜に対して、吐き捨てるように言った。
「私が、働けばいいんでしょ……。その代わり、もうあそこの家族には近づかないで」
「ああ、わかった。いつもわりーな」
その言葉を聞き届けると、彼女はドアを開けて車の外に出た。それを追って竜も外に出る。ずんずんと歩き出す妹の腕を掴んで笑いながら「なに怒ってやがんだ」と竜が言ったとき突然背後から「おい!」と叫ぶ、男の声がした。宮城だった。
宮城は乗っていた自転車をその場に打ち捨てるようにして置くと、二人のほうに近づいて来た。ずいぶん急いだのだろう。息が少し荒かった。
「……よう、」
そう言って、手を翳してニヤリを笑う竜を無視して、宮城が彼女の腕をつかんで言った。
「行こう……」
しかし彼女は、その手を振り払って叫んだ。
「放っといてよ! あんたには関係ない!」
彼女の思いがけない反応に一瞬、言葉を失った宮城を竜が、哀れむような目で見た。
「そーゆうことだ——��宮城さん�=B 」
竜に手を引かれて車の方へと引き戻されていく彼女が宮城のほうを振り返って苦渋に満ちた顔をしながら言った。
「——約束は、守るから……」
そう言い残して去っていく彼女を追い掛けて、その腕を宮城が再びつかんだ。その力は先よりもずっと強かった。無理やり立ち止まる形になってしまった竜と彼女。宮城を見ながら、彼女の肩に腕を回した竜が「……なんだよ?」と不機嫌そうに言う。
「あん? まだなんかあんのかよ」
「……もう、彼女につきまとうなよ」
「あー、そう言われてもなぁ〜……俺たちはふたりっきりの兄妹だしよー」
「名前ちゃんは俺の妻だ。」
「……」
「連れて帰る。」
宮城は真っ直ぐに竜の目を見据えて、強くはっきりとした口調で言った。
「もうこれ以上、名前ちゃんを苦しめんなよ」
宮城の勢いに押されあっけにとられている竜をその場に残し宮城は彼女の手を取り歩き出した。
いつの間にか太陽が西に傾いていて、海の上に広がる空を、茜色に染めていた。自転車を押していく宮城の横を歩きながら、彼女が揶揄うように言った。
「……芝居、うまくなったね」
「え?」
「それに乗って、早く帰れば?妹、待ってんじゃない?」
「……」
「……じゃあね」
そう言うと彼女はまた、来た道を再び戻りはじめた。その後ろ姿を見つめていた宮城が、彼女の背中に向かって声を張る。
「名前ちゃん!」
思わず足を止めて、ゆっくりと振り返った彼女に宮城が言った。
「帰ろーよ……。一緒に。」
彼女は複雑な表情を浮かべつつも「帰ろう」といった宮城の言葉を噛みしめるようにこっくりとうなずいた。