その日の晩、宮城は自分の部屋でアンナの携帯に電話をかけた。ややあって電話に出たアンナに宮城は優し気に言葉を紡ぐ。

「アンナ……」
『……ん?』
「本当のこと、話すね」
『……うん』

 アンナは屋上にいた。流れ星が夜空の真ん中を斜めに長く飛んでいったが、アンナは逆側の空を仰ぎ見ていたため、それを知る由もない。

「俺と名前ちゃんは——たしかに、契約をして結婚した」
『……』
「アンナが助かるなら、どんっなことをしてでもいいって、思ったから」
『……』
「でも今彼女は本気でアンナを助けたいって思ってくれてる。それだけは信じてあげて欲しい」
『……』
「名前ちゃんのこと、信じてあげて欲しいんだ」
『……リョーちゃん、』
「ん……?」
『名前さんのこと、明日呼んで来てくれる?』
「……うん。わかった。」


 ——翌日、宮城と彼女はアンナに会いに行った。最初に宮城がひとりでアンナと話し、それで妹の了解が得られれば今度は彼女を交えて三人で話をする。そういう段取りにしていた。
 病棟の廊下で宮城を待っていた彼女はアンナの病室から出て来た宮城の明るい表情を見てほっと胸をなでおろす。

「アンナが、三人で話すまえに、二人きりで話がしたいってさ」
「え、私と?」
「そう。」 
「う、うん……わかった。」

 彼女はひとつ深呼吸をすると、アンナの病室に入っていった。
 扉の音に振り返ることなく、アンナはベッドに座って窓の外を眺めている。彼女は、窓際の壁に腰を預けてアンナのほうを見た。アンナは姿勢を窓の外に向けたまま、ぽつぽつと話しだした。

「——このまえ、三井さんが来てさ。怒られちゃったの。お前は周りに甘えてるって」
「え、三井さんって……あの?」
「うん。それとね、リョーちゃんにも叱られちゃった。名前さんと別れて、家から追い出してって言ったら」
「まあー、ドナーにいなくなられたら、困るだろうからね」
「それだけかなあ……」

 「え」と聞き返した彼女に「いや、なんとなくそんな気が……」と語尾を濁したアンナが真顔になって彼女の顔を見ながら訊ねる。

「名前さん。私のために、どうしてそこまでしてくれるの?」
「……」
「普通、他人のために手術なんて受けられないでしょ?」
「あの人に……助けられたから、かな。」
「助けられた? リョーちゃんに?」
「うん。——私、死のうとしてたんだよ」

 そう言うと彼女は踏切での一件をアンナに説明した。アンナは黙ってその話を聞き入れていた。

「あの人のおかげなの、いま私が生きてるの。」
「そっか……無駄にイケメンのくせに、たまには役に立つんだね」

 フフフと笑う彼女の顔をのぞきこむようにしてアンナが心配そうな顔をして聞いた。

「本当に、いいの?」
「……あたりまえでしょ」

 目と目が合った瞬間、二人の顔に笑みが浮かびそれ以上、言葉はなにもいらなかった。

「交代。」

 そう言って病室の外の椅子に座ってうつむいていた宮城に彼女が声をかけた。

「おわった?」
「うん、三人は恥ずかしいからいいって」
「はぁ? なんじゃそりゃ」
「最後にもう一回話したいってさ〜。無駄にイケメンな兄貴とー。」

 彼女が白い歯を見せながら笑って言うと宮城もそれに微笑み返してからアンナの病室へと入っていった。

「リョーちゃん……」
「ん?」
「私、信じてみるよ……名前さんのこと。」
「……うん。」


 宮城と彼女が病院を出た数時間後、例のファックスのことで病院の一室で緊急会議が開かれた。会議に参加した医師は皆、それが事実ならば大問題であると口をそろえた。しかし、当事者としてどう考えているのかという問いに神は臆することなく、これは、臓器売買には当たらないと思うと自分の意見を述べた。夫婦と何度も面談を重ねたこと、二人が強い絆で結ばれているということ。なにより彼女本人が人の命を救いたいという強い意志があるということ——。
 そこまで神に確信があるのならばと、アンナの生体移植の手術はそのまま進められることになりその一週間後に手術が行われることが決定した。会議が終わると神は、宮城に電話を掛けた。

『もしもし、いま大丈夫か』
「あ、うん……大丈夫だけど」
『さっきアンナちゃんから聞いたよ。手術を受けたいって』
「——神、もう一度、手術のこと考え直してもらうことは、できねーかな……」
 
 神は屋上で、晴れ渡る青い空を仰ぎ見ながら、高校時代に同じ志のもと高みを目指した、戦友の名を呼ぶ。
 
『……宮城。』
「うん?」
『俺も、お前と名前さんの気持ちを信じることに決めたよ』
「……え、」
『あと、アンナちゃんの��生きたい�≠チていう、強い意志も。』
「……ありがとな、神……。」
『宮城。これからが本番だぞ、アンナちゃんと、名前さんをしっかり支えていこう』
「うん……。ありがと、本当に。」

 宮城と神にとってお互いの存在は、ある意味、同志であり、かけがえのない友人でもあるのかも知れない。自分の信じる道を勇敢に突き進む姿に互いに共感を覚えていたのだろう。それは、高校時代のあの頃と変わらずに——。


 *


 彼女の入院を翌日に控えた晩。三井が、宮城の家にたずねてきた。

「えっ、どしたの?」
「あ? 激励だっつーの」
「激励?」
「明日、手術だろー? これ持ってけよ〜!」

 大仰に、奥の部屋に聞こえるように声を張ってそう言った三井が玄関に立ったまま大きな紙袋を宮城に差し出す。宮城は思わず「呼ぼっか?」と、尋ねた。しかし三井は「は?なにが?」とすこし顔を赤くしながらも知らんぷりを決め込んだので宮城はそれ以上揶揄うことはやめた。そうして、袋の中を見た宮城がふいに笑みを零して言った。

「これ、千羽鶴……?」
「おぅ。たぶん、千羽あると思うぜ。彩子がズルしてなきゃな」
「フハハ、彩ちゃんも作ってくれたんだ……」
「俺も折り紙なんてガキの頃ぶりだったわー」
「アンナ、喜ぶと思うよ。ありあと。」

 よく見ると所々『桜木』と小さく鉛筆で書いてある折鶴があった。犯人はもちろん、ひとりしか思い当たらないがその答え合わせするかのように三井が得意げに言った。

「ふはっ。桜木と水戸たちが一番たくさん折ってくれたんだぜ?」
「え? 水戸たちも?そっか……すげーね。」
「あいつら、あー見えてかなり心配してんだよ。アンナよりも、お前のことをな?」
「へっ、問題児軍団のくせして……」
「まっ!俺の方が心配してっけどよ!」
「……ほんと、サンキューね。三井サン」
「おう!」

 三井が帰ったあと、眠れずにいた彼女が宮城の部屋に行くと宮城はいつものようにクラゲの世話をしていた。

「……ん?どしたの?」
「なんか、眠れなくて」

 入り口を振り返って言った宮城に、彼女がそうぽつりとつぶやく。そして彼女はクラゲの水槽に顔を近づけた。

「これ見てると落ち着く」

 そう言って、水槽を無心で眺める彼女に宮城が軽く微笑んで促した。

「きょうは俺が向こうで寝るから、気が済むまで見てていいよ」
「うん、ありがと」

 短く礼を言って、クラゲを見入る彼女の横顔を見ながら宮城が不意に訊ねた。

「いまでも、クラゲになりたいって思ってる?」
「え……? どうだろ……」
「なにも考えずに、漂っていたい?」
「んー、けっこういいかもねー」
「なに?」
「めんどくさいこと。いろいろ考えるのもさ」
「……うん」

 そう返して宮城も水槽の中のクラゲに、意識を移した。ふたりで床に座ってクラゲを眺めているうちに彼女がひとつ欠伸をして言った。

「なんか、眠くなってきた……」
「あっ。じゃあ……おやすみ。」

 そう言って、立ち上がって部屋を出ようとした宮城を彼女が「……あのさ、」と呼び止める。

「……ん?」

 「なに?」と振り返った宮城に彼女がとつぜん自分の着ていたTシャツの裾をめくり上げて、白い腹を露わにした。

「え……」

 あっけにとられている宮城に自身の腹に視線を落としたまま彼女が言う。

「覚えておいて」
「え?」
「おなか」

 そう言って彼女は自分の無傷の腹を手のひらで愛おしそうにさすった。

「私の、おなか……」

 宮城は彼女の目をまっすぐ見ると「うん」と、力強くうなずいた。

「……覚えた?」
「しっかり。」
「……じゃあ、いいや」

 彼女はそう言うと上げていた服をおろし宮城のベッドの上に横たわってライトに照らされてぼんやりと青く光るクラゲに目をやった。宮城はそのまま彼女の横に行って腰を下ろし胡坐を掻くと、彼女の手にそっと自身の手を重ねた。
 そのままふたりは言葉を交わすことなく、ただただずっと、揺蕩うクラゲを眺めていた。

 ふと目が覚めると宮城は自分が彼女の寝ているベッドにもたれていたことに気付いた。クラゲをふたりで見ているうちにいつの間にか眠っていたらしい。首をめぐらせてベッドを見ると、彼女がかすかな寝息を立てて眠っていた。
 水槽の光を受けたその寝顔はあどけなくてやや幼くも見えたが気高さと気品のようなものが漂っていて、思わず見とれてしまうほど美しかった。


 第七章 完


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