宮城の新しい家は横浜の郊外にあるマンションの一室だった。前の家に比べて広さは三分の一もないが昔からあった家具と新しい家具がほどよく馴染んでいて、なかなか居心地のいい家になっていた。
今日も今日とて、カオル手作りの夕食を食べているとき、とつぜんカオルが切り出す。
「ねえ、リョーちゃん。これからの、ことなんだけど……」
「ん? これからのことって?」
「あんたの仕事のこととか、アンナの進学のこととか」
「ああ。まぁ俺の仕事に関しては、もうなんとなく決めてるんだけどねー」
宮城はそう言ってから一つ咳払いした。カオルとアンナはそんな宮城の動向をじっと見つめる。二人から視線を逸らすようにして宮城はやや照れながら言った。
「沖縄に行ってさ、スキューバダイビングのインストラクターになろうかと思ってんだよね」
続けて宮城は水族館に勤めるために一級船舶の免許を始めダイビングのインストラクターの資格など海に関する資格のほとんどを持っていたのでなんとかやってけるのではないかと思うとカオルとアンナに説明したのだ。
宮城の話が終わった途端アンナが「ビンゴ!」と言って、カオルの肩を叩いた。
「えっ、なにがビンゴなの?」
聞き返した宮城に、前の家ではいろいろと嫌な目にもあったので、いっそのこと都会から離れてまた沖縄にでも移住しようかとこのところアンナと話し合っていたのだとカオルが言った。幸い、あの家もそこそこいい値段で売れたので、沖縄に小さな家でも買ってそこで三人小ぢんまりと暮らしてもいいのではないかとカオルが付け加える。 結局、家族会議の結果、五ヶ月後の翌年四月に向けての��宮城家沖縄移住計画�≠ェスタートすることが決まった。だが、それに先立って、宮城が職探しをしなければならないということになり、まずは刑務所暮らしのリハビリも兼ねて一足先に宮城が沖縄に行くことになった。そして来週開かれるアンナのコンクールのときに、会える人には引越しの件を伝えようとの事で話はまとまった。
夕食後、風呂を済ませ自室でボストンバッグに荷物を詰めている傍らで、宮城のベッドに座っていたアンナが出し抜けに言う。
「リョーちゃん……来週のコンクールなんだけどさあ」
「うん?」
「……彩子さんも、呼んでいい?」
「もちろん」
「三井さんも」
「うん、あとで三井サンたちに電話しとくよ」
「うん。……あとさ、」
「……ん?」
「もうひとり……」
そうアンナが言うと、室内には沈黙が流れた。作業の手を止めた宮城がアンナをチラリと見やりまたすぐにバッグに着替えを詰めながら言った。
「名前ちゃんのことは……もう、ね。」
「そっか……。じゃあ、お茶入れてくるね」
それ以上は、言うべきではないと悟ったのか、アンナはそれだけ言って、部屋から出て行った。
*
コンクール当日。一足先に会場に来ていたアンナとカオルが、アンナの作品の前で写真を撮っていると「アンナちゃん!」という甲高い声が背後から聞こえた。アンナが振り返った先には宮城、彩子、三井の御三方が、こちらに向かって歩いてくる姿があった。
「あ〜! 彩子さんっ!」
駆け寄って喜ぶアンナに「俺もいんだよ!」と三井がアンナを小突くとその場に笑いが溢れる。そんな三井やアンナの姿を横目に宮城がアンナの作品の前に立ちその作品の題名を見て思わず息を飲んだあと、ふっと笑みをこぼした。
一通り展示品を鑑賞して、ロビーのソファーで缶コーヒーを飲んでいる宮城の元へ三井がやって来る。ドカンと向かいのソファーに大股で座るといま買って来たであろう缶コーヒーの蓋を開けてひとくち飲んだ三井が言う。
「そろそろ、戻ってくっか?」
「へ?」
「お前がその気なら、俺のほうから館長に頼んでやるぞ」
「や、いまさらそんな……」
「もう、いいんじゃねーのか?」
「……」
「事件のことは世間も忘れてるしよ、お前は十分やっただろ」
宮城は、じっと真っ直ぐに自分を見て話す三井からそっと視線を解いて小さく息を吐いたあと、ぽつりと言った。
「実は……沖縄に戻ろうと思ってんだよね。家族みんなで」
「えっ……」
「でも、ありあと。最後まで気に掛けてくれて」
宮城がそう言ったとき「私もちょっと休憩ー」と彩子がやって来た。そこで三井との話は、一旦打ち切られるかたちになった。彩子は三井の隣に腰をかけると、こちらもいま買って来たであろうホットココアの缶の蓋を開けて口を付ける。
「アンナちゃん、もうすっかり元気ねえー」
「ハハ、元気すぎるってね。もうすぐ受験だってのに、ちゃんと勉強してんだかねえー」
「おめーには言われたくねぇだろうな」
「ええ、言えてるわ」
宮城が二人に向かって唇を尖らせ、不服を申し立てる。二人はそんな宮城を見て遠慮なく笑う。その場に一瞬だけ高校時代のときのような優しい空気が立ち込めた。
「あ、そうだわ。アンナちゃん、やっぱり美術系にすすむの?」
「え? いや、看護の勉強がしたいんだってさ」
宮城のその言葉に、三井と彩子が口を合わせて「へえー」と感心したような声をあげた。
「まあ、人には言うなって言われてんだけどね」
「え?どうしてよ?」
「ん?なんか、いかにもーって感じだから恥ずかしいんだってさー」
彩子と三井が納得したように小さくうなずく。
「ほーん。たしかにな。いかにもだな、そりゃ」
「みんな、前に進んでるのねぇ」
「うん……」
「……私ね、お見合いすることにしたのよ」
彩子は目を伏せて、綺麗に微笑みながらホットココアを呑む。三井は彩子のお見合いの件をすでに知っていたのか、宮城から目を逸らして缶コーヒーの飲み口に唇を付けたまま斜め上を見やり、とくに口を挟んでくることはしなかった。
「へえ、そうなんだあ……」
「親がうるさくてねぇ」
「……彩ちゃん、」
「ん?」
「……いい人だと、いいネっ」
「……。ええ。」
柔らかく笑って言った宮城に彩子も笑顔で言い返した。そしてその場に穏やかな沈黙が流れる。そんな中、三井が「よーし、アンナをからかってくっかな〜」と言って椅子から立ち上がり宮城と彩子を置いて、その場を去って行く。そんな三井の背中を眺めながら彩子が言った。
「——リョータは?」
「ん?」
「ずーっと、待ってるつもり?」
その言葉に目を見開いた宮城に、彩子が宮城を見て優しく微笑み掛けると宮城もつられてへらっと眉を下げて笑った。