それから、数日後——。
「失礼します」
会釈をして面談室に入って来た神の固い表情を見て宮城は、嫌な予感がした。席に着くなり神が口を開く。
「残念ですが……お二人とも不適合という結果がでました」
「そう、ですか……」
カオルは大きく溜め息をついて肩を落とした。それを横目で見た宮城が問う。
「なら……親戚とかは?」
「はい。六親等以内の血の繋がった方、もしくは三親等以内であれば血が繋がっていなくても結構です」
「血が、繋がってなくても?」
聞き返した宮城に神が淡々と説明する。
「はい。たとえば、アンナさんが結婚していれば旦那さん。もしくは、お兄様の奥様がいらっしゃれば、その方でも……」
一瞬、宮城の脳裏に彩子の顔が浮かんだ。だが宮城は、それを意識の外に追いやった。そのときカオルがぽつりとつぶやく。
「あの、もし、だれもいなかったら……」
「その場合は脳死のドナーを待つことになりますね」
「でも、順番が回って来る確率は低いんだろ?」
確かめるように言った宮城に神は厳しい表情のまま頷いた。言葉を失ったように隣で呆然としている母親をチラリと見ると宮城は、「とりあえずわかった。とにかく探してみます」と言って頭を下げた。
面談室を出ると、カオルが病室に荷物を置きに行くと言ったので、宮城はそのままアンナが待つ屋上へと向かうことにした。
「男はやっぱ顔だよね〜」
「ええ? なによそれー」
屋上では何も知らないアンナが彩子とベンチに座って、楽しそうに談笑している。
「ええ〜? だって癒されるじゃーん?病気にはイケメンが一番っ!」
「だれ〜?そのひとー。」
「えっ?」
「だれよぉ〜?」
「……あっ。無駄なイケメン登場〜」
そう言って、入り口を指差すアンナにつられて彩子も見ると、宮城が入って来たところだった。
「なになに? なんの話?」
「無駄なんだって、リョータ。」
「えー? なんじゃそりゃ」
そう言って宮城が自販機で買って来た飲み物を二人に渡してアンナの隣に腰を下ろす。それを受け取った彩子が思いだしたように言った。
「あ、そうだわ。リョータ」
「ん?」
「招待客のリスト、もう出来たの?」
「あ、……まだ。」
「モタモタしてんなあ〜、リョーちゃんに任せてたら結婚式終わっちゃうんじゃない?」
そう言ったアンナが、楽しそうに飲み物に口をつける。宮城はその姿をじっと見ていた。
「あっ! わたしさ、振袖着たいんだよね〜!」
「えー? わたし持ってるわよー?」
「ほんとに!?」
「ええ。ほら……木暮さんの結婚式に着ていった赤いやつ、リョータ覚えてる?」
「赤かあ〜!湘北バスケ部カラーじゃ〜ん!」
笑顔で話すアンナに、ふいに目を細めた宮城はふーっと息を吐きながら雲ひとつない、真っ青な空を仰ぎ見た。
その日から、宮城家のドナー探しのための親戚まわりが始まった。だが、結局当たれる親戚には全員当たってみたものの手応えもなく宮城たちは��血縁�≠ニいう線は早々にあきらめざるを得なくなってしまった。
最後の頼みの綱だった叔父からの断りの電話を受けた仕事帰り。重い足取りで自宅に帰って来た宮城は、玄関に見覚えのある靴を見てその日が、彩子の遊び来る予定になっていた日であることを思い出す。しかしいつもなら台所の方から賑やかな笑い声が聞こえて来るはずなのに家の中はシンと静まり返っていて、物音ひとつしない。
「ただいまー」
一応そう言いながら、居間の扉を開けた宮城の目に思いがけない光景が飛び込んできたことで、思わず足を止めた。母のカオルが、彩子の足元に額をこすりつけるようにして謝っていた。謝っているというよりも頼み込んでいる感じであった。
「お願い……もう、あなたしかいないの……」
「……」
宮城は驚きのあまり声を出すこともできなかった。そしてカオルが声を絞り出すように続けた。
「アンナに、肝臓を分けてやってちょうだい……お願いしますっ」
「ちょ、ちょっと……!」
カオルの言葉に驚いて止めに入った宮城にチラと視線を向けただけで彩子は「ごめんなさい……帰ります」とだけ言い残してそそくさと部屋から出て行った。急いで後を追い、駅に続く長い坂を足早に歩いて行く彩子を宮城が呼び止める。
「彩ちゃん!」
立ち止まって振り返った彩子は顔を強張らせたまま言う。
「どうして話してくれなかったのよっ!こんな、こんな……大事なことっ!」
「ちゃんと話そうと思ってた!」
「……」
「話そうと……思ってたよ」
「……さっき、お母さんからぜんぶ聞いたわ」
「……」
「……ごめん、ちょっと考えさせて」
そう言うと彩子は宮城に背を向けてポツポツと街灯が並んだ薄暗い坂道を下りて行った。
*
一軒の小さな居酒屋で彼女は、恋人である彼と祝杯をあげていた。しかし『祝杯』と言っても、それは彼女だけの秘密の祝杯である。
その前日——。店に借金していたお金のすべてを返済することができたのだ。つまり彼女は、すっぱりと風俗の仕事から足を洗えたことになる。
ひとりでニコニコとしている彼女を見て相手が不思議そうに首を傾げた。
「なに?なんか今日、テンション高くないか?」
「えー? そう?」
笑ってごまかした彼女が次の瞬間、驚きで顔を引き攣らせた。入り口から入ってくる、兄の竜の姿を見たのだ。しかし竜のほうは妹を見つけても驚いたそぶりも見せずにつかつかと二人の席までやってくる。男も竜に気付いて隣で絶句している彼女に説明した。
「びっくりした? 実は、お兄さんに店の資金のこと相談に乗ってもらってたんだよ」
「え? ていうか、どうして?二人……知り合いなの……?」
「ああ。このあいだお兄さんから電話もらってさ。最初、名前の携帯からだったからびっくりしたんだけど」
竜が自分が飛び出して行ったあと勝手に携帯のロックを解除してすべて見たに違いない。それで自分と彼氏の関係を知ったのだと、そう思った。
「まー、兄として色々とな。」
平然とした顔で答えた竜を横目で睨み、彼女が彼氏である相手に聞いた。
「……いくら、渡したの?」
「え? 三百万……だけど?」
言葉も無かった。竜にお金を貸すということは焚火に札をくべるのと同じことだと言うのに。
「もう百万あると完璧なんだけ——」
「いますぐ返して!」
竜の言葉を遮って彼女が有無を言わせぬ口調で声を荒げた。
「怒鳴るなって、うるせーな。」
「ダメ、早く返して」
「損だぜ?いま、投資しないのはよ。どんなガンでも一発で治っちまう奇跡の水。絶対儲かる」
「……」
「名前、お前の借金だって簡単に返せるぜ?」
「……、」
「したら、風俗なんかで働かなくても……」
つい口が滑ったとでもいうように途中で言葉を飲み込んだ竜を見る彼女の目が大きく開かれた。
「え?名前、どーいう……こと?」
「おっと? 知らなかった感じかぁ?」
すっかり血の気が失せて、青白い顔をしている彼女を見て相手もそれが本当のことであると悟ったのだろう。男はそのまま席を立ち出口に向かって歩き出した。彼女は急いで彼のあとを追った。
「待って……!」
肘をつかんで引き留める彼女の手を振り払ってその顔を一瞥もしようともせずに、男が言った。
「ちょっと……ごめん。整理させて」
それだけ言って、雑踏の中に消えて行った男は二度と彼女のほうを振り返ることはなかった。
翌日、彼女は二日前に辞めたばかりの店を再び訪れ、三百万を返すために借金の申し込みをしにいった。借金をすべて返済し終えるまで店で働くことを条件とし、契約が結ばれた。
結局それで彼にお金は返せたものの『もう会う気はない』というメッセージ一文だけであっさりフラれてしまった。
彼女はコンビニの袋をぶらつかせながら水族館のまえの海岸を歩いていた。本当はまた水族館で例のクラゲを見てから潮風にでもあたってビールを飲もうと思って買って来たのだが、残念ながら水族館は閉まった後だった。