——それでもいい……。それでもいいと思えた恋だった。いつからか寿は、私と目を合わせる事すら拒んでいったように思う。
 一人になると考えてしまう。あの日——、寿と別れた、あのクリスマスイヴの日に全部忘れたらよかったのかなって。でも、この涙が答えなの。心に嘘はつけない。
 よくよく考えてみれば、私の知っている寿は、きっとこの湘北高校の中だけだった。彼の全てを知っているつもりでいたけれど、そんなのは私の勘違いで妄想にしか過ぎない。私が見ていたのは彼の生活の、ほんの一部でしかなかったのだ。
 今では彼は大学生。私は高校三年生。バスケが終わって大学から出たら、彼はどこにいてなにをしているのかな。いや、そんな事はもう私が知る権利も何も、ないのだけれど。

 湘北高校学校祭前の最後に開かれた全校集会。生徒会執行部がステージ前に立って学祭の内容を説明している。出し物は、去年とだいたい代わり映えはなく屋台にお化け屋敷、軽音部の生演奏。そして締めにダンスパーティ。フィナーレは去年から恒例行事になりつつある花火大会。しかし、今年の学祭はちょっと雰囲気が違うようだった。

 全校生徒が強制参加を強いられた、そのメインゲームの名は、名付けて赤い糸の伝説——。<Cラスト入りの運命のカードを学祭当日に校門で男女別々の箱から引き、片割れのカードを持っている、たった一人の異性を第一ステージの校庭で屋台なんかを楽しみつつ探すらしい。そうして運命の相手≠ェ見つかったペアは第二ステージのお化け屋敷に入る権利を得る。無事にお化け屋敷から出てきたペアから、最終ステージの体育館でダンスパーティ。軽音部の生演奏がバラードに変わったら、お待ちかねの告白タイムだ。去年はそこまでのしっかりとしたゲーム形式の出し物はなかったので全校生徒がそのゲーム内容を聞いて少しざわついていた。
 しかし、どんな結果が待ち受けていようとも、私たち三年生にとっては、これが高校生活最後の学校祭だ。湘北祭まで指折り数えて、ドキドキとワクワクが学校中を駆け巡る。
 みんなの願いが叶いますように。みんなの恋が実りますように——。


 —


 ——湘北祭、当日。
「おはようございまーす!」と、校門前には元気いっぱいの生徒会執行部や学祭の準備担当に選出されたらしい生徒達が横一列に並んで全校生徒に箱の中から運命のカード引いてもらっている。
 一緒に登校してきた彩子、リョータくんペアと私も列に並んで、その箱から一枚のカードを抜き取った。生徒会長の号令でカードの中身を開く流れらしく、カードを引いたとき「まだ開かないでくださいね!」と、箱を持っていた生徒から声を掛けられた。

 しばらく教室で待機していると、グラウンドに全校生徒が集まるよう校内アナウンスが流れ全員がグラウンドに出た。クラスごとに並ぶ暗黙のルールなんかは安定で無視して、私はいつもの如く彩子とリョータくんと一緒にいた。私の隣に彩子その彩子の隣にはリョータくんという立ち位置で横一列に並ぶ中、校長先生の長い挨拶の合間に、「透けて見えねーかな」と手に持っていた運命のカードを太陽に透かしているリョータくんの姿がなんだか可愛らしかった。そうして、こそこそと三人で談笑しているあいだに、校長先生の挨拶が終わり、いよいよ開催宣言だ。寿たちの卒業式に送辞を読み上げた私たちと同じ学年の生徒会長がマイクを握る。

『それでは!湘北高校学校祭、湘北祭を執り行いたいと思います!』

 パンパン!と、生徒会の人たちがクラッカーを鳴らしたところで全校生徒から歓声があがった。そんな雰囲気に胸を躍らせながら、ふと隣を見てみれば、ちゃっかり仲良く運命のカードを開いている彩子とリョータくん。中の絵をひっくり返してみたり、くるくると回したりしている姿をぼんやりと眺めていたとき、あることに気づき「あ」と思わず声をあげてしまった。二人は「ん?」とこれまた仲良く、声を合わせて同時に私を見た。私は二人の手に持たれているカードをその手からスッと抜き取る。

「……ピッタリ♡」

 そう言って二枚を重ね合わせてみれば、なんと綺麗にバスケットゴールの形になったのだった。一気に赤面した二人の手に、そっとそのカードを戻す。それでも彩子はすぐにいつもの表情に切り替えて「じゃあ、バスケ部の屋台が落ち着いたら行く?私たちも」と、ややめんどくさそう言う。照れ隠しか本心か「はあ、まったく」と溜め息をつく彩子に反してリョータくんは感動したのか、「彩ちゃん……」と、いつも通り目を潤ませる。

「一緒に……お化け屋敷行ってくれんの?」
「だって仕方ないでしょー?カード合わさっちゃったんだから」

 そんなやり取りをしている二人を少しドキドキしながら見ている私の顔を「どうしたの?」と、彩子が覗き込んできた。「あ、いや……なんか」と、吃る私にリョータくんも視線を向けてくる。

「ん?どしたの?名前ちゃん」
「あの、はげしく……お似合いだなぁーって」

 思ったまま、素直に言った私の言葉に彩子は、「もうアンタは!そんな事ばっかり!」と、また少し赤くなった顔をプイッと背けた。
 ううん……本当に、揶揄ってるんじゃなくてさと、私が微笑ましくも二人を見つめていたとき、すぐ側に並んでいた二年生の中から、ギャー!という、悲鳴にも似た声が飛び交い、反射的に声のする方を見てみれば一際目立つ生徒、流川くんの周りが円を作るように空いている。それに誘われるように三人で向かって行けば、その円の中には晴子ちゃんと長身の流川くんが、向かい合わせで立っていた。どうやらこの二人も、偶然に互いの運命のカード≠フ相手だったらしい。晴子ちゃんが顔を真っ赤にして流川くんのカードに自分のカードを合わせている。しかし私は、そのカードの絵柄に驚いた。彩子・リョータくんペアみたいにバスケットボールの形とかだったなら、らしいなって思えたんだけど、そのイラストの絵柄が、まさかのハートマークだったので、運命ってあるんだな、とか柄にも無く思っちゃたって話。
 背後では桜木くんが怒りを露わにさせていて、桜木軍団が相も変わらずいまにも流川くんに殴り掛かりそうな桜木くんを笑いながら抑えていた。その傍らでは水戸くんがやっぱり大人気だった。同級生や上級生、新入生の女子が次々と水戸くんのカードに、自分のカードを合わせに来ている。それを淡々と対応する水戸くん。そして水戸くんとカードの絵柄が合わない子たちは赤面から蒼白になって脱力したように、水戸くんの元を去って行く。まるで、ガラスの靴争奪戦のシンデレラのワンシーンみたいで、思わずその場でくつくつと笑ってしまった。それに目敏く気づいた水戸くんと目が合ったとき、やっぱり彼は参ったなァって顔をして、眉毛をハの字に下げるのだった。

 ——ねえ、寿。なにも、心配いらないみたい。流川くんと晴子ちゃん、この二人を見たらみんなもすぐ、嫌味なんか言えなくなるよ。みんなが、湘北名物のカップル≠チて言う日が、近いかもしれない。それどころか全校生徒のあいだで私と寿のときとは比にならないくらいの憧れの的になっちゃうかもしれないね。それは彩子とリョータくんペアにも言えることだけど。
 あと相変わらず桜木くんも元気いっぱいだよ。寿が卒業してから、急激に水戸くん人気が上昇中ではあるけど。でも水戸くんもいつもと変わらず飄々としてる。寿が知っている、イケすかない奴≠チてキャラは、貫いているみたい。
 ……けど今年は、こんな素敵な空間に寿はいないんだよね。今年の湘北祭は胸が痛いよ……寿。


 —


 バスケ部が担当する屋台で一緒に手伝いをしていた私。不意に近くにいた大楠くんや野間くんが運命のカードの話をしているのが聞こえてきたので、そっと聞き耳を立ててみる。

「俺、見つけらんなかったぜー、運命の相手」
「なんで俺らには誰も寄ってこねーんだよ」
「その点、洋平と花道は人気者でいいよなー」

 そんな二人の会話を聞き捨てて地べたにあぐらを掻いて座っている高宮くんは花より団子らしくタコ焼きを美味しそうに頬張っていた。軽音部の生演奏がしっかりと届くこの位置で、私もそんな後輩たちの変わらぬいつもの姿に顔が綻ぶ。
 バスケ部の屋台は去年同様に大賑わいだ。他校の人から声が掛かる率が高いのはやっぱり、流川くんや桜木くんにリョータくん、問題児軍団だ。しかし、なぜか彩子も他校の男子生徒から人気者で一緒に写真を撮ったり話し込んでいる姿を見たリョータくんがその都度涙目で悔しがっていた。

「よっ、賑わってるな」

 聞き慣れた穏やかで落ち着いたその声に、私と石段で休憩していた水戸くんと一緒に顔をあげてみれば屋台の正面、タコ焼きの幟のあいだから見えた我が校の卒業生、木暮先輩と赤木先輩の姿。安田くんや角田くん、石井くん達が「先輩!」と嬉しそうに声をあげる。それに反応したリョータくんや彩子も木暮先輩、赤木先輩と楽し気に会話を交わしていた。
 リョータくんが会話の途中、何かに気がついて「あれ、ふたりだけスか?」と、チラチラ二人の周りに視線を巡らせながら問う。

「ああ、三井か?うん……声、掛けたんだけど、練習あるって」

 リョータくんの問いかけに答えた木暮先輩が、なんとも情けなさそうな表情で眉を下げて俯く。気付けばタコ焼き屋さんに列ができ始めていて、部員たちは早々にお客さんの相手に戻る。すると木暮先輩と赤木先輩が、こちらへ移動して来た。私と水戸くんの目の前にたどり着いた二人と目が合うと、私はすくっと立ち上がってニコリと笑顔を投げ掛けた。

「名字も元気だったか?」
「はい、赤木先輩もお元気そうで」
「ああ、なんとかやってる」
「木暮先輩も元気でした?」
「うん、元気でした」

 ニコッと優し気に笑ってくれた木暮先輩に私はもう一つ笑みを返した。二人はそのままお世話になった先生たちへの挨拶に行き、ついでに校内を回ってくるとの事で屋台から立ち去って行った。
 しばらくして屋台も落ち着いてきた頃みんなでタコ焼きを食べながら、目の前の客用のテーブル椅子に腰をかけて談笑しはじめる。そんな中で私は彩子とリョータくんに向けて問いかけてみた。

「二人とも行かないの?お化け屋敷」
「あ、そうね。すっかり忘れてたわ……」
「彩ちゃんひっでー俺そればっか考えてたのに」

 嘆き悲しむリョータくんを見ていた私たちの笑い声がその場にこだまする。ややあって軽音部の生演奏がバラードに切り替わった。去年と同様にその瞬間、綺麗なピアノの音色も混じり、演奏がはじまる。

「あー、これ去年と一緒じゃーん」

 リョータくんの何の気ないそのひと言になぜかその場がシン、となった。刹那、新入生のバスケ部員の男子生徒がその沈黙を破るように「あっ!知ってます、コレ!ディズニーの曲ですよね!」と言う。ついで晴子ちゃんを投影したかのような新入生のバスケ部のマネージャーが続けた。

「知ってる!魔法にかけられて≠フ曲だっ!」

 その言葉のあと一年生の子たちは揃って、タコ焼きを頬張りながら、微かに鼻歌を奏で始める。
 そのとき突如、よみがえってきた記憶——。


『ったく、ずっとここに居たのかよ。探したぜ』
『……戻んねーのか?』
『みんな待ってるぜ』

『嫌いになった事なんて、一度もねーよ!』



「……ッ」

 その場にいた全員の視線が、私に向けられる。私は自然と溢れてきてしまう涙を抑える事が出来ず両手で顔を覆った。「ごめ……やだ、どうしよう」と焦って声に出せば出すほど喉がつっかえて苦しくなるし、涙も容赦なく次から次へとあとに控えている。

「——止まんない……ッ、止まんない——。」


 涙の理由は——


「名前……」
「名前ちゃん……」


 口に出さなくても、伝わってしまう——。


 隣に座っていた彩子が、ぎゅっと優しく抱きしめてくれた。みんなが私の前でわざと寿の話題を避けてたこと、気付いてたよ。ありがとう……。

「あ!!またリョーちんが泣かせた!」
「なんで毎回俺なんだよっ、花道ィ!」

 やさしい仲間、たくさんの友達。それでも私の心は、いつも寿に向かって話しかけてる。
 大好きな学校、笑い転げる毎日。それでも寿がいま、ここにいてくれればと思う。
 恐いくらい覚えているの。寿の匂いや仕草や、全てを。おかしいでしょ、そう言って笑ってよ。別れているのに、寿のことばかり考えてる私を。

 ねえ、寿……ねえ、寿。ねえ——寿。いつも、祈るように呼びかけてるの。
 無意識に口ぐせみたいになっちゃってる。涙腺も故障寸前だよ、もう。恋がこんなに苦しいなんて、恋がこんなに悲しいなんて、思わなかった。本気で寿を想って、知ったよ。

 彩子の体が離れた時、目の前——テーブルの上に置いたままになっていた私の運命のカード£Nかの手が、そのカードにもう一枚のカードを、重ねたのが目の端に見えた。顔をあげたらそれは彩子とは逆の私の右側に腰をかけていた水戸くんの手だった。

「やっぱりな」
「……え?」
「重なっちまった、名前さんと俺のカード」


 水戸くん——。


 彼は右肘をテーブルに付いて頬杖を付くと片眉を下げて情けなく笑う。そうして密やかに「俺、この曲、実はすっげー好き」と視線をグラウンドのほうに向けて、ぽつりと呟く。次に、私の目の前に頬杖をついていない彼の左手が、サッと差し出された。

「踊ろーぜ」

 その言葉に、一瞬だけ場の空気が静まり返ったような気がしたけれど、すぐに残りの桜木軍団の「ひゅーひゅー」と煽るような野次が飛び交う。反射的に差し出された左手に自分の手を乗せたら水戸くんがぐいっと持ち上げたことで二人一緒に椅子から立ち上がるかたちになった。踊ると言ってもソーラン節くらいしか踊ったことがなかった私は水戸くんの足を三十回は踏んだことだろう。

「ずっと足踏んでんだよねー」

 ハハなんて軽く笑って言う彼に赤面して俯く。グラウンドで鬼ごっこをしている男子生徒を背景にバスケ部、桜木軍団の野次と笑い声に包まれる中、彼が優しい手つきで、私の右手をしっかりと支えてくれている。ほぼくるくると回されるだけのどう見ても踊っているとは言いがたいダンスを繰り広げている刹那、笑い声と野次に混じって。「——オイ、」と低く、しかしどこか心地のよい声が脳裏に響き渡った。
 踊っていた私と水戸くんを含めた、全員で振り返った先にスポーツバッグを肩からさげた私服姿の見慣れたそのシルエット。

「三井サン?!」
「三井先輩っ!」

 リョータくんと彩子の声がその場に響き渡る。その瞬間、自然と私と水戸くんの手が宙から降ろされたけれど、未だ互いの手は握られたままだった。寿の背後には大学の友人らしき、同じくスポーツバッグを背負った二、三人の私服姿の男性の姿もあった。

「……なに騒いでんだ、おめーら」
「あっ、いや…あのこれは違うくて、三井サン」
「そうそう、運命のカードの効果と言いますか」

 リョータくんと彩子が立ちあがって、しどろもどろに何やら説明?弁解?いや、言い訳?をしていると「はぁ?運命のカードだぁ?」と寿が抑揚つけて聞き返す。

「あ!そうそう、魔法にかけられちまったんスよあの二人」
「そうそう、言わば幻想です。ファンタジー!」

 寿はそれでも納得していないような、なんだか不機嫌そうな面持ちで片眉を吊り上げながら彩子とリョータくんを見下ろしている。その間もBGMにはこの状況に似つかわしくないバラードの演奏が流れ続けている。
 すると、寿が視線を私と水戸くんの方に向けてきた。目は合ったが、彼はそのまま一度舌を打ち鳴らしてからこちらに歩み寄って来る。目の前に寿が立ったとき水戸くんが「どーも、みっちー。久しぶり」と軽い口調でへらりと笑って言った。

「返せ」

 低く小さな声で寿が呟いた。水戸くんをチラと見やれば彼は何の事かと言いたげに、きょとんとしている。その背後ではリョータくんたちバスケ部員が「いま、返せって言った?」や「いや貸せって言ったんじゃないすか」なんて、こそこそと会議を始めているが、全てここまで丸聞こえだ。
 水戸くんがリョータくん達をチラ見して、私の手を掴んだままフッとひとつ笑った。寿はそんな水戸くんの態度に、また眉を顰める。そして無理やりに近いかたちで水戸くんに握られていた私の手を、ぐいっと引っ張った。水戸くんから寿へ、半ば強引に私の手が引き渡される。なので、いま私は水戸くんではなく寿と繋がっている状態だ。

「……」
「……」

 気まずい沈黙……寿と見つめ合っている刹那、水戸くんが「タコ焼きあまってる?」と、私達を置き去りにして桜木軍団のほうへと歩いて行ってしまったので私は思わず、えっ、と息を呑む。

「……ったくよォ、仕方ねえな。踊ろーぜ」
「ちょ、ちょっと!なんで『仕方ねーな』なんて言われて踊んないといけないわけ!?」
「あン?うっせ、踊れよ」
「ヤダ。踊らない」

 手は繋がれたままで、言い合いをおっぱじめる私たちの背後からは笑い声に混じって数名の溜め息が聞こえた気がした。それを見兼ねた水戸くんの「ハイハイ!さっさと踊る!」と叫ぶ声。チラと見れば彼はさっき座っていた席にまた腰を下ろして、呑気にタコ焼きを食べていた。水戸くんのその言葉を待っていたかのようにしてしっかりと野次を投げかけて来る桜木軍団。どうやら、この流れは安定でセットらしい。そんな状況に、寿はまたひとつ舌打ちをしてから余っていた手を私の腰にそっと回した。水戸くんと踊ったときは片手だけだったので、いま目の前にいるこの人とは、そのおかげで、ぐんと距離が縮まってしまった。
 なぜか寿の友人らも加わった野次と、一年坊の楽しげな歌声と、古参衆の笑い声を背負いながらおぼつかない足取りで踊ってみるのだけれど……

「……あのなあ、てめえ。足!」
「はい?」
「ずっと踏んでんだよ!」
「え、あ……ごめん」

 そっと見上げた先、乱暴な言葉とは裏腹な寿の穏やかな表情。その吊り上げられた口元が「バーカ」と囁いたとき、私の胸がドクンと高鳴った。
 実はさっきの曲、寿の家で一緒に観たDVDのひとつだった。序盤でグーグー寝てしまった寿。そのあと、何度も寿を叩き起こしてなんとか最後まで観賞し切った思い出の映画の曲だ。その演奏を思い出しながら、私は心の中でその曲の歌詞と目の前の相手を重ね合わせてみる。
 今日くらいは、プリンセスになっても罰は当たらないだろう。だって、会えたんだもん——。


 ♪あなたと二人で踊れば
 忘れてしまう 何もかも
 見つめ合う ただそれだけで
 胸がときめく

 時は流れ 夢は色あせ
 消えていった どこかへ
 今 あなたの腕の中で
 夢とまた出会えた
 
 抱きしめたい 愛をこめて♪



 すこしは、うぬぼれちゃっても、いいのかな。だってダンスなんか、ガラじゃないでしょ……?よっぽどこの曲が好きだったとか?たまたま私がいたから?それとも、ふざけてるだけなのかな。何を考えてるのか、さっぱり分からないよ。
 彼をもう一度ゆっくりと見上げたらその口元が何かを言いたげな、そしてそれを抑えようとしているのか、そんな表情をしていた。
 葛藤がまざまざと眉間に刻みついている。それは昔から知っている幼馴染の顔ではなくて悩ましげな男性の表情だった。何かを言いかけてやめたのか一瞬だけ微かに開いた唇が固く閉じられると寿の喉仏が上下するのが見えた。


 ♪あと少しで手が届くのに
 やっと本当の幸せに
 このまま いつまでも
 ずっと一緒にいたいのに

 あなたのいない世界なんて
 悲しすぎる

 もう あと少しで手が届くのに
 やっと本当の幸せに
 ふたりで見た 美しい夢

 どうか まだ覚めないで♪



 ——瞬間、腰に回されていた手が、パッと離される。けれど手は繋がれたままで、寿が言った。

「なぁ……校内、案内しろよ」

 まさかの発言に心底驚いて「え、何で私が」と返せば「いいじゃねーか」と、私と距離を取った寿は手を繋いだままリョータくん達に「ちょい、借りていいか?コイツ」と言って繋いでいた私の手を上にあげて見せる。「どーぞどーぞ♪」と、即OKを出したのは彩子だった。両手で促すように「さあ、行った行った」と言わんばかりにその手を高く挙げて上下に揺らす。
 そうして私の「ちょっと離してよ!誰か助けてー!!」と、叫ぶ声だけが虚しく校庭に響き渡り私は元彼——もとい、幼馴染に連行されていくのだった。


 スタスタと叫び狂う彼女の手を引いて生徒入り口に入っていく、かつての先輩、三井サン。手をしっかりと繋いだまま未だ昔のように言い合っている二人の姿を見送ったあと俺の隣に座っていた彩ちゃんが、ぽつりと言った。

「限界なのよ、あの子——」
「……」
「早くなんとかしてあげないとこのままじゃ名前、どうにかなっちゃうわよ」
「……でも、名前ちゃんが限界なら三井サンだって、そろそろ限界なんじゃねーのかな」
「リョータ……」
「いまのまんまが苦しいのは、あの人だって同じはずだって、絶対」

 俺のその言葉に、彩ちゃんは俯いて微かに鼻を啜っていた。そのとき、タコ焼きを買いに行って戻って来た三井サンの友人らがテーブルを挟んで俺と彩ちゃんの目の前の椅子に腰を下ろした。

「ねーねー、さっきの子って三井の彼女?」
「え?あ、いや……正確には、元カノっスね」
「あーそうなんだあ。いや三井さ?すっげえモテんの、大学で」

 彩ちゃんも顔を上げてから「えっ、そうなんですか?」と驚いたように返す。本人が今ここにいたら失礼だと食ってかかって来そうではあるが。

「うん。でも三井、片っ端からお断りするから、陰ではゲイなんじゃないかって噂が立つくらい」
「へえ、ゲイねえ……おもしれ」
「何度聞いてもはぐらかすから。でもちょっと、わかった気がする」

「なあ?」と他の友人たちにも同意を求める彼に対し「うん」とみんな相槌を打っていた。刹那、彼が「忘れられない人がいる——ってことかな」と、さっき二人が入って行った生徒入り口付近を見やって呟いたので俺は「ハハッ。そーかもしれねーっスね」と返し、苦笑いをした。





 —


 日も暮れて、フィナーレの花火がはじまった頃呑気にふたり仲良く戻って来た三井サンと彼女。二人が戻ってくるや否や、すかさず俺たちのそばにいた彼の大学の友人の一人が三井サンに揶揄い口調で声を掛ける。

「どこに消えてたんだ三井ー、お手て繋いでぇ」
「あぁ?手ぇ?」

 言われてまだ手を繋いでいることに本人たちもいま気付いたようで、一気に赤面してバッとその手を離した彼女に三井サンは一瞬きょとんした後口の端を、ニヤリと吊り上げて得意げに言った。

「屋上でエッチしてたんだよなあ?」
「——だっ!!!!誰がっ!!!!」

 赤面したままゼエゼエ、と荒く息継ぎしている彼女を置き去りに、大学の友人らと何事もなかったかのように談笑しはじめる三井サン。そんな、置いてけぼりの彼女の横にスッと並んだ俺を見て知った顔にほっと安堵したのか彼女は「なんだ、リョータくんか」なんて言って笑っている。俺はそんな彼女を一瞥して、ぽつりと呟く。

「よかったね」
「えっ?なにが?」
「会えて」

 そう言い置いて打ちあがる花火を見上げた俺の横から今でも変わらずめんどくせぇ先輩の愛してやまない幼馴染兼——俺の親友でもある彼女の、フッと笑った柔らかい声が耳に心地よく届いた。

「うん。今年も楽しかった」
「——今年も、ね……?」

 ややあって横目に彼女を見てみれば同じく花火が咲き乱れる夜空をただただ見上げていた。その横顔を目の端に映しつつ俺もまた、夜空を見上げる。

「魔法、とけませんよーに」

 パンパン!と手を叩いて祈願するように花火にお祈りしている俺を見てクスクスと笑っていたらしい彼女が刹那「魔法じゃないよ?」と囁いた。俺は思いがけず合わせていた手を解いて「え?」と、彼女を見やる。彼女は瞳をキラキラと瞬かせながら尚も綺麗な横顔のまま、ぽつり、呟いた。

「実現する王子様なの、私にとっては」

 そんなメルヘンチックな事を柄にもなく珍しく言っちゃう同級生の彼女に「フゥ〜言うねえ」と煽れば俺を横目にチラッと見たあと「てかリョータくんは告白しないの?」なんて返される始末。思わず面食らって頬をぽりぽりと掻きながら目を泳がせる俺に「ん」と言って、タコ焼きの屋台の前で花道を怒っている彩ちゃんを指差す彼女。

「そーねー今回も出来なかったなァー結局ぅー」

 誤魔化すみたいにして努めて明るく、棒読みでそう言えば「おっ、する気だったんだ?」と俺の顔を覗き込んできた彼女の声と重なって、「オイオイ何の話だ?」とさっきまで元カノ兼、最愛の人をほっぽって友人らと話し込んでいた手の掛かる先輩が俺と彼女のあいだに無遠慮にも割って入って来て口を挟む。そんな彼の変わらぬ態度に気分を害した俺は吐き捨てるように言ってやった。

「水戸からの告白どーすんのかって話スよ」
「ちょ、リョータくん?!」
「ああ?なんだそれ。名前、おまえ告られたのかよ、水戸から」
「ちが……!ちょっとリョータくんやめてよ!」
「やめとけ、あんなイケすかねぇ番長なんか」

 と、鼻先で笑い、ダメだダメだと手を振る先輩の顔を覗き込み「えー三井サン詳しいじゃん湘北の現状」と目をやや細めてみれば彼は、なに言ってんだ?と言わんばかりに「詳しくなくたって、どーせアイツらが牛耳ってんだろ」と当たり前のように言ってのける。

「まあ……なきにしもあらずスけどね」

 的確なご意見に面食らう俺に「だろ?」と三井サンは得意げに言い置いて、ゆっくりとまた花火の音が鳴り響く空を見上げていた。

 今日のことは、きっと二人にとっては一生忘れられない出来事になっただろう。
 たとえこの花火のように一瞬のきらめきだったとしても二人に取っちゃ、永遠の宝物になるんだろうな——。


 ふたりの寄りが、戻りますように。


 俺は、そんな儚くて小さな願望を、夜空に咲く大輪の花火を見上げながら、今ここにいる仲間の分までもう一度、強く祈願した。










 いまは 交わらない ふたつの世界。



(三井サンの腕が、名前ちゃんを
 ——抱きしめたいって言ってるんだよなぁ……)


※『 366日/HY 』を題材に。
※ Lyric by『 そばにいて/魔法にかけられて 』

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