湘北高校に転校して来て、ずっと想い焦がれていた幼馴染≠ニまた再会した。

相変わらず私の幼馴染は友達も多くて、女子たちからも人気で、やっぱり……バスケットボールをひたすらに、追い掛けていた。


彼が側にいない三年間を過ごした私。

高校一年生の頃、父の知り合いの息子さんがバスケ部とのことで一度だけ高校バスケのインターハイ予選を見に行ったことがある。対戦相手は当時も絶対王者と謳われていた——秋田県立山王工業高校。

私と同い年らしいその山王工業のエースは、ひとりで何本もシュートを決めてコートの中でもひときわ目立っていた。彼のプレイを見たとき不意に中学時代の幼馴染の姿と重なった。一度思い出したら脳裏に浮かぶのはその幼馴染の姿だけ。結局、目の前の試合には集中できずゲーム終了の笛がなるまで私はずっと寿のことを考えていた。

目の前でボールを追いかける選手を眺めながら、いま彼も必死にバスケットボールを追い掛けているのだろう。

そう、思っていたのに……。





「ちょっと、ちょっと乱闘騒ぎだって!」

お昼休み、同じクラスの彩子と昼食を取っていたとき男子生徒数名がそんなことを口走りながら教室に入って来た。ざわざわと騒がしかった教室内が一瞬でシンと静まり返る。自分の席で打っ伏して昼寝をしていたリョータくんも不意に起き上がり顔を上げた。

不穏な空気が漂うなか、リョータくんは特に気に留める素振りも見せずに「ふわ〜ぁ」と欠伸をして腕を天井に伸ばす。さきほど教室内に入って来た男子生徒たちがそれに気づくとバタバタとリョータくんの席のほうへと走って行く。

「宮城!喧嘩してる、バスケ部の先輩が!!」

その声に、シンと静まり返っていた教室内がまた一瞬、ザワッとなる。

虫の知らせか、私もその言葉に背筋がざわざわとした。リョータくんは「んー?」と言いながら何故かチラッと私と彩子のほうを見やる。彩子がそれに反応して首を傾げていた。

「喧嘩ぁ?……どこで?」

リョータくんは視線を彼らに戻して、頭をぽりぽりと掻きながらその同級生らに聞き返す。

「三年の校舎!」

——ガタンッ!!

みんなの視線が一気に私に注がれる。
それもそのはず、いま席を勢いよく立ち上がったのは、紛れもなく私だったからだ。

彩子が咄嗟に「アンタは行っちゃダメよ!」と注意を促して来たが、そんなのお構いなしに私は教室を飛び出した。

「名前ちゃん!?」

そう声を張ったリョータくんの声を聞き捨てて、私は階段を急いで駆けのぼる。

すでにギャラリーが多数いて、人のあいだを掻き分けながら騒ぎの中心を覗けば、その中心となっていた人物は……私の、幼馴染だった。


「名前!」
「名前ちゃん!!」

すぐに追い掛けてきてくれたのか、気付けば私の後ろに彩子とリョータくんが息を切らして立っている。

寿が堀田先輩含む数名の生徒に抑えつけられたまま何かを見下ろしていて、その視線の先に目を向ければ、男子生徒がひとり床に座っている。寿は息をハアハアと荒くしながら、いまにも人を殺めそうな面持ちで彼を見下ろしていた。

そのときチラと寿がこちらを向いて野次馬の中から私を発見した途端、左眉毛を微かにぴくりと動かした。

「こらこら、何をしてるかー!!」

突如、背後から体育教師の声が聞こえてきたことで、そばにいた野次馬たちは散り散りになる。生徒を掻き分けて騒動の中に入っていったその体育教師が床に尻餅をついている生徒と寿を交互に見やる。

「三井……、これはどういうことだ?」

なぜか迷うことなく一発目に寿に声を掛けた教師に、寿はばつが悪そうに顔を背ける。

気付けば野次馬たちは、私と彩子とリョータくんのみ。それでも他の人たちは教室内からコソコソと隠れながらこちらの状況を窺っているようだ。

「堀田、また喧嘩したのか?」

寿がなにも答えなかったからか、すこし不機嫌そうに体育教師が今度は寿を抑えつけたままでいる堀田先輩に声をかける。

「あ、いや。廊下でぶつかっただけだ」
「それで、こんなに大事になるのか?」

大事とは、きっと野次馬が群がっていたこととか寿が酷く興奮状態にあることを指し示していたのだと思う。

「……そうなのか?」

ようやく床に座り込んでいる男子生徒に目を向けて質問をした体育教師。その声掛けに尻餅をついていた男子生徒がゆっくりと起き上がってぼそぼそと呟いた。

「——はい、三井とぶつかっただけです」
「……」
「俺から、三井にぶつかりました。」
「……」

下を向いたまま答える生徒を一瞥した体育教師はまた視線を寿に向ける。

「三井——、」
「……はい、」
「今回は見逃すけどな、わかってるよな?次なにか騒ぎをおこしたら」
「わかってます」

先生の言葉をさえぎって目を逸らしながら言った寿の言葉に先生は先の言葉をぐっと飲み込んだ。

「……。さあー、お前らもコソコソ見てないで、午後の授業の準備しろー」

先生はパンパンッ!と大きく手を叩きながら隠れて覗いているであろう生徒らに向けて声を掛け、三年生の教室前の廊下を歩いていく。


「ひさ……」

思わず踏み出した足は、「ダメよ」と言いながら彩子が後ろから私の手を引いたことで、ピタッと待ったを掛けられてしまう。

私の声に反応した寿と、床に尻餅をついていた男子生徒の視線が一気に私に降り注がれる。

その男子生徒は私を見て顔を歪めると一つ舌打ちをする。そして、そのまま自分のクラスに戻って行った。

寿はさっと私から目を逸らして「もう大丈夫だ」と、自分を抑えこんでいた堀田先輩含む、周りの生徒に声をかける。

彼らの手が寿から離れたとき、寿が堀田先輩に向かってつぶやく。

「余計なこと言うなよ」
「あ、お……おう。」

寿はそのまま目の前の三年三組の教室へと入って行った。堀田先輩たちも気まずそうに私たちから視線をそらして自分の教室へと戻って行く。

そのときちょうど、昼休みが終わるであろう予鈴が鳴り、私たち三人も二年生の校舎へと戻った。

……。

あの、目——。

彼と私のあいだには壁がある。
久しぶりに再会した彼が引いた境界線。

私の知らない、彼の三年の空白の時間。
そこは完全に寿のエリア。

私は入ることの出来ない立入禁止区域。


それを気にしないように、私の思い過ごしなのだと見過ごしてきたけれど、たまに見せるあの冷たい視線が。

やっぱり、私と寿のあいだには
まだ見えない高い壁があると

しっかりと、証明している気がしてる——。








結局あのあとずっと、彩子とリョータくんは私に対して普通を装いながらも気まずそうにしていてなんだか開けてはいけないパンドラの箱でもあけた気分で放課後を迎える。

たしかにこの、湘北高校——。
堀田先輩を筆頭に、桜木くんや水戸くんたちと、なんだか不良の代名詞みたいな生徒がチラホラといるけれど。

いわゆる不良高校≠ニいうやつなのだろうか。そして、寿も含めて喧嘩や争いごとがこうして頻繁に起こりうる学校なのだろうか。

もう、私の知っている……バスケットだけを愛している寿では、ないってことなのかな。

彩子とリョータくんが気まずそうにしているのがその答えなのか……。

「彩ちゃん、部活行こー?」
「あ……、ええ。」

どうしよう、なんか今日の部活見学、行かない方がいい気がしてきた。

私は荷物をまとめて、鞄を肩に掛けた。そんな私の仕草をチラッと見た彩子とリョータくんの視線を感じて顔をあげる。

「……今日も、来るのよね?」

彩子が私の席までやってきてそう問う。入り口には部活のバッグを担いだリョータくんがいて、私と彩子の会話を気にしているようだ。

「——いや、きょうは帰ろうかな……」
「……そう。三井先輩に伝えておく?」
「ああー、……ううん、特に約束してるわけでもないから」
「……そう、わかったわ」

「じゃあね、また明日」と彩子が情けないような顔で微笑んでリョータくんの元に向かった。

ふたりが教室を出て行く姿を見送っていたとき、チラッとリョータくんと目が合ってしまい、私は思わずさっと目を逸らした。


少ししてから、とぼとぼと階段を降りていると、見慣れた後ろ姿を発見してホッとする。

「水戸くん!」

首を捻らせてこちらを振り返った水戸くんに手を振れば体ごと私のほうに向いてくれた水戸くんが「よっ」と言った。私は笑顔を返したあと水戸くんの隣に並んで一緒に階段を降り切る。

「バスケ部見学行かないの?」
「バスケ見に行かないのか?」

思わず重なった互いの台詞にプッと吹き出した私たちは、意味もなくハハハと笑い合った。

一緒に靴棚で靴を履き替えていると、背後からドスの効いた「オイ」という声が聞こえてきて、反射的に水戸くんと一緒に後ろを見る。

「……帰るのか?」
「……、」

——寿、だった。

私は出来るだけ平常心で、昼のことはなかったかのような素振りで明るく振舞って見せる。

「あ、うんっ!きょう、お父さん遅いからご飯作らなきゃで!」
「……」

……参った。まったく平常心じゃない。だって、私の声はずいぶんと上ずっている。

「……。水戸もか?」

ぼそっと呟いた寿の言葉を聞き逃さなかった水戸くんが「あー、俺はバイト」といつものような口調で返す。

そうよ、それ。水戸くんみたいに返したかったの私も。まあ、失敗に終わったけれども……。

寿はとくになにも返さず自分の靴を履き替えている。それを待っていたわけではないけれど、なぜか私も水戸くんも寿が履き終えるのを待っている状況。

寿が靴を履き終えたとき、これまたなぜか三人で生徒入り口を並んで出た。自然の流れで私と水戸くんが正門に向かったとき「名前!」と私を呼ぶ寿の声が聞こえて私は足を止め振り返る。

「あーっと……、その、気ィ付けて帰れよ」
「……、うん!寿も部活頑張ってね!」

手を振った私を一瞥した寿はくるりと体育館のほうに向かって歩き出し、右手を一度だけ大きくあげた。それを見送って水戸くんのあとを追う。すでに歩き出していた水戸くんの真横に辿り着いたとき水戸くんが思い出したように言った。

「そー言えばさ、きょう三年の校舎でもめ事あったらしいなー」
「え……?あ、うん……なんか寿が同級生と喧嘩?ってか、ぶつかったとか、なんとか……」
「へえー」

あっけらかんとした水戸くんの返しに私は思わず水戸くんを見やる。

「喧嘩はしねーってオヤジと約束したのに、なにかよっぽどのことがあったんだろーねえ」

私が見ているのを見て見ぬふりをした水戸くんが明るい口調でそんなことを言い放つ。

「えっ?あ、そうなんだ……それって、私が転校して来る前? 聞いたことない、その話」
「なんか噂によれば、みっちーが彼女を庇ったらしいぜー?」
「——え?」

ついにピタッと足を止めてしまった私を追い越した水戸くんも、すこししてから足を止めた。それでもこちらを振り向きはしないのだけれど。

「みっちーって、彼女いたんだな」
「……」
「ああ、そっか。」
「……」
「名前さんか、みっちーの彼女って噂の相手」
「……!」

ゆっくりと振り返った水戸くん。両手をポケットに突っ込んだまま眉毛を下げて笑ってみせる。

「わ、わたし、付き合って……ないけど」

尻すぼみして言う私を楽し気にハハハと笑いながら、水戸くんがまた正面を向き直って駅方面に歩いて行く。

とりあえずパタパタとあとを追って、私はまた水戸くんの隣に並んだ。

「……てか、水戸くんさ」
「はい?」
「なんで昼休みのこと、知ってんの……?」
「さぁー、どうしてでしょー」
「ええ?見てたの?誰かから聞いたの?」
「さーて、真相はいかに」

そんなつかみどころのない水戸くんとのやり取りに、私は言葉に詰まるしかなかった。


そのまま無言で一緒に駅まで辿り着いたとき、水戸くんが真面目くさった感じで口火を切った。

「行かなくていいのか?」
「……え? な、なにが?」
「バスケ部」

水戸くんはピッと湘北高校のほうを中腰で指差す。私はそれを見て思わずうつむく。

「——名前さん」

水戸くんに名前を呼ばれて、そっと顔をあげる。

「アンタのそう遠くはない未来の彼氏だろ?」
「……」
「応援、行ってやれよ」

ハハッと水戸くんは真面目くさった顔から一変、人懐っこい笑顔を見せて言い切った。

「……それ、誘導尋問だよね?」
「どう捉えてもらっても結構デス」
「……ッ。行きますよ、行けばいいんでしょ」

くちびるを尖らせて言えば、水戸くんは「素直でよろしい」と満足げに笑った。

そのまま水戸くんと別れ私は水戸くんの誘導尋問に面食らって、また来た道を戻る羽目になった。








「三井サン」
「あ?」

部活が始まる前、部室で着替えているとき、先に着替え終わった宮城から声を掛けられた。

「どしたの?昼」

宮城はそばにあったベンチに腰を下ろして、俺を見上げる。

「……べつに」

俺がバンッ!と勢いつけてロッカーを閉めた音と宮城の「チームメイトに隠し事すんなし」と抑揚つけた声が重なった。

俺は宮城を一瞥して溜め息を吐いたあと、ドカンと宮城と背中合わせにしてベンチに腰を掛ける。

「安西先生と約束したっしょー?」
「ああ、したよ」
「めずらしいね、昔の不良仲間からの喧嘩も買わなかったアンタが。」
「……」
「……」
「………名前の——」

ややあった沈黙のあと、ぽつりとその名前を零せば宮城が「やっぱりね」と言いたげなオーラを纏わせてフウと息をついた。

「名前のこと、あることないこと言われてつい、カッとなってな」
「まあ、そんなことだろーと思いましたっ」

宮城は両手をベンチの後ろについて、足をブラブラさせてみせる。

「名前には……言うなよ」
「言わねーよ?……けど——」
「……あ?」

俺はチラと宮城を見やる。宮城はそのままの体勢で先の言葉を続けた。

「俺が言わなくても他の誰かがヒントあげてたらどうしようもねーけどって話。」
「他の誰か?……って、なんだそれ」
「まあ。ほら、アンタらを応援してる人がいっぱいいるってことスよ」

宮城は「よっこらしょ」と言いながら立ち上がる。俺はその動向を目で追う。

「はあ〜あ。早く、告白しちゃえばいいのに」
「……ンなっ!!?」
「そんな、かっこつけて陰でヒーローやってるぐらいならさって話でしたー。」

ウインクを残して部室を出て行った宮城。俺はカアァァと顔を赤くさせて押し黙るしかなかった。





——数時間前。


「三井、復帰後の調子はどうよ?」
「ああ、ぼちぼち。けど試合が続けざまあるからな、弱音吐いてる暇はねえ」

クラスの奴らと教室で昼食を取ってそんな会話をしていたとき、前方の席にいた連中がなにやらバスケ部の話をしていたのが耳に入って来る。

「今年は柔道部とバスケ部が全国行くかもって話だよな」
「柔道は青田が全国制覇って気合い入ってるからなあ、おーい三井ーっ」

急に声を掛けられ、そばにいた友人らと一緒に、声をするほうを見やる。

「バスケ部もがんばれよーっ」

その言葉に軽く手を翳して返して、おにぎりを頬張ったとき、その前方の塊の中にいた一人の同級生が気だるげにこちらに向かって歩いてきた。奴は歩きながら何やら話し出す。

「そうそう〜!」
「……?」

そいつが俺のもとまで来て、机を挟んで目の前に立ったとき、俺はおにぎりを口いっぱいに含んだままチラと奴を見上げる。

「三井の彼女候補・・・・っ! 二年生の転校生〜!」
「……」

わざとらしく大声で教室内を一瞥しながら声を張って話すそいつに、俺はピクリと眉を歪める。

「あっはは! 転校生なのに驚いたよな〜。もうさっさと上級生たぶらかしちゃうんだからなっ」
「……」
「三井、なんか弱みでも握られてんのか?」
「……」
「あっ!それとも彼女が訳アリ物件≠ゥなんかってオチか?!」
「……、」

俺は、ゴクンと口の中に入っていた物を喉へと流し込んだ。

「不良やってたから見過ごせないんだろぉー?」
「……」
「そーいう不憫≠ネ子、が。まるで……、自分を見てるみたいで」
「……あ?」

両手の手のひらを天井に向けて楽し気に話すそいつに、周りにいた連中が「やめろって」とか「急におまえどうした」なんて遠回しに俺に対するフォローを入れている。

「聞いたぜぇ〜、二年のセンコーから。」
「……?」
「彼女、母親が——」
「——!!」

——ガタンッ!!

俺が奴の言葉をさえぎって勢いよく立ち上がったことで、クラスの全員が俺たちに視線を向けてきた気配を感じる。

俺が立つと、目の前の奴との身長差は二十センチくらいだろうから、俺は奴を見下ろして眉間に皺を寄せた。

「お……俺は、お前のことを心配して……」
「……」
「せっかく不良から真面目くんにキャラ変したのに、変なのにつかまってんなら可哀想だなって」
「……ッ」

——ガタガタンッ!!

俺は思い切り奴の顎を下から鷲掴みし、その反動で俺の机が大きな音を立てて前に倒れた。

「ま、待って……!」
「……」
「は、離せ……、三井……ッ」
「……」

俺は倒れた机を足蹴にして、奴の顎をつかみ上げたまま教室の入り口の方へと押しやる。

「あっ——い、!」
「……」


——おまえが湘北高校に転校してきたとき
俺は、おまえを今度こそ救おうと決めたんだ。

今度こそ、ずっと、そばにいるって——。
俺が、名前を守ってやるって決めたんだ。


「やめろ、三井! センコーくるぞ?!」

そんな友人らの忠告を聞き流して、俺はそのまま奴の顎を掴んで廊下へと押し出した。

廊下の壁にガン!と奴の背中を押し当てたとき、側を歩いていたらしい徳男らに俺は両腕、両肩をつかまれて引き剥がされる。

「なにやってんだ三っちゃん!!」

俺はそんな友人らを振り払って、腰を抜かして床に尻餅をついてる奴の胸倉をつかみ、至近距離ではっきりとした口調で言ってやった。

「次またいい加減なことほざいてみろ」
「——ッ」
「殺してやるからな」


——だから、こんなクソみたいな奴らに
おまえを傷つけさせない。

誰にも、おまえのことを
馬鹿にはさせない。

俺にしか、心の内を話さないおまえを
温かく包み込んだり、優しく慰めてやることは、俺の器量じゃ出来ないかも知れねえけど。


「こらこら、何をしてるかー!!」


俺のやり方で
おまえを守ってやる——。


「三井……、これはどういうことだ?」
「……」


こんな俺を見て、おまえは怖がるだろうか。

おまえのその瞳は——いま、怯えているのか?

それとも、この程度なら
受け入れてくれるのか?

おまえは、どこまでなら
俺の不器用な愛情を、

受け入れてくれるだろうか——。


「堀田、また喧嘩したのか?」
「あ、いや。廊下でぶつかっただけだ」
「それで、こんなに大事になるのか?」


俺はどこまで、近づくことが
できるのだろうか。

おまえの安らげる空間……


「……そうなのか?」


それがもしも、
俺がおまえに思う気持ちと同じで——

俺のそばだって言うんなら


「——はい、三井とぶつかっただけです」
「……」
「俺から、三井にぶつかりました。」
「……」


せめてそこだけ、俺のそばだけでなら
ゆっくり羽を伸ばして、休んでくれたらいい。

誰にも侵されない
おまえだけの場所を、


「三井——、」
「……はい、」
「今回は見逃すけどな、わかってるよな?次なにか騒ぎをおこしたら」
「わかってます」


俺が、作ってやるから——。









「十分休憩ーっ」

彩子の声掛けに、みな一斉にコートから出る。

部活に集中していた俺がそこではじめて、赤木の妹らとバスケ部の見学をしていた名前の存在に気付く。

目配せしてみせれば、ニコッと笑った名前が小さく手を振ってきたので、それに軽くうなずいて返す。

……なんだアイツ、戻ってきたのかよ。


その日も遅くまでバスケ部の練習は続いた。いつも通り外で待っている名前のもとへと向かう。

俺の気配に気付いた彼女は、腰を上げスカートの埃を払ったあと、俺と肩を並べて歩き出す。

「帰ったんじゃなかったのか?」
「あ、うん。……曜日間違い、きょうはお父さんがご飯担当だった」
「……そうか」

そのままなぜか、沈黙が続く。名前はときおり、夜空を見上げて星なんだか月なんだか何かを目で追って「きれいだね」とか呟いてた。

……。

——いったい今日はなにがあったの?

今までどんな高校生活を送って来たの?

何をして過ごしてたの?

連絡は
どうしてよこしてくれなかったの——?

きっと聞きたいことは山ほどあるだろうに、彼女は一切聞いて来ない。

いっそ、そのほうがいいとも思った。

「そんなあなたを好きになれない」なんて言われたら、言葉に詰まりそうな気がしたから。


予期していなかった初恋の相手との再会。日々募っていく想いとは裏腹に、全てをさらけ出していいのかと思い悩む毎日。

それでも彼女が湘北に来てから今日までのあいだ何度か自ら告白しようとしたんだ。過去の、自分のことを。

話はいつ切り出そう、でもむやみに話して、もし彼女を傷つけるようなことになったら、って。

そもそもこいつに、心を丸裸にしてもいいものなのかって……。

誰にも見せずに生きてきた、
俺の心ン中を——。


不安と期待の狭間で辿り着いた答え。
——なら、今だと思えるときまで待つか。

けど、小心者な俺は彼女の笑う姿を見ているうちに、自分の本心すら読めなくなっていった。

そうして俺が口を閉ざしている間に、彼女との距離はどんどんと縮まるばかりで。

俺がこうして心を閉ざしているから、見えない壁は高くなっていくのに、物理的な距離ばかり縮んでいく。

でも、俺の過去の出来事なんてなかったかのように、俺に笑顔を向け続ける名前を見ていると……

もうそろそろ話してもいいかも知れないと思う反面、その話を聞かなかった場合の彼女との先のことを考えると、喉に何かが引っかかったみたいに言葉が出てこなかった。


『 別にこのままでもいいんじゃねえのか? 』


頭の中に、そんな俺の悪魔が囁きかける。

どうであれ、やっとまたこうして再会できて、俺だって前に進もうとしているのに、あえて真実を知ってショックを受けさせるよりも。

これからの人生だけを考えて生きて行くほうがいいんじゃねえのか?

そんな考えに甘えようとしていた。

死にたくなるくらい、馬鹿な甘い考えを——。





「……し、ひーさーしー!」
「……、あ?」

気付けばすでに、最寄りの駅の改札を出ていた。

ぼーっとしていてもちゃんと電車に乗り込んで、改札を出ることが出来ることに驚く。慣れと言うは恐ろしいもんだ。

「どうしたのー?ずっと上の空だね」
「……そうか? 別に普通だけどな」
「そう?——あ、きょうさ」

歩きながらそう話し出す名前に、思わずぴくりと眉を吊り上げる。

「きょうね、体育の授業のとき」

昼時の話ではないことに、ホッと胸を撫でおろしてバレない程度に息をつく。

「リョータくんがね?授業中の野球でランニングホームランしてさ」
「ああ」
「リョータくんって、運動全般なんでもイケるクチなんだねー」
「……そうかもな」
「昼休みなにがあったのって、」
「——え、」

ぴたりと足を止めた俺を追い越した名前も、すこし先でぴたりと足を止めた。

「聞いて欲しい? 聞かないで欲しい?」
「……」

俺に背を向けたまま後ろで手を組んでいる名前を、俺はじっと見据える。

やや流れた沈黙の中、真横に広がる海の音がここまで届いてくる。


「……聞かなくて、いい。」
「……」
「まだ——いまは・・・……。」

ぼそりとつぶやいた俺の言葉に、彼女は明るい口調で言った。

「じゃあ聞かないっ!」

くるっと振り返った彼女の制服のスカートがふわりと舞って、まるで天使が舞い降りてきたのかと思った。いや、これ結構、リアルに。

「寿ーっ、はやく行こ〜!」

見惚れている俺を置き去りに、手招きしている彼女に面食らって俺はまた足を踏み出した。

横に並んで一緒の歩幅で歩き出せば、彼女は隣でわけのわからない歌を口ずさんでいる。

「あっ! 流れ星っ!」
「……ハァ。」
「え、どしたの?」
「いや、別に……なんでもねえよ。」


三井寿、十八歳——。

俺は初恋の相手、名前に
想いを伝える一世一代の愛の告白と、
自分の犯して来た二年間の過ちの告白と。

どっちを先にするべきなのか
神様、仏様、

もう天使でも、悪魔でもなんでもいいから

誰か、教えてくれよ——。





——彼と私のあいだには、確かにまだ壁がある。

久しぶりに再会した彼が引いた境界線だ。
私の知らない、彼の三年の空白の時間。

そこは、完全に寿だけのエリア。

私は入ることの出来ない立入禁止区域。


でも、これからゆっくりと
いろんなあなたを私に見せて欲しい。

ゆっくり、寿のペースで構わないから。

だって……、

もしも、私のためと言って寿がついた嘘なら
私にとってそれは 本当しんじつ ≠セから。

会えなかったこのあいだに、少しずつあなたが変わってしまっていたとしても

私はずっと、
いままでと変わらず

どんな寿でも


受け入れる自信があるよ——。










 従うのは
  いつも、自分のだけ。




(寿ってさ、ずっとヒーローだよね)
(ヒーロー?)
(うん、私だけのヒーロー。)
(そんな大した力ねえよ)
(ううん、そばにいてくれるだけでいいの)
(……、あっそ、じゃあいてやるよ。)
(……)
(名前だけのそばに、ずっとな。)

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