「寿!ひさし!ヒサシィ〜〜ッッ!」
「どんだけ呼ぶんだよっ!」

「安心しろい」と楽し気にも口の端を僅かに吊り上げているけれども、これが安心していられると思うのか。

「ギゃーアアア!ひさしぃぃぃぃい〜〜!」
「うるっせー女だな、その口閉じれねえのか!」

ヴォーーアと呻きながら歩み寄ってくるゾンビに容赦なく撃ちっ放していく幼馴染の彼、三井寿。

目を輝かせて銃を構える寿自身も怖いけれど、少なくとも今は私を守ってくれているのは紛れもなく目の前の彼なわけで。

その彼の背中にぴったりとくっ付いて離れることのできない私。

寿とこんな形で密着するなんて不本意極まりないのだけれども。

「ここら辺のはー。まあ、片付いたみてえだな」

ガシャン……と、大きな鉄の塊を振り下ろして、寿は「ふぅ」と腰に手を当てがった。


——いつもと変わらない放課後のはずだった。

ここ、湘北高校に転校してきてから二週間。今日も今日とてバスケ部見学に行くため私は体育館を目指して、いつも通り校舎を出た。

外に出た瞬間に湘北の生徒が血相を変えて逃げ回っていて、その場に私も足を止める。

はじめこそ鬼ごっこでもしているのかと思った。そんなことを考えながらまた歩き出した私の目に飛び込んで来た光景。

緑色の肌をした物体?人間?が、群がって生徒に襲い掛かっているではないか。

「ゾ、ゾンビ……!?」

映画の撮影なんて湘北で行う予定あったっけ?
ああ、昨日寝る前にこんなドラマを見たなあ。

こんな状況下でも私の脳内は、呑気にそんなことを考える。

しかし、あたりを見渡してもカメラマンも監督も居ない。なんなら先生たちの方が我れ先にと生徒を押し退けて逃げ回っている始末。

「え……、現実……!?」

一気に青ざめた私はズズズ、と後退りした。

カチャリと足に当たったなにかに目を向けると、そこには——銃が落ちていた。

咄嗟に拾い上げて、走り回る生徒に混じって私も必死になって逃げたんだ。








「もう……、居なくなった?」
「お前どんだけ弱虫だよ、そンなだと嫁の貰い手もねーぞ」
「あ、寿のとこにはお嫁に行かないから大丈夫」
「そうかぁ? 心配で逆にもらってやりてーぐらいだわ」

私は、両手で頭を覆ってかがんでいたけれども、ゾンビの呻き声が聞こえなくなったことに安心して、ようやく一歩、彼と距離を取る。

いまコイツなにかしょうもない冗談を言った気がするけれど、聞こえなかったことにしよう。構ってしまったら余計相手を喜ばせてしまうだけだ。

けれども、私がそっぽを向いたことで逆に寿は嬉しくなったらしい。マシンガンを肩に携えて、ご機嫌にけらけらと笑っている。

取りあえず灰色の顔色をしたゾンビの死骸を避けて通りいつもの広い校庭を改めて見渡してみる。

遠くから聞こえる消防車や救急車、パトカーのサイレン。もうもうと立ち上る煙、何かの燃えるような臭いが、まだこの状況を信じられないでいる私の感覚に情報として飛び込んでくる。

冷静に考えてみれば膝からがっくりと力が抜けてしまいそうで、私は震える手で思わず寿の背中にもつれ掛かる。

こんな人でも今は私の側にいてくれるというだけで、なんとありがたいことだろう。

「オイ弱虫。重てぇよ、」
「え。」
「ひとりで歩けねーのか」
「あ、すんません。」

ぱっ!と、手を引っ込めると寿は眉間に皺を寄せて、私をジロジロと眺めた。

「チッ。」

彼は何か言い掛けようとしたけれど途中で気が変わったらしい。わざとらしく舌を打ち鳴らして、その後は何も言わず私の前をずたずたと歩き始める。

……なんだろう、
まあ、いいけど。

「銃、ちゃんと持っとけよ」
「うん」
「ちゃんと弾の込め方わかってんだろうな」
「うん」
「引いただけじゃアイツら死なねーぞ」
「うん」
「脇締めて顎弾いて、狙い定めねーと」
「うん、わかった。」

その私の返しにジッと私を見る寿と目が合った。

「本当かよ、このアホ女は……」

そして突如、私から銃を奪い取ると、もぬけの殻となった校舎へ一発撃った。パァン!と、もの凄い音がして辺りに響き渡ったとき私の心臓もドクンと音を立てた。

「おぅ、せっかくカッコいい二刀流なんだぜ」

そう言って私の手のひらにその銃を乗せた。

「せめて片方だけでも使いこなせないとな」

寿が校舎を撃ったお陰で、コレは正真正銘のホンモノだという事が分かった。手に乗せられたソレを見つめて、ゴクリと生唾を呑む。

「あ!お前、弾入れてねーじゃねーかよ!何やってんだ、死にてーのかバカヤロウ」
「……、入れ方わかんない」
「ったく、どんな脳みそしてんだよ自殺願望でもあんのか、てめーは」

どれ、貸してみろ。と言うので銃を渡すと学ランの胸ポケットから手際よく弾を取り出し、慣れた手つきでその弾を入れ始めた。

あーあ、バスケットボールを触ってたはずの綺麗な手が今や銃の弾持ってんよ。なにこの世界線。


その大きな手と長い指の動きを見つめていたら、疲労感がどっしりと体に圧し掛かって来た。

でも、ここにはゾンビがたくさん居て寿が居なければ私なんて、とっくに餌食になっていたに違いない。

逃げる策を考えなければならない。けれども自分が何をすべきなのか、どういう心積もりでいればいいのか分からなくて、ぼぅとしているだけだった。

彩子や晴子ちゃんリョータくんに桜木くんたちは大丈夫だろうかと、友人を心配する。

この校外はどうなっているのだろうと考えもする。そしてまた、ぼぅと宙を眺め始める。

「わたし、寿がいなかったら死んでたね」
「あ?……まぁ、とっくにゾンビの仲間になってただろうな」
「だよね」
「でも、そーだったら俺が成仏させてたわ」
「寿、ありがとう」
「……あぁ?」
「ありがとう寿って言ったの」
「はぁ?……、いーって別に」

カチャン、と音を立てて長い指が最後の一発分を込める。くるりと拳銃を手の中に返して私にグリップ部分を向けて差し出した。

「いいか? 躊躇すんなよ相手は人間じゃねぇ、ゾンビだ」
「うん」
「うん、て……あのなあ。心配だぜ、お前本当に死にそーだからよ」
「……うん」
「まあ、向こう行ったら赤木たちもいるし大丈夫か」
「寿は?」
「あ?」
「寿は一緒に来れないの?」

私が差し出されたグリップを握って、二秒ほど間を置いてから寿が銃から手を離した。

「俺はまだここに居るよ」
「なんで?一緒に行こうよ。終わったらさ、ご飯食べて……ゆっくりしようよ」
「まあ……いろいろあんだよ、お前と違って」
「いつここから離れられるの?」
「なんだよ、待っててくれんのか?」
「うん。」

しっかり肯いて見せると、寿は目を細めて、少し笑って、すぐに無表情になった。

「いいって別に。名前は赤木たちと合流して安全なとこに連れてってもらえよ」
「……でも」
「ゲートの外には木暮や徳男たちもいっからよ」
「ゲート?」

そう首を傾げると、ハァと溜息を付いた寿が歩き出したので着いて行った。

しばらく歩くと校門が見えてくる。そこには高々とそびえ立つ鉄のゲートが備え付けてあった。

……なに、コレ。え、あった?今朝。

「向こうもいつゾンビが出てくるか分かんねーし油断すんなよ」
「……、」
「名前? 聞いてんのか?」
「うん、拳銃あるから。寿のこと待ってる」
「あのなぁ……」
「私のこと助けに来てくれたから……待ってる」

助けてくれたからこそ、寿が安全なとこに来たのを見守りたいと、妙な使命感に駆られている。

拳銃二丁をクロスさせて、バッ!とかっこつけて見せると寿は満足気にやりと笑った。そのとき、風がふいに舞い込んだ。

寿の短い前髪が一瞬ふわっと揺れて、あ……何だかこの人と、もう会えないのかなぁ、と思った。なぜだかは分からないけれど。

不敵な笑みがどことなく寂しそうに見えたし、 気のせいなのかも知れないけど。

見た事も無いほど疲れた顔をした彼は、それでも大胆な笑みを崩さない。そして、今まで見た彼の姿の中で一番かっこよくて——

綺麗だな、と思った。


「名前……」

寿がマシンガンを首筋に当てるように持ち替えて空いた手で私の顔に指を近づけて……そして

——やっぱり、触らなかった。

持ち上げた手を引っ込める、彼のその顔に浮かんだのは苦笑いだった。

「もっと早くに気持ち伝えりゃ良かったな」
「え……?」
「いや……。お前のこと、もっと可愛がればよかったなーって思ってよ」
「なに言ってんの、急に」

はっはー、シャレになんないからと笑って言った私は、寿の高いところにある顔を見上げる。

寿もケラケラ笑っていてそーだなと眉を寄せた。

「まぁ、過ぎた話だ。あのゲート開けたらいつもの日常だぜ」
「——寿、帰って来るでしょ?」

どうして、そんな顔をしているのだろう。

いつもみたいに、私の頭を撫でたり、頬を抓ってみたり。かと思えばあっさり手を離してしまう、そんな彼の自由奔放さが今は感じられない。

どうして今になってそんな事を言うのだろう。
まるで……もう会えないみたいに。

「おぉー、なんぼでも帰ってくるぜ」
「ほんと?」
「ああ」
「ならいいんだけど……ねぇ、」
「あ?」
「全部、自衛隊の人に任せとこうよ。無茶したらダメだよ」
「本当に能天気なヤツだな、お前って」

楽しそに笑う彼が漆黒の瞳を瞬かせる。整った顔に刻まれた疲労の影が痛々しい。

けれど口元だけは、いつもと変わらない。
歪んだ皮肉のような微笑み。

何故こうも、気になるのだろう。


寿——。


どうしていつも、二人きりになった途端に突き放そうとするのだろう。今もそうだ。

まるで私が一緒に居たいと思い始めた瞬間を見計らっているかのように、切ないタイミングで。


「名前、元気でな」

ガチャンと重い錠を開けてあとは押すだけで簡単にゲートは開く仕組みになっているようだった。

寿はかがんで、開錠していた体を起こしてすっと立ち上がる。背の高い彼の影が、途端に私を頭上から覆う。

「寿もね。」

いつの間にか私は自分の唇が強張って密かに震えていることに気付いた。叫びだしたい衝動に駆られる。

 寿。

その端正な顔立ちに浮かべられた、いつもよりもずっと怖い笑顔が、もう見えなくなってしまいそうで。

もう——
会えないのではないかと思ってしまって。

 寿。


 寿。


「わがまま言わねーで木暮たちの言うことちゃんと聞くんだぞ」
「寿、やっぱり一緒に来れないの?」
「ハッ、何言ってんだよ。いーっつも気安く触るなって騒ぎ立てるくせして。寂しがり屋かよ」
「ふざけないでよ! いま……本当に心配してるんだから!」
「名前に心配してもらう必要なんかねーよ」

肩に掛けたマシンガンに頬を乗せて、ふざけた顔で寿が私の肩を叩く。

それが制服の上で、彼の手と私の肌が接触していないのにも関わらず、私はとても切なくなった。

——人恋しい、心が痩せ細った気がした。

そうだ、彼の言う通り私は……寂しがっているのだろう。

このまま一緒にゲートを出て、安全なところで互いの顔を見ながら、アイスでも食べれればどんなにいいだろう。

いつもみたいに、パピコを半分こしてさ。

そして、そのままみんなで……
安全でのどかな場所に逃げる事が出来れば……

しかし、それは何ひとつとして叶わない。

寿は、このような状況下でも、真っ先に危険の中心に飛び込んで行ってしまう人で、私は戦うすべを持っていないし、安全でのどかな場所なんて存在しないかも知れない。

助けられて何も出来ず足手まといになって、赤木先輩や堀田先輩に保護してもらって。

そして……
このまま会えなくなったらどうしよう。

私に何が出来るのだろう。

何ひとつないかも知れないけど、考えたら何かひとつくらいはあるのではないか。それでもやっぱり何も無いのだろうけど。

「名前、」
「……ん?」
「名前はやっぱり、たまに優しくなるんだな」

ニッと口角を吊り上げていつもの顔で寿が笑う。明らかに疲れた顔をしているのに彼は……いつもの三井寿だった。

疲労感が彼の精神に影響を及ぼすことは無かった。それなのに、どうしてこんなにも寂しくなるのか……。

「さてはお前……、俺に惚れてんだろ?」
「いっつも茶化すんだね」
「ほら見ろ! 図星だな、図星」
「バカっ! もういい!」
「てめっ! 先輩に向かってバカとは何だバカとは!」
「もうずっとこっちに居れば!」
「あー、それもいいかも知れねーなぁ」

ぐぅと、上半身を伸ばして後ろを振り返りながら寿が言う。

曇った空の下で、寿の肌がいつもよりも青白く見えて、同じ血の通った人間とは思えなかった。

「……やっぱりダメだよ!一緒に行こうよ寿!」

胸が震えて、感情に任せて口を開いたら、思ったよりも弱々しい掠れた声が出た。

「——それは無理だな」

低い声に顔を上げる。
彼の瞳を見るのが怖かった。

いつもと同じなのに
なにかが違うから。

「……なんで?」
「助けなきゃならねー奴が多すぎるんだよ」
「……行かない……で。」

喉の奥で声が引っかかって、上手く言えないし舌もまわらない。それでも思っている事を伝えるのは、とても勇気が必要なことだった。

「あー?聞こえねーわ」
「行かないで、お願い。」

寿はやっぱり意地悪だし、クスクスと笑い声が聞こえる。必死の形相をした私は、さぞかしおもしろいだろう、そう思うと腹が立つけれど。

それでも素直に伝えたら聞き入れてくれるのではないかと、淡い期待を抱いてしまう。そんなわけないのに。

「お前にそう言われただけで満腹だよ」

さっき引っ込めた指が伸びてきて私の頬に、今度こそ触れた。ひやりとする柔らかい感触。

つーっと滑って、手のひらが私の頬をすっぽりと覆い、彼の指が私の眉尻を微かに持ち上げる。

いつもなら「お前」って言われて腹が立つのに。心に響かない。寿の言葉も、手の感触も、きっと深く覚えておくことは出来ない。

しばらくして今この状況を振り返ってみて思い出すのは寿の……この顔なのかなぁと私は思った。

どうして今になってそんな風に笑うのだろう。
いつも通り口角を吊り上げて笑う寿の顔。

でも彼の後ろには非日常的な鉄のゲートがあってそこを押して出て行ったら私と寿はもう、会えなくなるのだとはっきり示している。


「寿……」
「いいか? 赤木たちと合流すんのを一番に考えろよ。当面は避難してたら生きてられる、」

「寿……、」
「そっから先の事はわかんねーけど、まぁ……なんとかなるだろ」

「寿、」
「けどお前、昔からあんま運なさそうだしなぁ、どっか他県にでも身寄せてたほうがいいんじゃねーか?まぁ、その辺はセンコーたちが上手いこと判断すんだろ」

「寿」
「それからな、ゾンビ騒ぎでろくでもねー事やらかす人でなしが横行してっから、騙されんなよ。身引き締めておくんだぞ」


 ……寿——。

ふっ、と寿が笑った。

「泣き虫……。」

と、一言だけつぶやいて。


「……っ」

いつの間にか、私の目には涙が溜まっていて眉間にも、ものすごく力が入っていた。瞬きをしたら相貌から大粒の雫がぽとんぽとんと落ちた。

「寿……」
「もう行けよ」
「わたし……」
「おーおー、愛の告白かよ?ったく……敵わねーなぁ。あーあ。」
「……わたしっ、」
「名前」

そう私の名を呼んだ寿を見上げたら、やっぱりそこには、いつもの笑みを浮かべた彼がいた。


寿——、
出会ったときから、いつも同じ。

少年みたいに笑って自由奔放で気ままで冗談好きで弱くて強い。でも芯は真っ直ぐで。

勝手でいつも私にちょっかいばかり出して、でもいつもどこかに行ってしまう。

だから大嫌いだったの、小学校の頃は。
こっちがその気になったら必ず突き放すから。
こっちが忘れかけたら、また寄って来るから。


「………っ、大嫌い」
「ほぉー、そりゃ嬉しいぜ」


でも、もう今度こそ……
本当に………

寿に肩を抱かれそのままゲートの方へ促される。腕の感触。嗅ぎ慣れない火薬の匂い。

それから寿の匂いも、すぅっと大きく吸い込んだら敏感な嗅覚に届いて来た。でも、体温は感じられなかった。


 寿……。

一緒に出て行ってくれたらどんなに、どんなに、どんなにいいだろう。

寸でのところで私は嗚咽しそうだった。喉はひくひくと強張り、胸が詰まって顔はくしゃくしゃで泣いている。ひっくひっくと息を殺している。

「……っ、いかない、でっ」
「なに言ってっか分かんねーよ」

涙で滲む視界にも、寿が笑っているのがわかる。瞬きをして涙を落とすと視界は明瞭になったがどんどん溢れてくる熱い涙がいつまで経っても次に控えている。


 ——行かないでよ。

でも行ってしまう。わかってる。
迷いはない。この人に躊躇なんてないのだ。

そっと肩を押されて私の体はゲートの外に飛び出した。振り返ると自衛隊員が二名、信じられない顔で私を見つめている。

その背後にはいつもの日常の風景が広がっているかに思われた。

実際には、この隔離の事も含めてヘリコプターが無暗に飛んでいたり、不穏な空気に満ちているのだろうが、実際にゾンビの中をくぐってきた後では、何もかもが活気に満ち賑やかに感じられる。

ハッとしてふたたびゲートに目をやる。

寿が、私を見ていた。
彼は私をずっと見ていたのだ。

ゲートをくぐり日常に戻ったことに驚いて、すっかり泣き止んでキョロキョロと様子を伺い、平和を感じている私の姿を。

「元気でな」

そう言った声が、ギィと軋むゲートの閉まる音に紛れて、小さく聞こえた気がした。

寿は最後まで、やっぱり三井寿らしく、にやりと笑って見せた。


「寿っ!」


 ― ガチャン。 ―


ゲートは完全に閉ざされた。
私が呆然としていると後ろから、自衛隊員たちが集まってきて私を取り囲んだ。

「生存者か!?」
「噛まれていないようだな」
「念のためチェックを!」

体を揺さぶられているがなんだか頭に情報が入ってこない。反応できない。眩暈がするし、吐き気もある。


 寿。

最後までやっぱり、三井寿だったね。何を考えているのかなんて転校してきて、三年ぶりに会えてからだって、一度も分からなかったけど。

 でも——、

私をゾンビの群れから見つけ出してくれたときだけは、笑っていなかった。



『 名前!どこも噛まれてねーか!? 』



寿の眉根を寄せた顔。長い睫毛の漆黒な瞳。珍しく一文字に引き結ばれた唇。

あの顔が本心なら……

わたし、やっぱり言えばよかった。


 ——好きです、って。


必ず、無事に帰ってきてって。
でも、言えなかった。

本当の別れになるみたいで……怖かったから。

言っておけばよかった。本当の別れでもちゃんと伝えておけばよかったよ。








体育館にボールの弾む音がする。休憩中もなお自主トレに励む桜木くんのボールの音だ。

「バーカ、」
「ぐっ………」
「ほら見ろ、戻ってきただろ?」

体育座りの姿勢で、桜木くんを見つめる私の横に大胆にあぐらを掻きながら私の顔を覗き込んで彼は笑う。

「行かないで寿!一緒にいてよ寿!……、ガハハハハハ!ヒッヒッヒッ!ゲラゲラ」
「うぅ〜〜〜っ……大っ嫌い!!」

憤慨して赤くなる私に文字通り腹を抱えて笑いながら、苦しそうに寿が息継ぎをしている。

「寿大好き!寿一緒に逃げよ!……、あーダメだ苦し、傑作だぜ……恥ずかし!」
「ちょっと!偽装工作しないでっ! そんなこと言ってないでしょーが!!」
「そうかー? いや、言ってただろ」
「言ってません!あなたの妄想です!」

このままここに居たら血管がぶち切れて破裂してしまいそうだ。怒りにまかせてその場を後にしようとしたら寿の腕がぐっと私の肩を抱き寄せた。

「そーゆーふうに聞こえたぜ、俺には」
「……っ!」

低い声にゾッとする。
またいつもと同じ顔で笑ってる。と思って見上げたのに、今は笑っていなかった。

静かな……綺麗な顔をしているから……
ズルいなって思った。

急にそんな顔をするなんて、ズルいし、最低だ。

チャラ男。でも女の人に興味なさそうだけど。でもなぜか、私にだけは昔からちょっかいを掛けてくる。そういうところも……ズルい。

「なぁ、本当のこと言ってみろよ」
「……! 大っ……」
「おっ? なんだ?」

 はい、
 大好きです——。


とは、言いづらいよなあ。
どうせ冷やかされるんだろうし。

「……言ったら私の言う通りにしてくれる?」
「あ?」
「言う通りにしてくれるなら言ってもいい」
「あンだよ、おもしれー事だったらいいぜ」
「あのね……」


生活も精神状態も何もかも元に戻った。
戻したくないのは、ひとつだけ——。


 今度こそは、ずっと
 わたしと一緒にいてね。



(……なんてやっぱり、言えないよなぁ。)










 そんな、を見ました。


(名前……)
(あ、寿。おはよー)
(おれ昨日な? 変な夢見てよ……)
(——え! まさか同じ夢なんてことは……)
(ゾンビが出てきて、そんで)
(キャー!それ以上言わないでっ!!)
(は……?)

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