「名字、頼むから三井を刺激しないでくれないか?」

バスケ部のキャプテン、赤木先輩に私が言われた言葉。

「いや、俺もあんまり部員のそういう関係・・・・・・のことには口出ししたくないんだがな……だが、最近の三井は酷い」

放課後、リョータくんづてに呼び出されたと思ったら、付き合って約二ヶ月の彼氏、三井寿の話題だったので思いがけず一瞬、息が止まりかけた。

「シュートの成功率が1.5%落ちてる上に成績も比例して今回のテストで赤点をとった」

赤木先輩はわたしに寿の練習の個人記録みたいなノートとテストの個表を見せてくる。うわー……マメなんだなあ、しかもめっちゃ字きれい。達筆だ……って!感心している場合じゃないでしょうにっ!

「……」
「……」

正直、知らなかった。インターハイまであと約一ヶ月。バスケ部にとって今は大事な調整期間だ。でも寿はいつもとおんなじように私に接してくれていた。そんなこと、微塵も感じさせなかった、のに……。

「まあ年頃だしな……恋愛に燃えるのもわかる。だが、三井はうちの大事なシューターなんだ」

赤木先輩は彼のデータをしまい、きゅ、と椅子を鳴らし私へ向き直る。

「……はい、わかってます」

私が赤木先輩の目を見ながら言うと、「なら、しばらく会うのは避けてくれ。わかるよな?」と、赤木先輩は今度こそ目付きをきりっとさせて私へ言葉を放った。うん、わかってる。わかってるよ私だけの寿じゃないんだもん。

押し黙る私に、「すまない。」と頭を下げられてしまい、もう「はい」としか言い返せなかった。そうやって丁寧に謝ってくれたとしてもさ……、その有無なんか言わせない赤木先輩の口調。それに少しの苛立ちを覚えながらも、私は、大人しく従うことにした。


一日の授業を終え、放課後。私はいつも通り体育館へ向かった。覗くと赤木先輩を中心に整列したバスケ部員。これから練習が始まるところだった。私がいたら寿は気が散るのかもしれないな、今まで一度も言われたことがないけれど、ふと、そんなことを思った。

「……はぁ」

思わず出てしまった溜め息。それに目ざとく気付いたのは、桜木軍団の一味、水戸くんだった。

「なんだなんだー?重い溜め息なんてついてさ」
「あー……ううん、なんか今日さぁー、バタバタしてたっていうか」
「へえ?」
「なんていうか……いろいろ疲れちゃってさ?」
「ふーん」

私は苦笑いしながら水戸くんから目を逸らして鞄から携帯を取り出す。そして愛しの彼氏へメールを打った。


 ――――――――――――――――
  
  🕑 7/3 17:07
  To 三井 寿
  件名
  本文

  ごめんね、今日は先に帰る!

 ――――――――――――――――


理由なんてないけど。私のせいで寿が損するのだけは嫌だった。寿の可能性を潰すのは嫌だもん。

水戸くんに帰る、とひとこと言い置いて、寿とは目を合わせないよう静かに体育館を出た。それでも背中に突き刺さる熱い視線の相手は、きっと、ひとりしかいないんだろうなぁ……。








「名前!おまえ何で昨日先に帰ったんだよ」

翌日、朝一に廊下ですれ違った寿に問われた。

「えっと……、お父さんに買い物頼まれて」
「……ンだそりゃ」
「なんか、今日も頼まれちゃってさー、ごめん、今日も先帰るね?」

不思議そうな顔をする彼に私は笑いながら言う。

「別にいいけどよ……用あるなら仕方ねえしな。でも、明日は平気なんだよな?」
「あ、明日っ?!……んー……、どう、かな」
「おいおい……」

寿からの折角のお誘い。でも、ごめん!これも、寿のためなんだよ。不機嫌に渋い顔をした彼氏が今日は妙にかっこよく見える。私、重症だな。


帰りの電車の中で心地よく睡眠した。そして、夢を見た。寿の夢だった。寿が全然シュートが決まらなくて、受験生なのに赤点ばっか取って、卒業すら危うくて……。インターハイの一回戦で相手と20点差で鮮やかに敗北する、という悪夢にも似た夢だった。

「———っ!」

目覚めた瞬間、泣きそうになった。これまさか、予知夢?って。そんなの……絶対やだぁーっ!!私は思わず、ぎゅっと鞄を抱きしめたのだった。


「今日も無理なのかよ」
「うん。ごめん。今度は知り合いに、お菓子作り手伝えって言われてさ」
「あっそ……」

翌日、やっぱり朝一に私のクラスに来て寿はそう言った。私はそれをすぱん!とぶった斬る。そんな私と寿を横目に盗み見している彩子とリョータくん。だって、だってさ……この大事な調整期間だよ?雑念入れて無様になった炎の男なんか見たくないもん。








「今日も来れねえのかよ」
「あー……そうだね、うん、ごめん。」
「……」

月日が経って、インターハイまであと半月。やっぱりこの日も私のクラスに来て寿はそう言った。ついでに、もうすぐ夏休みに突入する。そうしたら、物理的に会えなくなるのだ。それまではなんとかして誤魔化さなければ……。

「寿はインターハイに集中しよ! ねっ?」

私は小首を傾げてそう笑いながら言った。寿はといえば、なんかぶつくさ言ってました。そして、そのままバンッ!と、乱暴にも二年一組の教室のドアを開けて出て行った。私はその日の放課後、寿に見つからないように三年六組へと向かう。

「赤木先輩、寿の様子はどうですか?」

バスケ部のキャプテン、赤木先輩のところへ寿の様子を聞きに来たのだ。

「……お前、ほんとうに関わってないんだよな?このところ。」
「はい。リョータくんたちに別れた?って訊かれるくらい関わってませんよ」

じと、と赤木先輩が睨むので私は事実を漏らす。実はリョータくん含む、数人にそう訊かれてしまったのだ。でもこれはIHが終わるまでの辛抱。第一に、寿のためなんだし。

「シュート成功率1.8%ダウン」
「うっそー!」

赤木先輩が頭を抱えた。私は驚いてその寿の個人データを奪い取り、ガン見する。

「まじ……ですか。」

そこにあったグラフ。精密に計算された寿の個人記録。ぺらぺら四、五枚めくると、寿が一年生のときの記録のほか、私が転校して来る前の彼のデータがあった。そこから順に見てみる。バスケ部復帰直後。二ヶ月前、一ヶ月前……

「……赤木先輩、」

わたしは、残念ながら気付いてしまった。

「……」
「……」

赤木先輩は頭を抱えたまま黙っている。三井寿が崩れ始めた日。それは、私たちが付き合い始めた日からだった——。


「……なるほど。私がいたら、駄目なんですね」
「名字……」

強面な赤木先輩の情けないような、申し訳なさそうな表情。けれど、そんな表情でどんなに隠せていても、隠せない事実がここにはあったのだ。


その日、私は何も言わずに学校を出た。メールも直接言いに行くこともせずに校門を出た。これ以上、可能性を潰したくない。わたしは知ってる。バスケをやってる寿が、一番かっこいいんだってことを。私がいたら三井寿は駄目になる。私がいたら、炎の男は輝けなくなる。私がいたら、重荷なんだよ。浮かれてて私……気付けなかった。

「……っ」

いまどんなに慰めの言葉かけられたって、きっと無駄。たぶん彩子でも水戸くんでも無理だ。だって寿、数字に出てるんだもん。私がいることで、寿は苦しかったの——?なんで素直にそう言ってくれなかったの。








翌日は休み時間のあいだ、ずっと女子トイレにいた。会いたくなかった、偶然でも。会えなかった必然でも——。寿からのメールも電話も、クラスに来るのも全部シカトして、ただ早く寿が何事もなく広島に旅立つことを祈った。はやく、はやく夏休みに突入して欲しかった。

私が寿を寿じゃなくさせてしまう。私がいることで疲れた体に余計な神経を使わせる。その事実が嫌だったし、悲しかった。夏休みまであと二日。そんな今日は、どんより分厚い雲が空を覆う曇りの日だった。


次の日にはもう泣き疲れた目が痛かった。そんな顔でしぶしぶ学校に行って席に着いて一日をなんとか乗り切った。寿は来なかった。来て欲しかったのかな、私。けれど、彼は来なかった。寂しかった。でもこれでよかったんでしょう?三井寿が輝けるのなら、私くらい犠牲になったって構いやしないよ。……かっこいいな、わたしって。

一学期の終業式を終えたあとは、なんだか動く気がしなくて席でぼんやり窓の外を見ていた。帰りたい……。帰ろうかな。よしっ、帰っちゃおう。荷物を持って教室を出る。背後から聞こえたリョータくんの「名前ちゃん!えっ!帰んの?!」という声を完全無視してしまった。ごめんね、リョータくん。

ぼんやり歩いているうちに、見覚えのある景色。は、として見るとバスケットコート。私は無意識に体育館に来ていたらしい。……怖い。わたし、怖い。

「キモ……。」

思わず自分で口に出して嘲笑する。階段を上がり二階へ行く。フロア全体を見渡せる観客のスペースだ。私はいつもここや入り口で、寿の練習風景を見ていた。穴が開くってほどに。それすらも、寿には迷惑だったんだろうな、たぶん。

またぼんやりしていると、不意にボールの音がした。だんだん近付いて来るその音。咄嗟に私はゴールのバックボードの裏に隠れた。……誰だろ?ってか、何部だろう?わたしは、息を殺す。


……ダム ダム ダム。重みのあるボールを床に、一定のリズムで落とす音、バスケットボール。

……ダム ダム ダム、音が近くなる……きゅ、とバッシュの擦れる音。早くなるドリブルの音。

——ガ コ ン !

きっとボールがリングを潜った、私の後ろのこのゴールに。弾むボールをキャッチし音の主はまたドリブルをしてゴールする。ダムダムダム……、キュ、ガコン!

なんかそんな音の繰り返し。連想するのは愛しのあの人——。今日は夕方から練習だとか朝に彩子が言ってた気がするから、きっと一度帰宅したであろう、三井寿の面影を思い浮かべて。

……寿。ごめんね——。


私がしゃがんだ膝に顔を埋めた、そのとき——。

ガ ア ン !

「——!?」

突然、大きな音がした。明らかにリングを狙っていないバックボードにぶつけるためだけに放たれたようなその重量感たっぷりのバスケットボールの音が。


「……、隠れてんじゃねーよ」

思わず身が竦んだ。背筋が凍った。瞬きが止まった。聞き覚えのある、その声色に。……振り向きたくない、見たくない。……見れないよ。


「名前」


三井寿は、ここにいた——。

「おい」

——ガンッ

「おら」

——ゴンッ


単調なリズムでボールを私の背中のバックボードに打ち付ける。ボードと観客席の間に柵はあっても、ボールの威力が凄すぎてバックボードは充分すぎるほど大きな音をたてる。

「名前、いるんだろ?」

弾んだボールを取る音と同時に寿は言葉を吐く。私はといえば、怖くて、こんな寿は、はじめてでとにかく怖くて。息を殺している最中で。

「なンで避けんだよ?」

ボールの音が、ぴたりと止む。

「俺、なんかしたかよ?」

寿の低い声が、馬鹿みたいに広い体育館に響く。

「なぁ」

誰もいない体育館。終業式のきょう、バスケ部は夕方から練習。とっくに下校時間はもう過ぎている。……泣きたい。

「……」
「……」

沈黙が生まれる。遠くで、校内放送のチャイムが聞こえた。こんな気持ち悪い沈黙、嫌だ。嫌だ、嫌だ——。


「——寿が、いけないんじゃん」

なるべく声を大きくして言った。でも、その声は震えていたかもしれない。

「私がいたら寿、だめになるじゃん」

ゆっくり間違えないように、慎重に言葉を紡ぐ。

「赤木先輩だって言ってたよ、最近の三井、酷いって。シュート率下がるわ赤点とるわ、私と付き合ってから全部ダメになってるって」

見ている光景が滲み始めた。放つ声が一気に震え始める。泣いたって、何の意味もないのに。

私は立ち上がった。立ち上がって、バックボードで隠していた自分自身の姿を彼に晒す。寿の顔を久しぶりに見た気がする。きっと寿もそう。

「なんで付き合ったりすんの!」

怒鳴っていた。気付いたら、馬鹿みたいに。そうして私は俯いた。

「……関係、ねえだろ」
「——、」

寿は低い声で呟いた。思わず私は顔を上げる。

「好きだから付き合ったんだろーが、だから告ったんじゃねえかよ、赤木がどうとかそんなん関係ねーだろうがよ!」

寿も怒鳴った。私は驚いて、つい目を見開く。

「赤木に言われたから俺をさけるって?私がいたら駄目になるだと?ふざけんなよっ!」

だめだ、涙止まんないよ。お願い誰か来て——。

「そんなん俺が決めることじゃねぇのかよ!誰が好きなヤツにさけられて調子上がるってんだよ!ばっかじゃねーの?!なんで俺に何も言わねえで勝手に決めんだよっ!」

……馬鹿、馬鹿、

「俺は名前がいねえと、だめなんだよ!」

わたしの……、馬鹿!


思わず階段を走って、涙でぐちゃぐちゃになった顔を晒したまま寿に抱き付く。寿は躊躇わず私を受け止めてくれた。

「だって、だって……寿、シュートの成功率下がってるじゃん!赤点取ったじゃん!私のせいで、雑念入ってんじゃん!」
「そ、それは……仕方ねぇだろ、色々あンだから!俺にだって!」
「色々ってなに!」
「ぐっ……、言えるかよっ!」
「言って!わたしに不満あるなら言って!」
「ふ、不満とかじゃ……なくてよ……、」

寿は途端に目を伏せて、言いづらそうにぷい、と横を向いてしまった。そうして、小さく呟く。

「……して、ねぇじゃん」
「え?してない? なにが。」
あれから・・・・もう……、一ヶ月経つのによ」
「あれから? だからなにが?」

寿は、信じられないというような目で私を見て、それから顔を真っ赤にして怒鳴った。

「一回しかしてねーだろうが!セックス!」
「え。」
「……」
「……」
「……」
「寿、」
「な、なななンだよっ!」
「かわいいね。」
「ンな——っ!!」

赤木先輩、たぶん三井寿はもう大丈夫みたいです。男子特有の悩みが不調の原因だったようなので。でも、プロポーズちっくなこと言ってくれたから、私は私で、彼を許しちゃおうと思います。

寿も湘北も、インターハイ頑張ってね!










 がはじまった 合図 がした!



(なあ名前、今日練習終わってからよ……)
(すっぐ調子に乗りやがって!!ヘンタイ!)
(痛って……!グーで殴る奴があるかよっ!)
(じゃあパーで平手打ちしてやろーか!?)
(ああン?!てめえ、やる気だな?)
(はあ〜? 負けないよ?)


(赤木……あれで良かったのか?本当に)
(もう知らん。構っておれん)
(やれやれ……でも三井がいてくれてよかったよ)
(ふん。まあインターハイに間に合ってよかった)
(ああ。赤木、絶対に勝とうぜ。)
(当たり前だ。全国制覇するぞ。)


※『 青と夏/Mrs.GREEN APPLE 』を題材に。

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