名前

今度アパート行ったとき、私が美味しいご飯作ってあげるね!


三井 寿

お前高校のときから料理ど下手じゃねーかよ。食べたら共倒れすんじゃねーのか?


名前

コロスよ?大丈夫だってば!




「……ムカつく」

 幼馴染の彼と復縁してからというもの、初めの頃は何だか互いによそよそしかったりもしたんだけど最近はこうして昔のように俗に言う『たわいも無いやり取り』とかいうヤツが、自然と出来るようになってきた気がしている。
 側から見たら本当に仲が良いの?と言われそうなメッセージのやり取りでも、私たちにとっては至って通常運転だ。多少文章は乱暴かもだけど。

 失うのが怖くて愛することから逃げてきたけど彼がくれた真っ直ぐな思いが向き合ってく勇気をくれた。ああ、私って今、世界で一番幸せな人間かも……なんて思ってしまうほど私は幸せボケが過ぎていると言っても過言ではない。——そう、思っていたんだけどなぁ……


 ——数日後。


宮城リョータ

ちょっと野暮用で百貨店来たんだけどさ


宮城リョータ

【写真】


宮城リョータ

これって三井サンだよね……?



「え……」

 幼馴染と復縁してから、一ヶ月が経とうとしていたある日。高校時代の同級生リョータくんから届いたメッセージ。それを開いた瞬間、私は最近の自分の頭の中がどれだけお花畑だったのかを、身に染みて痛感する羽目になった。
 メッセージに添えられていた写真には彼氏——もとい寿と……知らない女性が、化粧品売り場で肩を並べて写っている写真。しかもその彼の手が相手の女性の腰にしっかりと回されていたのだ。

 ——プッ、プッ!

 ハッとして携帯電話の画面から顔をあげたとき駅のロータリーにハザードランプを付けて停まっている一台の車が目に入った。クラクションを鳴らしたその車は紛れもなく彼——そう、寿の愛車だった。

「名前!」

 と、運転席の窓から顔を出して手をあげた彼が私を呼んでいる。とりあえず携帯を急いで鞄にしまい込み車の方へと駆け足で向かった。助手席側に立った時なぜかそのドアを開けることに躊躇いを覚える。——ガチャ、とその場で固まっている私を見ていたらしい彼が運転席から手を伸ばして助手席側のドアを開けてくれた音がした。

「なにしてんだよ、乗れよ」

 怪訝な顔つきでそう言う彼の目を見れないまま「あ、うん」と吃りながらも返事をして車に乗り込んだ。私がドアを閉めてシートベルトを装着したのを確認したのち、彼はアクセルを踏み込む。

「なに食いてぇ?」
「……」
「何の気分なんだよ、肉?寿司か?それとも…」

 彼が横で何か話している声がどんどん遠退いていって、気がつけば自分の心臓の音以外、なにも聞こえなくなった。——どうしよう。今すぐ聞くべきなのだろうか。てか、なにから聞けばいい?あれっていったい、どういう状況だったの……?でも仮に、あれが真実だったら?本当に浮気してたら?そしたら別れるの?待って——そもそも、私って寿の彼女≠チて立場で……合ってる?

「——か?」

 ふと我に返り「え?」と勢いよく彼の方を見てみれば運転しながら「大丈夫か?って。顔、真っ青だぞ」と、ちらちら横目で私の顔色を心配そうに伺っていた。私は思わず視線を足元に落とす。

「どっか、具合でもわりーのか?」
「……」

 顔を正面に持ち上げた私の額に、少しひんやりとした彼の大きな手のひらが触れてきて、思わずビクッと肩を揺らす。

「——熱ァ、ねぇみてーだけどな……」

 驚いて固まっている私を置き去りに彼の手が、すーっと離れてハンドルに戻って行った。ひとまず冷静に。落ち着こう、落ち着け、わたし——!

「あの、ちょっと。疲れ気味、なのかな……?」
「……ふうん」
「それより、今日はどうだった?」
「あ……?別に、普通の一日だったぜ」
「……」
「授業午前だけだったからな、部活終わってからデパート行ったくらいか?」
「デ、デパート……!?」

 まさか——自分からそのネタをぶっ込んでくるとは予想外だった。百貨店とデパートって、同じ意味だっけ?同じ、意味……だよね?——えっ、わかんない。落ち着け、落ち着けってば……!!

「……だ、誰と?」
「あ?……教え子と。——卒業生の」
「……」

 なぜか生まれた沈黙。まだ救われたのはこんな空気の中でも車のオーディオからは最近の流行り曲か何かのガチャガチャとした激しめの曲が流れていたということ……。

「……ったく、うっせーな」
「——!」

 ……なのに、それを彼がすこし苛立った感じでボリュームをさげてしまったことで、しっかりと無音の空間になってしまったのだ。またも沈黙が流れるかと思いきや「——ほら、プレゼント」と彼が徐に後部座席に、その長い腕を伸ばして何かを取って、私の方へと差し出してくる。

「ん」

 と、私に差し出しているその手に持たれていた物とは……まさかの百貨店の小さな紙袋だった。とりあえず反射的にそれを受け取り、両手で袋の紐を持ったまま中身を覗き込んでみた。

「前に一緒に行ったときお前が可愛いって言ってた化粧品だと思ったんだけどよ」
「……」
「リップだったか何だったか思い出せなくてな」

「苦労したんだぜ?」とか言いつつもその表情は嬉しそうに笑っていた。
 ずっと袋の中を眺めていたつもりだったのに、気付けばその袋の中に、ぽたぽたと、雫が落ちて来た。あれっ……、いまって外にいたんだっけ?外、雨なんか降ってた?

「——げっ」

 と、彼のぎょっとしたような声に、ぱっと運転席の方に顔を向けると「な、なんでいきなり泣くんだよ」と眉を顰めた彼とご対面する。どうやら外にいたわけじゃなかったらしい。どうして泣くのだと言われて初めて知った。自分が今、泣いているということに。

「も、もしかして、それじゃなかったか……?」
「……」
「いや、待て!いま、車停めっから……!」

 そう言って、急いで近くのコンビニの駐車場へ入り車を停めた彼。すぐにシートベルトを外すと私の顔を覗き込むようにして身体をこちらに向け私の肩にそっと両手を添えてくる。大丈夫か?と言いたげに。
 そうして私はぽつり「こ、これは」と声を絞り出した。彼は「あ、ああ……」と先に続く言葉を不安そうに待っていた。

「コーラルピーチレッドリップティントじゃないバカぁ……!」
「——はっ?」

 突如また生まれた沈黙——指先で流れ出る涙を拭おうとしたが先に彼の長い指が私の瞼に触れて来て涙を拭いてくれた。私は、欲しいおもちゃを買ってもらえなかった子供の如く「私はブルべ冬なのに……っ」と声を詰まらせる。

「コーラ、ブルーベリー......あ?なんだって?」

 私の涙を拭き取りながらそう言い返してきて、心配したようにも困惑したようにも、何だか説明しようのない表情をしている。そうして「なんのことか分かんねぇけど……」と私をぎゅっと抱きしめてくれた。私もそれに従って自然と彼の方へと身を寄せる。

「俺が悪かったから……泣くなよ」
「……。悪いと思ってるなら——」

 すっと彼から身体を離してその瞳を見つめる。視線を逸さぬまま「キス、して——」と言ったら私からの要求に一瞬だけ目を見開かせた彼。でもすぐに仕方ねーな、みたいな顔をしてその長くて大きな手を私の顎に添えもう片方の腕で私の腰を座った体勢のままぐいっと引き寄せた。重なった唇に、たしかに感じる寿の熱——。

 ——寿が好き。どうしようもなく好きすぎて。怒りが沸いた事より、裏切られたショックより。寿とまた、別れる事になるかもしれないって……そう方がどんな事よりも、ずっと怖かった——。


 —


「——ってわけで一緒にいたのは卒業生の教え子だったんだってさ!」
『……へ、へぇ』
「買い物してたのも私へのプレゼントを買うためだったらしくてー」
『……そう?それならよかったけど……(普通、教え子の腰に手回すのかね……?)』
「心配してくれてありがとね、リョータくん!」
『あっ、ぜんぜん……俺はそんな、何も……』
「あっゴメン、切らなきゃ。またこんど、彩子も誘って飲みに行こうね〜!」

 私は電話中に寿の姿を見つけてリョータくんとの通話を無理やりに終話させた。
 仕事帰り駅のホームから出て来た彼に私がブンブンと手を振る。それに気付いた向こうも当たり前に手を振り返してくれる。ああ、周りの人達がジャガイモに見えるわ。だって、本当に彼の周りだけがキラキラと輝いて見えるもの。

「おつかれさま〜!」
「おう、お疲れ」

 私は自然の流れで彼の腕に自分の腕を絡ませてついでに、その大きな手も握った。こうして今日も彼のアパートまでの道のりを一緒に肩を並べて歩いて行く。私から腕を絡ませたとき、寿が少し驚いたような顔をした気がするけど、離せと拒否られる可能性を考慮して私は気にしない素振りを貫き、そのままの距離感で歩いた。
 こうして手を繋いで、歩幅を合わせて密着していれば全然寒くない。これからもずっと寿の左側が私の定位置。好き≠フ気持ち、ちゃんと伝わってるのかな……。
 こういう時にふと思う——寿は私をどれくらい好きなんだろう?って。私以外にも、たぶん彼の事が好きな女性はたくさんいるよね……?例えば元カノ、とか。私が知らないだけで、きっと多いんだろうな。ああ、なんか考えるだけでムカついてきたけど……気になる。
 本人に言ったことこそないけれど彼は私の完璧な理想のタイプだ。私も向こうにとって、そんな存在だったりするのかな?

「ねぇ、聞きたいことがあるんだけど……」
「……ん?なんだよ」
「寿の理想のタイプって、どんな人?」
「あ?理想のタイプ?……特に、ねぇけど……」
「それでも!外見の好みくらいはあるでしょ?」

 彼は食い気味で言った私にぎょっとしつつも、「うーん」と、声に出して本気で考えてくれていた。そうして悩んだ挙句「そうだなぁ」と、先を続ける。

「髪の毛はショートより、ロングの方が好みかもな。特にほら、前髪がねー感じのやつ」
「あぁ……じゃ、じゃあ、性格は!?」
「んーそうだな、明るくて人当たりのいい性格とか?よく笑って、笑顔が可愛いヤツが好きだな」
「——、」

 ——ねえ、待って。それって彩子か晴子ちゃんじゃないの……?私、掠ってます?イチミクロも掠ってないですよね……!!?

「——あと、他には?」

 でもまあ、このあいだ暇すぎてやった携帯電話のサイトの無料性格診断では、外向的で人当たりのいいタイプって診断されたし、わたし。だったら彼の言う理想と、同じようなもんでしょう。

「あン?あと?あとァ……自分のやるべきことをしっかりやってて、連絡にこだわらねー奴とか」
「……」
「暇人みたいに執着して相手を疑ってどのくらい愛されてるか、いちいち確認しようとして、人を疲れさせる奴。そういうのは勘弁って感じだな」

 え。それって——私の、こと?事実上、無職。連絡しまくる。すぐ疑う——。そういえば、私の方が頻繁に連絡してるよね?これからは少し控えめにしなくちゃ。そう意気込んでいた、矢先……


 ——数日後。


名前

なにしてるー?


名前

部活中?


名前

あれ?ずっと未読?


名前

【不在着信】


名前

忙しい?


名前

電話でれない感じ?




「……」

 ねぇ……未読スルー、普通スル!?って話!!それでも週末までは忙しくても、毎日電話をしてくれたのに!もう、私への気持ちが冷めちゃったの?男は恋愛初期を過ぎると連絡が面倒になるって聞くけど。私がしつこく連絡しすぎたのかな?
 私は気付けば無意識に携帯電話で恋愛相談掲示板とやらを覗いていた。


彼氏の連絡頻度が減って悲しいです


 あっ……私と似たような悩み!え、なにこれ。『好きな気持ちを減らしてみては?』……だと?
……なんなの、これ?ダイエットでもあるまいし好きな気持ちをどうやって減らすの?そんなこと可能なの?
 だいたい、どうしてそんな早く気持ちが冷めるわけ!?まつげパーマの方が、まだ長持ちするんじゃないのかって話よ!!——まさか本当に二股とか、浮気とかしてるんじゃないよね……?
 私は一気に老け込んだような気分になり、その掲示板を閉じたのだった。





 —


「俺、先に風呂入っていいか?」
「……あ、うん」

 私の返事が聞こえていたのかは分からないけど彼はすぐにお風呂場に消えて行ったようだった。
 今日は彼の職場、湘北高校のバスケ部の練習終わりに、外にご飯を食べに行っていつもの流れで彼のアパートへと来ていた。ふとテーブルに置いたままになっていた、彼の携帯電話が目に入ってしまった私。それをじっと見据えて……私の事、何て登録してるのかな。なんて思ってしまった。
 普通に名前かな?もしかして柄にもなくハートマークとか付けたりして?それか、無難に彼女、とか?大切な物の象徴でバスケットボールの絵文字とか?……それでもこの私、流石に他人の携帯電話を覗く趣味はない。それにロックもかかっているだろうから。でも——電話をかければ見えるかも知れない。そんな、些細な不安から生まれた私の行動の天罰が、間もなく下される。

 ——ヴーン……!とマナーモード中の彼の携帯のバイブレーションが鳴った。やっぱり、多少は後ろめたい気持ちを隠しつつもチラと画面を覗いたとき——。

「え……」

 一瞬でブラックホールにでも吸い込まれたように、私は目の前が真っ暗になったのだった。


 —


「うおっ!!」

 閉まり切っていた脱衣所の扉を彼が開けたときその前で佇む私に当たり前に驚きの声を上げた。「……ど、どうした?」とまるでオバケか何かに声をかけるみたいな雰囲気で聞いてきた彼を無視して私が俯いたままでいると今度は「名前?」と名を呼ばれた事で私は一気に頭に血が上り、睨みつけるように彼を見上げて声を張った。

「なんで携帯に私の番号登録してないのっ!?」
「……は?つか何で勝手に俺の携帯見てんだよ」
「私の名前をなんて登録してるか気になって電話したの!悪い!?」

 もはや開き直りに近い形で、尚も声をあらげる私に、彼はまたぎょっとして目を見開いている。こんな時こそ喜怒哀楽が忙しなく登場するものだ。その名の通り怒の後は哀——を体現するかのように「まさか……わざと登録してないんじゃ」と人生のどん底です、と言わんばかりの私の落ち込みように、彼が溜め息混じりに淡々と言った。

「090-xxxx-zzzz」

 今度は私が驚く番だった。すこし不機嫌そうに私の携帯番号をスラスラ読み上げた彼はそのまま私の目の前を通り過ぎリビングの方に歩いて行くと、こちらには振り向かずに矢継ぎ早に続ける。

「俺、大事な奴の番号は記憶してんだよ。何人もいるもんでもねーし万がいちの場合に備えてな」

 冷蔵庫から、ミネラルウォーターを取ってきた彼がリビングの床に腰を下ろしたので、その姿がこの位置からでも確認できた。私も、とりあえずリビングに戻る事にしたけれど、気まずくて側には寄れずその場に突っ立っていた。寿は、フンと鼻先を鳴らして、そのままの体勢で説教タイムに突入しようとしていた。

「なのに、その数少ねえ相手にこんなふうに疑われたら、俺もどう反応していいか分かんねーな」
「……」
「俺はただ——」
「もういい」

 彼の言葉を遮ってそう吐き捨てる。寿がここでようやく私の方に視線を向けてくれた。私は荷物を持ち、くるりと背を向けて「私、帰る。戸締りしっかりして、ゆっくり休んでね」と言い置き、玄関に向かった。

 さっき聞かされたことが全て嘘で——本当は、私の疑惑が当たってたら?今となれば、常にメッセージのプロフィールが、初期画像なのも怪しく思えてきた。一緒に写真を撮ることも一日中説得してやっと1〜2枚だし。

『撮るのはいいけど、撮られんの嫌なんだよ』

 いつもそう言われた。そしてそんな自分勝手な言い訳をして撮った写真は、どこにも載せるなとか言われるし……本当は、私だってプロフィール写真もSNSも周りのカップルみたいに二人の写真を載せてみたりしたいなって願望がないわけじゃない。やらないけど。思うだけ。でもはじめからそんな否定的に言われると逆にやりたくなっちゃう天の邪鬼な性格。
 ——浮気じゃないなら、わたしが彼女として、恥ずかしいから……?もう、不安でおかしくなりそう……!


「名前!!」


 玄関で靴を履き終え、ドアノブに手をかけた、まさにそのとき——腕を引っ張られた事で気付けば彼の胸の中にいた私。見上げた先に、「待てって」と眉間に皺を寄せた最愛の人が立っていた。

「何回呼んだと思ってんだ、ちゃんと耳ついてんのかよ」
「……」
「ちゃんと話そうぜ、だから頼む……帰んな」
「……っ」


 —


 結局、彼に流されるままリビングに戻った私。テーブルを挟んで向かい合って座ってはいるが、向こうも何も言わないので、私も何も言わない。しかも、寿……すっごく機嫌が悪そうだし。

「ごめん、ストーカーみたいな真似して」
「……あ?」

 さすがに何か話さないと、と私が正座で俯いたまま呟けば不機嫌そうにも彼が返事を返してくれたことで、しっかり私の声が聞こえていたのだと少し安心する。

「ああ、携帯か?いい、別にそれは。お前に見られてやましいこともねーしな」
「だって、さっき俺の携帯見たのか?……って」
「あれは何か反射的に出たっつーか……何かよ」
「……うん?」
「携帯、調子わりーんだよ」
「え」

 思わずきょとんとして腑抜けな声で返してしまった。俯いていた顔をあげて、彼を見てみれば、彼は気まずそうに、後頭部に手を当てていた。

「数ヵ月前からな。番号登録もできねーし、メッセージも届いたり届かなかったりでよォ」
「……」
「修理に出さなきゃなんねーの分かってんだけどその間に携帯ねぇと名前と連絡とれねーしなとか考えたりして」
「……」
「携帯ショップ行く暇あったら、名前と会いてーしな、とか……」

 整理しよう。いま寿ものすごい告白してない?だってそれって全部、軸に私がいるよね……?!やだ、嬉しいじゃん。それ無茶苦茶うれしいヤツじゃん!!

「デパート行ったのは本当なんだ。そしたらマジで卒業生と会ってよ」
「……」
「聞けば、なんか元カレ?かなんだったか、ストーカーされてるとか言い出して、彼氏のフリしてくんねーかって」
「あ、だから腰に手……」
「あ?……なんで、ンなこと知ってんだよ」

 今度は彼がきょとんとして私を見る。とたんに気まずくなって私は視線を逸らした。しかし何かを瞬時に悟ったのか彼は「やっぱ宮城の野郎」とぼそり、呟いた。

「……アイツ、名前に言ってたんじゃねーかよ」

 そう言ったあと舌を打ち鳴らした彼が後頭部をガシガシと掻く。そうして溜め息混じりに「実はちょっと前に宮城から連絡あってよ。女の腰に、手回してんの見たって」と、告白してきた。

「名前チャンには言わないでおいてやるからなにあったのか言えーって言われて説明した」
「あ、そうだったんだ……」
「疑うならそいつ本人に聞いてくれたっていい。手回したのも、生徒からの要望だったしな」
「教え子を助けるなんてかっこいいね」
「……まあ、その男にも注意したぜ?しっかり」
「へえ、さすが。いい先生だね」

 なんだか、いままで不安だったのが嘘みたいに心がすっと軽くなっていった。
 暇なのがいけないんだな、私も何か夢中になれる物を見つけるとか……とにかくお仕事しないとなぁ、なんてぼんやり考えていたとき、彼が私を見ていた気配に気づき「ん?」と聞き返せば彼は「なんか、よ……」と、すっと私から視線を逸らして、気まずそうに先の言葉を続けた。

「最近の名前、色々と俺のこと聞いてきたりしただろ?」
「あー、……うん?」
「何でかはよく分かんなかったけど……でもそういうのされた事あまりなかったっつうか——急にキスして……とか言うしよ」
「……!」
「どちらかと言えば俺ばっか昔からそんな感じだったっつーか。なんか嬉しくて……ちゃんと説明しなかったんだよ、悪かったな」

 え——質問攻めしたのとか、嫉妬深いのとか、もしかして嬉しかったの?……え、変態なのかな寿って。どういう性癖の持ち主?やっぱ寿の感覚って、たまによく分からない時があるわ。

「——消したんだよ番号、実は一回」
「え……?わたしの?」
「ああ。登録しっぱなしだといつか、かけちまいそうでな……ほら、酔った、勢いとかで……」
「でも、番号覚えてたって……」
「……ああ」
「ああ、って。覚えてたって、いつから?」

「高校の時から番号変わってないよ」と付け加えれば彼の眉がぴくりと反応した。そしてとっても言いたくなさそうな顔をして、ぽつりと言った。

「……覚えてたわ、ずっと昔から」
「……」
「そもそも人の番号なんか覚えらんねーぞ、俺。でも名前のだけは覚えてた。参った事にな」

「さっきはそれ素直に言えなくて変な空気になっちまった」と、珍しく素直に言った彼に私はフッと笑って「寿」と彼の名前を呼ぶ。すると彼は、チラと私を一瞥した。

「次のデートは携帯ショップ行こう?」
「え?……ああ、だな」

 ずっと気まずそうな彼がかわいそうになってきたので私はすくっと立ち上がって「帰るね」と、言った。「え、泊まってかねえの?」とすかさず返してきたのに対して首を横に振って見せれば、まじかよ、と言いたげに溜め息を零す最愛の人。
 私は笑顔を向け、そして「きょうは帰る」と、もう一度言えば、彼はしぶしぶ了承してくれた。

 電車も間に合う時間帯だったが彼が送っていくと聞かないので、それには甘えさせてもらった。車内では「泊まってけばいいのによ」とか「今日みたいな日こそ側にいるのが恋人だろうが」とかずっと文句を垂れていたけれど——やっぱり高校時代から何も変わっていないんだなって思った。それが、無性に嬉しかった。
 あの頃のまま、私だけを見てくれている彼の、何を疑っていたんだろうって思ったら、なんだか自分が情けなくなった。

「——あ!そう言えば、寿の好きなタイプ」
「あ?ああ……あれ誰だと思ったんだよ?」
「彩子と晴子ちゃん」
「わはは!さすが。正解、よくできました」
「……じゃあ、性格は?」
「あー、あれは学校で女子どもが言ってたくだらねぇ理想論」

「揶揄ったんだよ」と言って、ガハハと彼は愉快そうに笑う。私はむすっとして頬を膨らました。

「じゃあ写真撮ってくれないのは?」
「写真?ああ……あれは——」
「あれは、なに?」
「……単純に恥ずかしいんだよ。携帯に名前と撮ったの入ってると、携帯依存症みてーに眺めてて、自分が気持ちわりーんだって」
「へえ、寿ってそんなキャラだったっけ?」
「だから言ってんの!そんな自分が嫌だから」

 ったく、と舌打ちをする彼の横顔を横目に見てみれば頬が少しだけほんのり赤くなっているような気がして、それがなんだか可愛くて思いがけず胸がきゅんと高鳴る。

「どこにも載せるなってのは?」
「あ?あー、あれはただの独占欲」
「……手の平で転がされてたってわけね、私が」
「そういうつもりじゃねーけど、なんか名前が必死で可愛くてな」
「そういうのを手の平で転がしてるって言うの」
「ああ、そーすか。そりゃ、すんませんでした」

 素直に謝罪されてしまえばこちらも返す言葉がない。私はふと助手席の窓の外に視線を移した。移り行く景色を眺めていると、気を利かせた彼が助手席側の窓を開け放ってくれた。心地よい風が入ってくる。刹那、「まぁ——」と大好きな彼の声が、窓の外を追い越して行った。

「俺の好きなタイプなんざ、昔から変わってねーもんよ」
「え……?」

 落ち着いた優し気な彼の声に視線を窓の外から運転席の方へと向けると丁度信号で止まっていたらしい寿と、目が合った。

「あとにも先にも名前が、どタイプだ」

 言い切る彼を素直にかっこいいなって思った。わたしも、そうなりたいなって。だから——、

「わたしも——!」
「……あ?」
「わたしも、ずっと寿がタイプ!」

 思い切って告白したのに、彼は特に反応を示さない。それよか信号が青に切り替わり運転に意識を戻した彼が、正面を向いてしまった。私は恥ずかしくなってカァァァと赤面して顔を俯かせる。


「——知ってるよ」


 寿はそのあと何事もなかったかのようにご機嫌で鼻歌なんて奏でていたけど……さっき、鼻先で笑って得意げに言った「知ってるよ」って言葉、ちゃんと聞こえてたよ?それでも私は聞こえなかったふりをして小さく微笑んだ。
 なんかもう彼女≠ニか、はっきりとした形はいらないかも知れないな。だって、またこうして私を見つけてくれたことには変わりはないから。ただ私の隣で笑ってくれているって。その事実がちゃんとそこにあるなら。だけど一つだけお願いしてもいい?——もう、どこにも行かないでね。

 これからもきっと、些細なすれ違いが大喧嘩に発展したりして、思ってもいないのに「別れる」なんて、吐き捨てたりもしちゃうかも知れない。
 それでも好きだから、不器用なだけだからさ。どんなに辛くてもそばにいたいの。

 照れくさくていつも自分からは言えないけどさ眠ってるときも、拗ねてるときも笑ってるときも全部——愛してるよ。










 きみが となり にいる。



(私は寿の番号なんて覚えなかったなー)
(はっ、だろうな。名前の場合は)
(でも何故か水戸くんの番号は覚えてるんだよね)
(……)
(覚えやすいよね、同じ数字ばっか羅列してて)
(名前)
(んー?)
(今日は俺の番号覚えるまで車に監禁だ!クソ!)
(え!?)


※『 Dear My Boo/當山みれい 』を題材に

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