紺色の空には星が輝いている。今日はいつもより空気が澄んでいて、なんだか気持ちいい。すう、と車内なのに思わず大きく息を吸い込んで、意味もなくフロントガラス越しに空を見上げてみた。

星がきれいだ。遠足の前みたいな、わくわくする気持ちと、少しのどきどき。

それはきっと星がきれいだから、もちろんそれもあるけれど何よりも寿が隣にいるからだと思う。

右側に感じる寿の気配に体の右側がなんだかむずむずする感覚。ちら、と盗み見た寿も信号待ちのあいだフロントガラス越しに空を見上げていて、その横顔にどきりとした。


中学、高校時代には見たことのない少し大人っぽい表情。悔しいけれどかっこいいな、と思う。

いつもみたいに笑い合ったりバカを言い合ったりする賑やかな雰囲気がすっかり消えた静かな空間に、いつもより大人びて見える寿とふたりきり。

不意に「ひとりで夜道は危ねえから送っていく」そう言ってくれた中学時代の寿を思い出して頬が緩んでしまった。

今では慣れた口調で「危ないだろ」とか「心配だから」なんて言って気を遣ってくれるのが当たり前みたいになってしまっているけれど、好きな人に女の子扱いされることがこんなにも嬉しいなんて、あの頃の私は思いもしなかったな、って。

まあ、そんなことを思う余裕がなかったと言ったほうが正しいかも知れないけどさ。乙女だったんだ、あの頃の私は、うん。


「楽しかったよな」
「ん? なにが?」
「あ? いや、なんか中学とか高校の頃を思い出してよ」

唐突にも内容は違えど右側でハンドルを握る寿がいま私と同じようなことを思い出していたことが嬉しかった。

「うん、楽しかった」
「いやー、ほんと楽しかった、うん」
「バスケが、でしょ?楽しかったのは」
「違うっつーの。バスケと、お前が側にいたから楽しかったって話」
「ああ、そっか。」

またぼそりと、楽しかった。そう噛み締めるように繰り返し呟く寿に私も、うん、と頷く。

はたから見たらなんでもない会話かも知れないけれど、ふたりで同じ気持ちを分かち合ってる気がして、あたたかい気持ちがじわりと胸に広がる。ああ、しあわせだ。


「星、きれいだな」

ややあった沈黙のあと、チラとフロントガラスを再度覗き込んでぽつりと呟く寿。

また同じことを考えていたことに嬉しくなって、思わず笑みがこぼれてしまった。

ん?と不思議そうに首を傾げる寿。そんな何気ない仕草の一つ一つまでも今日はやけにかっこよく見えてしまって、ああもうわたし、末期なのかもしれない。

「私もさっき、全く同じこと考えてたから」
「まじで?」

うん、まじで。そう言って笑ったら寿も緩くふはっと笑ってくれて、その笑顔にどきどき胸が苦しくなる。ああもう、すき。すき。だいすきだ。

いつも、このまま心で思っているこの気持ちが、伝わってしまえばいいのに、なんて思う。


寿、すき。だいすき。心の中を寿への愛でいっぱいにしながら、じいっと見つめていたら突然寿が勢いよくこちらを向いた。びっくりした。

でもびっくりしたのは私だけじゃなかったみたいで寿は目をこれでもかってくらいに大きくしてこっちを見ている。信号は赤で止まっている状態だった。

なに、急にどうしたの。なんでそんな顔で見つめてくるの。どきどきするからやめてほしい。

「ど、どうしたの?」
「名前、いま」
「え?」
「す、すき、って連呼して……」
「……え? うそ」

わたし、もしかして、声に出てた?顔を少し赤くする寿に、ばくばくとうるさく鳴り始める心臓。

「あんま言わねえだろ、名前から……」
「そ、そうかな」
「なんつーかだから、ちょっと……驚いた」
「……ご、ごめん」
「いや……謝らなくてもいいけどよ」
「……」

こんなつもりじゃなかったのに。どうしよう。どうしよう。ぐるぐると回る思考の中に「あー…」というためらいがちな寿の声が飛び込んできて、一際大きく心臓が跳ねた。

「俺も」
「……え」
「俺も好きだ」

俺も。好き、だぜ、名前のこと。ゆっくりと言葉を紡ぐ寿に今度こそ心臓が止まるかと思った。

へへ、と照れたように笑いをこぼした寿は一変、真剣な眼差しで私を見つめてきて、う、と息が詰まる。

「花火会場、もうすぐだからよ」
「……、」
「あのー、まあ……なんだ、」
「……」
「楽しみにしとけよ」

照れているのか少しばかり小声で言いよどむ寿の声をキャッチした私はコクンと頷いた。


会場について、屋台を横目に絶景の花火スポットまで手を繋いで寿と歩く。

リョータくんからメッセージを貰ったその秘密の場所まで向かう中、人混みから私を庇うようにエスコートしてくれる寿を見て、立派になったなあなんて親みたいな目線を送っていると。

「今日はずっと見惚れてんのな」

なんて偉そうに言い放つ寿の背中を弱くもパシンと叩いたら寿はハハと楽し気に笑っていた。

しっかりと迷わず定位置まで着いてスタートから花火をふたりで堪能する。


「さっきのさ」

ドーン、ドーンという花火の音に紛れて私の言葉が重なる。寿は花火と私を交互に見ながら、あ?と短く返答をくれる。

「星がきれいだなって台詞、」
「ああ」
「あなたに憧れてます≠チて隠し言葉って知ってた?」

ドーン、ドーン。私の言葉は夜空に吸い込まれていく。

「……見たい。」
「え?」

寿の返して来た言葉は花火の大きな音に混じってうまく聞き取れなかった。

「夜明けの明星を見たい、って返すんだよ」
「……」
「星が綺麗だって言われたらな」
「——え?」
「……」
「夜明けの明星を見たいって、どういう意味?」

こちらを見て目を細めて言った寿の顔が綺麗すぎて思わず言葉を失ったけれども、可愛げもなくそんな返しをしてしまった私。いや、本当に意味が分からなかったっていうのもあるんだけれど。

寿はそんな私に一瞬だけ目を見開いて「そっちは知らねえのかよ」とでも言いたげに鼻で笑ったあと、また夜空を彩る花火に視線を移す。

「一緒に朝を迎えたい、って意味らしいぜ」
「……」

ドーン、ドーン。パラパラパラ……

「……」
「……」

じっと私を見据える寿に見惚れていたとき、不意に背後から「すみません」と遠慮がちな男性の声がした。

寿と一緒になって反射的に振り返った先にはちょうど高校生くらいのカップルの姿。男性の方が気まずそうにも「ここって空いてますか?」なんて律儀にも聞いてくれて可愛さから笑みが零れる。

「好きなとこ座れよ、別に俺たちの所有地じゃねえしな」

言葉の乱暴さに反して寿がすぐに柔らかな口調で言ったのに安心したカップルは同時にぺこっと頭をさげて、少し私たちと距離を取ったところに腰を下ろした。

そんなふたりを自分たちの過去と重ねるように呆然と眺めていたら、隣から「なあ、」と密やかな寿の声が聞こえたので寿のほうに顔を向ける。

「 名前、好きだ。」
「……」
「 名前、俺と付き合ってくれ 」
「……え、」

花火と花火の合間の静寂の中、少し震えた寿の声が澄んだ夜空に響いた。

ゆっくりとまた私の方を見た寿の口元が、微かに吊り上がる。

「そう、告白したよな、俺。」

高校の頃に、なんて恥ずかしげもなく言って目を伏せる寿の睫毛が風で微かに揺れている。

寿もさっきのカップルを見て私と同様に高校時代の自分たちと重ねてあの日のエピソードを思い出したのかなって思ったら、私たちいつも同じようなこと考えてるんだなって、嬉しくなった。

私はそんな幼馴染の姿にやっぱり見惚れるしかなくて、気付いたら息を止めて花火じゃなくて寿を見つめていた、そんな、夏の日のお話——。








花火をたっぷりと堪能して屋台でちまちま飲み食いをいていたお陰で「晩飯はいいよな」と言った寿に頷いて寿の車に乗り込んだ。このまま寿のアパートへと向かうらしい。

お泊りか。
まあ……、いいんだけどさ。


個々にお風呂に入って寿のとこに置きっぱなしになっている部屋着に着替えて、そろそろ寝るか、ってテレビを消して電気を消して一つの布団に、ふたりでくるまる瞬間が好きだった。

節約のためにエアコンをつけていない部屋は暑かったけど、窓を開けているから夏の夜風がここちよくも感じる。

でも布団の中は寿と私の体温ですぐにあたたかくなってゆく。心地好い眠気に身を任せ寿となんてことないおしゃべりをする。

「うわ、お前足冷てえ」
「末端冷え症だもん」
「に、しても冷てぇーって」
「寿の足はあったかーい」
「だろ。あっためてやるよ」

しかたねえな。と楽しそうにそう言って、がし、と乱暴に私の体を抱き締める寿。

顔が寿の首元あたりに埋まって息苦しい。でも寿に抱き締められているのが嬉しくて幸せで、どうしようもなく愛しくなってぎゅと抱き締め返す。

息苦しい——。
私の腕に突然力が入ったのに驚いたのか寿が少し身じろぎをした。

「なんだ? いきなりどうしたんだよ」
「んー……いま幸せを噛み締めてるとこ」
「ばーか」

ふはっ、と笑う寿の声は普段よりも優しくて、 なんだかくすぐったい。

心地好い暖かさにうとうとしながら、それでもやっぱり息苦しさに耐えられなくなって、もぞもぞと寿の首元にうずめていた顔を出した。じめっとした部屋の生暖かい空気が漂ってくる。

「どうした」
「呼吸困難に陥った」
「なんだそりゃ」

目の前には寿の顔。寿の表情はすごく優しくて、胸の中に何とも言えない幸せが込み上げてきた。

そうしたらキスがしたくなってきたから、そっと顔を近づけて唇を重ねた——。


こんな日々が続けばいいなと思う。

他にはなにもいらないから、寿といるこの幸せな空間だけは、どうかもう取り上げないでほしいと切に願う。

微かに鼻歌を歌い始めれば「なんの曲だ?」なんて言いながらも適当に鼻歌でハモッてくる寿と同時に意味もなくクスクスと笑い出すこの瞬間が好き。


——なにもなくていい。

ただそこに、
寿さえ居てくれれば……。










 花火大会は 恋人たち の巣窟。



(で? さっきのは何の曲だったんだ?)
(ええ?……湘北の校歌。)
(はっ、そうだと思った)
(わかったの?すごーい)
(俺たちの原点だからな)
(なんかロマンチックじゃないよね)
(ばーか、湘北は聖地なんだよ)
(聖地ねえ、たしかに……そうだね。)

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