愛したのがきみでよかった

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  •  寄りを戻してから、はじめて一緒に迎える寿の誕生日まで残すところ——あと三日。今年の寿の誕生日は土曜日。けれど今、湘北高校バスケ部はインターハイの県予選真っ只中。と、いうことで誕生日当日も、もちろん試合が組み込まれていて私も応援しに行く予定なので夜にでも自宅でお祝いしようという話になったのは、つい二週間前のこと。
     欲しい物とかあるの?最近ハマってる物は?と何ヶ月も前から探りを入れていたのに、彼は気を遣ってか、それとも鈍感なので本当にそう思っているのか定かではないが決まって「欲しいモンは自分で買っちまうし気になるモンも特にねぇな」とかなんとか言って、話題をすり替えてしまう。
     そんな事をしている内に寿の誕生日が三日後に迫ってしまったわけで私はとりあえず近くの美味しい洋菓子店にバースデーケーキを注文しに行くためマンションを出た。
     手作りにしないのかといつメンたちからは突っ込まれそうではあるが、私だってちゃんとした美味しくて豪華なケーキをプレゼントしたいのだ。こんなときこそ気合を入れて作ると失敗するのが私なので今年は始めから購入すると決めていた。

     無事にケーキの注文を終えて店を出たとき久しぶりに武石中時代の友人とばったり店先で再会。友人と軽くお茶をしてからマンションに戻ると、なぜか消して出たはずのリビングの電気がついていた。私は不思議に思い、小首を傾げる。
     ちらっと玄関先に視線を落とせばいつも職場に履いて行っているはずの寿のスニーカーがある。あれ、いま何時だろう。きょうって、早く帰って来る日だった……?でも今日、平日だよね?
     そんなことを頭の中で巡らせながら私は、鞄にしまっていた携帯を取り出して時間を確認する。時刻は、六時半を回ったところだった。玄関にも時計を置いておいたら便利かなーなんて、呑気に考えてとりあえず、靴を脱いで寿のスニーカーと一緒に自分の靴も綺麗に揃えて並べた。一応「ただいまー」と遠慮がちに声を発したがどこからも応答は返ってこない。私はそのままビングへと向かう。よくよく思い返してみれば、電気を消して外出したのか、つけっぱなしだったのかも曖昧になってきた。

    「あれ?いない。やっぱ電気消し忘れたのかな」

     思わず口をついて出た言葉のあと、部屋の中を見渡してみたがやっぱりどこにも寿がいる気配は感じなかった。肩に掛けていた鞄をキッチンテーブルの上に置いて横着にもキッチンで手洗いうがいを済ませる。一人のときは洗面台には行かずにキッチンで済ませてしまうことが多いが品がなく女性らしくないので直したいのけど、習慣付いてしまっていて、今さら直すことも容易じゃないと早々に諦める。
     だいたい今日の夕飯は作り終えていたけれど、サラダがまだだったことを思い出し、エプロンを付けたとき、ガチャと寝室の扉の開く音がした。


    「なあー、これ、なんだ?」

     いままでずっと居ました的なノリと口調で声を掛けてきた寿のもとへと向かう。寿の問いに返答する前に「帰ってきてたの?」と私から質問返しをした。彼は手に持っていた何かから視線を私に向けて「あ?」とまた彼も質問返しをしてくる。

    「え、あの……部活は?今日って学校早く終わる日だっけ?」
    「あ、いや……生徒が怪我してよ、病院まで送ってったまま、今日は帰って来たんだ」

    「あとの事は副顧問とマネージャーに任せてきたしな」と、付け加えた寿に納得して「そっか」と軽く相づちを打った。そんな私に、うんうん、と首を縦に振ったあと「……で、これ何だよ?」と手に持っていた物を軽く翳して見せてきたとき、サーッと私の顔の血の気が一瞬で引いた。

    「……?名前?」

     ——説明しよう。いま、彼の手の中に持たれているブツのことを。
     束になった封筒。それは寿と別れてから、私が毎年、彼の誕生日に書き連ねたラブレターだ。
     はじめこそ手紙だけでもという軽い気持ちから書き始めたけれど結局、高校三年生のときは寿の実家に持っていくことが出来ず、そのあと、私が実家を離れてからもポストに出す勇気を持ち合わせておらず……今年くらいは、今年こそは——!そうやって何年も経過してしまった、いわば負の遺産。それでいて、なんとなく捨てることも出来なかった、と言うオチ。

     ここに引っ越してくるにあたって実家で荷物の整理をしているときだった。一応レターセットを持っていくかという安易な発想からレターセットや筆記用具類が入った箱——いつかの、誰かからお土産で頂いた東京デ〇ズニーランドのお菓子の箱なんだけど。それをそのまま、持って来ていたらしい。
     執着とか憧憬とか熱とか。色んなものをぎゅうぎゅうと詰め込んだような何通ものラブレター、いや——負の遺産。そんな黒歴史の産物が、その可愛らしいお菓子のケースに入れたままだったみたいで、おおかた中身をちゃんと確認もせず箱ごと持って来てしまったのだろう。
     今年、久しぶりに寿の誕生日に手紙でも書こうかと思い立ち今朝、寿が出勤してから、その箱をあけたとき、その負の遺産ともいえる幼馴染への恋文が出てきたもんだから私だって驚いた。それを発見した瞬間、さっさと処分しようと思って、寝室のタンスの上に置いたのも私だけど。ただ、タンスの上に置いたとき私の携帯電話の着信音がけたたましく鳴り響いたので、急いでリビングに戻って電話に出た。しかし通信会社の勧誘だったので、丁重にお断りをして電話を切った頃、その負の遺産を抹消するミッションが、すっかり頭の中から抜け落ちてしまったのだ。だから私も今、思い出したという始末。


    「あ、それ……!」

     急いで寿から取り上げようと、腕を伸ばせば、寿の悪戯心が働いたのかひょいとその封筒の束を頭上高くに掲げられてしまう。にやりという効果音がぴったりな寿の悪い顔が目の前にあって私は声にならない声で呻き声をあげる。

    「ゔぅ——、返してっ!おねがいっ」
    「……やだって言ったら?」

     心底楽しそうな寿の顔に私は目を細めて、伸ばした手を、すとんと下におろした。「……お願い寿」と顔を斜め下に向け寿から目を逸らして呟く私の顔を覗き込む、寿の瞳と私の瞳がかち合う。もうこうなれば、抵抗せず弱者のフリをするしかあるまい。寿はこれに弱いのを知っている——。

    「だってよ——、これ……」
    「……」
    「寿へ。≠チて……」

     その言葉に勢いよく顔をあげて赤面するとしてやったりな顔をして彼の口角が、見る見るうちに吊り上がっていく。しかし、その瞬間に私が寿の手から封筒を奪い取ることに成功。寿は「あ!」と声を上げたが私は封筒の束を両手で胸に抱えてキッチンへと向かう。すぐに後ろから追いかけてきた寿の「見せろよ」とか「俺にじゃねえの?」とかいう声が背中に突き刺さったけれど、とりあえずスルーでその負の遺産をキッチンテーブルにあげたままでいた鞄の奥深くに仕舞いこんだ。
     あーあ、という寿の心底残念というような溜め息を聞き捨てて私は寿と向き合う体勢を取った。キッと睨みを効かせる私に「何だよ?」と、言いながらもその口元はだらしなくニヤついていた。

    「つーかマジで何なんだ?その封筒の山」
    「手紙。見れば分かるでしょ」
    「へえ、何通も?軽く十通くらいはあったぜ?」
    「——いいでしょ、なんでもっ!」
    「よくねえだろ、自分宛の手紙発見したのによ」

    「見過ごせるかっつーの」なんて楽し気に笑う寿をじとっと睨んで背を向けた私は冷蔵庫からサラダを作るための材料を取り出す。背後からすぐにガタンという音が聞こえたので寿が私の真後ろ、キッチンテーブルの椅子に座ったであろう気配を微かに感じ取る。キッチンに向かって、サラダを作っている私に寿は「いつ書いたやつ?」とか「なんで隠してたんだよ」とか凝りもせずに問いかけて来るので、新鮮で、水々しいレタスを手でちぎりながら、私はようやく言葉を返した。

    「高校……三年生のとき」

     さっきまでニヤニヤと揶揄い口調で話しかけて来ていた寿が突如、「はっ?コーサンっ?!」と素っ頓狂な声を発する。

    「……だね」
    「高三って、一年であんだけの量書いたのか?」
    「違う」
    「じゃあ高三から……ずっと?……何年も、書き溜めといたのかよ?」
    「ん。」
    「……」
    「……」
    「……捨てんの?」

     沈黙を破ったのは寿のそんな声だった。しかも寂しげな感じで急にそんな事を言いだすもんだから私は思わず、後ろを振り返ってしまった。目と目がかち合う。横向きに座っていた彼は私の方に正面から体を向けるように椅子ごとぐるりと回転させて不安そうな、表現するなら捨てられた子犬みたいな顔をして私を見上げている。
     目をぱちぱちと瞬かせる私を、彼はじっと凝視している。そうして至近距離にあった私の腕を、寿がすっと掴んで自身の方へと軽く引っ張った。

    「なあ、名前」
    「……ん?」
    「マジで……捨てんのかよ?さっきの、全部」
    「……うん、捨てるよ」

     小さな声でぽつりと答えた私に寿は、溜め息を吐くみたいに「そうか」と言った。それと同時に掴まれていた腕もそっと離された。
     すこし気まずい空気が流れたので、私もすぐにキッチンの方へと体を向き直してサラダの仕上げに取り掛かる。椅子から立ち上がらない様子の彼の気配を背後に感じながらも私は小さく溜め息をついたあと観念してそのままの体勢でぽつぽつと言葉を紡ぐ。

    「寿と別れてから、寿の誕生日に毎年書いてた」
    「……うん」
    「毎年書いてたっていうかただ渡す勇気がなくて溜まっていったっていうだけの話なんだけどね」
    「……へえ」
    「今年は渡そう、今年は送ろう……そんな願掛けみたいなことしてたらさ、あんな量になって」

     そのまま私は、押し黙った。ややあった沈黙のあと「……名前」と、優し気に名を呼ばれて私は反射的にまた、彼の方へと振り返った。

    「……ん?」
    「毎年……読みたかったわ、出来ることならな」
    「……うん」
    「勇気出せよ、ポスト入れるくらいどうってことねえだろうが」
    「……はあ?」

     しんみりしたみたいな空気が一変、寿の無遠慮な言葉で一気に二人の間の空気が、いつもの緩くしまりのない雰囲気に早変わりする。

    「ったく、どんだけ乙女だよ。頑張れよ、ポスト入れるだけだろーが」
    「あ、あのねえ……!逆にほんと乙女心わかってなさすぎて、もう呆れ果てるわ」
    「ああ?毎年ラブレター書いて、溜めてたような変態に言われたくねーわ」
    「はぁ!?どうせ手元に届いたって動揺まる出しになるくせに、よく言うよね」
    「ああ?!動揺なんてするかっバカ!ちゃんと、返事書いてやらぁ」

     偉そうにドヤ顔で言い切った寿に、思わず吹き出してしまった。それに釣られたのか寿も「笑ってんじゃねえ」なんて半笑いで反論しながらも、どんどん破顔していく。

    「よっく言うよ、手紙なんて一度も書いてくれたことないくせに」
    「あ?そうだったか?書いてねえっけ、俺」
    「書いてないよ、どこの女と勘違いしてんの」
    「バっ、バカヤロウ!俺がおまえ以外の女にな?ンなことするかってんだ」
    「……ねえ、さっきから結構恥ずかしい愛の告白炸裂させてるけど、大丈夫?」
    「んぐっ、るせぇ。……風呂入ってくる」

     寿は押し黙ったあと椅子からガタンと立ちあがって、バスルームへと向かって行った。それでも耳がほんのり赤くなっていたし、いつもの癖で、後頭部に手を当てていたので、照れていることは丸わかりだったけれど怒られそうだから言わないでおこうと心に誓って私は、先ほど手紙を仕舞いこんだ鞄に視線を送る。
     すべてきっちりと封をしているので私も今まで一度だって読み返したこともない。
     寿にバレないようにしれっと処分しよう。再度そう決意して私はその鞄をテーブルから移動させるとリビングの隅にあるコートハンガーに手持ちの部分をぶら下げた。





     —


     寿の誕生日当日。日中は予定通り湘北バスケ部の試合を観戦しに行った。お昼前に試合は終わったのだが寿は一度学校に戻るとかなんとかで別々に帰宅することにした。私は夕飯の買い物をしてその足で洋菓子店にバースデーケーキを受け取りに向かう。
     今日はバレンタインでも、はたまたクリスマスでもないからお店は混雑していたわけでもなかったけれど本日誕生日の人への配慮か、店先には、数名の名前と共にスタンド黒板にしっかりと 『ひさし様』と書かれている。
     ケーキのプレートの名前をそのまま書いているのだろうけど、小さい子供たちの名前と思わしきその中にぽつんと『ひさし様』と書かれているのを見たとき、思わず品なく吹き出してしまった。
     帰宅して夕食作りに取り掛かる。今日は、特に寿からのリクエストは無かったのだが寿の大好物を揃えてしまったら、なんだか小学生の男の子が好きそうな献立になってしまって出来上がり後、自ら選んで作ったくせして、苦笑した。

     四時過ぎ。そろそろ寿も帰って来る頃だろうと思っていた時、寿から一通のメッセージが届く。


     
    三井 寿

    安西先生が湘北来てくださったから帰るの少し遅れるかも。 用意してくれてんのに悪いな。



     私はメッセージを読み切ってすぐに『誕生日に安西先生に会えてよかったね(笑)大丈夫だよ気を付けて帰って来てね』と返信する。
     メッセージを返信し終えて私もマグカップに、紅茶を注いでソファーで一息つくことにした。
     しばらくテレビを見ていたが、ついこの間ばったり再会した友人から突如、電話がかかってきたので、すこし話しをしてから電話を切ったあと、目の前に開いたままでいたカタログを手に取り、中身にざっと目を通す。

    「今のドレスって本当にみーんな肩出してるんだなぁ……」

     実は先ほどの電話相手、武石中時代の友人と、先日会ったとき、私が寿と復縁したらしいという噂話の真相を尋問された。
     中学時代に、私が寿にお熱だったことを知っていた彼女は「幼馴染とくっついて別れて結局、今もまた付き合ってるなんてすごいね〜」と、感心していた。
     そんな女子トークで盛り上がっているとき、「そろそろじゃないの」と、式場で働いるらしい彼女から半ば強引に渡された、ウェディングカタログ。髪型、メイク、どれもみんなふわふわしててすごくかわいい。というか、モデルが可愛い。これはモデルが着て最終形態なんだろうな。

     私には確かにいま彼氏がいて、高校時代、寿と付き合い始めた頃は将来は結婚したいな、と淡い期待をもったりもしたけど。まわりもぽつぽつと結婚し始め気付けば私も結婚適齢期とかいうやつになってしまった。比較的ふたりの実家から近い距離に借りた新築のマンションに、同棲してもうすぐ半年。今日も寿は愛すべき母校、湘北高校でお仕事をしている。まあ、バスケ部の試合だけどさ。
     時計を見れば、午後六時を回ったところだ。
     先ほど消したテレビを再度つけて、カタログを開いたままで、夕飯、温め直さなきゃなーとか、だらだらと考える。なんかもう私達、でき婚以外ありえないような気もしてきた。なんか寿は結婚する気があるのかないのか微妙だしなぁ。
     大切な人の誕生日当日にも関わらず、そんな事を鬱々と考えてしまう自分に呆れてしまう。

    「……はあ。」

     ——愛されてるとは思う。とってもとっても、深い愛情で。けど今って事実婚とかも流行ってるし「そういうつもりだから」みたいなニュアンスで言って来てくれたことは今までもあったけど、それ以上話が進んだことはない。でも、何十年も一緒にいるんだよ。嫌われては……いないよね。いや、これで嫌われてたら、もうコントだよ。
     てか……何十年でもないか。離れてた時期の方が実は長い……?え、わかんない。

    「さてと……」

     カタログを閉じてキッチンに向かう。冷蔵庫を開けて、ため息をひとつ。いや、今の生活もなかなか楽しいからすきだよ。満足はしてる。とっても。あ、あれ……?わたし、まるで結婚したくてもしてもらえなくて、拗らせてる女子みたいになってない?そんなこと、なかったはずなんだけどなあ。好きなひと……寿と一緒にいれるだけで、幸せだったはずなのに。
     ——人間って欲張りだ。本当に。日々の中の、小さな幸せで満足できなくなるほど、わたしって欲深い人間だったっけ。

    「はあーあ……」

     武石中時代の友人、ごめんよ。あのカタログ、当分先まで私には必要ないかも。ああ、あの日の友達の笑顔に胸が痛いぜ、なんつって。

    「なんだぁ、ため息なんかついてよ」
    「ぎゃあ!!」

     耳元で声がした。驚いて振り向くと後ろに眉を歪めながら不思議そうに私の顔を伺う寿がいた。

    「ちょ、ちょっと、ただいまくらい言いなよ!」
    「言ったっつーの」
    「え?ピンポン鳴らした?!」
    「あ、それは鳴らしてねえけど」

     インターホンくらい押してよ。押してくれれば気づいたのに……!ああー、びっくりした。
     寿はジャージを脱いでソファーに掛けた。そしてリモコンを取り適当にチャンネルをまわしはじめる。

    「ご飯?それとも先にお風呂入っちゃう?」
    「あー、風呂入っかな」

     ……なんて、いつものルーティンみたいに言っちゃってさ。夕飯が一切キッチンテーブルに上がっていないのを見たんだろうな。先に迷う事なくお風呂を選んだ寿。『急がなくていいぜ』そんな意味のこめられた言葉がなんとなく嬉しい。そういうところ、たまらなく好きだよ。

    「名前ー、お前なに読んでんだ」
    「え?」

     寿が「これ」とケラケラ笑いながらソファーの背もたれから、にゅっと本を差し出す。

    「——!?」

     ——あ、カタログ!しまい忘れてた……!!

    「や、あの、友達がくれたのなんか!」
    「……へー」
    「あはは笑っちゃうよねー、いらないよねそんなんね!」
    「お、いいじゃねえか、このドレス」
    「そっ!そそそそれ、あっち置いといて!こんど会ったとき返しとくから!」

     溜まらず私がパタパタと寿に駆け寄りカタログを取り返そうとした、そんなときだった。寿が、ぽつりと呟いた。


    「これよ、名前が着たら似合うんだろうな」


     ——。脚が止まる。脳も止まる。息も、止まりかける。いや……そりゃ止まるよ。だって今このひと、なんつった?

    「この色もいいけどよ、やっぱ白がいいよなー、純白の」
    「ひ、さ」
    「着てみっか?」
    「……!」

     わたし、頭がおかしいのかな?いまはテレビの音すらも、うるさくてしょうがないよ。
     寿はパタンとそのカタログを閉じテレビの電源を切った。そして私の腕を引く。すぐに膝の上に乗せられて、鼻の上にキスをされた。

    「なに黙ってんだよ」
    「……え、や、えと」
    「……」
    「……」

     ——だめだ。

    「……——っ、」

     涙しか、出てこないよ。


    「悪ィ。はぐらかしてたよな、ずっと」
    「……」
    「自信、なかったんだよ」
    「……、っく」
    「ごめんな……」

     寿のキスが容赦なく降り注がれる。一回、二回
    ……いやだ、もっとして。もう、離さないで——


    「……なあ」
    「……ん?」
    「誕生日、プレゼント……な?欲しい物ねえって言ったけどよ」
    「……、うん?」
    「あれ、くれよ」
    「あれ?」

     寿と至近距離で見つめ合う。……はて?あれ、とは?
     私が目をぱちくりと瞬かせると寿がにやっと、口角をあげた。え、なんだろう……わかんない、かも。

    「捨ててねーんだろ?」
    「……!」

     思わず寿から離れようと身動ぎしたが寿がそれを許さない。ガシッと抱きしめられて私は動きが止まる。

    「全部くれよ、俺宛の……ラブレター」

     耳元——低い声で囁かれるからくすぐったくて私は首を竦める。
     しばらくそのまま固まっていたけれど観念して私はフウと息を吐く。そうして寿からゆっくりと体を離すと後ろにあるコートハンガーに掛けられたままの鞄の中から手紙の束を手に取った。
     寿の隣にすとんと腰をおろせば寿はソファーの上であぐらをかいて、私の方へと体を向ける。
     彼は尻尾がついてたらぶんぶんと振って飛んで行きそうな雰囲気を醸し出して、ニコニコと嬉しそうに音符を振り撒いている。

    「——はい。」

     私は正面を向いたまますっと寿の目の前に手を伸ばして手紙の束を差し出す。彼は「サンキュ」と、すぐにそれを受け取って、古い順番から封筒の表裏をまじまじと眺め始めた。

    「これ、書いた順番か?」
    「え?あーどうかな。たぶん書いた順。毎年ぽんぽん箱に入れていったはずだから」
    「ふうん……ハハ、時代背景わかっちまうな」
    「ん?どういう意味?」

     私が小首を傾げて聞き返せば、寿は「え?」と言って一番古いであろう高校三年生の頃に書いた手紙を翳して見せる。

    「女子っぽい絵柄から、どんどんシンプルな物になっていってっから」
    「ああ、なるほどね。まあ、そうだね」

    「病み気の時代もあるかも」なんて冗談を言ってみても、寿は、「ラブレターはラブレターだろ」なんて相変わらず楽しそうに封筒を眺めている。

    「私のいないところで読んでよね」
    「わーってるって、つかこれから先、一年に一枚ずつしか読まねえ予定だからな」
    「ええーっ?!おじいちゃんになっちゃうんじゃない?」
    「ふはっ、俺が死ぬとき全部棺桶に入れろよ?」
    「誕生日に縁起でもないこと言わないでよねっ」
    「へいへい、すんませんでしたぁー」

     寿はとても愛おしそうに封筒をなぞってみたり時たま目を細めて懐かしむように眺めたりして、それでも決して、封は開けようとはしなかった。
     しばらくそれが続けられて、大切なものを扱うように目の前のテーブルに手紙の束を置くとまた私のほうへと向き直り「ん」と言って寿は両手を広げる。誘われるがままにその腕の中にすっぽりと私が収まると、寿が耳元で囁いた。

    「なあ、もっかい聞いていいか?」
    「……うん?」
    「プロポーズ、ちゃんとしたのやりてぇからもうちょい、待っててくれ」
    「う、うん……」
    「でも——俺のためにウェディングドレス、着てくれるか?」
    「………、はい……。」

     返事と一緒に、私は背中に回していた腕に力を込めた。「これはまだ聞いてねーよな?」と寿はくすりと笑う。
     やっぱり私たち、心のどこかで逃げてたのかもしれない。話題を出すのに怖がっていただけなんだろうな、きっと。きっかけさえあれば、それでよかったんだ。

     寿は私の体を離すと、ソファーに深く腰を沈めた。そして両手を頭の後ろで組んで天井を仰ぐ。

    「じゃーその本、友達に返すなよ?」
    「はは、うん。わかった」

     私がこくりと頷くと「やっべ、今の可愛かったぜ」なんて言って、ちゅっと小さな口付けを喰らった。いつもこれくらい素直ならいいのに。

    「つーか、今年はねえの?」
    「なにが?」
    「あ?手紙に決まってんだろ、ラブレター」
    「……ないよ」

     ふいっと私が正面を向き直して言えば「ははーん」と、寿が勢いよく私の顔を覗き込んでくる。

    「あるな、その間は」
    「……う、うるさいなあ。忘れた頃にお弁当袋の中に忍ばせてやるんだからねっ?果たし状!」
    「わっはっは、そりゃ楽しみだぜ」

     寿はまた両手を頭の後ろに組んで先ほど同様に天井を仰ぐ。

    「……ひ、ひさし」
    「あ?」
    「夕飯、どっか食べに行こうか」

    「今日は寿の誕生日だしさ」と尻すぼみする私に寿は僅かに目を細めて、フッと笑った。

    「いんや、俺は名前の手料理がいいの」

     寿はそう言って、優し気な眼差しで私を見た。改まって『誕生日おめでとう』って言わなくてもその山積みの恋文に、飽きるほど書かれてる。
     きっと寿のことだから一年に一枚ずつ読むなんて言って今日の夜にでも「一緒に酒でも飲むか、祝い酒だ!」なんて理由を付けて全部開いちゃうんだろうな。それに付き合わされる私も渋々といった感じで最後まで付き合っちゃうんだろうな。

     Happy birthday ひさし、って書いたプレートの乗ったケーキと昨日から冷蔵庫で冷やしているちょっと奮発して、一生懸命選んだシャンパン。
     久しぶりにお揃いのシャンパングラスを出してソファーでだらだらと負の遺産を鑑賞しながら、急に寿が、誇張した私の口真似で朗読しはじめて私が顔を真っ赤にして怒ってさ。
     きっと寿と私は意味もなく、ずっと腹を抱えて笑い合っているんだろうなぁ。ああ、なんて幸せなんだろう……。


    「寿っ!」
    「……あ?」
    「生まれてきてくれて、ありがとうね。」

     お風呂に向かうその背中にそう声を掛ければ、きょとんとした表情のあと眉間に皺を寄せた寿が口元を尖らせる。

    「普通、誕生日おめでとう≠セろうが、先に」

     すぐに私に背を向けた寿は、無意識に後頭部に手を当ててガシガシと髪を掻きむしる。
     それでも「サンキュ」と照れながら小さく呟いてバスルームへ向かう背中を見送りながら私は、なにげない日常の中の大きな幸せを噛みしめた。


     ——寿、本当に……生まれてきてくれて、ありがとう。お誕生日、おめでとう。










     待ちわびた Happy Birthday



    (てか、明日から俺の婚約者って言えよ)
    (え?彼女じゃなくて?)
    (あったりめーだろ、もう婚約者になっただろ?)
    (……婚約破棄されてる人から言われるの微妙)
    (オイ、されたって言うな、されたって)
    (ウソウソ、わかった。私は寿の婚約者ね?)
    (まあ、もはや嫁でもいいけどな)
    (えっ!……バッカ)



    ※『Over and Over/Every Little Thing』を題材に

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