夜中の三時、ふと目を覚ますと隣に寝ていたはずの名前の姿が無かった。

さーっと、彼女の寝ていた温もりを探るように、シーツに手を滑らせてみれば、まだほんのりと温かい。ベッドから出たのは、ほんの少し前のことなのだろう。

俺はベッドから上半身を起こして一度頭を振る。
条件反射で出たあくびのあと、おっさんみたいに「よっこらしょ」と言って、ベッドから下りた。

下に脱ぎ捨ててあったTシャツとスエットパンツを穿いて寝室を出ると、リビングの電気がついていて、誘われるように俺もそっちに向かった。

ガチャとリビングのドアを開けると、ソファに座っていた名前がこちらを一瞥する。

「……ごめん、起こしちゃった?」
「いや、……なんか起きちまった」

言って、俺も彼女の座るソファに腰を下ろした。
名前は、俺の着古した大きめのTシャツを着て、下は寝間着にしていたらしいショートパンツ。短すぎるその丈から伸びる白い太腿に、思わずごくりと生唾を飲んだ。

数時間前のさっきも彼女を抱いたのにも関わらず、俺って元気だよなあと、情けなく自嘲する。

「……ん? なんで笑ったの?」
「あ? いや……抱きてえなあーって思って」

そう囁いて、さっと片手でその太腿を撫でおろせば「ひやっ!」と色気のない声を漏らす名前。

「さっき、……シた、でしょ。」

呆れたように溜め息混じりに言う彼女に、俺も「シた、な。」と言って思わず笑ってしまった。

彼女の太腿に滑らせた手を、そのままソファの背もたれに伸ばせば、彼女も自然と俺に寄り添うように距離を縮めてきたので、俺は背もたれに乗せていた腕を彼女の肩に回した。

「なにしてたんだよ?」
「……ん? なんか、眠れなくてさ。結婚式のもろもろ、考えてたの」

そう言った彼女の視線が、目の前のテーブルに向けられる。

俺もつられて見やれば、目の前には結婚式の招待状やら、席次表、メモ帳として用意した専用のノートが広げられていた。

「なるほどな。で、今日はなに悩んでたんだ?」
「んーとね、寿側の挨拶の人選。」

言われて「はっ、」と思わず鼻で笑ってしまう。
そんな俺を横目に見た彼女は、また溜め息をひとつ吐く。

「お前は彩子に頼むんだろ?友人のスピーチ」
「うん。もう、彩子一択だね。……で、寿は?」
「あー、実は……迷ってんだよなあ」
「主賓挨拶は?安西先生でしょ? 乾杯は?」
「まあ…… 校長だろうな。」
「本来は、逆なんだろうけどね?」

そう言ってノートを手に取った名前。
開かれたページを俺も覗いてみれば、そこには安西先生の文字に〇マークをつけて、矢印で「スピーチ」と書かれてて、ああー俺が自分で書いたんだった、ということを思い出す。

「だってよ、ありがたきスピーチだぜ?校長なんかに何喋らせるんだよ」
「ありがたきって言いながら、すっごく上からだけどね」
「あれは、乾杯ぐらいがちょうどいいだろ」
「最低……、言い方!」

ケラケラ笑う俺をよそに、「ほんとにもう」と呆れる名前。名前の小さなその声が室内に響き渡る。

深夜だから妙に静かで、いつも一緒に過ごしているはずの空間に、本当にこの世の中に俺と名前、ふたりきりなんじゃねえかってくらいの静寂が漂っている。

……なんかコレ、いいな。この雰囲気。
なんて考えながら、名前の肩に回していた手を彼女の髪の毛に滑らせて、優しく上下に撫でる。

「んで?」
「あ?」
「友人代表は? スピーチ。」
「ああ……」

そう、そこ。
そこなんだよなあ、迷ってんの……

「堀田先輩?」
「……って、なるよなあ、普通はよ……。」
「えっ? あ。赤木キャプテン?」
「あ、それはねえ。百パー、ねえな!」
「ないんだ……じゃあ、木暮先輩」
「それも、捨てがてえよなあー……」

言って俺が、名前の髪を撫でていた手を自分の頭の後ろに組んで、天井を見上げる。

「……なあ、」
「……ん?」
「木暮だったら、なんて言うと思う?」
「スピーチ?」
「ああ……。」

名前は「んー」と考えたあと、ぽつぽつとスピーチの例を真面目に言い始めた。こういうとこ、素直でほんと可愛いなって思う。

「寿さん、名前さんご結婚おめでとうございます。友人代表として、ご挨拶させて頂きます。 寿さんとは、高校のときに同じ部活で、」
「ほうほう、」
「暴行事件の際も、」
「おいおいおい、待て待て待て、」
「……え?」
「言わねえだろ、普通そこはよ……」
「えー、だって……当たり障りなさそうだから、木暮先輩を捨てがたいって言ったんじゃないの?」
「……チッ、バレてるしな。」

名前は、面食らう俺を楽し気に見て微笑んでいる。ちくしょう、なんて可愛いんだ俺のフィアンセはよ。食っちまうぞ。

「じゃあ、堀田先輩は危ないねえ」
「……、だよな?」
「やっぱ安パイは木暮先輩かなあー」
「その点、名前はいいよな。」
「えー?なんでぇ?」
「だってよ、彩子なんてしっかりしたの用意しそーだろ?」
「まあ、確かにね。てか、私は後ろめたいことなにもしてないからね?」
「………あっそ。」

ふてくされている俺に名前が突然、斜め上からの提案をしてくる。

「……水戸くんは?」
「はあ? 水戸ぉ?なんで?」
「しっかりしたの言いそう、意外と」
「ああー、……たしかにな。」

名前はクスクスと笑いながら、今度は水戸のスピーチ例を考え出す。なんだか俺も楽しくなってきて、食い入るように「さっさと言えよ」と、うながす。

「三井さん、名前さん、本日はおめでとうございます。僕は三井さんから見て、後輩にあたりますが」
「うん、……で?」
「僕は、三井さんを散々ぶん殴った経歴を持っており……」
「……てめえ、」
「やっぱダメだ、水戸くんも!」
「言いながら笑っちまってるじゃねーかよ……」

ハハハと笑いながらソファから立ち上がった名前は、キッチンにいって急にお湯を沸かし始める。

その行動を不思議に見やる俺をよそに、ビニールかなんかを破る音がビリビリとキッチン内に響き渡った。

戻ってきてソファに腰をおろした名前が、テーブルの上にコツンと何かを置く。

「……嘘だろ、今から食うのかよ」
「え?」
「ん。カップラ。」
「うん。」

俺が顎で指すと、当たり前に肯定する名前の目の前には日清のカップラーメンがひとつ。俺が前に買って来て、すっかり忘れていたやつだった。

「コレ、賞味期限やばいもん」
「そーいう意味じゃなくてよ」
「へ?」
「……太るぞ、こんな夜遅くに食って」

シュンシュンとお湯が沸いている。
俺がそれに気付いて立ち上がり、目の前のカップラを持ってキッチンに向えば、名前が「割り箸にして、戸棚にあるから」と注文をつけてくる。

お湯を注いで箸を持って名前の元に戻れば、今度は席次表をまじまじと眺めていた。

ドカッと再度隣に座ると、俺の重みでソファが少し沈みかける。その反動で彼女が少し飛び跳ねて「うわ!」と声を出した。

「あ、わり。」と、ひとつ謝罪を入れたあと俺は、テーブル脇にあった三分計れる砂時計をひっくり返した。

「やっぱさ、目の前の席……職場の、湘北の先生たちにしたほうがよくない?」
「あ?」

彼女の手に持たれた席次表のサンプルを覗けば、確かに俺らの高砂の目の前の丸テーブルには、湘北バスケ部のメンバーの名前が並んであった。

「いや、ここは盛り上げ役の奴ら座らねーと、葬式みたいになるからよ結婚式が」
「わかるけどぉ……」
「赤木に木暮、宮城、桜木。で、流川……最高じゃねーか」
「………」
「宮城と桜木がうるせーだろうから、ばっちりだな」

「それ、どういう論理?」と、名前はまた呆れかえっていた。

「堀田先輩たちと、水戸くんたち軍団の席が一緒ってのが気になってさあー」
「あ? いいだろ。寄せ集め感が」
「だから、言い方!」

そう言って、ふと砂時計に視線を向けた名前が思いついたようにつぶやく。

「砂時計ってさあ、」
「ん?」
「なんか、見てると落ち着くよね」
「……そうか?」

名前はまだ三分経過していない、その砂時計を手に取り、流れ落ちる砂を眺めている。

その横顔が、やけに綺麗で愛おしくて、俺は名前とさらに距離を縮めて一緒に砂を眺めた。

「なあ、見て見ろよ……」
「……?」
「この、流れてる砂。」

言って俺が、流れ落ちる砂に指をさすと名前は「ん?」と首を傾げた。

「砂時計の話、知ってっか?」
「え? なーんか、先生みたい。」
「……バカ、先生なんだって」

はあ、と溜め息をつく俺に名前は「はい、続けて続けて」と先をうながす。

「上が未来、真ん中が現在……で、下が過去。」

指を滑らせて順に説明すれば、名前は真剣に聞き入っていて「うんうん」と、うなずいていた。

「積もってた過去はよ、」

そう言ったとき、ちょうど三分の砂が全て流れ落ちた。俺は名前の手から砂時計をそっと取る。そして、また砂時計をひっくり返してから再度名前の手に持たせた。

「ひっくり返せば、未来になるだろ?」
「……」
「すがってただけの過去も、ひっくり返せば未来に繋がるんだよ」
「……」
「……名前、」
「……ん?」
「おまえとなら、未来になるんだ……」

名前は、綺麗に微笑み返してくれた。
俺はそのまま名前を静かに抱き寄せて、彼女の額に唇を押し当てた。

チュ、というリップ音が室内に響くと、名前が自ら身体を離して視線を合わせ、俺の唇にキスをする。

「……タンマ、」
「……え?」

ぐっと名前の肩を押しやった俺に、首をかしげる名前。

「……ダメだ、ヤリてえ……」
「ええー……なんでよ。」

ふいっとそっぽを向いて、カップラーメンの蓋を開けた名前がぐっと俺にそれを差し出す。

「は?」
「食べて、なんか食べる気失せたから」
「はあああ?」

「いまいいとこだったじゃねーかよ」と文句垂れる俺を無視した名前は、怪訝な顔をして少し距離をあけて座り直した。その仕種に思わず噴き出した俺に彼女は、珍しく舌を打ち鳴らした。






「やっぱさあ、寿の友人代表スピーチ……」
「……まだその話してたのかよ」

結局、深夜のカップラーメンは俺が食っているという現状。

「本当はもう、腹決めてんでしょ?」
「……いま食ってんだよ。話しかけんな」
「ははーん、照れちゃってさ!」

俺は揶揄う名前を無視して、ずるずると豪快に麺をすすっている。

「……彼しか、いないもんねえ?」

そう言って、麺をすすっている俺の顔を覗き込む名前に睨みをきかせる。

「あんま揶揄ってると、犯すぞめちゃくちゃに」
「……スミマセンデシタ。」

すっと俺の目の前から顔をよけて、正面を向き直した名前は、ちらっとテーブルにあがったままのノートに視線を送る。

「……ちゃーんと、マル印つけてるくせにね」

名前が綺麗に笑っている。
それを横目に、ご丁寧にカップラの汁まで飲み切った俺は、カタン!とテーブルに空になったカップラ容器と割り箸を置いた。

「……あー、気持ちわり……」
「お粗末様でしたっ」
「……変わりに犯すかんな、マジでこのまま」
「却下。」

言い切る名前をニヤリと見下ろして、俺はガバッと覆いかぶさるようにしてソファに名前を押し倒す。

「キャー!!!」
「シぃー、夜中だからな。ご近所様の迷惑になっから」

見おろす視界に名前の赤面した顔があって、ゆっくりと顔をしずめていくと、唇が触れあう手前で名前がにやっと笑ったので、思わず俺はぴたりと動きを止めた。

「誰にするの、スピーチ」
「………ったく。しつけえなあ、お前も」
「……ねえ、ひさし……、だれ?」

嬉しそうに微笑む名前と目が合う。
その潤んだ瞳を見ていると、くらくらしてくる。
つか、……もう、知ってるくせにな。


「…………チッ、 ——宮城だよ。」


ぼそっと呟いてから、その生意気な唇を塞げば、それに応えながらもニヤニヤと楽しげに笑っている名前に、ほんと敵わねえなって面食らいながら、触れるだけのキスを、何度も交わした。










  とは、
 より多くを与えたいと願うこと。




(一緒に、お願いしに行こうね?)
(……あ?)
(彩子と、リョータくんのとこに。)
(……だな。)

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