ただのファンのひとりです

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  • —— ガラガラガラー……


    俺と名前の姿を見るや否や、すでにカウンターの椅子に座って一杯ひっかけていた水戸が、こちらを見やって営業スマイルを向ける。

    「おっ、三井ご夫婦。いらっしゃい」

    つい先ほどまで三井家の議題(しかも気まずいやつの方)にあがっていた張本人は、そのことを知る由もないのでいつも通りに接して来る。

    「どこ座んの? カウンター?座敷?」
    「あ……、いや。どっちでもいいぜ」

    俺のその言葉に水戸は、少し悩んで「じゃあこっち、カウンターでいい?」と言って席を促す。

    そして席に着くときにわかった、水戸がどうしてカウンターで飲んでいたのかを。

    時刻は既に23時過ぎ。土曜の客は珍しくもうすでに帰ったあとだったようで、座敷には桜木含むふざけたメンツ桜木軍団≠ニやらのみがたむろしていた。

    「あ〜、桜木くんたち!!」

    ブンブンと手を振る名前に桜木たちが、個々に挨拶を投げてよこす。

    「こっち来ねーのか?」

    大楠の声に水戸が「あいつら、結構飲んでるからやめといたほうがいい」とウインクをかましながら耳打ちしてくる。

    俺はそんな水戸に、ひとつ頷いてからあいつらに断わるように手を翳して先にカウンター席に座った。

    「なに飲む?」

    カウンターの中に戻った水戸が、名前が座るのを待ってから言う。

    「んー、あ!今日はレモンサワーにしよっかな」
    「リョーカイ、みっちーは?」
    「あー……、じゃあ、とりあえずビール。」

    「はいよ」と言って俺らに背を向けた水戸に「あ、オイ」と声を掛ければ、不思議そうにこちらを振り返った。

    「なに?」
    「これ、学校でもらってよ。」
    「うん?」
    「手土産に持って来た」

    言って俺が大きな紙袋に詰め込んできたバレンタインの菓子をカウンター越しに渡せば、水戸がそれを受け取って中身をちらと見たあと「豊作だな、サンキュ」と、その紙袋を掲げてみせた。

    「それ、桜木くんたちと食べてもいいからね」

    その名前の声が聞こえた地獄耳の持ち主の桜木が「ぬ?なんだ?」と立ち上がる音がした。

    水戸がカウンターから出て座敷にそれを持って行くと、歓声と共に感謝の言葉を投げ掛けて来る奴らに対して、名前は丁寧にも後ろを振り返りながら手を振ったりして対応する。

    水戸が戻って来て俺たちの前に飲み物と適当に繕った食い物を置いたのを確認して、俺はグラスを手に取ると名前と小さく乾杯をした。

    すぐに名前が、ちらちらと桜木たちを見やるもんだから、俺が仕方なくため息交じりに言う。

    「行きてえんだろ?」
    「え?」

    「ん」と親指を向こうに向ければ、にこっと微笑みを返す名前に対して「行って来いよ」と言ったら、俺の言葉を聞き終わる前にルンルン気分で座敷に向かって行きやがった。

    と、いうわけで、ここの空間には何の因縁か水戸と俺のふたりきりになるわけで。

    「優しいねえ、みっちー」
    「チラチラ見られてるほうが気ィ散るだろーが」
    「ハハ、そっか。」

    水戸がへらっと笑ったのを見て、水戸にも「飲めよ、俺のおごり」と言えば面食らったあと「いつもサンキュー」と言って、自分の分の水割りかなんかを作って持って来た。

    「乾杯」と言われ、素直にそれを受けてグラスを当てると水戸が自分のやつをひと口飲む。

    「なんかあったのか?」

    唐突な水戸からの問い掛けにぎょっとしたが、俺は素知らぬふりでチラと水戸を見やる。

    「……あ? なんで?」
    「なんか、疲れてるふうだから?」

    「土曜なのに金曜みたいな顔してるぜ」なんて呆れたように言われて、思わず面食らう。

    「久々に名前と言い合って、ちょっとな」

    観念したように言ってグラスの杯を煽れば、心底驚いたというふうに水戸は「へえ」と首を縦に振りながら相づちを打った。

    「喧嘩すんだ?いまでも」
    「いや……久しぶりだったと思う、かなりな」

    ふうんと水戸が自分の酒をまたひと口飲む。
    そのまま視線を名前のほうに向けた水戸を、
    俺はじっと見据えた。

    ややあって、視線を自分のグラスに落とし込んだ俺が情けなく言う。

    「なんか大人になってから喧嘩すっとよ、学生ン頃みたいに感情だけで言い合えなくなってな」
    「そう?」
    「ああ……言葉も強くなるし、相手が突っ込まれたくねえ部分を責め立てたりしてよ……」
    「あー……、あるかもな」
    「相手を詰める言い方にトゲが出ちまう」
    「……それは、」
    「………?」
    「みっちーの性格もあるんじゃねえの?」

    水戸のその言葉に俺が奴を一瞥すると、水戸はふっと小さく笑った。それにはなにも返せずに、しばらく無言の時間が流れる。

    背後の騒がしい声をBGMに、俺の飲むペースもこんな日だからか異様に早くて、あっという間に一杯目を飲み切ろうというとき。

    水戸が俺への二杯目を注いで来てくれた。
    「はい」と置かれたビールジョッキを見送って、飲み終わったグラスを水戸に渡す。

    「もう、名前さんとは……」
    「………」
    「いろんなこと、蔑ろにしたくないって言ってなかったっけ?」
    「……あ?」
    「前に飲みに来たとき言ってたぜ?みっちー。」
    「……、あったりめーよ」
    「そりゃ真っ直ぐ相手と向き合おうと思うと、
    責めるようにもなっちまうだろうな」

    「よくわからんけど」と言いながらも、明確な意見をなげてよこす水戸。

    「まあ、名前さんもだいぶアンタに感化されて強めだけどな」
    「………」

    面食らっている俺を流し見て水戸は、桜木らと楽し気に話している名前に視線を向けると眉をさげて、仕方ねえよなって顔をしたあと言った。

    「俺さ、口喧嘩とかちょー苦手なの。」
    「あー苦手そうだわ、なんかわかるぜ。」

    俺が即答すれば水戸は俺を一瞥して、ふっと笑ったのに合わせて俺もつられて鼻で笑う。

    「なんかさ、こう…… ガーって言われると何言いたかったのか分かんなくなるんだよな」
    「………」
    「なので、逃げがち。言い争いとかは。」
    「へえ……」
    「だからちょっとだけ羨ましいけどな、昔から
    アンタたちコンビは」

    「そうか?」と、俺がため息交じりに言えば、
    水戸はやっぱりアハハと笑う、おもしろいんだか何も考えてねえんだかよく分からない感じで。

    「よく出くわしてさ」
    「あ?」
    「んー? 名前さんと。」

    一応「二杯目もらうね」と言い置いて水戸は、
    自分の分を注ぎ足す。

    「出くわすって?」
    「えー? 学校、湘北で。高校んとき。」
    「………」
    「いっつもこの世の終わりみたいな顔して歩いてっから」
    「………」
    「だから喧嘩したとか分かっちゃうんだろうな、きっと周りは。」

    なんだか遠回しに説教されている気分になってきて、少しだけ気分が落ち込んだ。

    ずっと名前しか見ていなかったからか、案外外野を気にしていなかったんだな、と今さらながらに気づく。

    あの時代、たとえばこいつとか……あと、宮城とか木暮とか、あの淡泊な流川とか。

    そんな奴らが名前に結構ガチ目に粉でもかけるようなことをしていたら、俺なんて今頃名前と一緒にいれなかったかも知れないな、なんて考えまで生まれて来て急に不安が襲って来る。

    「なあ……、」
    「ん?」
    「名前と俺が……、とくになにもなくてよ?」
    「なにもなくて?」
    「ああ、その……小せえ頃からの仲とかでもなくて、付き合ったりとか、そーいうのがなかったとしてだ……んでもって、たとえば」
    「——無いよ。」

    俺の言葉をさえぎった水戸が少し低い声で言う。
    そんな水戸を俺は、勢いよく凝視する。

    「………」
    「………、——って、」
    「………」
    「言って欲しいんだろ?」

    ……完敗だ。
    はい、お手上げ。

    俺はぐっと押し黙って、水戸から視線を解くと後頭部に片手をあてがった。

    「しかも、俺はヤダなあ〜」
    「……あ? なにが?」
    「みっちーと、穴兄弟っつーのは……ゴメン、
    お断りで。」

    水戸は自分の顔の前で手を合わせて、本当に勘弁というふうな仕草をみせてきやがる。

    「穴……、 って……お前なぁ」
    「だってそーなるだろう? 嫌です。」

    だから苦手だったんだよなあ……
    昔からコイツはよ……。
    言葉が返せねえんだよ、いっつも。

    綺麗に言いくるめられるっつーか……。

    まあでも、苦手だったのは昔の話で
    あの日……、俺が体育館に土足で——


    「あーあ、苦手なんだよなあ、コイツ。」
    「……え、」
    「って、思っただろ?」

    「顔に出まくり」と言って水戸は困ったように
    乾いた笑いを漏らす。俺はまたぐっと押し黙ってしまって、ぐいっと酒を飲んでごまかした。

    「苦手だと思ったのは……、あんときだけだ」
    「あのとき?」
    「ああ? ほら、あの——」
    「……?」

    「あンとき!」と、ややあって声を荒げれば、
    水戸は分かっているくせして「どのとき?」と、また困ったようにハハハと笑った。

    「でも、まあ……」
    「………」
    「本音を言うと、彼女のことそういう対象で見たことがないんだよな」
    「彼女?ああ、名前か。そういう対象って?」
    「ん? だって、他の奴に心底惚れてる人をどうとか思うかい?」
    「………」
    「それはあれだ、晴子ちゃんとかにも言えることでさ」
    「……なるほどな」

    水戸がグラスの中の氷を弄ぶようにカラカラとグラスを回して見せる。

    「誰だっけなあ……ああ、アネゴだ。」
    「あっ?」
    「なんかさ、みっちーと名前さんってドラマとか漫画の主人公みたいって」
    「……?」
    「だから応援したくなるって言ってて、言われたときすげえしっくりきたんだよな、昔。」
    「へえ……」
    「俺らはそれを見てるオーディエンス」
    「……」
    「だから、いちファン……みたいなもんだよな、言ってみれば」
    「ファン?」
    「まあ……、バスケットと同じさ。湘北を応援
    してた俺らと同じ。」

    言われて悪い気分がしなかった俺は思わず小さく微笑む。すこしの沈黙を経て、俺が思い出したように口火を切った。

    「——あっ、なあなあ。」

    それに少し目を見開かせた水戸が「ん?」と聞き返してくる。

    「俺が高三のバレンタインの日、帰り際よ?」
    「……」
    「おまえ、彼女といたんだよな?」
    「………、いや?」
    「ああ?だって、抱き合ってたじゃねえかよ」

    「校門のとこで」と付け加えれば、水戸は気まずそうに微かに眉を歪めた。

    「そんなこと……あったっけ?」
    「おいおい、しらばっくれんなってー」
    「……いやあ……、」

    「参ったなあ」と、小さく呟いて調子狂っている水戸を拝めるのは珍しいことであったから、俺は真相を探ってやろうと続けざまに煽り倒す。

    「いいっていいって、照れなくたってよ」
    「………」
    「俺の位置からじゃ、お前の背中しか見えなかったけどな!」
    「………」
    「なあ、あの女とどうなったんだよ?」
    「どうって、別に?どーにもなってませんけど」

    水戸は心底困ったと言いたげなツラをして、次いでハアと溜め息をついた。そのときだった。

    「ねーねー、なんの話?」

    機嫌のよくなった名前が戻って来て、俺たちに絡んで来た。

    「あ? 水戸の彼女の」
    「みっちー!」
    「……あ?」

    俺の言葉をさえぎって声をあげた水戸に、俺は間抜けなツラを晒して聞き返す。

    「やめよーぜ、そんなつまらん話はさ」

    これで終わりと言わんばかりに話を打ち切った水戸は、名前に追加で何を飲むのか聞いていた。

    そんな二人をぼーっと眺めていたとき、背後から「ミッチー!」と声を掛けられて振り返れば、桜木が「こっち来いよ」と楽しげにも不貞腐れる様が滑稽で、俺は仕方なく自分のグラスを持って席を立った。


    寿を目の端で見送って「ねえねえ、」と水戸くんに小さな声で声を掛ける。

    「んっ?」
    「あの、寿が高三のときのバレンタインのやつ」

    言ったとたんに水戸くんが突如、ブッハハハハ!と噴き出したので私はきょとんとしてしまう。

    「え、え?! な、なに?」
    「いや? ほんっと、君たちお似合いだな」
    「え? 君たちって?」
    「いーのいーの、はい続けて続けて?」

    水戸くんが両手で「どうぞ」というように促してきたので、不審に思いながらも先を続けた。

    「水戸くんにさ、渡した二つ目の箱≠れ……どうした?」
    「………」
    「結局食べた?捨てた?」
    「あー……」
    「誰にも見つかってない?」
    「ん? 誰にもって?」

    今度は水戸くんが私の質問にきょとんとした表情で返して来た。

    「うん、その……たとえば! 好きな子とか、
    彼女……? とか。」
    「………。 あいにく、」
    「………」
    「どっちもいなかったかな、あのときは」

    言って、自分のグラスにお酒を注ぎ足す水戸くんの姿を目で追う。

    「じゃあ……、食べた? やっぱ、捨てた?」
    「……、いや?」
    「……?」

    水戸くんは自分のグラスに口をつけて小さく息を吐いたあと、少し眉を顰めた感じで先を続けた。

    「あのあと、名前さんバスケ部見に戻っただろ?」
    「あ、うん。結局ね。」
    「実は俺…… その帰り道でさ、」
    「うん?」
    「どうしても俺の持ってるヤツを欲しいって目で訴えてくる奴とばったり会っちまって」
    「……へえ、友達とか?」
    「友達ねえ……」

    言って、不意に水戸くんが桜木くんたちの席のほうを見やる。

    「……その人にあげちゃったんだよ、ごめん。」
    「ううん!! 誰かのためになってくれたなら、全然っ!」

    「あんな物でいいなら、どーぞって感じだよ!」と言って私はホッと胸を撫でおろした。

    自分からのきっかけで起きたことだったので、なんだか水戸くんには悪い気はしたけど、大変な事件に発展していないということに安心して私は思わず微笑んでしまう。

    「——その人さ、」
    「……、うん?」
    「いーっぱいもらってたんだよ、チョコ。手に余るほどにな」
    「へえ、モテる友達だ!」
    「……でも、俺のそれ?名前さんからのヤツ受け取ったら」
    「………」
    「他の子からの物ぜーんぶ俺に押し付けてきて」
    「……う、うん……」
    「俺はこれ一個で腹いっぱいだーとか言ってさ」
    「………」

    水戸くんは昔を思い出すようにして言ったあと
    フッと、ひとつ鼻で笑う。

    「それがさ、本当に名前さんのこと好きな奴だったとしたら……、かっこいいだろ?」
    「たしかにっ! 男前発言だねえ」
    「名前さんの≠チて……分かってたんじゃないかなーって思ったりしてる」

    なるほどね、………ん?
    どういうこと、………?

    「えっ? 湘北の生徒?」
    「まあー、たぶんな」
    「ふうん、私のこと知ってる人?私も知ってる?その人のこと……」
    「さあ?」

    「俺もよく覚えてなくてさ」と、水戸くんは眉をハの字にさげて困った顔をしてみせた。

    「名前さんの隠れファンってことにしとこ?」
    「え?」
    「しかも、強烈な方のなっ♪」
    「う、うん……わかった。」

    水戸くんはそれで良し!って感じでニコニコと満足げに笑っていた。

    水戸くんって昔から、たまにつかめないところがある。でも、特にそれを追及させないオーラというか、そういう雰囲気を纏っていた、あの頃からずっと。


    「……喧嘩、したんだって?」
    「え?」
    「旦那さんと」

    言って水戸くんは、ピッと桜木くんたちと楽し気に話し込んでいる寿を指差す。

    「ああ……うん、ちょっとね」
    「仲直りは、したんだよな?雰囲気的に」
    「うん、まあね……」

    急に核心を迫られてしゅんとした感じで、グラスに視線を落とした私に気付いた水戸くんが優しい声で言った。

    「不完全燃焼、って感じだな」
    「うーん……、なんかさ?」
    「うん?」
    「大人になってからの寿、怖かった」
    「怖い?」
    「うん…。負けちゃうって思った…勝ち負けじゃないんだけどさ?恋人とか夫婦の口喧嘩なんて」

    水戸くんが何か考えるみたいに「ふうー」と息を吐いた。

    「それが、ちゃんと夫婦になったってことなんじゃねえの?」
    「え?」
    「なんて言うか……こう、さ?心と心でぶつかり合うとそーいう感じになるぜ?」
    「……う、うん?」
    「俺が、花道とはじめてガチンコでぶつかったとき、そーだった」
    「えっ!! やっぱ出会いは、喧嘩なんだ?」

    とたんに目をキラキラと輝かせてくる彼女に、
    俺は思わずぎょっとする。

    「どうかな……。でもまあ、そのときさ?
    あー、こいつ真剣なんだなって」
    「うんうん」
    「いま、俺だけ倒すってことに集中してんだなって、真っ直ぐ、俺のことだけ見てんだなって。」
    「はいはい」
    「怖い——、って思った。人生ではじめて。」
    「………」
    「だから俺も、本気で真正面からぶつかってやんなきゃなあーって、さ?」
    「……で? 勝ったの?水戸くん」
    「はいっ! 今日の講座はここまでです」
    「えー!!」

    アハハハと笑って返せば、彼女は「くそぅ!」と言って心底悔しそうに酒を煽っていた。

    「でもね、たしかに……」
    「うん?」
    「昔はさ、わーって言い合って、もう知らない!
    ぷん!みたいになってたの、お互いにね。」
    「うん」
    「でも今日は、ちゃんと悪かったって、わかってるって仲直りしようって、言ってくれたの寿。」
    「へえ」
    「怒ってるんだけどね?口調と顔は。」
    「……」
    「でも、言われてみれば向き合ってるって感じだったかも……若かりし頃とは違って。」
    「そっか。」

    俺が微笑んでみれば、彼女は高校時代と変わらないまま無邪気で無防備な笑顔を返してくる。

    おかわりを受け取った彼女が、花道たちの元へと向かう。それと入れ替わるようにして今後はまたその彼女の旦那がカウンター席に戻って来た。

    「よし、もう一杯飲んだら帰るとするか」

    「明日も仕事だ」と言って空になったジョッキを翳してきたみっちーからそれを受け取って、本当に最後なのかどうなのか疑わしいおかわりのビールジョッキを渡せば、ほどよく酔っぱらっているみっちーが二ッと笑って俺の手からそれを受け取った。

    「みっちーさ、名前さんと別れたあと……」
    「……あ?」
    「本当にもう誰とも一緒になるつもりはなかったのかい?」
    「………」
    「あー、あの、大学の人は置いといたとしてな」
    「ああ」
    「実際どーなのかなーって珍しく他人のそーいうの、ちょっと気になった」

    言って水戸は、水でも飲んでるふうに飄々と酒を煽る。それを目の端で見送った俺はぽつぽつと話し出す。

    「先のことまではわかんなかったけどよ……」
    「うん」
    「今≠フ俺は名前が好きだって、ただそれだけだったな」
    「……」
    「それが参ったことに、ずーっと続いてんだから、そりゃあ次の人なんて考えもしねえだろ?」
    「なるほど。」

    俺がちょっと不機嫌そうに目を逸らせば水戸は「ごちそうさまでした」と明るく言う。

    「あ? もう飲まねえのか?」
    「ああ、惚気話と酒でお腹いっぱいです」

    俺が「バーカ」と言って杯を煽れば、水戸はへらっと情けなく微笑んだ。

    「つか、モテモテじゃねえか」

    みっちーがカウンターの中、調理台の上に置いたままでいた女子っぽい紙袋を、うな垂れるように指差して言った。

    「へ?」
    「あれ、バレンタインのチョコだろどーせ」

    確かにそれは、お客さんたちから受け取ったバレンタインの代物だった。

    「ああ、まあね。お客さんから。」
    「へえ、モテる男は辛いな」
    「ハハッ……、なに言ってんだか」
    「あ?」
    「自分だって、山ほどもらっといてさ」
    「ええ?」
    「高校三年生のみっちーも、センセーなったみっちーも」

    言われて俺が「お蔭様でな」と、口の端を吊り上げて言えば水戸は「だからお互い様」と眉を下げてため息交じりにつぶやいた。

    俺はそんな水戸を見据えて少し顎をあげると、
    あの生意気な一個下のように眉を歪めながら言った。

    「——なんなら今日は、」
    「?」
    「俺が、そっちの紙袋……持って帰ってやってもいいぜ?」

    言った俺の言葉に水戸は、きょとんとして俺を見やる。

    「一個で腹いっぱいになれる子からの
    本命チョコ≠ェ、その中にあったらだけどな」

    とたんに水戸は破顔して、珍しくプッハハハハ!と顔を真っ赤にして笑っていた。










     見えない ライン のあちら側



    (てか、みっちーあの<Nッキー食べたの?)
    (ああ?)
    (高校生最後の甘酸っぱいバレンタインの思い出)
    (……ああー、)
    (………)
    (ありがたく完食したぜ。……泣きながらな?)
    (ハハ、ご愁傷様。)

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