ずっとその言葉が言えずにいる

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  • 「あっ、……そう言えばさ」
    「……あン?」

    日曜日の夕方過ぎ。
    寿がバスケ部の練習試合を終えて私と合流して、いまこの瞬間ベッドに寝そべって雑誌を読んでいた寿と、テレビの前に座ってとりあえずでかかっていたお料理番組を見ていた私。

    時を経て復縁した私たちだけれど、さっきからこうしてお互いに好きなことをして過ごしているのは実は中学、高校時代からあまり変わらない。

    突然、私の口から発せられた言葉により、数十分ぶりに二人の間に会話が広がる。

    「ふと思い出したことがあるんだけどさ」
    「……なにを?」

    さほど興味なさそうに返されたのだけれど、私は気にすることなくあの日の出来事を語り出す。

    まだお互いが高校生だったあの頃、あの日も今日みたいに寿の部屋に上がり込んでたっけな。

    そんな初々しいふたりの思い出を思い返して、
    私は思わずフッと微笑んだ。

    「高校生のときさ、寿ってば可憐な女の子のパンツを今すぐ下ろすぞ!って脅してきたんだよね」
    「え?」
    「覚えてる?」
    「あぁー、……そうだったか?」
    「そうそう、なんでか忘れたけどバラバラに帰った日でさ」
    「よっく覚えてんな、ンなこと。」
    「覚えてるよー、パンツ下ろすとか言っちゃう人が何でモテモテなんだろうって疑問だったもん」
    「……あのなぁ。」
    「なによ?」
    「可憐な女の子が勝手に男の部屋に上がり込んでパンツ丸出しで寝るか?逆に普通。」

    読んでいた雑誌をパタンと閉じて起き上がった寿の顔は、あからさまに呆れた表情を浮かべていた。

    「あの日は疲れてたのっ!」
    「流川と秘密の特訓しやがるからだボケ。」
    「なんだっけ、それ?」
    「お前なあ、一番重要な記憶だけすっ飛ばしてんじゃねえよ」
    「……はははー。」

    「ほんと都合のいい脳みそだな」と、寿が呆れ口調で乾いた声を出す。

    「うぅ……。て、ていうかさ?そういうときは」
    「あ?」
    「黙ってそっと隠してあげるのが、優しい男の子ってやつだと思うけどなぁ〜、逆に普通。」

    その私の言葉に対して、ベッドの上であぐらをかいた寿がポリポリと頬を掻いてとぼけたように言う。

    「……黙ってそっと下ろすのが健康な男子だと思うけどな」

    言ったあとニッと笑みを浮かべる寿に、一気に顔を赤くした私がそばに転がっていたボールを寿に勢いよく投げつけた。

    そんなパスを余裕で受け取ると、寿はボールをポンポンッと上に投げて遊び始める。

    「そういや、名前からまだもらってなかったなあ」
    「え?……なにを?」
    「合格祝い。」

    即答された言葉に数秒考えていると、その意味が分かってしまった私は「はあ」と溜め息をついた。

    寿が高校時代、部活と受験勉強に明け暮れていた最中、ふと私が言ったひと言。たしかあれは、バスケ部の練習の休憩時間のことだったと思う。

    『ねえ寿、合格したら何か欲しい物ある?』
    『あぁ?……なんだよ、急に』

    普段ならこんなことを滅多に言わない私に対して寿は少し怪訝そうな顔をした。

    『大学に合格したらさ!合格祝い!』
    『合格祝いねえ……』

    最初こそちょっと気乗りしないといった様子でじっと考え込んでいた寿だったけど、ふとあることを思いついた途端その顔が一瞬ニヤッとする。

    『決めたぜ』
    『ん?なになに? あっ!でもあんまり高い物はダメだよー?』

    「お小遣いの範囲以内ね」とニコニコと満面の笑みを浮かべている私の前で、寿は無表情のまま髪を拭いていたタオルを肩にかける。

    クイクイッと人差し指でもっとこっちに来るように仕向けると、なんの疑いもなくそれに従う私。

    そんな私に寿はそっと耳打ちしてきた。

    『合格祝いは名前からの濃厚なキスでヨロシク』
    『ふんふん。あっそう……って、…なにそれ。』


    合格をしたと聞いたあのときは、ただもうそれだけで嬉しくて。

    しかも寿とはすでに破局していたし……。

    あのとき寿は、企みを秘めたような笑みを浮かべてサラリと答えたのだ。

    そう。
    ちょうど今みたいな顔をしながら……

    「名前からの濃厚なキス。まだもらってねえんだけど?」
    「う……それは、その……」

    もごもごと言葉にならない声を上げる私は、なんだか急に恥ずかしくなって耳まで真っ赤にした。

    寿はそんな私の姿にたまらず、ブブッと噴き出して大笑いする。

    「ダメだ…っ、ちょーウケる…っ」なんて言いながらその大きな身体を震わせている様を見ていたら、段々とこちらはたちまち腹が立ってきた。

    「………ッ。」
    「なんで恥ずかしがってんだよ」
    「あのねえ」
    「あー、可愛い。」

    寿はこともあろうに腹を抱えて笑っている。その姿を見たらまた一気に頭に血が上った。

    「そんなに大笑いするんだったら合格祝いなんてあげないんだからね!」
    「ええ? なんだよ、約束破るのかよ?」
    「うう……」
    「高校時代の、初々しい俺の彼女が考え出した案なのにな」

    その言葉にギロリと寿を睨みつければ、寿はまたニヤニヤと揶揄うように私を見やる。

    「……ふん、決めたっ!もうあげない!絶対にあげない!!」
    「え。」
    「もう寿とキスなんて一生しないっ!」

    勢いに任せてプイッと身体ごと後ろを向いた私に、さすがの寿も笑うのを止めてくれた。

    「お、おい。なにもそこまで……」
    「……うっさい。」
    「少しからかっただけじゃねえかよ」

    少し慌てているような声を出す寿。
    それでも私は断固として動かなかった。

    どうしたもんかとポリポリと首を掻いたであろう寿はベッドから下り、次に軽く咳払いをして私の背中に腕を伸ばしてきた。

    そして、私の身体をふわっと包み込むようにして抱き締める。

    そのまま寿は私の首元に顔を埋めると、小さく囁くように言葉を紡いだ。

    「……悪かった。」
    「………」
    「ちょっとふざけ過ぎたな」
    「………」
    「だから、その……」
    「………」
    「欲しいんだけど、遅れた合格祝い。」
    「…………」

    その後しばらく続いた沈黙を破ったのは、この空気に耐えられなくなった寿と。

    「あの……っ」
    「あのよ、」

    同時に声を出した私。
    二人はびっくりして思わず勢いよく目を合わせた。そんな様子が可笑しくなって、二人して同時に笑い出す。

    そんなことをしている間にさっきまでの空気が一変して柔らかいものになってきた。

    寿は抱いていた私の肩をゆっくりと自分の方へと向かせ、恥ずかしそうに頬を染めた私ともう一度ちゃんと目を合わせてから言った。

    「はずかしい?」
    「そりゃ……、そうでしょ」
    「可愛かったぜ?あんときの何も疑ってねえような名前の目」
    「……ほんとアンタはさ、」
    「で?……くれるのか?くれねぇのかよ?」

    やけにそのことにこだわってくる寿に、私は頬を染めたまま少しムッとした表情を見せる。

    そんな顔をしてみても、寿は呆れたようにも優し気に見つめてくる。

    「なんかしつこいね?そんなにして欲しいの?」
    「おう。俺はあきらめの悪い男だからな」
    「……あっそ。」
    「どこまでもしつこく追い掛けてくぞ。」

    偉そうにも当たり前にそんなことを言ってくる寿に、私は苦笑してプッと噴き出して笑う。

    今度は「なんだよ?」とちょっと不機嫌な顔をする寿の前で、この人に一度捕まったら逃げられないんだったということを思いだす。

    意を決して改めて寿と向き合うと、寿自身もそのことを察したのか、今度は真剣な目をしてを見つめ返してくる。

    「……な、なんかさ、」
    「あ?」
    「改めてこうして向き合ってすることでもないような……、そんな気しない?」
    「……う、うるせぇ。いいから早くしろ」

    うるせぇとか早くしろとか、そんなこと言われながらするようなことでもないと思った。

    そして赤くなっている寿の顔を見て、自分だって照れてるくせに。と、心の中で思ったけれど言わないでおこうと言葉を飲み込む。

    意地を張っていてもドキドキと高鳴る鼓動だけは素直に私の中で響いて、ゆっくりと寿に近付いていけばいくほどそれは大きくなっていく。

    まるで、
    初めて寿とキスしたときみたいだ。


    「……目、瞑ってくれませんか?」

    恥ずかしくて、なぜか敬語になってしまうほどにいま私は緊張している。

    すると寿もまた恥ずかしそうに視線を逸らして

    「お、おう」

    なんて正直にもぶっきらぼうに呟くから笑いそうになってしまう。

    寿は私の腰に腕を回して、ぎゅっと自分の方へと引き寄せ目を閉じた。それが引き金となって、私はゆっくりと自分の唇を寿の唇へと合わせていく。

    静かに重なった唇はしばらくのあいだそのままに、時だけが過ぎていった。

    そして、ゆっくりと離された私の唇に、寿のそれがまだ足りないと言わんばかりに思い切り引き寄せられてまた強引に口付けられた。

    「んっ……」

    私の口から洩れた吐息を引き金に、二人の行為はそれからしばらく続けられた。









    「お前ってほんと昔から足癖悪りぃのな」

    私の家まで送ってもらっていた道中、車の中で寿はわざとらしく腹を撫でながら呆れたように言い放つ。

    「だ、だからちゃんと謝ったじゃん。そもそもさっきのは寿が悪いんだからね!」

    こちらは顔を真っ赤にしながら鼻息を荒くして反論している。

    事の発端は数分前。
    あの甘い雰囲気に流されて気を良くした寿が先へ進もうと私を押し倒し、身動きが取れないようにしたことから始まった。

    「や、ちょっ……な…、 なにっ?!」
    「いい?」
    「な、なにが……?」
    「……ンな野暮なこと聞くんじゃねえよ。分かってんだろ?」

    「もう高校生じゃねえんだからな」と耳元で低く囁かれ、ぎゅっと目を瞑った私の身体がびくんっと震える。

    そのまま寿は私の耳朶をきゅっと甘噛みすると、私の身体がもう一度大きくびくんっと揺れた。

    ゆっくりと私を見下ろしたとき、恥ずかしさに頬を真っ赤に染め、目に涙を浮かべた私と寿の視線がかち合う。

    「……いいか?」
    「……っ」

    心の準備もなにもないままイエスもノーも言えずに、私はただじっと寿を見つめることしか出来なくて。

    首元に顔を埋めて唇を這わせくる寿の愛撫を、
    ただじっと受け入れることしか出来ない。

    そんな自分に本当にこのままでいいのかと頭の中で自問自答を繰り返す。

    何年も寿に触れていなかった。
    こうしてまたそういう仲≠ノなったとはいえ、まだ心の準備が……。


    寿の手が私の胸にそっと触れた途端、その答えがビビッと脳天を突き抜けた。

    「やっぱダメーーーッ!!」

    —— ドガッッ!!

    私の膝蹴りが彼の腹に見事に入り、漫画のようにぐおぉっという断末魔のような叫びと共に寿はその場に倒れ込んだのだった。








    「いや……。だからってよ」
    「……ハイ、」
    「あの状況で腹に膝蹴り喰らわすのはどうかと思うぜ」
    「ぐ……。だからごめんねってずっと謝ってるじゃん。しつこいよ!」

    相当痛かったのだろう。わざとやっているのだと思っていたけれど、未だに寿は蹴られたお腹を擦っていた。

    「高校んときもよ、屋上であったよな。」
    「え?」
    「あれはたしか……ああ、そうそう学祭ンとき」
    「……」

    ギクという効果音を放ちながら私はそーっと助手席の窓の外を見やる。

    「いいとこだったのによ、花火をバックにして」
    「バッカじゃないの、あんなとこで無理に決まってんでしょ!」

    思わずカアとなって寿を見やれば、こともあろうにニヤニヤと私を見て来た。

    「ちょっと、危ないでしょ!前見て!」

    私はすぐに真正面を向き直り、前方をピッと指さす。それに対して寿は「へいへい」とまだ笑いながらも前に向き直る。

    「あと、アレ」
    「ええ……、 まだあるの?」
    「さっき言ってたパンツの日?」
    「なにそのネーミング……」
    「理由は忘れたけどよ、朝。登校してるとき喧嘩したの覚えてっか?」
    「ああ……、そうだったかな。」
    「んで、そのとき。生徒指導の前で足蹴にされた」
    「ええ? そーだっけ?」
    「なんでそーいう部分は忘れてんだよ、ったく」
    「………ハハハ。」


    あれからずっとこの調子で。

    痛いだろうから今日は送らなくてもいいよと断ったものの、寿は黙って私とお揃いのバスケットボールのストラップが付いた車のキーと取って、顎だけで不機嫌そうに玄関を指した。

    そのご厚意に甘えて結局、送ってもらったのだけれど……。かと思えばさっきからずっとブツブツと文句を言われる始末。

    高校生の頃とは力も倍増していた私の膝蹴り。
    慌てて加減も出来なかった。

    息も出来ないくらい本当に綺麗に入った私の膝蹴りに、最初こそ本気で心配したのだけれど、こうもネチネチと文句を言われ続けるとさすがに堪忍袋の緒も切れてくる。

    「これからもいつ膝蹴り喰らわされるか分かんないんだからね?」
    「は?」
    「今後は、あーいう行動は控えた方がいいんじゃない?」

    言ってプイッとまた窓のほうに顔を背けた。
    信号で止まったとき、そんな私を横目でじっと見て、寿がフッと笑みを浮かべる姿が窓越しに映って見えた。

    「あぁ。そーだな」
    「………」
    「今度手ぇ出すときはまず始めに名前の足を動かせねーよう、充分気を付けるようにしねえとな」
    「!! そういうこと言ってるんじゃなくてっ」

    まだ懲りないのかとキッと睨みつけるように寿を見ると、そこには勝ち誇ったような顔をした男が居た。まるで綺麗にシュートを決めたあとみたいな顔で。

    「言っただろ?俺はあきらめの悪い男だってな」

    寿がフンと鼻で笑ったとき、目の前の信号が青に切り替わった。

    寿はそのまま正面を向き直して車を発進させる。

    あきらめの悪い男。
    イコールしつこい男をまた彼氏にもって、これからのことを思うとなんとなく気が重くなるような気がした。

    それでも、寿の車に乗り込むたびに自然と繋がれる私の携帯電話の音楽。便利な時代になったいまだからこそ、言葉がなくても気持ちを伝える手段がたくさん増えた。

    こうしてあえてラブソングばかり流すのだって、寿を思って選んだ曲なんだよって。

    何の気なしに口ずさむその曲を、寿はどんな想いで聴いているのかな。

    そのランダムで流れる音楽を当たり前に口ずさむ寿の歌声とか、車の液晶をタッチして操作する寿の長い指先とか。

    そんな小さな事ひとつひとつに私は、高校生の頃と変わらずに胸を焦がすのは紛れもない事実であって。


     言葉はまるで雪の結晶
     君にプレゼントしたくても
     夢中になればなるほどに
     形は崩れ落ちて溶けていって
     消えてしまうけど

     でも僕が選ぶ言葉が
     そこに託された想いが
     君の胸を震わすのを諦められない

     愛してるよりも愛が届くまで
     もう少しだけ待ってて


    何の気なしに車のステレオから流れて来る私セレクトの音楽。それを機嫌よく口ずさむ寿の歌声を……鼻歌を、口笛を聴き捨てて、私は思わずふっと小さく笑みを零す。

    「……ねえねえ、」
    「あ?」
    「わたしたちってさ、」
    「うん」

    私は流れていく見慣れた街の風景を、走る窓の外に見ながら言った。

    「こんなこといつまでやってんだろうね」
    「こんなこと?」
    「これからどんどん歳とってくわけでしょー?」
    「まあ、だな。」
    「いつまでもこんな高校生みたいなこと……」

    私のその言葉に車内に一瞬、沈黙が流れる。
    刹那、寿が低く通った声で真っ直ぐに言った。

    「いーんじゃねえの」
    「え?」

    私はゆっくりと寿の方を見やる。
    片手運転をしながら運転席の窓を開けた寿の行動により、ウイーンと機械的な音と共に窓が開け放たれたら、心地よい風がこちらにまで漂って来た。

    窓に右肘を乗せたまま、私に注意されたことをしっかりと守って真正面を向いて運転する寿の綺麗な横顔に、つい見惚れてしまう。

    「じーさんとばーさんなってもよ」
    「……?」
    「仲良く言い合って手繋いで一緒に寝てりゃ。」
    「……うん。」


    外に見える街は人ごみだらけ。
    それでも、ふたりだけのこの空間で
    そっと触れてきたその指先。

    高さの違う肩、揺れる目。

    近付く「 さよなら 」に
    自然と心の距離が狭くなる。


    ねえ、

    『 帰したくない 』

    って、言ってよ——。










    君が しわしわ になっても好きな自信があるよ。



    (この曲いいよな)
    (……うん、いいよね。)


    ※「Subtitle/Official髭男dism 」を題材に。

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