埋めようのないゼロセンチ

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     冬休みが開けて、また高校生活がはじまった。花道のバスケを少し見学してから、俺はバイトがあったので先に体育館を後にする。背後にバスケットボールの弾む音と親友の楽しげな声を背負いながら廊下を歩いていると、映る窓に雨が降っていることに気が付く。俺は思わず「雨降ってきたのか……」なんて、ひとり言をつぶやいた。

     靴棚の並ぶ生徒入り口に入った時、その靴棚を背にして床に腰をかけ、体育座りをしながら膝を抱えているひとりの女子生徒を発見した。彼女は校外をぼーっと見つめている。その相手が誰なのかとさとした瞬間「あ。」と声に出したら、その女子生徒は座ったままでゆっくりとこちらを振り返った。

    「やっぱりね」

     そう言って、弱々しくニコッと微笑んでくれた彼女。それは、数ヵ月前に俺がボッコボコにぶん殴ってしまった二つ上の先輩、三井寿の元彼女(モトカノ)だった。

    「名前さん……」

     一度足を止めた俺はまたゆっくりと彼女の方へと歩みを進める。彼女が座っている真横に立った俺が、中腰になって校外を見やれば、やっぱり、さきほど確認した通りで、外は雨が降っていた。

    「水戸くんだって、わかったよ?」

     彼女の言葉に、俺がチラと彼女を見下ろすと、彼女がまた弱々しく笑って「タバコのにおいしたからさ」なんて言う。それに対して俺は一瞬目を見開いたが、すぐに鼻で笑って「それはそれは」と返し、中腰だった姿勢を真っ直ぐに正した。
     彼女は去年、クリスマスイブだかそんな時期に彼氏と別れたらしい……ってことを花道の部活のマネージャーのアネゴから聞かされたのは年の瀬大みそかの日だった。

    「ごめんよ、臭かった?」
    「ううん……昔ね、お父さんが吸ってたから慣れてるよ」

     そう?と、短く返した俺の返事には、特に何も反応を示さなかった彼女に対して俺は密やかにも言葉を続ける。

    「帰らんの?」
    「……」
    「あっ、傘ね。忘れた系か」

     もう一度チラと彼女を見下ろせば、彼女はゆっくりとコクン、というように首を縦に振った。「俺と一緒だな」と呟いた俺の言葉に、ようやく顔を上げた彼女と目が合った。ああ、なるほどね泣いてたクチですか…と、目が潤んで微かに赤くなっていたのを見て、俺はふっ、と浅く笑う。
     また視線を外に向けて「参っちゃうよなー」とひとり言のように呟けば彼女が同じく正面を向いたであろう動作が、目の端に映る。
    「え……?」と言ってまた、ゆっくりと俺の方を見やる彼女に、真正面を向いたままで言う。

    「え?雨がさ、参っちゃうって話」
    「……、うん」

     しばらく二人の間に沈黙が流れた。その間も、ポンポン、と出入り口の屋根に落ちてくる雨音が鳴り響いていた。ややあって「——ねぇ水戸くんってさァ」と彼女の柔らかい声が聞こえてきた。

    「恋人とかいるの?実際のところ」
    「……はい?」
    「付き合ってる子……いるの?」
    「えー?さぁ……」

     はぐらかして言えば彼女は「さあ?」と、俺と同じ台詞で聞き返してきたあと情けなく笑った。そのとき、こちらに向かって歩いてくる、数名のガヤ声が聞こえて来て反射的に声のする方を見やれば、それは三年生の男子、名前も知らないザコ共の集団だった。「おっ、アイツ水戸じゃねーか?」と言うザコの一人のそんな声を聞き捨てて俺もまた正面を向き直したとき——。

     —— ドンッ!!

    「痛……ッ」
    「!」

     こともあろうにこの狭い空間、彼女と俺の間をわざわざ割って通り抜けて行った一人が、彼女の背中にぶつかったらしく、それに彼女が、小さく声を上げたのだった。男は「チッ、邪魔くせーなあ……クソ女」と、ボソッと呟いてから、自分の靴棚に向かって行く。背後からは一緒にいた他の連中の笑い声が聞こえてくる。

    「——おい、」
    「あっ、いいの。大丈夫」

     俺が思わずそのザコの背中に声をかけたとき、彼女が焦って制するみたいにして俺の言葉を遮った。そうして「通路ふさいでたの私だしっ」と、続け様に言うと、その彼女の声にザコが立ち止まり、ニヤニヤとしながら振り返ったので俺はメンチを切る。

    「あの……ごめんなさい!」

     座っていた彼女がすくっと立ちあがって、ぺこりとそいつに向かって頭をさげる。野郎はフン、と謝る彼女を鼻で笑って、舐め回すように下から上まで見たあと俺の視線に気づいたのか「ンだよてめーはまだ何かあんのか、コラ」と、喧嘩腰でガン垂れながら「あン?」とか言っている。

    「……いや?悪かったよ」

     俺がそう淡々と返すと、そいつは「分かればいい」とかなんとか言って、自分の靴を履き替えていた。その傍らでは他のザコ達もまだニヤニヤと笑いながら靴を履き替えている。そいつらを一瞥したのち、俺は溜め息混じりに「——けど、」と言った。全員が靴を履き終えた頃、俺の声に反応した主犯、彼女にぶつかってきた奴が俺に視線を向けて「あん?」と、懲りずに再度ガンを垂れてきた。

    「次は遠慮なく俺の後ろ通りな」
    「……はぁ?」
    「わざわざこんな、狭いほう通んねーでさ……」

     俺のその言葉に主犯の野郎が一気に顔を赤面させて「ぅおら!てめーら行くぞ!」と、プンスカご立腹な感じで生徒入り口を出て行った。残りもブツブツと文句を言いながら傘も刺さずに雨の中を走って行き、その姿を見送っていた刹那、彼女が横でぽつりとつぶやく。

    「……ありがと、水戸くん」

     俺は「ん?」と彼女を見やったあと「なんかしたっけ、俺?」なんて、へらりと笑ってみせる。彼女は、ふふふ、と可愛らしくも微笑んでいた。

    「ったく、これだから嫌になっちまうよなぁー」
    「え?」
    「スポーツマンの柄じゃねーヤツはさっ♪」

     言って二ッと笑って見せると、ようやく彼女がニコッと、いつものような笑顔を返してくれた。ふう、と息を吐いた彼女が「水戸くんも、いい人だよ」なんて言うので、思わず彼女をそっと盗み見た。

    「スポーツマンじゃなくたってさ、いい人だよ」
    「……」
    「かばってくれて、ありがとうね」

     ………。

    「……。」
    「雨……、止まないねえ……」


     ………みっちー、この子は……


    「水戸くん、バイト?遅れちゃうんじゃない?」


     ——もたもたしてっと……、


    「あ。ねえねえ……置き傘、拝借しちゃう?」


     ——たぶん、


    「あったよ一個! 誰のかわかんないけどっ!」


     ——すぐに、


    「水戸くーん、あいあい傘しちゃおっか?」



     彼氏が、できちまうぞ——。





     —


     俺は部活の休憩中、彩ちゃんに頼まれて保健室にを絆創膏を取りに向かった。途中、生徒入り口付近で見慣れた学ラン姿の大男のうしろ姿を発見して背後から忍び寄り驚かすように声を掛けた。

    「う・わっ!三井サンっ!」

     誰が見てもわかるようなビクッという効果音を放ちながら慌ててこちらを振り返った三井サンの表情に思わずぎょっとする。

    「え、なに……?辛気臭せー顔して」
    「あ、おう……宮城か」

     言って後頭部に手を当てて俺から目をそらした三井サンを不審に思って俺がそのまま先輩の横に並んで「なにしてんの?いま帰り?」と問うと、彼は一瞬目を泳がせて「あ、いや……」と、言い淀んだ後にスタスタと自分の靴箱に向かい、靴を履き替えていた。そんな三井サンを目で追った先に校外を歩く一組のカップル、男女があいあい傘をしている光景が目に入った。

    「おっ!いいねえ〜、あいあい傘しちゃって♪」

     抑揚付けて、俺が腰に両手を当ててそう言ったけれど、三井サンからはとくになんの返答も反応もなかった。俺は視線をまたカップルに戻して、何の気なしに目を凝らしてみた、そのとき、またぎょっとして思わず「えっ??!」と声をあげてしまった。「……あ?」と、靴を履き終えて立ち上がった先輩の不機嫌そうなオーラと声色。それを見りゃ、そのカップルが、見知らぬ人ではないのだろうことを諭す。

    「あ、あれ……名前ちゃんと……」
    「……」
    「……み、水戸……!?」

     ふたりを指差したその指を、反射的にそのまま三井サンに向ければ、眉を寄せて俺を見下ろした先輩が「チッ」と舌を打ち鳴らして俺の手をパーン!と叩き落とした。わざとらしくも痛がる俺を置き去りにして、そのままくるっとこちらに背を向けた先輩が今度は「はあぁぁああーっ」と人生の絶望です、と言わんばかりの溜め息を吐く姿に噴き出しそうになる。次いで頭をガシガシと乱暴に掻いた三井サンがぽつりぽつりと言った。

    「居残りさせられるしよぉ」
    「うん」
    「センコーに単位足りねーとか怒られるしよ」
    「う、うん」
    「傘……持ってきてねぇしよ……」
    「……うん、」
    「………名前が——」
    「……」

     その先を言いよどんだ三井サンが、もうひとつ小さく溜め息をついて言いたくなさそうな感じで「生意気な後輩と一緒に下校してるしな」と漏らした。言葉に詰まった俺を気にする素振りも見せずに三井サンは先の言葉を続ける。まるで、独りごとみたいに。

    「そんなに簡単に切り返れるもんなのかよ……」

     三井サンは言い終えてまた、はぁと溜め息をついた。油断したらその負のオーラに引っ張られてしまいそうな勢いの、不幸のどん底状態の先輩に対し俺は、一度ゴクンと唾を飲み込んで気を持ち直してから「あのー......」とお伺いを立てるようにして言う。
     ……あ?と、俺を一瞥した三井サン。そのまままた、ゆっくりと視線を二人の後ろ姿に向けたのにならって、俺もその二人を見ながら言った。

    「見えてるモノと、真実は違ったりすんじゃねーんですかね」
    「え?」

     知らんけど、と付け加えて俺も、ふうと小さく息を吐いた。

    「だってさ……落ち込んでるよって、いつもベーベー泣いてるよって言ったとして三井サン、嬉しいんスか?」

     三井サンはまたゆっくりと視線を俺に向ける。俺は彼女の名誉挽回のため、言い淀むことなく、胸を張って言葉を続ける。

    「頑張ってると思うよ、名前ちゃん。毎日、必死に笑顔でいようって、頑張ってんだと思う、あの子なりに……」

     三井サンがまた視線を正面に向けたので、俺はポンポンと励ましの意味をこめて、三井サンの腰あたりを叩いてから「じゃ、俺戻るねー」と言い置いて、かけ足で保健室に向かった。

     ……言えねえよなぁー、ほんとはまだ彼女が、三井サンのことを、好きだなんてさ——。





     —


    「——名前さんさ」
    「ん?」
    「ほんとは誰か待ってたんじゃねーの?」
    「え……」

     俺は雨が少し小雨になってきたので傘を彼女に渡して、俺は傘を刺さずに少しだけ距離をあけて彼女の隣を歩いた。

    「雨降って来たの、ついさっきだったからさ」
    「……」
    「名前さん帰る頃には降ってなかっただろ?」

     チラと空を見上げてみれば、雨は完全に止んだようで「お、雨止んだぜ」と言ったら彼女も空に手を翳してみたあと静かに傘を閉じる仕種が横目に見えた。

    「偶然装ってまで会いたいなら、直接会いに行きゃいいのに」

     情けなく笑って思わず出てしまった本音に彼女は一瞬目を見開かせてから俺と同じように情けなく笑った。そうして、ぽつり、言葉を紡ぐ。

    「学校っていう場所はさ、すごい場所だよね」
    「ん?」
    「嫌でも週5で来る場所で、嫌でも週5で好きなひとに会える場所だもん」
    「うん」
    「すぐそばに好きなひとがいてさ、いつでも顔が見れて。そんな当たり前の日々を当たり前に過ごしていたけど……」
    「……」
    「いまはちょっと、しんどいかも……」

     俺が思わず彼女を見たら、彼女は人生の絶望の淵にでも立ってますっていうふうな感じで俯いて歩いていて、それを見たら返す言葉も見つからず俺は正面に向き直って、しばらく無言のまま二人で駅まで歩いた。
     駅に着いたとき俺と逆方向の電車に乗る彼女に別れを告げて先に電車に乗り込んだ俺は、さっきの彼女とのやりとりを思い返して自嘲したあと、小さく呟いた。

    「……ありゃ、絶望のがけっぷちって感じだな、本気(マジ)で。」





     —

     宮城の背を見送って、もうめんどくせーから、雨のなか駆け足で向かって着いた駅のホームで、見慣れた後ろ姿を見つけた。さきほど生徒入り口を生意気な後輩と出て行った俺の元彼女だった。一人で電車を待っているそのきれいな横顔に俺は思わず目をそらしてから、少し距離を取って隣に立った。人の気配を感じたのか彼女がふとこちらに視線を向けたのが目の端に映る。

    「……」
    「……」

     はぁー、と、俺は曇った空を見上げながら息を吐いて、両手を制服のズボンのポケットの中へとしまい込んだ。

    「……、居残りか?」

     小さくぽつりと呟いた俺の言葉に、彼女がゆっくりとこちらを向いた気配を感じたので俺も視線を合わせると、すぐに目を逸らされてしまい俺も正面に向き直る。

    「ううん、違うよ」
    「ふうん」

     すぐに途切れてしまった会話。そのあとに続く言葉が見つからずに、俺はまたひとつ小さく溜め息を吐く。——言ってみれば、学校っていう場所はすごい場所だ。嫌でも週5で行く場所で、嫌でも週5で好きなひとに、会える場所だった。すぐそばに好きなひとがいて、いつでも顔が見れて。そんな当たり前の日々を当たり前に過ごしてたけど、もっと早くに彼女が湘北に来てくれていたら俺の高校生活は、もっともっとキラキラと輝かしいものになってたんじゃないのかって思うんだ。
     でも、どんなに運命にさからったとしてもあの日——クリスマスイブの二人の思い出がいっぱい詰まった海岸で、俺は彼女から別れを切り出されていたような気もする。


     ——校舎の階段で初めて寿とすれ違ったとき、階段から見下ろして来た寿から名前を呼ばれた。それが湘北高校に来て彼に名前を呼ばれた初めての瞬間だった。

    「名前」
    「?……はい!」

     階段の途中で上を見上げると寿が顔を覗かせて私を見ていた。今でもあの日の笑顔を鮮明に思い出すよ……。


     しばらくすると、私と寿の乗る電車が目の前に到着した。あえて私とは別の車両に乗り込む寿の背中を無遠慮にも見つめたあと私も電車へと乗り込んだ。

     俺の背中に痛いほどの視線を感じたのは勘違いだったとして、それでもいま振り返ったら彼女がいつもと変わらぬ笑顔を向けてくれるんじゃないかって、無遠慮にも考えてしまう自分を嘲笑う。


     たぶん俺は——、


     たぶん私は——、










    一人 の過ごし方を 忘れて しまった。



    ( 卒業まで、)
    ( あと何回 )
    ( 名前と )
    ( 寿と )

    (( 会えるのだろうか——。))

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