私は湘北高校二年一組、名字名前。
ふたたび登場の巻。
突然だが話はぶっ飛。私の担任ミッチーは、徹底して生徒のことを上の名前で呼ぶ。
他の先生から聞いた話によるとミッチー持論として、異性を下の名前で呼ぶことがセクハラにつながることもあるから絶対に呼ばない、とのことらしい。
言われてみればそうかも知れないかもしれないとも思うけど、別に他の先生は自分の顧問の部員とかを平気で下の名前で呼んだりしてるからどっちでもいいのに、とも思う。
ミッチー、口は悪いし俺様だし、自分勝手な先生だけどそういったところが真面目というか、たまに「あ、この人きっと育ちがいいんだ」と思わせるからギャップ萌え(死語)する。
それでも女子生徒たちは「名前で呼んでよ〜」とミッチーに絡んでいく。それに対して「呼ぶか!」とミッチーが返すのが最近ではお決まりのネタの一個。
女子生徒曰く、先生≠ニのコミュニケーションの一環らしいが。
けれど……、コミュニケーションやネタと称して女子どもはただ単にミッチーに名前を呼ばれたいだけな気もしてる捻くれ者な私。
きょうもきょうとて堂々と遅刻した私は、居残りで反省文を書かせられている始末。
実はスマホの目覚まし時計を完全に遅刻する時間に設定していることは、親にも友達にも、もちろんミッチーにも言ったことはない私の秘密だ。
反省文を書いている私の席の前、クラスでもまあまあ仲のいい女子がずーっと恋バナをしているのを聞き捨てて、反省文のネタに頭を捻らせる。
シャーペンの持ち手を口にあてて斜め上を見やれば、私の居残り待ちのミッチーが窓を開け放ってグラウンドのほうを見ていた。
ミッチーは相変わらず背が高いし、そのかっこいい横顔とグラウンドから聞こえて来る野球部員の掛け声がうまいことマッチして、まるで青春映画の世界にいるみたいだ。
掃除班はすでに下校済みだし、いまこの教室にはミッチーと私。……と、待っててくれと頼んだ記憶もない勝手に居座っているクラスメイト一名。
せっかくミッチーと二人きりになれそうだったのに、さっさと帰ってくれないかな。
しかも恋バナしてるわりに、ミッチーのこと気にしてるふうだし、口実か。私に恋バナ聞かせるふりしてミッチー狙いかアンタも。
「ねえ〜、聞いてるぅ?名前〜」
「え?」
チラとミッチーから視線を目の前のクラスメイトに向ければ、彼女は横向きに座って足をぶらつかせていた。
「てかさ、どうせ別れるんだからいつ別れたって一緒だよ」
「ひっど、わたしは別れたくないんだってば〜」
「だって恋愛に振り回されてばっかじゃん、他に楽しいことないの?」
ハッと鼻で笑って嘲うように返せば彼女はずっとスマホのSNSをスライドして「んー」と聞いているんだか、聞いていないんだか取りあえずで相づちを返してくる。
……だから相談する気ねえだろって、その態度。マジで帰れよ、さっさとさあ。
私がシャーペンをくるくると回しながら自然ともう一度窓のほうを(ミッチーのほう)を見やれば瞬間、こっちを見ていたミッチーと目が合った。
回していたシャーペンを机に落として固まる私からすっと視線を窓の外に戻したミッチーが低い声で言う。
「書けたのかー?」
「……まだ。」
机に落としたシャーペンを拾い上げ今度は肘をついて目の前の反省文の用紙に目線を落とし込む。
「……」
目が合って、ドキ!……とかしないのかなミッチーって。ないか。相手は生徒、しかも子供。毎日嫌でも会う人間なわけだし。
ミッチーってどんな恋愛すんだろ。キスとか手繋ぎとかハグとか……エッチとか。はじめてそういうの、女の子としたのはいつなのかな……。
「ねえ、これ見てっ!」
反省文の用紙を見ているフリでそんなことを呆然と考えていたとき、私の目の前にバッと、スマホを翳される。
チラと目だけで彼女を見上げれば「見て!」と、泣きそうな顔でスマホをぐいぐいと私のほうに突き出してくる。
ハア、とあからさまな溜め息を吐いたあと、シャーペンを持っていないほうの手でスマホを受け取る。
慣れた手つきで親指を使い、シャッシャと画面を下にスクロールしていく。
「……見た感じ完全に浮気してるね、お前も浮気しちゃえば?」
「ハイ」とスマホを返す仕種に彼女は「やっぱしてるよね〜!?」と声を上げながら自分のスマホを私の手の中から回収する。
反省文はしっかりとミッチーが目を通すから前日前々日と同じ内容は書けまい。てか、同じだから書き直しと返されたことがあるからだけど。
でもさあ……もう、ネタないのよ。
遅刻しすぎなのよ、さすがに自分。
わたしも「う〜ん」と唸りながら両足を浮かせてぷらぷらさせてみる。
その間も、目の前の彼女はずーっと同じ話を繰り返しているし。ときたま「ねえ、聞いてる?」と確認してくるため、相づちを打っていたが、ついに「ねえってば!」と、トントン肩を叩かれた。
ふぁ〜〜〜とクソでかあくびをして腕を伸ばし、「うん、そんで?」と一応聞き返せば、さっき話していたっぽい内容と同じようなことを話し始めたので、また意識を反省文の用紙に向ける。
来週デートなのになんの連絡もない、とか、てか三日も既読無視されてるとか。
そうして、他校だからとか言っていたあたりで、あ、アンタの男って他校だったのか、と、このとき初めて真実を知る始末。
でも、めんどくさいから口には絶対に出さないけどね。
「てか来週のデートも絶対断られるよ、それ」
ようやく、当たり障りのない文章が思い浮かんだ私はシャーペンを走らせながらサラッと言う。
彼女は「やっぱ絶対そのオチだよね!?」と食い気味に突っかかってきたが、一度だけ「さあ」と言いたげに首を傾げて終わらせた。
「そもそも恋愛自体否定派だから、私は。」
べらべらと変わらず話し続ける彼女に、さすがにお腹いっぱいになってきて反省文を書きながら彼女を見向きもせずにピシャリと言い切ったとき、正面のほうから「ハッ」と抑揚つけた感じで鼻で笑う声が聞こえて思わず顔を勢いよくあげた。
ずっとくっちゃべっていた彼女も私につられて、正面を見る。
ミッチーが知らぬ間に窓際の一番前の生徒の椅子に腰を下ろしていて、壁に背をつけ足組みしていたのだ。
しかも、ついでに胸の前で腕まで組んで、楽し気に笑っている。ムカつく。かっこいいし。
「……なに、ミッチー。」
さっきまで適当に恋バナを流しまくっていた私が不機嫌にもそうぽつりと呟く。
「いやぁ? ずいぶんとカスみてえなアドバイスしてんなって思ってよ」
「……!」
「そもそも恋愛自体否定派だもんな?まあ、カスみてえなことしか言えんわな、そりゃ」
「……なによ、じゃあそういうミッチーはどんなアドバイスすんの」
「ええ?」
ミッチーはそれまで揶揄うように笑っていたが、突然「んー、そうだな」と頭を捻りはじめた。
目の前に座る彼女も興味津々といった感じで押し黙ってミッチーを見ている。
「ちゃんと話し合ったのか、とか。おまえはそれでいいのかよ、とかか?」
「知らんけどな」と最後に付け加えたものの案外ちゃんとした意見でビビる。
それを聞いた彼女が食い気味にミッチーのほうへ身を乗り出して質問した。
「え、じゃあじゃあミッチーはさ彼女に浮気とかされてるかもってなったらどーすんの?」
「あ? 浮気?……ああ、どうだろうな」
「怒る?許す?泣く?……別れる?」
「……」
なぜか流れる沈黙の時間。私もすっごくミッチーの意見が気になったけれど、素知らぬふりで反省文を書きながら聞き耳を立てる。
「……喧嘩したし、怒ったし、諦めたな。」
「へっ?」
突如目の前に座る彼女が素っ頓狂な声を発する。それもそのはず。この人気者のミッチー。プライベートは一切話さないと有名だからだ。
「けど——、」
「……」
「泣いたこともねえし、別れたこともねえよ」
「……」
「くだらねえことで死ぬほど喧嘩したけどな、それが原因で別れたことはない」
「……」
「別れようなんざ、一度も思ったことがねえ」
「……」
わたしは固まっている。思わずシャーペンを離してしまったよ。だって、あのプライベートを一切明かさない人がこんなこと言ってんだもん。しかもクソほどいい男の発言を連発しながら。
私はコロンと転がったシャーペンを持ち直して、ミッチーをチラ見してみる。
ミッチーは相変わらず足と腕を組んでいたけれど微かに目を伏せて、思い出に浸るみたいに綺麗に微笑んでいた。
「え、てか諦めたの?ミッチー」
「あ?」
「その人のこと。ミッチーの顔で?どんな世界線……」
言葉を発せず反省文をひたすら書き込むフリの私に反して彼女がやっぱり食い気味に問いただす。
「ツラは関係ねえけど……つか、諦めたって、相手を諦めたんじゃなくて、認めたってことだよ」
「認めたって? なにを?誰を?」
「……。そいつを。……どんなことがあっても相手を好きだって思う気持ちに悩むのを諦めたってことだよ、分かるか?」
「うーん……なんとなく」
うーん、なんとなく、私にはよく分からない。そんな複雑すぎるミッチーの持論を頭の中でひとり整理してみる。
「心から想ってる相手なら、たとえ浮気しててもそいつがしてねえと言い切るなら、それが俺にとっては真実ってことだ」
「え、あ……いまのは意味わかった。そしてすっごく染みた!」
「——あそ、なら……よかったよ。」
「ミッチーの恋愛論、かっこいい〜!」
「かっこよくねえだろ、俺だってもっとスマートになりたかった人生だったっつーの」
え……いやいや、やべえよ、かっけーよアンタ。な、なんでそんな綺麗に微笑むの、なにこの人。やばいって、これ……沼るってば——!!
「……と、思う。確か」と急に言ってしまったと言いたげに曖昧に言いよどむミッチーの言葉を聞き捨てて。
わたしは顔が赤くなりそうでそれを隠すように今までで食べた一番まずかった物なんかを頭の中に想像する。
「えー、でもそれってさあ〜?ミッチーがカッコよかったからじゃないのー?」
「は?」
「ミッチーの顔が好きで相手が別れたくなかったからギリギリのとこでミッチーを繋ぎ止めておいたとかさあ〜」
「……」
目の前の彼女はまあ珍しく、的外れとも言えないような女心の予測を言い放つ。
「あのなあ」とミッチーが返答したときガタン!と椅子から立ち上がる音も一緒に聞こえて、私も反射的にミッチーのほうを見やる。
思った通り、ミッチーが席から立ちあがり丁寧にもちゃんと椅子を机の中へと押しやる。
今度は窓枠に背を預けて腕組みをすると、私たちのほうを見て言った。
「いい男なんてゴロゴロいたの、俺の時代も」
「へえ〜、そうなんだ」
「でも、顔とかスタイルとか。お前らがよく話題にあげるような、そんなんはよく知らねえぞ?」
「うんうん」
「ただ、まあ……俺から見ても、優しかったり落ち着いてたりだな……、そのー……腕っぷしの強えー奴とか、スポーツセンスのある奴がだな…」
「油断したら危なく粉かけるよーな奴ばっかだったんだよ」と尻すぼみして言うミッチーが、なんだか可愛らしかった。
「そもそも、そんな狡賢く頭の切れるようなヤツじゃなかったしな、あいつは……」
「……」
「真っ直ぐに思ってくれてたってこと、今ならちゃんとわかるのにな……。」
「……」
どんな世界線にいれば、このミッチーからそこまで愛されんの、そのひと。なんて思ってたら。
ノリノリで聞き返していたクラスメイトも同じことを思ったのか押し黙ってたあと、閃いたように言った。
「それって、いま言ったような人、みぃ〜んな、ミッチーよりもレベルが上だったってこと!?」
今度はミッチーのほうがギクッという感じで押し黙る。それでもミッチーは組んでいた腕を解いて後頭部に右手をあてがうと、照れたように言葉を零した。
「まあ——、そういうこった。」
「えー!!なにその黄金期!!ミッチーよりカッコいい人が、うじゃうじゃいた説じゃん!」
「カッコいいつーか、まあ、そーいうのは知らねえって、同性だから特にな」
「いやいや! それ絶対ヤバいの多かったって!卒アルないのっ!?」
「だーれが同級生にいるって言ったよ、つかそうだとしてもお前に見せるか」
「えー!! いじわるっ!!」
……。
ミッチーって、照れるんだ……。え、可愛い——。そんな顔して照れるんだ、新しい発見。
気付けば書き終わっていた反省文。わたしはシャーペンを机に置き、両手で頬杖をついてふたりの会話をしっかり聞く体勢を取る。
「えー、いま聞いた話ってさあ?全部ミッチーの体験談?それともミッチーの知り合いの人の話も含む?」
「え?……さあ、どうだろうな。」
ミッチーは両手をポケットにしまいこんで、チラと視線を外に向ける。ちょうど、風がやんわり舞い込んできて、七三分けに軽くセットされているミッチーの短い髪の毛を優しく揺らした。
「しょーもな。」
ここで初めてふたりの会話に私が言葉を添える。ふいっと顔を背けて言ったその言葉に、ふたりが反射的に私を見やる。
「めんどくさい、そーいうの。私絶対ムリだわ」
シンとなった教室内に軽い感じで「名前ほんっと男っ気ないよねー」と返す楽し気な彼女の声が響き渡る。
「無いんじゃなくて出してないだけ。だってろくなのいないじゃん、この学校」
「えー!? 湘北って、顔いい人多いって有名なほうだよ〜?」
そんなクラスメイトとの生産性のない会話を繰り広げているとき、不意に「名字、」とミッチーに名前を呼ばれた。
「……なに?」
「おまえ、好きな奴できたことねーのか?」
急に真面目くさったかんじでミッチーが私の目を真っ直ぐに見ながら問う。
「……ええ? どうかな。まあ、いないわけでもないような、そうでもないような……」
「誰かを大切だって想ったり、苦しくなったり、死ぬほど好きだなって思ったり……」
「……、」
「自分が相手を好きでいることを、心底嬉しく思ったり……。そういうの、ねえのかよ」
「……」
言いよどむ私に、なおも真っ直ぐなミッチーの言葉が胸に突き刺さる。
アンタだよ——、って思わず言いそうになってしまうくらいに、ミッチーの言葉は、きょうも安定で真っ直ぐだった。
言葉を返せないでいる私のもとへ、ミッチーが向かってくる。
その動向を目で追っていると私のもとへ辿り着いたミッチーがすっと反省文の用紙を掴みあげる。
書いた内容を一瞥したミッチーは、小さく呆れた感じで「まあ、よしとすっか」と零した。
それを聞いたクラスメイトが、ぴょんと椅子から立ち上がって「ん〜っ」と背伸びをする。
私もそれに合わせて机に手をついてすくっと椅子からたちあがったとき、ミッチーが私を見下ろして言った。
「 名前 ≠ノも、現れるといいな。」
「——!!」
「運命の相手。」
二ッと笑って教室の入り口に向かっていくミッチーに、クラスメイトが溜まらず叫ぶ。
「あー!!いま、名前のこと名前で呼んだ〜!」
「ずるい、私も呼んで〜!」とミッチーを追い掛けて行ったクラスメイト。
廊下を歩きながらのミッチーと彼女の楽し気な話し声が、どんどんと遠退いていく。
「……。」
う、運命の相手——!?
え。見つけたんだけど、いま。
私はどんどん赤くなっていく自分の顔面を、覆うことしか出来なかった。
その 笑顔 は反則だから……!
(名前、おまえの運命の人って俺だよな?)
(ねえ、それ質問する意味ありました?)
(あ?)
(もはや言い切ってるじゃん)
(だってよ——、……俺、だろ?)
(ええ?……じゃあ、ヒミツ。)
(はっ? 抱き潰すぞ。)
(こっわ。)
※現役女子高生と先生。
ヒロインと復縁してからのお話。
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