女の花道、男の浪漫(4/5)
表紙
目次
しおり
しおりを挟む
しおり一覧
前へ
4/5
次へ
すぐに二年生の廊下の先にあるトイレに駆け込もうとしたが、そのトイレ前には他の生徒がたむろしていて私はそれを確認すると全力疾走のまま階段を駆け下りた。途中、階段の踊り場でダラダラと気怠そうに階段をあがってくる桜木軍団と鉢合わせになる。
「ぬ? 名前さんではありませんか」
桜木くんに声を掛けられてしまったので、一応は立ち止まったが、きっと私はいま、心底ぶさいくな顔をしているだろうと思って、ペコッと一度頭だけ下げて、そのまま階段を駆け下りた。一階のトイレは閑散としていて、勢いよくその扉のドアノブを掴んだ瞬間——。
「名前!」
背後から待ったをかけるように
その腕を誰かの手に掴まれた。
「……はなして」
「待て、ちゃんと——」
「こんな顔、誰にも見せられない!」
私に話を遮られた寿が
先の言葉を飲み込んで押し黙る。
「寿の……、三年生の最後の体育祭が、台無しになっちゃう……、」
「………」
「笑って、戻って来るから……っ」
「名前……。」
「お願い、はなして——」
私の願いが通じたのか、間もなくして、すっ…と掴まれていたその腕が離された。
トイレの中、一番奥の扉を開けて鍵をかける。私は洋式トイレの蓋の上に座って、ぐちゃぐちゃになってしまった感情を整えようと試みた。
何分そうしていたかは、わからない。トイレの入り口、いま扉を開ければ、まだ寿がそこにいるのだろうか。いなかったら、どうしよう。でも……いても、どうしたらいい?悔しいし、悲しいし……虚しい——。
「我慢できないんなら、言ってやんなさいよ」
「………、彩子?」
目の前のトイレの扉の向こうから、彩子の声がした気がして、私は顔を上げた。
「「他の子と仲良くしないで」「私のことだけ見て」「私のことだけ考えて」 って。」
「そんな……、そこまで独占欲、強くないもん」
「なによー?いい子ぶっちゃって」
強い語気に反して優し気な彩子の声色。そのあと彩子がクスクスと笑っている声が扉の向こうから聞こえて、なんだかほっとして、また泣きたくなった。
「まあ別に?あんたが声に出さなくったって」
「……」
「三井先輩なら、とっくに気付いてるんじゃないの?」
「……っ」
「あんたは、顔に出すから——」
シンとなるトイレの中。
ややあって、彩子が優し気に「出て来なさいよ」と言った言葉に観念して私は鍵に手を掛けた。
「………、」
「………?」
「………、彩子?」
「なに? 早く出て来なさい?」
「鍵さ……? 開かないんだけど——」
「え。」
—
結局あのあと、ほっといてと言われたらしい三井サンが、なぜか俺と彩ちゃんの元に戻って来て飼い犬に手を噛まれたみてえな顔でしょぼくれていた。それを見かねた彩ちゃんと俺もとりあえず三井サンを引き連れて一階の女子トイレに向かった。
説得を試みようと先に彩ちゃんが女子トイレに入って数分経ったとき。
「きゃあああああ!!!!!」
トイレの外で床に座っていた俺と三井サンの耳をつんざくような悲鳴が飛び込んできて思わずふたりして耳を塞いだ。ちょうどグラウンドに行こうとしていたらしい花道たちも階段を降りて来る途中、その悲鳴を聞きつけてダダダダダ……!と階段を駆け下りてきた。
「なんだなんだ、女子トイレから悲鳴聞こえなかったか?」
大楠の言葉に俺と三井サンがゆっくりと顔を見合わせる。仕方なく三井サンを先頭に申し訳ないと思いつつも女子トイレの入口の扉を開けてみれば。
「きゃあああ! 引っ張っちゃいやぁー!!」
なんでこんなことになったのか、名前ちゃんがトイレのドアの上、ドア縁の上に乗っかっている。そして彩ちゃんが名前ちゃんに手を伸ばしていて手と手を繋いでいるその二人の姿が、まさしくロミオとジュリエット状態なのだ。
「あ、リョータ……。鍵、壊れてたみたいで…」
「なるほど、それでトイレに上がってドアに登ったんだね……」
「そうなの、でもこの子バカだから降りるときのこと考えてなかったみたいなのよ」
「彩子! バカって言わないでよ!」
彩ちゃんはそんな彼女の姿にげんなりしながらも掴んだ手を離さないように握っていた。
「じゃあどうすんのよ? 押せばいいの?」
「いやっ! それはもっと嫌!!」
とりあえず入り口に突っ立っててもしょうがないので女子トイレの中に入った俺と三井サン。
「彩子。 一回、どけ。」
「寿……っ!!」
三井サンが言葉を発したことで、ようやく自分の彼氏も側にいたことを知った名前ちゃんが半べそを搔きながら三井サンを見た。三井サンは「ハア」と溜め息を吐いてから勢いよくバン!と足でドアを蹴った。
トイレの鍵は今の蹴りでぶっ壊れただろうが取り合えずドアが開いたことで彩ちゃんが中に入って丁寧にも靴を脱ぎ様式トイレの上にあがる。たぶん受け止めようとか補助になろうとか、そんなことを瞬時に考えた結果の彩ちゃんなりの行動だったんだと思う。
「え、寿……、なにすんの?」
「彩子、押せ。」
「え……?」
「待って寿。お、押す……って?」
「いいから、押せよ。」
「押していいんですか? 本当に押しますよ?」
「いやあああ!死ぬぅぅぅ」
「死ぬかよ、バカタレ……。」
そんなコントさながらの光景を女子トイレの外で見ている花道らが腹を抱えて笑っている。
さっき彩ちゃんの手から離れた名前ちゃんの手を今度は三井サンがぎゅっと掴んだ。名前ちゃんは何を思ったのか三井サンが彼女を支えるために、とりあえずで掴んだその手を恋人つなぎに変えて握ってみせた。
「バカヤロウ!違げえ!これじゃ俺の腕が折れんだろーが!」
「あ、ごめ……」
「肩に来いって、受け止めてやっから。」
「………っ」
「泣くなっ! いいから一回、手ェ、離せよ」
「うう……、寿ぃ……」
「いい? 押すわよ?」
「ギャー!こわい〜!!寿〜っ!!」
「ちょ、待てって、落ち着け……」
そんなやりとりがしばらく続いたが三井サンの目配せを合図に彩ちゃんが名前ちゃんをトン…と、押しやる。それによりすんなりと三井サンに受け止められた名前ちゃん。そのまま三井サンはトイレ床に尻餅をつくかたちで、名前ちゃんは三井サンに抱き着くかたちで、なんとか誰一人、怪我をせずに済んだ。
結局、残り少ない昼休みの時間は、なんとなくの流れで二年一組の教室内に戻って、俺、彩ちゃん、名前ちゃん、三井サンの四人で過ごした。それでも三井サンは右手で頬杖を付いたまま、ずっと窓の外を眺めている。名前ちゃんの席に三井サンが座っているので彼女は自分の席の隣の椅子に腰かけて俯いている。
そんな光景に彩ちゃんが痺れを切らして三井サンの座る席、名前ちゃんの机の上に紙袋をドサッと置いた。
「……あ?」
「中、あけて見て下さい。」
「なんだよ、これ……。」
「ほらリョータ、グラウンド行くわよ。」
彩ちゃんがそう言って教室を出て行ってしまったので、俺もふたりの様子が気になったけど、とりあえず彩ちゃんのあとを追った。
寿が不思議そうに彩子から渡された袋の中身を覗いている。危険物でも扱うかのように中身を取り出したあと、じーっと両手に持ったそれを見つめていた。
「ん。」
俯いていた私の目の端に水戸くん特性の特攻服の羽織りが差し出される。見れば寿が私の椅子の背もたれにだらしなく背中をあずけて、片手でぶっきら棒にも私に特攻服を差し出しているのだ。
「なに……?」
「着ろよ」
「え?」
私が目を見開いて寿を見ても寿は窓の外に顔を背けていて、目が合うことはない。
「………」
「着ろって。」
「……………ヤダ。」
「あ?!」
勢いでついに寿がこちらを見たことで久しぶりに、ちゃんと目が合った気がする。
「言葉わかんねえのか?」
「………」
「着・ろ!って、言ってんだよ!」
素直に着て欲しいと言えない天の邪鬼な彼氏を目の前にして私はイラっとし、プイッと顔を背けると、もう一度「嫌。」と語気を強めて言う。するとガタンと椅子の音がして横を見れば寿がその特攻服を私の机の上に置き、私に向き合うようにこちらに身体を向けている。
大股で足を広げ、特攻服に身を包んだその姿はまさに暴走族の総長みたいで笑えた。思わずプッと噴き出せば、たいそうご立腹と言った感じで片眉を吊り上げる寿。
「着ろっつってンだろ、これ!」
バンッ!と机の上にあがっている特攻服を一度叩いて、寿がそう言う。
「嫌だってば!」
私がまた顔を背ければ今度は寿の右手が私の両頬を挟んで掴み上げる。大きなその手のひらは、いとも簡単に私の頬を覆い隠せてしまうのだ。下からぐいっとつかみ上げられたことで私の口はタコみたいに尖る始末。その顔がおもしろかったのか寿は眉間に皺を寄せながらも口の端が吊り上がって笑ってしまっている。まったく、失礼な奴だ。
「着るよな?」
「
いない
(
着ない
)
」
「あ? もう一回聞くぞ? 着るんだよな?」
「
い・な・い
(
着 な い
)
ッ!!」
私を見下ろして、チッと舌打ちした寿は、そのまま手を乱暴に下ろすかと思いきや、労わるように優し気にそっと、私を掴んでいた頬からその手を離した。
「じゃあ、なんだ? あれか?デコにでも書けば着るのかよ」
「……ん? おでこって?」
「ここ! 俺の!」
言って寿は自分の額を人さし指で、指し示す。
「名前命って俺が書きゃあ、お前も着るのかよ、これ!」
「………」
「まあ、例えばの話な……」
「——書いてよ」
「はっ?」
寿が素っ頓狂な声を出す。
そして、困惑とか怒りとか、さまざまな感情を含ませた寿の顔が歪み散らかしはじめる。
「名前が好きだ、死んでも愛してる、生涯守り抜く、一番大切な人、命!って書いてよ!」
「バカ、長げえーって。デコどんだけ広くてもンな長文はまらねーよ」
「じゃあ着ない。」
「あ、……あのなあ。」
困った寿の顔は、なんだかちょっと可愛かった。もっと困らせてやりたかったけど間もなく昼休みが終わりそうだ。
寿の最後の体育祭。午後の部の競技で、なんとしても弐年組が参年組に勝つためには……
「それ、取って?」
「あ?」
「……それ。��
寿仁一途
(
ひさしにいちず
)
�=B」
私は立ち上がって寿に手のひらを差し出す。さっきまでは着れ、と散々言っていたくせに寿は急に面食らったように特攻服を手に取り照れながら私の手のひらにそれを乗せた。
私が勢いよく短ランを脱ぎ捨てると、寿はぎょっとして「露出しすぎだバカっ!」と、なぜか顔を真っ赤にして怒鳴り散らかす。
「大丈夫だよ、上にこれ羽織るから。」
「……ったく、絶対脱ぐんじゃねーぞ?もしサラシだけになってんの目撃したらシメるからな?」
「こっわ、彼女に言う台詞?それ。」
言いながら特攻服をバサッと、豪快に広げて羽織れば、寿に当たってしまったらしく寿が「バカ!そっちで羽織れよ!」と、決まって文句をたれる。
「………、どう?」
サイズは、水戸くんの言っていた通りで私の体にぴったりだった。
特攻服を羽織ったあと寿に背を向け腰に両手をついて聞けば返事の代わりにパシャ!という携帯電話のカメラのシャッター音が教室内に静かにこだました。
「……ねえ、撮影許可出してないんですけどー」
「ああ? 金ならいくらでも払うぜ」
「お金いらないから午後の部、手抜いてよ」
「あ? 嫌なこった。最後に勝つのは参年組だ」
「………ちっ。」
寿はそのあとも、何枚か写真を撮っていて、しまいにはもっと下がれだの、こっち向くなだのと注文をつけられ、そんなことをやっているうちに、昼休みが終わるチャイムが鳴ってしまった。
「ねえー、もうチャイム鳴ったよ?」
私がプイッと顔を背けて教室を出て行けば、笑いながら追ってくる寿の上履きの音が聞こえる。すぐに横に並んだ寿が「なんでそんなに怒ってんだよ」と、なおも楽し気に、そして心底嬉しそうに私の顔を覗き込む。
「名前」
「ん?」
一緒に肩を並べて廊下を歩きながら真横にいる寿を見上げれば寿が優しく顔を綻ばせて言った。
「——最高。」
私は一瞬、時間が止まってしまったけれど、すぐにやれやれと言った感じで鼻で笑って返した。気付けば手にあたたかい温もりを感じて寿が手を繋いでくれたことを知った。
私がさきほどのトイレ事件と同様に、その手を恋人つなぎに切り替えると今度はしっかりとその手を同じく恋人つなぎに握り返してくれた寿。
実は、さっき寿が撮影した私の特攻服の後ろ姿の写真が、しばらくのあいだ寿の携帯電話の待ち受け画面に設定されていたという事実を知るのは、もっと先の話。
そして、湘北高校の生徒手帳の裏に、その写真が入れられていたと知るのも、もっともっと先のお話。
前へ
4/5
次へ
Back
/
Top